第一章 自殺は他殺より神を困らせる ②

「やんねぇわ! そもそもな、他人からもらった力で生きていこうとか、恥ずかしいと思わねぇの? お前もういい年した大人だろ? だったらもっと地に足着けて自分と向き合えや!」


 夢を壊された上に説教までされてしまった。生前はチート特典なんて馬鹿にしていたのに、まるでありがたがっていたかのように思われたままは悔しいし、異世界に行くなら何かしら特典はほしい。

 ルンは思案の末に妙案を思いつき、疑問を投げかける。


「あのさ、俺が行く世界って十進数使ってるの? 一年は何日で、一日は何時間? 酸素はある? 水は?」

「何だよいきなり」

「異世界の環境に馴染めないと、上手く生きていけないだろ。だから能力アップして!」


 せめてステータスくらいは上げてもらおう。そんな企みを看破したかのように、神はつまらない答えを返した。


「心配しなくても、その辺はお前らの世界と同じだから」

「え?」

「お前、プログラミングやってたんだっけ? じゃあ分かりやすく例えてやるよ。言語だの度量衡だの公転周期だのは、世界作るための共通のフレームワークとライブラリがあるんだよ。俺は基本的にそういうの使ってるから、お前らの世界とは大差ない。行く先の世界の生き物はみんな、酸素吸って水飲んで暮らしてるよ。まぁ、向こうには魔法だの竜だのあるから、そこは大分違うかもしれないけどな」


 夢のないことをまた言われてしまったと落胆しつつ、神の言い分も理解できてしまうのは、職業病だろうか。データベースとのやり取りだとかファイルの読み書きだとか、そういうプログラムは自作せずにライブラリを追加するだけで済ませるし、実装の大枠をフレームワークに頼るのもシステム開発では定石だ。

 とはいえ、世界を一つ作るという壮大な作業でも同じようなことをしているのは、何となく白けてしまった。


「神って意外としょうもないんだなぁ……」

「お前さっきから失礼なんだよ! もう良いわ、これ以上お前と喋りたくない」


 すっかり機嫌を損ねた神は、そう吐き捨てて、


「とにかく、次自殺したらマジで地獄行きだからな。精々頑張って減価償却しろや」


 そんな脅迫紛いの激励を贈って、また指を鳴らした。


    2


 瞬きした次の瞬間、ルンの目の前に神の姿はなく、静かな部屋は跡形もなく消えていた。

 代わりにそこにあったのは、レンガ造りの家だった。地面には灰色の石畳が敷き詰められていて、それが左右にまっすぐに続いて道を作っている。その道を行き交う人々は一様に、変なものを見るかのような目でルンを見てから、間合いを取って小走りにすれ違っていく。


「図書館の本で見た格好だ……」


 たった今、ひそひそと言葉を交わしながら目の前を通っていった中年の夫婦の身なりに、ルンはそんな感想を漏らした。ひげを生やしたハゲ頭の男は白のシャツにベージュのトラウザーズ、小太りの夫人の方は赤い綿平織りのジャケットに幅の広い白のペチコート。革命期のフランス庶民のそれとよく似たファッションだ。

 そんな彼らに社畜ファッションが理解できないのも無理はない。白ストライプの入ったネイビーブルーのスーツに赤のネクタイ、それに黒の革靴。男の方に至っては、ツイストパーマをかけた黒髪が物珍しいからか、目が釘づけだった。

 空を見上げると、東京よりも随分と高く感じる。仕事を理由に久しく帰らなかった故郷を思い出していると、空を仰ぐ眼前を胴長の影が通り過ぎた。


「え、ドラゴン⁉」


 現実に引き戻されて、思わず声を上げてしまう。ゴツゴツとした青い肌に、長い手足。背中の羽をはためかせて、太陽の方角へ向かって去っていくのは、ファンタジー系の漫画やゲームで見たことのある竜そのものだった。


「何あの人? アオゾラトカゲであんなに騒いで、変なの」


 ふと、声が聞こえてきた。意味の分からない外国語で聞こえたそれは、日本語として頭に流れ込んできて、ルンにも理解することができた。

 声の方へ向き直ると、子供が三人、サンタのように白い髭を蓄えた老人を囲んで、訝しげな様子でルンの方を見ていた。


「異国のもんかの。まぁ、変な輩には構わんことじゃ。それよりほれ、こいつを直してほしいんじゃろ?」


 雲のような太くて白い眉を垂れさせた老人は、そう言って関心を自分に戻させると、


「大地の精霊、月の女神、太陽の母。暖かく尊きその眼で、かの災厄を慰めたまえ……っと!」


 右手に持った小瓶の上で、左手を撫でるように動かす。割れてしまった小瓶は、老人の言葉に反応したようにプルプルと震え、そして破片を吸い寄せて形を取り戻していく。


「うわぁ! 直った!」

「ありがとうじいちゃん! お礼にパンあげる!」

「構わん構わん。そりゃお前さん達で食べんさい。こんなもん朝飯前じゃて」


 得意満面の老人に、感動しっぱなしの子供達。ルンも目の前で見せつけられた神秘に、息を呑んだ。

 何世紀も前の服装に聞き慣れない言語、それを難なく理解できる自分、そして空を羽ばたく竜に、魔法を操る老人。


「ガチで異世界だ……何か変な感じだなぁ」


 知らない世界に突如飛ばされた事実を受け入れて、伸びとともに深呼吸する。空気にはほんのりと土の匂いが紛れ込んでいる。東京ではあまり嗅ぐ機会のない匂いに懐かしさを覚え、ため息を漏らす。


「さて、どうするか……」


 老人と子供達が去っていくと、何となしに石畳の道を歩き出しながら、今後のことを考えてみる。異世界での生活という非現実的な現実。神様から何かしらの忖度をしてもらっているわけでもない。

 これからどうすべきかと考え、ひとまずお決まりの流れを期待してみる。


「ステータス・オープン!」


 生前なら恥ずかしすぎて死んでもやらないだろうが、ここは一度死んだ後の異世界。恐いものなどありはしない。

 というわけで、この手の小説にありがちと後輩から聞いたことのある、ステータスを可視化する能力を与えられているか試してみた。ビシッと右手を突き出して叫んでみると、ゲームのようなステータス画面が出る、ということもなく、そんな様を小馬鹿にするように鳥が囀った。通りをすれ違う現地の人々からは、突然わけの分からないことを叫んだせいで余計に気味悪がられ、ひそひそと話しながら小走りで離れられてしまう。


「ダメだ、やっぱ恥ずかしいわ」


 時間差で訪れた羞恥心に赤面しつつ、足早に通りを進む。


「――あ? 何だこのガキ?」


 ふと、聞こえてきた荒っぽい声に、ルンは立ち止まる。

 人の行き交う通りから、枝のように伸びた裏路地。日陰に覆われた薄暗い路地の奥で、男が三人背を向けて、何やら物々しい声色で凄んでいる。


「そいつは俺らが見つけたんだ。大人しくこっちに寄越せや」

「何でこの子がほしいの? あんた達、こんなかわいい動物飼うような人間に見えないけど」

「カーバンクルは魔導士どもに高く売れるんだよ。それとも何か? 嬢ちゃんも一緒に娼館にでも売り飛ばしてほしいのか?」

「そりゃあ良いや。カシラもきっと喜ぶぜ」


 路地裏に潜む悪意と、それに対峙するか弱い少女。ルンは聞こえてきたやり取りで、三対一のこの構図を理解した。薄汚れたシャツとトラウザーズ姿の男達は、腰に短剣を差していて、その身なりは街の自警団を名乗るには清潔感に欠けるし、卑しい語調も露骨にカタギのそれではない。


「おいこらぁ!」


 路地に入っていき、声を張る。生前ならもっと穏便に済ませようとするところだが、ここに日本の刑法は存在しない。それに、不思議と叫ぶことに抵抗はなかった。


「あぁ? 何だ、てめ――」

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