第9話 手を繋ぐ意味



私は人生において、いわゆるお泊まりというものをしたことがない。


修学旅行には家庭の事情で行けなかった。

個人的にお泊まりするような友達もできないうちに、殺しの仕事を始めた。

思い返せば、ターゲットや情報の持ち主としか夜を共にしたことはない気がする。


別に今回も、情報の持ち主と一夜を共にするだけ、ではあるのだが、美咲は女子同士のお泊まり会のような雰囲気を醸し出している。その空気感は、私が人生で得ることができないと諦めていた類のものだった。


美咲がバスルームに入るのを見届けてから、私はスマホを手に取った。

普通がわからない私には、調べるしかやりようがないのだ。


『お風呂 一緒に入る 冗談』

『お泊まり マナー キモくない』

『お泊まり NG行動』

『人の家でお泊まり 家主不在』


初恋をしているような検索履歴に、思わず頬が緩む。

どれだけ調べてもそれらしい情報は見つからず、答えのない迷宮に迷い込んだようだった。でもそれは、私にしてはとても人間らしい体験で、悪くないと思えた。


調べていくと、お泊まりにはパジャマが必要だと気付いた。

半ば拉致のように急に連れてきた以上、美咲がパジャマを持参しているはずがない。

私は急いで2階に行き、クローゼットを手当たり次第探った。

奥に仕舞われた『由美子』と書かれた段ボールは、おそらく前妻の荷物だろう。

開けるとそこには少し古びた女物のパジャマがあった。これを捨てられない家主の女々しさを気色悪がりながらも、ちょうどよく拝借する。

女物のパジャマは一つしかなかったので、自分用の寝巻きにはクリーニングのビニールカバーに入ったYシャツを拝借する。


バスルームの扉が開いて、風呂上がりの美咲が現れる。

濡れた髪、巻いたタオルの隙間から覗く肌。客観的に見て美しいとされる姿だった。

男たちが彼女に落ちるのも頷ける。


彼女にパジャマを着せて私も風呂に入る。

割と自然な振る舞いができたように思い、ホッとする。


シャワーを浴びながら今日を振り返る。改めて無茶苦茶な1日だった。

突然ひとりの女の子を匿わなくてはならなくなるなんて、想像もしていなかった。


風呂を上がるとすぐに先回りして寝室に入り、また私は検索する。

『お泊まり 寝る前の会話』

『修学旅行 定番』

どうやら人はお泊まりで寝る前には恋バナをするらしい。

浮いた話のない私には参考にならないな、そう考えていると寝室の扉が開いた。


美咲にスマホの画面を見られないように、すぐにスマホを閉じて座り直す。

「ダブルベッドしかないけど、大丈夫?」

こうやって確認するのが大切らしい、という付け焼き刃の知識を使う。

「うん、大丈夫。」

美咲が私を信じてくれている気がして、なんだかホッとする。


「じゃあ、電気消すよ?」

スイッチに手を伸ばす。どこかこそばゆい気持ちの私は、早く寝てしまいたかった。

「うん。」美咲がベッドに入ったのを確認して、電気を消す。


ベットに入り、おやすみの声をかける。

「おやすみ、美咲。」

「おやすみ、玲奈。」


これで今日は終わり。そう思ったら少し寂しい気がして、気付いたら

「…なんか、恋バナとかする?」などと言っていた。

しかし、私から話題を振ったのに、なんだか美咲の浮いた話を今は聞きたくなくて、少し強引に話を終わらせてしまった。


「もう寝た?」

その言葉に私は答えなかった。

すると、左手にあたたかな感触を覚えた。



彼女が繋いだ手の意味を、私は調べたくてたまらなかった。

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