四月一日

@fukamiyuki

第1話

 点滅する横断歩道の信号機。少し走ればいいのだけれど、それだとなんだかもったいないような気がして立ち止まる。草臥れた姿で帰宅するサラリーマンも、ランニング中のマッチョなお兄さんも。「何で止まるの?」という背中で渡っていく。私だって早く帰りたい。けれど、それでも渡るという選択肢はなかった。彼らを見守りながら、私は赤信号を迎え入れるようにじっとその時を待つ。この点滅は私にとって、「赤」を見るためのささやかなカウントダウンだった。

 青の点滅が終わり、薄暗い夜に気怠げな立ち姿が真っ赤に灯された。何者かも分からない謎めいたその人は、まるで今の私を映し出しているようだった。明日その人が別の人になっていようが、きっと誰にも気づかれない。それを自分自身も分かっている。そんな無力さが私によく似ていた。私は赤くなったその人をしっかりと目に焼き付け、その人にだけ伝わるように小さく微笑んだ。

 再び信号が切り替わる。私は早足で横断歩道を渡り切った。陰になったその人は私にとって何の意味もない。赤じゃなきゃ、私の運命も変わるはずないでしょう?

赤信号を待ったせいで、もう0時を過ぎてしまった。もう四月一日か。

 一年間ほぼ毎日通った帰り道。どれだけ暗かろうが、疲れていようが「赤」がどこにあるのか私には分かる。バイト先を出てすぐの信号機に、郵便ポスト。裏路地に入る前の標識に、コンビニのロゴマーク。私はそれらを見つけるというルーティンを、大学二年に上がった今日も着実にこなす。家までもう少し。あとはこの横断歩道を渡るだけ。私はもう一度「赤」が見たくて、歩く速さを遅らせた。


 丁度十年前のこの日から、私の周りは「赤」でいっぱいだった。髪ゴムも筆箱もスマートフォンも。しまいには冷蔵庫まで赤を選んでいた。小学生が帰り道にクロッキーのナンバー車を一つ数えるように、私はずっと赤色のものを探してきた。それはあのフミの言葉が呪縛になっているからだろう。

「赤色に囲まれると、好きな人と両想いになれるんだって」

 家に遊びに来た当時小学二年のフミは、私の耳元でそっと囁いた。世界のとんでもない秘密に気づいてしまったかのように、誰かに言いたくて仕方ない様子だった。そしてフミは私の手をぎゅっと握りしめ、公園で拾ったという赤色のビービー弾を私にくれた。

「ゆうなちゃんに一個あげる。お揃いだよ」

 その日から私のランドセルには、必ずフミがくれた赤のビービー弾が入っていた。フミとクラスが離れた時も毎日赤の髪ゴムをしていたし、中学に上がってフミに初めての彼氏ができた時も、私はずっと赤の筆箱を使っていた。高校が離れても赤のスマートフォンでフミと連絡を取っていたし、一人暮らしを始めた時だって、赤の冷蔵庫を家に並べた。毎日赤色のものばかりに目がいってしまう。それは、フミのことを思ってなのか、それとも「赤」が自分の生活の一部になってしまったからなのか、私にもよく分からない。けれど、また一つ「赤」を見つける度、私の頭の片隅にふっと現れるフミが、気になって仕方がない。フミも「赤」を見る度、私のことを思い出すのだろうか。


 点滅する信号機。これ程までに人通りの少ない横断歩道を信号無視したからって何の問題もない。だけれどやはり待ってしまう。

 点滅する信号機を私はじっと見つめた。すると、私の後ろから「えっ、渡る?」と男の声。少しの沈黙が続いた後、結局そのまま私の前に来ることはなかった。まだ渡れるのに止まる私を見て、不審に思ったのだろう。別に気にせず渡ればいいのに。

 信号機が真っ赤に光る。色が変わるのを待っていると後ろから再び声がした。

「流石に今日は帰った方がいいよ」

 静まり返った夜道に、男の声が響く。

「いや」

 脳裏に焼き付いたその声は私の胸をきつく引き締めた。たった二文字。それでも私には分かる。フミだ。久しぶりに聞いたフミの声。私の方を見て欲しい。今すぐ駆け寄りたいはずなのに、何故だか振り返る事が出来なかった。いつもと違う、鼻にかかった甘い声。とろけるようなその甘さが、今のフミに私は見えていないのだと言うようだった。同じ「赤」を見ているはずなのに、フミの中に私はいない。私が「赤」を見てフミを思ったこの十年、フミは誰を思っていたの?

 静かな夜を照らす赤。もう何百回も見た「赤」が、今はドロドロに濁って見える。私を虐めるように信号はなかなか変わらなかった。もう見ていられない。私は、「赤」から目を背け、俯きながら信号を無視して走った。

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