第33話 サンシャワー
『今のこの町は、何かがおかしい』
そう言ってライアットさんは、密かに牢屋のドアを開けてくれた。
保安官事務所からこっそりと顔を出した私が見たものは、武器を手に嬉々としながら走っていく町人たちだった。
最近腹の肉が邪魔で仕方ない、と笑っていた肉屋のトーマスさん。
これはマーガレットちゃんだけの特別だよ、と毎回他の人にも同じような事を言っていた酒場のフランクリンさん。
腰が痛くてしょうがない、といつもぼやいていた八百屋のイザベラさん。
誰もが、誰もが武器を手に嬉々として走っていた。
私はこっそりと彼らの行く先へとついていった。
町の外の混乱はそれ以上のものだった。
何十頭もの牛が無秩序に暴れまわり、町の人たちはそれに向けて引き金を引いていた。
大半の人の銃からはカチカチと言う音が鳴るだけだったが、彼らはそれでも構わずに嗤いながら引き金を引いていた。
そんな中、数多の音が交差する荒野で、その音は何故か私の耳へと静かに届いた。
混乱の真っ最中である私はその光景を見て、あぁ。あのバカでも弾は当たるんだ、と、ぼんやりとそう考えた。
背後から胸の中心を撃ち抜かれ、胸から口から血を流しながら荒野に横たわるバカ。
誰がどう見ても致命傷である。
そんなバカに幾つかの人影が駆け寄っていた。
長身のインディアンは、まるで自分が撃たれたかのように歯を食いしばりながら。
見知らぬ少女ガンマンは、涙で顔をくしゃくしゃにしながら。
見覚えのある幼い少女は、脂汗を額に浮かべながらよろよろと。
そう、誰が見ても致命傷だ。
そう、私の幼馴染はたった今死んだんだ。
私はぼんやりとそんな事を考えつただ呆然と立ち尽くしていた。
★
「ぐっ」
タマモは結界によって消耗した体を、前へ前へと必死になって動かしていた。
全盛期のタマモでさえも大幅に力が弱体化した程の結界である、今の微弱な力しか持たないタマモにとっては、その存在ごと削り取られるほどの効果を有していた。
ジョンが撃たれたのを目のあたりにして、ハカンは何をも置いて一目散に駆け出していった。
タマモは、ハカンに次いで駆けだそうとした、ヘレンの裾を力なき手でしっかりと握り、ヘレンの足に縋りつく様にして立ち上がり、今にも消え去りそうな体で前を目指した。
ヘレンは滂沱の涙を流しつつ、タマモの体を支えて前へと進む。
一歩、また一歩。
ハカンが友と呼んだ男の亡骸を抱きしめ、慟哭の叫びをあげるその場所へ。
「きっ……きさっ……」
一歩、また一歩。
「ふざっ……けるで……」
一歩、また一歩。
「ふざけるでないわ! この戯けがッ! 貴様は
ジョンの亡骸へとたどり着いたタマモは、ジョンの胸倉を掴みつつそう叫ぶ。
しかし、いつもヘラヘラ笑っていた顔は雪の様に真っ白で、減らず口か泣き言しか出なかった口から出るのはドロリとした赤い液体だけだった。
「貴様ッ! 返事をせぬかこの不敬者ッ!」
叫び続けるタマモとは逆に、その周囲は徐々に落ち着きを見せていた。
暴れ牛たちのほどんどは、町民たちの攻撃に倒れたか、どこかへと逃げ去っていた。
自分たちに向かってくる相手がいなくなった、町民たちはようやく当初の目的を思い出したかのように、嬉々としてタマモ達に向かってくる。
タマモとジョンを守るように、ハカンとヘレンが決死の覚悟で並び立つも、たった2人で何十人もの武装した敵を相手取れるはずはない。
「いい加減に目を覚まさぬかこの戯けッ! 貴様は
叫ぶタマモの目から一滴の涙が零れ落ち、乾いた荒野にポツリとしみ込んでいく。
ポツリ、またポツリ。
ポツリ、ポツリ、ポツリ。
★
「……貴殿は」
智は、ゆっくりと背後を振り返った。
そこには、硝煙くもるライフルを手にしたウィンチェスターが、下卑た笑みを浮かべながら立っていた。
「なんだ? 何がい言いたい? どこぞと知らぬ未開の蛮族から来た小娘めが。
はっ⁉ 大口はたいておいてなんだこのざまは⁉
私は貴様の後始末をしてやったんだ! 感謝はされど文句など言われる筋合いはない!
そうだ! あと少しだ! 後はあの
ウィンチェスターは嗤いながら、地面に座り込んだままの智を素通りし、すっかりと周囲を包囲されたタマモ達の方へと向かっていく。
「ん?」
ポツリと、そんなウィンチェスターの目に上から何かが入ってきた。
それに目をしばたかせた、ウィンチェスターが上を見上げると、そこにあるのは雲一つなく晴れ渡った青空のみ。
だが、その青空からポツリ、ポツリと雫が降る。
「ふっ。
そう言ってウィンチェスターは高笑いする。
自分の前には栄光への道しか存在しない。
この
蒼天の下、コンコンと降り落ちる
「いけない! 早く! 早くあの九尾狐を始末するのです!」
ウィンチェスターは背後からかけられた声に、聖なる時間を邪魔されたことに顔をしかめる。
「はっ。何を言っておるのだ、小娘が。奴等を見てみろ、どいつもこいつも虫の息ではないか」
ウィンチェスターはそう鼻で笑う。
間抜けな町民どもは、暴れ牛に無駄弾を使ったせいで手にした銃は今や鈍器としてしか使われてはいないが、たった数人の人間を殺すには有り余る戦力と言うものだった。
そのはず――であった。
「む?」
と、ウィンチェスターは眉をしかめる。
一方的に攻撃をし続けていた町民たちの動きが乱れ始めたのだ。
あるものは、隣の人物が振りかぶった際に突き出された肘に顔面を強打され。
あるものは、駆け寄ろうとした足がもつれ、数人を巻き添えにしながら地面に倒れる。
あるものは、銃が暴発し、あるものは、ズボンのベルトが切れ、あるものは、石につまずき、あるものは――
「な……なん……だ? 一体……何が?」
単なる偶然と言うには出来すぎた光景に、ウィンチェスターの顔から笑みが消えた。
そんな彼の耳に、未開の蛮族の小娘の、悔しそうな声が聞こえてくる。
「ウィンチェスター殿。この国においては天気雨とは単なる気象現象なのかも知れぬが、
智は臨戦態勢を整えつつ、そう呟く。
「違う意味? バカバカしい! こんなものは何処であろうと唯の気象現象だ! それ以外の意味などありはしない!」
ウィンチェスターの悲鳴のようなその叫びに、智は、まるで貴人に平伏するように
「
★
蒼天の荒野にコンコンと振り落ちる雨がタマモ達に降り注ぐ。
「これ……は?」
タマモとジョンの盾となり、必死になって耐え忍んでいたハカンとヘレンはその異常に気が付いた。
なぜかは知らないが、敵たちは意図的に同士討ちをしているかのように、あり得ないミスを重ね続けるのだ。
だが、異常はそれだけではなかった。
一方的に蹴られ殴られ続けた体の痛みが、潮が引くように消え去って行くのだ。
「なん……だ?」
気が付けば、自分たちを囲んでいた敵たちは、自滅や同士討ちの果てに皆倒れ伏していた。
そして――
「うーーぃ」
自分たちの背後から聞こえて来た、
「ん? あれ? 俺ってどうしたんだっけ?」
振り向いた2人の目の前には、タマモの胸に抱かれたジョンが大あくびをしている姿だった。
「友よ!」「先生っ⁉」
目の前で生じた奇跡に、2人はタマモごとジョンに抱き着いてくる。
「え? いっいやいやなんで⁉ ってかどうせ抱き着くならハカンとヘレン逆! 野郎の胸板押し付けられても嬉しくともなんと――」
「えぇえええい! 暑苦しいわ貴様ら!」
ヘレンは、自分の胸元から響いて来た叫びに慌てながら飛びのいた。
すると、ジョンとヘレンでサンドイッチされていたタマモは、それまでの弱りようが嘘のようにすっくと立ち上がる。
「え? えっえ? タマモ……さん?」
自分の胸元から立ち上がった存在にヘレンは目を瞬かせた。
ついさっきまで自分より小さかった筈のタマモが、今、自分の眼前に居るのは、自分よりも頭一つほど高い、身長およそ5.6フィート(約170㎝)の妖艶な大人の姿に代わっていたのだ。
しかも変わったのはそれだけではない、彼女の瞳は空に輝く太陽の様に金色で、その頭からは1対の狐耳が、そして腰からは複数の豊かな尾が生えていたのだ。
タマモは、そんなヘレンの反応を見て、自慢げな笑みを浮かべた後、いつの通りの不敵で憎らしく、そして邪悪で妖艶な笑みを浮かべてこう言った。
「か・か・か。
なんぞか知らぬが
征くぞ! 下僕1号! 2号! 3号! 羽虫どもめらに、
そう嗤い歩き出すタマモに――
ジョンは自分の胸元を染める赤に一瞬顔を青ざめた後コソコソと背を屈めつつ付いていき。
ハカンは無言で頷いた後、タマモ達を守るように右前に進み。
ヘレンは『私も下僕?』と小首をかしげながらも銃を片手に左前に進む。
町、否、敵首魁であるウィンチェスターへ堂々と歩を進めるタマモ達を遮るものなど存在しなかった。
全てがタマモ達に味方した。
向かってくる相手は次々とあり得ないミスをおかす、タマモ達の歩みは一歩、また一歩と力強さを増していく。
鎧袖一触、とは正にこの事。
否、誰もが皆、タマモ達に近寄ることすら出来ずに自滅して行くのだ。
「かっかっか! 何だか知らぬが今の
「え! マジ? マジでやんの⁉ じゃっじゃあそのついでに俺の俺による俺のためのロリっ娘ハーレムをおまけにひと――」
「アンタのバカは1回死んだ程度じゃ治らんのかこのド変態!」
全力でタマモに媚びを売っていたジョンは、駆け寄ってきたマーガレットに思いっきり横っ面を殴り飛ばされた。
「ふべらッ⁉」
タマモは、肩で息をするマーガレットと地面に横たわるジョンを残る3人はチラリと一べつした後、何事もなかったかのように前を向く。
その先には、ガタガタと歯を震わせるウィンチェスターと、鋭い目つきでタマモを睨みつけ錫杖を構える智が居て――
その2人間から、上機嫌そうな微笑みを浮かべた、でっぷりと太ったスーツ姿の中年男が悠々とした足取りで歩いてくる姿だった。
「む? 何奴じゃ?」
自分がこの町に居た時は見なかった顔だと、小首をかしげタマモの後ろから、マーガレットが男を指さしながらこう叫んだ。
「タマモさん! あの人です! あのフー・リーチンって中国人が来てからこの町はおかしくなっちゃったんです!」
「なぬ? フー・リーチンとな?」
「なんだ? 知り合いかタマモ?」
「いや、初めて見る顔じゃが……
いつの間にか復活したジョンがそう尋ねたが、タマモは小首をかしげそう答えた。
そんなタマモの様子にジョンは一瞬だけ不安感を覚えたが、今のタマモが絶好調の無敵モードな事を思い出し、プルプルと頭を振るう。
何せ今のタマモに近づくものは全てが皆、勝手に自滅してしまうの――
(だったら……何でマーガレットは俺を殴れたんだ?)
ふと浮かんだ疑問を頭によぎらせるジョンなどお構いなしに、その男は、もったいぶるように、あるいは、罠にはまった獲物をいたぶるように歩いてくる。
「おっ、おい、なんでだよ」
男の歩みを見たジョンの口から、思わずそんな声が漏れだした。
タマモの不思議パワー? あるいは理不尽フィールドは今もなお健在だ。
その事は、その男以外の敵が勝手に自滅しているのを見れば明らかだ。
だが、男はそんな事などお構いなしに歩き続け、笑いを堪えきれないかのように語り始めた。
「アハハハ、いやー参ったアル、アナタいつもワタシの期待を上回ってくれるアルヨ」
「何時も……じゃと?」
自分に比べれば人間などちっぽけな虫けらに過ぎない、かつてのタマモは
ならばこの男とは初対面という訳ではないのかもしれない。
タマモはそう思い、無理やりにでも自分を納得させようとしていた。
そんなタマモを嘲笑うかの如く、男は語る。
「アナタ泳がせて、あわよくばここの土地神と仲よく出来れば思ったアルが、まさか瑞獣の力まで取り戻せるとは思いもよらなかったアル」
「まて……何を言っておる貴様」
男が口を開くたびに、タマモの中の何かがきしんでいくが、男は構わず話し続ける。
「そうあるワタシは、人に歪められたしまった存在アル」
「待て……それ以上口を開くでない」
うんうんと大仰に頷きながらそう喋る男の声が、タマモのナカへとしみ込んでいく。
「かつてワタシは吉兆を告げる存在だったアル、太平の世を寿ぎ、名君を支援する存在だったアル。
味方には限りない祝福を、平和を脅かす敵には限りない不運をもたらす存在だったある」
「幸福と……不運?」
「そうアルよ、それが今の状況アルヨ」
ポツリと呟いたジョンの言葉に、男は両手を大きく広げてほほ笑んだ。
タマモ達へ攻撃を仕掛けてきていた人間は、全てが皆あり得ないミスを犯し続け、全てが皆、荒野に横たわっていた。
「だったら何だってんだ、テメェが味方だって言いたいのか?」
ジョンの問いかけに、男は満足げに頷きこう言った。
「味方? アハハハハ、これはお笑い草アルネ」
「じゃあやっぱ敵じゃねぇかこのインチキ中国人っ!」
そう叫ぶジョンに対して、男は短く太い指を左右に振ったあと、芝居がかった仕草で胸に手を当て、こう言った。
「インチキ中国人とは酷いアルネ、ワタシには、立派な名在るアルヨ。
そう名乗った男の姿にザラリとモザイクがかかる。
「そして、わたしは一族郎党を虐殺されたとある男の妹ナイラです。
お久しぶりですね、ジョンさん」
黒瑪瑙の少女はそう言って朗らかな笑みを浮かべ、モザイクの影へと姿を隠す。
「そして俺は、名もなき騎兵隊員っと。久しぶりだな兄弟!」
どこにでもいそうな騎兵隊員はカラリとした笑みを浮かべ、モザイクの影へと姿を隠す。
そして、身長およそ5.6フィート(約170㎝)の、見るもの皆を蕩けさせそうな妖艶な美女が現れた。
そして彼女は、とてもとても聞き覚えがある毒々しいほどに色香あふれた声でこう言った。
「そして
皆々様、どうぞご贔屓のほどよろしくお願いしますわ」
身長およそ5.6フィート(約170㎝)の頭部に1対の狐耳を、腰から複数の尻尾を生やした見覚えのある女は、聞き覚えのない口調でそう言ったのだった。
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