第9話 掌の上

 森太郎が目を覚ますと、そこには見慣れない天井があった。殴られた名残なごりか、体を起こそうとするとひどく腹が痛む。顔をしかめながらぐいと無理やり体を起こすと、周りの調度も部屋の質感にも見覚えはなかった。

 自分の体の上には簡素な掛布団があり、下には敷布団、そして畳がある。念のために確認した自分の両手には縄が巻かれていなかったので、どうやら牢屋の中ではないらしい。

 部屋の質感からして、どこかの民家か宿のようにも見えるが、それ以上の情報は目で見ただけでは得られなかった。

 意識を失う前、自分は薊友禅に負けた。由乃と協力しても手も足も出ない程、圧倒的な力の差だった。

 絹原家の執事に敗れて意識を失った以上、由乃が自分と一緒にいる確率は低い。その推測の通り、部屋にあるのは自分が寝ている布団が一組あるだけだった。

 しかし、森太郎の中に一つの疑問が浮かぶ。有禅の言葉を信じるなら、東和国とうわのくにでは、絹原家当主が娘である由乃が行方不明、ないし誘拐にあったと考えている。その状況下で、執事である有禅が情報を仕入れなかったとは考えにくい。当然、自分と由乃が関所から外界へ出たことなどすぐに調べがつく。

 そうなれば、自分という存在は絹原家の令嬢を誘拐した犯人以外の何者でもない。発見されれば、即座に捕縛され、国に帰された後にしかるべき法的措置がとられるのは明白だ。にもかかわらず、自分の両手に縄がついていないということは、自分は有禅に見逃されたのだろうか。

 一人部屋の中で悶々としていても仕方がないと思い、森太郎は布団を抜け出して部屋を出ようとする。立ち上がる時にまた腹の痛みに苦しみ、呻きながら腹をさすっていた。

 痛みに耐えながら一歩ずつ部屋の出口に近づき、襖に手をかけようとした瞬間、外から開かれた。

「え……?」

 そこに立っていた人物を見て、森太郎は腹の痛みが吹き飛んだ。有禅だった。

「おや、目が覚めていましたか」

「どうして……?」

「それを説明しようと思いまして、そろそろ起こそうと思っていたんですよ」

 にっこりとほほ笑み、おはようございます、と丁寧に声をかけてくる。森太郎は何が何だかわからず、柄にもなく開いた口が塞がらなくなっていた。

「とりあえず、下に行きませんか?茶屋でゆっくりと話したいことがありますので」

 そう言って有禅は先に立って廊下を歩いてゆく。依然、森太郎には状況がつかめなかったが、彼の言葉はしっかりと聞いていた。とにもかくにも、有禅から話を聞かなければ状況は何もわからないままだ。

 大人しく彼の後ろについて、階段を下っていった。


 森太郎が寝ていたのは、宿場町の宿の一つで、二階が客室となっており、一階には茶屋が入っていた。

 てっきり東和国、ないしその支配域の宿場町まで運ばれて拘束されているものと思っていたが、茶屋の四人席で向かいに座る有禅曰く、ここは宮津子国みやつこのくにから最も近い宿場町なのだという。

 茶屋の中の客の数はまばらで、自分たち以外には二組しかいない。

 従業員が立ち働く音と、他の飲食客の僅かな話し声がするだけで、店の中はわりあい静かな方だった。喧騒に満ち溢れ、雑多な音がところせましと埋め尽くす東和国の喫茶店や勧工場とは比べるべくもない。

「意外でした」

「何がですか?」

 昨今世に出回り始めたばかりの珈琲を有禅はすすった。

「てっきり、東和国の中で、僕はお尋ね者になっているとばかり思っていたので」

「なってますよ」

 有禅はこともなげにあっさりと答えた。森太郎は変な声が出そうになるのをこらえる。出されたお茶を飲んでいる最中でなくてよかった。飲んでいれば、間違いなく噴き出していた。

「といっても、あくまで公式ではなく、絹原家やそれに関連する諸家の中でのものですけどね」

「情報源は、やっぱりあなたですよね」

「さすがに、関所の記録は誤魔化しようがないですからね」

 森太郎は眉根を揉みながら、ため息を吐く。

「でも、君たちが外に出られるよう手配したのも、私ですけれどね」

「えっ」

「目が合ったじゃないですか」

 あの時ですよ、と笑いながら珈琲コーヒーの入ったカップを机の上に置く。

 森太郎はすっかり忘れていたが、そう言われて思い出した。たしかに、関所から有禅が歩いていくのを見ていた。その時、法術で姿を消して隠れていた自分と由乃の方を、有禅は見つめていた。森太郎が有禅と目が合ったと感じたのは、気のせいではなかったのだ。

 しかも、手配した、となれば、関所からすんなり自分たちが出られたのも合点がいく。要は、自分と由乃が来たら外へ通して欲しいと有禅がなにかしら関所の衛兵に交渉をしていたのだ。

 湧き出る疑問は尽きないが、森太郎は、まず自分が最も不思議に思っていたことを尋ねる。

「どうして、僕らの場所がわかったんですか?隠れていたはずなのに……」

「自身の姿を周囲の景色と同化させる法術。でも、それは完ぺきではないし、理屈がわかっていれば看破する術はあるんですよ」

「そうですか……」

 森太郎は膝に置いた自分の両手の甲に視線を落とした。自分が必死に勉強して、基本の法術の要素を掛け合わせ、自分なりに変化させて応用したものも、この男からすれば看破できるものだった。もちろん、自分の法術が完璧だと思ったことはないが、本来の役割である視覚的情報を遮断するための法術が、意味のないものになっていたとは思わなかった。

「まぁ、そのあたりの道理は、また今度にしましょうか。とりあえず、今君の置かれている状況、そして、私の求める要望を聞いて欲しいんです」

 森太郎は視線を上げて有禅を見る。

 そうであった。今は構造の穴を突かれた後悔も、それを埋めるための対応策を考えている暇ではなかった。

「まず、私自身は森太郎くんとお嬢様を国に連れ戻そうという意図はありません」

「どういうことですか?」

 当たりの音が消えたような気がした。森太郎は身を乗り出して尋ねる。

「私は、お嬢様が絹原の家に閉じ込められるのを、良しと思っていないからです」

 森太郎は息をするのを忘れた。絹原家の忠実な執事であり、絹原家にその人ありと言わしめるほどの傑物。万難廃して主君をたすける。そんな有禅の人物像が、森太郎の中で砕ける。いまの有禅の発言は、主君の意思と明確に反したものだった。

「お嬢様は才能がある。外界へ出ることを厭わない行動力、法術の才能、対人格闘はまだまだですが、それでも伸びしろはある。それに、知識が少なくとも莫迦ではない」

 森太郎の中で、由乃から聞いていた有禅の人物像、その行動が理由を持ち始める。

「まさか、由乃に厳しくしていたのって……」

 有禅は口元をほころばせる。

「たぶん、君の想像通りです」

「外界でも生きられるようにするため」

 正解を確かめるよう、独り言のように呟いた森太郎の言葉に、有禅は頷く。

「お嬢様から聞いて、絹原の家の特性は君も理解するところでしょう?」

「ええ」

 森太郎が頷く。政財界への影響や商売にしか興味がなく、子どもは家の繁栄のためのいしずえ、悪く言えば道具としか思っていないという意味だ。

「そんな家の中で、せっかくの才能が埋もれるのは、私には我慢がならなかったんです」

「まさか、由乃が外界に興味を持つようにも仕向けたってことですか……?」

「さすが。森太郎くんは勘がいい」

 楽しそうに笑う有禅。

「加えて、書生は外で生きられる智慧ちえを持つものと吹聴し、君の平生ふだんの服装をお嬢様に言い続けてもいました」

 怒涛の展開に、森太郎は唖然とする。由乃に才能を活かす生き方をさせるために主家の意に反した教育をしていただけではなく、今回の外界への旅路を暗に誘導していたのだ。しかも、その協力者に自分をあてがうよう、由乃を洗脳していた、ということだ。

 そこまで聞けば、森太郎にははっきりとではないまでも、今回の騒動の概要がつかめてくる。つまり、自分と由乃はすべて有禅の手のひらの上で踊っていたにすぎなかったのだ。

「つまり、あの夜の脱走劇は、由乃がそうするようにあなたが仕向けた、ということなんですね」

「ええ。君がお使いに出たのは知っていましたから」

 後はお嬢様の性格を考慮すれば、あの流れになるのは容易なことだと言ってまた珈琲に口をつける。

 対して、森太郎はお茶が冷めていくのにもかかわらず、飲むことをすっかり忘れて思案していた。というより、有禅の計算高さと先読みの複雑さに舌を巻いていた。

 歳は九つしか離れていないというのに、自分がこの男に追いつける明確な像が浮かばなかった。どれだけ知識を得ようとも、こればかりは一つの才覚であり、経験に裏打ちされたものであろう。改めて、書物の文字ばかりを追いかけていい気になっていた自分をじる気持ちに襲われる。

「と、まぁあらかたの種明かしは以上としておいて、その上で君にお願いがあるのです」

「お願い……ですか……?」

 これだけの権謀術数を駆使することのできる男が、自分に頼み事などする必要があるのかと、森太郎は自分を卑下する気持ちに苛まれていた。

「そんなに落ち込まないでください。こればかりは経験しないとどうにも動けないものですから」

 森太郎の胸中を見透かしたように慰めの言葉をかける有禅に、本当に敵わないな、と森太郎はまた心中に暗澹たる気色を抱え込んだ。

「私は、東和国内で旦那様方を抑える役割をしなくてはならないんです。お嬢さまについていられるのは、君しかいないんですよ」

 有禅は苦笑いしながら言った。

「それは、僕に由乃のお守りを続けろ、ということですか?」

「悪い言い方をすればね。でも、これは君のためでもあると思いますよ?」

「というと?」

「お嬢様は好奇心が人並外れた方です。そして森太郎くん。君も、知的好奇心、という意味においてはそこに引けをとらないとふんでいます」

「それは……まぁ……」

 由乃を比較対象にあげられたことで、素直に肯定は出来なかった。それでも、自分の知的好奇心が他人より逸したものだという自覚が、森太郎にはあった。言葉を濁しながらも小さく頷く。

「怪異という脅威にさらされながらも、自国の秘密は守り、他国と協力しようとしないという非効率的な現状において、東和国以外の知識が得られる機会というのはそう多くはありません。君にとっては、とても魅力的でしょう?」

 有禅が不敵に笑う。

 他人の意のままに動かされる、他人の気まぐれに振り回されるというのは、森太郎が嫌うことの一つであるが、それ以上に、好奇心の方が強く自分の中で燃えていた。これが知識に関わることでなければ、有禅に反駁はんばくして多少でも溜飲を下げようと努めていただろう。しかし、有禅の言った通り、森太郎の知的好奇心は常軌を逸している。反発心など微塵も起きない程、今目の前にぶら下げられた未知の知識というエサに、今にも唾が垂れ落ちそうなほど魅せられていた。

「……僕は、知識を追うとなれば、由乃のことも放り出すかもしれませんよ?」

「君が放り出そうとも、お嬢様が君を放すわけがありません」

 ご存知でしょう?とばかりに肩をすくめて見せる。たしかに、いくら有禅から特徴を聞き、書生が有能な人物だと吹き込まれていても、初対面の異性と二人きりで旅をしようとする女性など、由乃を除いていはしない。

 森太郎の中に懸念はまだありつつも、由乃に脅された時同様、好奇心の方が勝ってしまった。

 参ったとばかりに手のひらを掲げ、森太郎は有禅の要求をのんだ。

 有禅が満足そうに微笑むかたわら、落ち着いてきた森太郎に一つの疑問が浮かぶ。

「そういえば、由乃はどこにいるんですか?」

「ああ、お嬢様ですか」

 そう言って有禅は、じらすようにゆっくりと珈琲を一口飲み、カップを置いてから口を開く。

「話の邪魔ですから、少し散歩してもらってます。まぁ、初めての宿場町に気分が高揚して、気付いた時にはあちこちを駆けずり回って見物し始めましたよ」

 ここまで遅いのは想定外でしたけど、と楽しそうに笑う。

 森太郎の肩から力が抜ける。由乃を守ろうと気を奮い立たせて有禅に立ち向かったというのに、自分のことをそっちのけで通常運転を行う彼女に落胆する。もちろん、それが由乃らしいということは森太郎も承知していたが、内臓が飛び出そうなほどの激痛を我慢しながら戦ったのに心配一つされないというのには、もやもやとした感情がわいてきてしまう。

 そんな胸の中の感情を押さえつけるように、森太郎はすっかり冷え切った茶を、一気に飲み込んだ。

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