第6話 森太郎について

 二日目の夜は、海の見える大きな木の根元での野営となった。今夜は、たき火を囲むのは、森太郎、由乃と惟種いぐさの三人である。

 夕食は、昼にとっておいた野草を入れた味噌汁。それと、惟種がねぐらから持ってきた魚の塩漬けを焼いたものだ。

 はじめ、森太郎は惟種の用意した食材を口にするのをためらっていたが、それは酒でも味噌でも同じだろうと惟種に言いくるめられ、由乃からもここまで好意を施してもらっておいて疑うのはさすがに失礼だと、集中砲火をくらったため、観念して塩漬けの串焼きに手を伸ばした。

「それに、毒なんて入れてたら俺ももろとも死ぬことになる。入れるわけがないだろ」

 呆れたような物言いをしながら、惟種は、自分が飲むために用意しておいた酒をあおった。

「怪異は人間よりも頑丈だからな。アンタに効かなくても、僕らだけが倒れることだってある」

「ぬぅりひょんの体組成は人間とほぼ一緒だよ。人間に効く毒は、俺にも効く」

「ほぼって言ってるじゃないか。効かないのもあるんだろ?」

「カエンタケを素手で触って手がただれない程度だ。体に入れてしまえば死ぬのは一緒だ」

「森太郎って、心配性っていうか、臆病だよね」

 串焼きを食べながら、悪気なしに由乃が言う。森太郎は喉の奥でうぐっ、と声をあげ、それを見た惟種が笑った。

「ま、人間の暮らす結界の外では、それは正しい。でも、あまり疑われると、俺は悲しいぞ?」

 およよ、と下手な泣きまねをしておどける惟種。

「仕方ないだろ。俺は由乃と違って無鉄砲にはなれない。第一、まだ死にたくないんだ」

「無鉄砲じゃないもん!ただ、ちょっと好奇心が強いだけというか」

「考えなしに突っ走るのを無鉄砲って言うんだよ」

 むぅ、と由乃は不服そうだった。

「しかし、坊ちゃんの場合、警戒心とは裏腹に受け取るものはしっかり受け取っているからな。その線引きの仕方は、気になるところではある」

 味噌汁をすすっていた森太郎は、その手を一瞬止めた。森太郎の中でも、これは言語化できる答えを持っていなかったのだ。

 街にいる頃、学校や本で読んだ怪異は、言葉が通じようが何だろうが、皆一様に人間の脅威であり、敵である。そう思っていたし、いまも思ってはいる。しかし、惟種に会ってからというもの、その人間社会での通念が、どこか輪郭をぼやけさせていた。

 言葉巧みに人間をだますもの、奇襲を仕掛けるもの、罠を張るもの。智慧のある怪異は、大抵そうやって人間に害をなす。もちろん、人と友好を結ぶ怪異もいるにはいるらしいが、その判別に明確な方法はない。だからこそ、全てを敵として認識することで、自衛だけは成し遂げるべきだと教わった。

 目の前で酒を飲むぬぅりひょんの惟種は、まれに見る友好的な怪異なのかもしれない。けれど、自分の中に備わった固定概念は、その可能性を全力で否定しようとし、会話をしている自分の感情は、惟種を受け入れようとしている。その狭間にあることが、森太郎が警戒と友誼を同居させ、矛盾した行動をとらせる理由であった。

「勘、なんて言葉は使いたくない。こじつけるように説明するなら、矛盾した感情があるってところだ」

「警戒と信用……いや、信用まではいかないか。ま、要するに怪異としては疑うが、俺という個人に対しては信じてみてもいいかもしれない、っていうところか?」

「まぁ、そんなところだ」

「森太郎って難しく考えるよね。書生さんって、みんなそうなの?」

 由乃が問いかける。

「いや、みんながみんなそうじゃないだろうけど……」

「とりわけ、坊ちゃんはなまじ頭がいい分、論理的かつ常識に照らして考えることが多いんだろ。けど、頭でっかちな分、人とのつながりはさほど濃くなかったんじゃないか?」

 言葉に詰まる森太郎。惟種の見立ては正しかった。

 東和国にいた時、森太郎は学友と話すことはそれほど多くなかった。むしろ、授業や知識に関する意見交換以外で会話をしていなかったと言ってもいい。

 居候をしていた里中家でも、家長と話すことはあったが、それも先方から話しかけられたことに端的に答える程度である。こうした雑談は、家族以外でなら、由乃や惟種が初めてといっても過言ではないほどである。

「森太郎、大丈夫……?友だち、居る……?」

「学校帰りに買い食いをしたり、下らない冗談を言い合える仲の、という意味なら否だ」

「はっはっは。また小難しい言い方になってるぞ、坊ちゃん」

 指摘され、森太郎は顔を赤くした。由乃が本気で心配した表情になっているのも、なんだか気恥ずかしかった。

 友人がいないことに、別段困ったことはないし、恐らくこれからも困ることはない。それでも、揶揄されるのは不愉快だった。

「森太郎って、街ではどんなだったの?」

 なにげなく由乃が尋ねた。惟種もそれに便乗する。二人が恋仲であったなら、下世話ばなしを酒の肴にしようと思っていた分、惟種は少し物足りなさを感じていたからだ。

 他人の過去の話ともなれば、それは色恋に匹敵する肴であると、惟種はワクワクしていた。

「別に、今のような状態と大差はない」

「違う違う。坊ちゃん、お前の態度ではなく、街にいた頃の生活の話を訊いているんだ」

 そうそう、と由乃が頷く。

「大して面白いことなんてなかったぞ。普通に学生をやって、居候先の下働きと勉学だけだ」

「そうじゃなくって、ああそれもだけど、もっと具体的に聞きたいの」

「はぁ?」

「私は話したよ。なら、森太郎も私に自分の昔話、聞かせてくれてもいいじゃない?」

「嫌なら話さなくていいと言ったんだが?」

「仲良くなるなら、胸襟は開く!」

 そういって由乃は自分の羽織を両手でばたつかせた。

「坊ちゃん。男の甲斐性の見せ所だぞ?」

「甲斐性とは違う気がするんだが……」

 にやつきながら、早く話せとばかりに惟種が催促する。

 具体的に、といわれても、自分の私生活に面白みがあったとは思えないし、なにより自分の過去を振り返りながら話すのはいささか恥ずかしく感じる。しかし、由乃にトラウマを話させた、というよりは自分の意思で話してはいたのだが、そんな後ろめたさも相まって、森太郎は少しずつ口を開いた。



 森太郎の生まれは、東和国内の農村である。“都会の喧騒”という表現が、小説の中でしか見られない、閑散とした農村の出自だ。

 両親は農業に従事し、近所の者たちも大半が農作業に携わっていた。村の人口は百人に満たない程度。住人同士が、ほぼ全員知り合いか近親者という構成だ。

 多くの者が村の中でその生涯を終え、農業以外のことを仕事にするなど考えもしなかった。その中で、森太郎だけは異質だった。

 村にある数少ない書物から学問というものに興味を持ち、独学で法術を応用した。自然とともに生きることが当たり前の村の中で、受け継がれた自然の知識の中に法則性を見出しては、作物の収穫量を増やしたりしていた。

 村の者たちは、森太郎のことを頭のいい存在だと思っていた。そして、その知識をもとに村の生活を豊かにするものだとしか考えていなかった。

 しかし、森太郎の知的好奇心は、小さな村の中では収まり切らなかった。彼は十五になった時、両親を説き伏せて、首都で学問をすることにした。

 それからの森太郎の生活は、由乃に説明した通りである。

 絹原の別邸の隣に居を構える里中家に居候し、書生として学校へと通い、現在に至る。

 由乃の推測した通り、森太郎にはこれといって親しい友人はおらず、強いていうなら学問と書物が、森太郎に最も近しい友人で会った。あとは、信頼できる人間として、里中家の家長がいるばかりだった。

 森の中で迷わずに歩けたこと、食べられる野草を知っていたことは、街に出るまで暮らした農村での経験のたまものであったのだ。

 学校での専門はないに等しく、興味があれば何でも学んだのが、三田森太郎という男である。

 そうした生い立ちを話すと、惟種は、ほう、と感嘆していた。

「歳のわりに学が高いと思えば、そういうことだったのか」

「別に大したことじゃない。知りたいと思ったことを勉強しただけだ」

「それでも、結界の中で生まれ育った人間が、ろくに護衛もつけずに街道から外れて二日も生きている、というのは大したことだぞ」

「そうなの?」

 由乃が首を傾げた。

「ああ。本来、結界の外は人間にとっては危険しかない。俺でさえ、怪異の中では弱い部類だ。それを、人間が、しかも二人きりで旅をして生き延びるというのは、運に恵まれていても確かな実力がなければ到底無理なことだ」

「へぇ~。森太郎って色々知ってるなぁとは思ってたけど、書生の中でも優秀な人だったんだね!」

 私の選択は間違ってなかった、と、由乃は森太郎の存在は自分の手柄とばかりに胸を張った。

「並外れた知識の坊ちゃんと、向こう見ずな嬢ちゃんの異質な二人だからこそ出来る事だろうな。ま、それを抜きにしても、おたくらには驚いているが」

「それ、褒めてるの?」

「もちろんだとも。そうじゃなきゃ、この頭の固い坊ちゃんは外になんか出なかったろう?」

「そうだね~」

 二人にそう言われて、森太郎は思わずムッとする。

「知識が増えれば増えるほど、現実的な物事しか考えられなくなるからな。坊ちゃんの唯一の不運はそこだな」

「なんだ、それは」

 惟種の言葉の意味がわかりかねて、森太郎は眉間にしわを寄せたまま訊いた。

「なぁ坊ちゃん。街の外の世界は、本に書いてある通りだったか?」

 不敵に笑う惟種。何かの効果を期待した、ねらいのある目をしている。それを見て、そういうことか、と森太郎は納得した。納得はしたが、なぜ惟種がそんなことをしようというのかまでは、想像がつかなかった。

「正直、ぬぅりひょんが怪異としては弱いと聞いて驚いている。本には、人間にとっての脅威の大小でしかかかれないから」

「事実は小説より奇なり、だろ?」

「自分で体験して、初めて自分の血肉になる。頭では分かっていたつもりでも、実際にはそうは動けないもんだな」

「坊ちゃんは、まだどこか外の世界に出てきたことを後悔している節があったからな。嬢ちゃんに出会って、正解だったんじゃないか?」

 由乃が森太郎の方を見る。惟種の言葉に、姿を潜めていた罪悪感が再び顔を出したのだ。わがままは百も承知、迷惑をかけている自覚は当然あった。それでも、自分の欲求を抑えきれなかった。

 結果として、森太郎に都合してもらったおかげで外の世界には出られたが、そのきっかけを作ったのは自分自身である。しかも、脅迫同然のことをして森太郎の退路を塞いだ。森太郎が不機嫌なのは、そのせいだと、心のどこかにずっと暗い影が落とされていた。

「僕は、人生の選択に、正解なんてないと思ってる」

 森太郎の言葉に、由乃は一層暗い顔をした。

「それでも、街の中にいるだけじゃ知ることのできなかったことが、外の世界にはあふれている。僕にとって、それは今までの生活よりかはマシに思える、ってくらいだ」

 呆れた顔で、惟種はため息を吐いた。

「で、結局どう思ってるんだ?素直になれないから迂遠な言い回しを続けます、じゃあ、人と一緒に生きるの、息苦しいだろ」

 言われて、森太郎はぐっと唇を噛んだ。言葉にできないわけじゃないが、いかんせん、慣れていない。それを自分の喉から出すことに、抵抗を覚えていた。

 惟種は、森太郎と由乃の距離を近づけようとしている。信用していないわけではないが、心に一線を引き、どこか距離を保ち続けなければ破綻してしまう二人を、真に仲間として成立させようとしていた。

 由乃の目線は既に森太郎から落ちて、陰鬱な顔でたき火を眺めていた。そんな由乃に、ちゃんと聞かせてやれ、と言外に示した真面目な惟種の目が、森太郎を射抜いていた。

「僕は、死にたくはない。安全を確保するために、馬鹿なことを言われたときは腹が立つ!それでも、短い時間ではあるけど、外に出てからは楽しいと思うことが、街の中よりは多かった……」

 その言葉に、由乃が顔を上げる。よく言ったと、惟種の顔がほころんだ。

 何もかも見透かした上で、自分の思い通りになるよう仕向けてくる。こちらの感情も、性格も、その思考のくせまでお見通しというのが、ぬぅりひょんという怪異か、と森太郎は実感していた。

 喜ぶ由乃が、森太郎の肩を抱いて激しく揺さぶってきた。

「楽しいって思ってくれてたんだね!?よかったよ~!森太郎、ずっと不機嫌な顔ばっかりだったから!」

 激しく体を揺さぶられて首がガクンガクンと前後へ揺れる。袖から伸びた細腕のどこにそんな力があったのかというほどの強さで揺らされたため、指の食い込んだ肩も揺らされた首も痛くなっていた。

「ああもう!分かったからやめてくれ!」

 森太郎が力ずくで由乃を体から離す。その様子をみて、惟種は笑っていた。しかし、漫才を見た時みたいな快活な笑い方ではなく、微笑ましい兄妹を見守るような優しい目で笑っていたのだ。

(どいつもこいつも腹立たしい……!)

 森太郎がここまで感情的になることも、声を荒げることも、十九年間生きてきた中では初めてのことであった。

 その心の起伏は、森太郎にとっては不愉快なものであったが、それでも目の前で楽しそうに笑う由乃と惟種を眺めていると、どこか居心地の良さも覚える。

「なぁ坊ちゃん」

 惟種が声をかけてくる。

「正解不正解はわからんでいいが、それでも、旅に出てよかった、そう思えるだろ?」

(本当にこいつは……)

 ぬぅりひょんという怪異の不気味さはまだ拭いきれないが、それでも、森太郎は認めざるを得なかった。

 惟種の言ったことが、今自分が抱いている、形のない感情の正解なのであると。

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