第5話 人型の怪異

 小刀を右手に持ち、いつでも応戦できるよう構えた森太郎に対して、着物の袖に腕をつっこんでいた男は、袖から両手を出し、敵意はないと持ち上げて見せた。

「そう警戒しなくても、何かしようって訳じゃない」

 男はやさしげに微笑む。その瞳の奥がどうにも暗くなっているように見える森太郎は、依然として臨戦態勢を崩せなかった。

森太郎の警戒とは対照的に、由乃は無防備に男へと近づく。

「えっと、あなたは誰?」

「こりゃ失敬。俺の名前は惟種いぐさだ。よろしく」

 惟種と名乗った男は、由乃に対して握手をしようと片手を差し出す。由乃も自己紹介をしながらその手を握ろうとした。しかし、二人の間に空気の玉が飛んできた。由乃は、思わずその手をひっこめた。

「由乃、得体のしれないやつに無防備に近づくな。そいつが人間という保証はない」

 気付けば、いつの間にか移動していた森太郎が、男からかばう形で由乃の前に立つ。由乃が声をあげようとすると、森太郎は左手でそれを制し、背にかばいながら惟種と相対する。

「何が目的だ」

 森太郎は険のある目つきで惟種を睨みつける。惟種は森太郎が法術で放った空気弾の存在に気付いていたようで、顔色一つ変えていない。むしろ、そうすることが当然とばかりに悠々と構えていた。

「なに、このあたりで人に会うのは珍しいと思ってな。一つ雑談にでも付き合って欲しかっただけさ」

「雑談だと……?」

「俺は寂しがりやでね。ここ最近はずっと一人で生活してるから、そろそろ誰かと話がしたいと思っていたところだったんだよ」

 そこにおたくらが来たものだから、これは良い機会だと思って話しかけたという。

 話の信憑性はともかくとして、結界のある街道や宿場町から外れた外界に生活している、という時点で普通の人間ではないことは確かであった。森太郎は、惟種が人間ではなく怪異である可能性も疑っている。

 もちろん、惟種の容貌みためは完全に人間そのものであった。しかし、怪異の中には人の形に似た姿をしているものがある。完全に人の形をとっている怪異の数は少ない。森太郎は、自身の知識の海の中から、該当する怪異をいくつか選び出し、どれだと推量していた。

「寂しいから話がしたいというくせに、街の中で暮らしていない、というのが引っかかる」

 だから信用できない、と言外ににおわせた。

「それはそうだろう。怪異である俺が人間の街に入れるわけがない」

 あっさりと怪異であることを白状した惟種に、森太郎は驚きを隠せなかった。

 人の姿をしている怪異は、言葉を巧みに操り、人をだますことものである、というのが人間世界での通念だった。自分や由乃を利用する、もしくは食い物にするなんて目的があれば、不用意に警戒心を持たせるのは得策ではない。それとも、警戒心を持たれたところで関係などないほどの力があるのか。

 森太郎の体に緊張がはしる。

 ここはあくまで結界の存在しない外界だ。自身の油断が招いた状況に後悔の念は尽きなかった。しかし、いまはこの状況をどうにかしなくてはならない。

 それ以前に、目の前に立つ男が何の怪異なのか。それによって、今後の対応も変わってくる。話の余地があるのか。自分と由乃で応戦可能なのか。法術が通じなかったとき、由乃だけでも逃がすことはできるのか。

 嫌な汗が全身から噴き出していた。

「心配しなくとも、俺はぬぅりひょんだ。人間を食べる趣味はないよ」

「ぬぅりひょん?」

 森太郎の後ろで、由乃が声をあげる。

「それってどんな怪異なの?」

「俺の口から言っても、信憑性はないだろう?」

 いたずらをするような顔つきで、惟種が森太郎に笑いかける。後ろの子に説明してやりな、と片手で促す仕草をする。

 人の心を見透かしたような言動に、森太郎は惟種の正体に確信を持った。大きく息を吐きだし、視線は惟種に向けたまま、首を由乃の方に傾けてぬぅりひょんについて説明した。

「ぬぅりひょんっていうのは、怪異にしては珍しく人間とまったく同じ姿をした怪異だ」

「昨日見た、灰猿はいましらとは違ってってこと?」

「ああ。加えて、言葉が通じるうえ、人心掌握術にけている。会話をすれば、大方の人間はその心を飲み込まれる、といわれているほどにな」

「でも、いま私たちはそうなってないよね?」

「いまのところ、そうするつもりがないってだけだろ」

 その通り、と惟種が頷く。

「だが、それだけじゃなく、力も人間より強い」

「そうなんだ」

「腕力勝負じゃ、まずがないな」

「でも、それって敵対しなければいいだけなんじゃないの?」

「なんだと?」

「だって、話がしたいって言ってたじゃん。仲良くなれば、怖がる必要もないでしょ?」

 由乃が明るく言ってのける。ことはそう単純ではないのだが、と森太郎は眉間にしわを寄せた。

「嬢ちゃんの方が俺のことを分かってるじゃないか。なあ坊ちゃん。信用しろとは言わないが、一つ仲良くしようじゃないか」

 そう言って、惟種が先程と同じように片手を出して握手を求めてきた。

 森太郎はしばらく険しい顔でその手を見つめていたが、やがて小刀を鞘に収めた。どれだけ疑おうと、自分がぬぅりひょんをどうこうできるほど強い訳ではない。一方的に制圧が出来ない以上、ある程度相手のいうことを聞いて、機嫌をとっておいたほうがいいと判断したのだ。

 ため息を吐き、仕方がないといった様子で森太郎は口を開く。

「話し相手は出来ると思う。でも、俺にとって、アナタは脅威だ。わるいけど、その手を握る勇気はない」

 えーもったいない、といいながら由乃が森太郎の陰から飛び出し、惟種の手を握った。

「私は仲良くしたいよ。よろしくね、惟種!」

「ああ、よろしく」

 手を握り合った惟種と由乃は、楽しそうに手をぶんぶんと上下に振っていた。森太郎は由乃の無鉄砲さに、いささかの恐怖と呆れを感じていた。



 惟種に言い含められ、由乃にも押し切られた森太郎は、二人とともに夕日を待ちながら浜辺で話していた。

 惟種が雑談といったように、これといって深刻な内容は話さなかった。具体的には、惟種がこのあたりのどこにねぐらを築いているのか、森太郎と由乃がどうして外界にいるのか、といった程度の話だ。

「なるほど。冒険譚に憧れて、二人きりで旅を、ね」

「そう!結構うまくいってるし、すごく楽しいんだよ!」

「ろくな準備もなしに外に連れ出されて、こっちは毎回ハラハラし通しだけどな」

「はっはっは。坊ちゃんも気苦労が絶えないねぇ」

「いまもそうだよ」

 森太郎が皮肉を込めた物言いをする。その言葉にも、惟種はまた笑って応えていた。

「でも、灰猿の肉だけは楽しめなかったかな……」

「あぁ……。たしかに、あれは食えたものじゃないからな」

 味の悪さを思い出して沈んだ由乃の声に、惟種は同情交じりに言う。

「だが、あれも酒で肉のえぐみを抜けば、多少はマシだろう。味噌と醬油を多めに入れた鍋なら、他の肉には劣るが、食えない程じゃない筈だが……?」

「生憎、このお嬢様に見切り発車で旅に出させられてるんだ。そんな準備は皆目かいもくないよ」

「そうなのか?」

「あ……うん……」

 森太郎のとげのある言い方に、さすがに引け目を感じたのか、やや目を逸らしながら歯切れの悪い返事をする由乃。それを聞いた惟種は、ふむ、と指を顎に当てて少し考えてから、口を開いた。

「酒と味噌なら、俺のねぐらにある。少し分けてやろうか?」

「え、いいの!?」

 願ってもない申し出に、すぐさま食いつこうとする由乃。今にも惟種に抱きつきそうな勢いで身を乗り出す由乃に、肩を掴んで森太郎は制した。

「分かってると思うが、僕はぬぅりひょんを完全に信用したわけじゃない。ねぐらといえば、彼の本拠地だ。ほいほい入っていけるわけがないだろう」

「でも、塩だけでこの先も旅するの、しんどくない?お肉が獲れても、また灰猿かもしれないじゃん」

「それはそうだが……」

 二人のやり取りに、惟種は苦笑いを押し殺していた。夫婦漫才ともとれるやり取りが、惟種にとっては久しぶりで楽しかったのだ。

「ま、坊ちゃんの気持ちも汲んでやろうよ、嬢ちゃん。酒と味噌は、俺一人でとってくるから、二人は浜辺で夕日を眺めているといい」

 空に浮かんでいた太陽は、徐々に水面へとその高さを落としてきていた。半刻(約一時間)もすれば、水平線の彼方に、その顔を半分ほど埋めるであろう。

 惟種は砂浜から立ち上がって、袴に着いた砂を落としながら歩き始めた。いくばくも歩かない程で二人を振り返って声をかける。

「そうそう。ねぐらまでは少し距離があるから、まぁ陽が沈むくらいに戻ってくることにはなると思う。その間に、一皮むけていてもいいんだぞ、坊ちゃん」

 にやりと意地の悪い笑みを浮かべた。含みのある言い方に、森太郎は何を言いたいのかを察し、生憎そんな趣味はない、とだけ返した。

 惟種は楽しそうに笑いながら歩いてゆく。

 由乃は一人、その意味を理解できずにぽかんとしていた。もちろん、分からないことを由乃がそのままにするはずもなく、しつこく森太郎に惟種の言葉の意味を聞いたのは、言うまでもない。



 惟種がまだ戻らない頃、日差しはすっかり傾き、水平線の向こうへと赤みを帯びながら沈もうとしていた。

 日中とは異なる色あい、そして波間の反射。まったく同じ音と匂いを奏でているはずなのに、時間が違うだけで別物のような景色が広がっていた。

 西から照らす日差しは、その空をすべて茜色に染め上げ、ただ漠然と響いていた波の音を、意味のあるものであるかのように感じさせる。

 空と同じ色に頬を染めた由乃は、言葉もなくその光景に感激し、開いた口を閉じられないまま、その双眸に日差しを反射して見入っている。さきほどまではただ腰を下ろしただけの姿勢だったのに、森太郎が気付いた時には、由乃は正座になっていた。

 たかが自然の景色の一つに過ぎない。それでも、由乃にとっては、襟を整えて眺むべきものという認識があったのだろうか。そんな由乃の様子を、森太郎は黙ったまま横目に見た。

(喋らなければ、本当に良家のお嬢様、といった感じだな)

 無言の中に、ただ潮騒だけが鳴り響く。

「いい年をした男女が、黙ったまま夕日を鑑賞とはな。色気がないというか風情がないというか」

 ため息交じりの声が背後から聞こえる。森太郎と由乃は同時に振り返った。そこには、瓢箪と陶器製の壺、そして何かをくるんだ藁を携えた惟種が立っていた。

 名は体を表すというが、ぬぅりひょんの名の通り、気配もなくぬぅっと現れる。森太郎にとってはとてつもなく心臓に悪い出来事であるが、由乃にとっては別段気にかかることでもなかった。

 眉根を寄せる森太郎と、普段通りの態度を見せる由乃が、完全に対照となっていた。

「特に話すことがなかったからな」

「私は、あまりにも夕日がきれいだったから……」

 答えまで対照的な二人に、惟種はたまらず噴き出した。何がおかしいのか、という態度は、二人とも合致していたので、それがまたおかしくて惟種は笑いをこらえられなかった。

「まったく異なる歯車のくせに、よくもまぁここまで息が合うもんだ」

 言われたことの真意がわからず、首をかしげる二人。

「なに。息のあった二人だと思ってな。さすが、立った二人で外界を旅しようと思うだけはある」

「どこが息が合ってるって?」

「でしょ!?私たち、良い組み合わせだよね!」

 お互いの意見が割れたことに異議を唱えたいとばかりに、顔を見合わせる森太郎と由乃。さすがにこのまま放っておくと、話の流れが平行線をたどると思った惟種は、もう少し漫才を眺めたいという気持ちを抑えつつ、本題に入った。

「ほれ。酒と味噌。宮津子国に行くまでなら、これでなんとか保つだろうよ」

 そう言って手に持ってきた瓢箪と壺を森太郎に投げてよこす。入れ物が割れないよう、慌てて受け取った森太郎は、その重さに驚いた。

「こんなに分けてもらっていいのか?」

「ああ。なにせ、することもなく暇を持て余してる。調味料だのなんだのと作るのは、無聊ぶりょうなぐさめる俺の趣味みたいなもんだ」

 何か裏があるのでは、と目で語る森太郎に、人の親切は素直に受け取っておけと惟種も目で応えた。

「わぁ!本当にありがとう!これで食卓が少しはマシになるよ!」

「はっは。若人のお役に立ててなによりだ」

「アンタのことはまだ信用できないけど、これは助かる。ありがとう」

「おう。人間、素直が一番だ」

 胸を張って笑顔で答える惟種。

「それじゃあ礼の代わりに、今夜は俺も夕食をともにさせてもらおうかな」

「な……!?」

「いいよ~」

「おい!」

「言ったろ。俺は寂しがり屋なんだ。一晩くらい、話し相手を務めてくれたっていいじゃないか」

「さっきのじゃ足りなかったってのか」

「当たり前だ。なにせ、何年ぶりかの話し相手だ。あんな短い時間で満足出来るわけないだろ」

「別にいいじゃん。こうして調味料をわけてもらったんだし、森太郎はケチだなぁ」

 そうだそうだ、と惟種は由乃と結託して子どもみたいな物言いでたたみかけてくる。

 酒と味噌を分けてもらえたのは森太郎としても助かるが、やはり怪異であるぬぅりひょんの惟種と一夜を明かすというのは、恐怖以外の何物でもなかった。

いつ襲ってくるかわからない怪異に警戒する、という意味では、ぬぅりひょんの惟種と過ごすことも大差はない。それでも、常に手が届く範囲にいられることと、どこから襲ってくるかは分からなくても距離が保てていることは、同じではない。

森太郎の、緊迫した長い夜が始まった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る