第3話 お嬢様という生き方

 灰猿はいましらを仕留めたその日の夜。二人は、灰猿の肉を焼いたものに、森太郎しんたろうが持っていた塩をふって食べた。

「これは……さすがに不味いな……」

 森太郎が苦虫を嚙みつぶしたような顔をする。事実、苦虫に匹敵する粗末なものを噛みつぶしてはいた。灰猿の肉はお世辞にも食べられるような味をしていなかったのだ。味だけではなく、食感も最悪であった。

 肉はかたく、あぶらも口の中に絡むようなえぐみを帯びている。おまけに獣臭い。書生として居候いそうろうをしている森太郎は、粗食で済ませるようにしているが、それでもこれまでの人生に体験したことのないほど不快な味わいだった。

「ま、まぁ、これも旅の醍醐味だいごみだよね!」

 そう言って明るく笑う由乃ゆのも、頬が引きつっている。舌の肥えていない森太郎ですら、肉を口に入れていることを拒みたくなるほどの味なのだ。良家の息女として育った由乃ならば、森太郎以上にその味と食感の悪さに耐えがたさを覚えているはずだ。それにもかかわらず、努めて明るく振舞っているのには、森太郎も由乃の根性を認めざるを得なかった。

「とはいえ、貴重なたんぱく源からな。我慢して食うしかないか」

「う、うん……。調味料があったら、もう少し違うかもだけどね……」

「生憎、塩以外は持ち合わせがない」

「だよね……」

「明日は野草も入れて鍋にしてみるか……」

「うん、そうしよ……」

 新手の拷問にも使えそうなほど、食用に向かない肉を、二人は必死に処理していった。


 食事を終え、少し落ち着いたころ、不意に森太郎が由乃に尋ねた。

「そういえば、由乃はどうしてあざみのことを怖がってたんだ?」

 森太郎が尋ねたのはなんとなくだった。さほど深く疑問に思っていたことではないが、これから宮津子国みやつこのくにまで旅を共にする仲間となる。多少相手のことを知っていても良いかもしれないと思ったのだ。わずか一日ではあるが、法術の腕前をみて、由乃のことを信用してもいいと思い始めていた、森太郎なりの不器用な心の開き方だった。

その疑問に、由乃が一瞬身を固くする。後ろめたいことがある、というよりは、有禅ゆうぜんのことを思い出したらしい。

「それは、えっと……」

「すまない。深入りしすぎた。ちょっと気になっただけだから、忘れてくれ」

「ううん!言いたくないってわけじゃないの。ただ、有禅については、あまりいい思い出じゃないというか……苦しい思い出というか……」

 歯切れの悪い由乃。森太郎はなおも、嫌なら無理に言わなくてもいいと言ったが、由乃は意を決したようにゆっくりと話し始めた。

「私、有禅には戦闘訓練とか、教養とかの勉強を教えられていたの……」

 とても知識があるようには思えない振舞ふるまいばかりだったが、森太郎は黙って聞いた。

「教養って言っても、あくまで貴族社会での礼儀作法とか、そういうのね。でも、一番苦しかったのは戦闘訓練かな……」

 森太郎は由乃の使った法術のことを思い出していた。

 本来、法術はあくまで生活を便利にするものとして教えられる。そのため、地水火風の四属性を、うまく折り合わせて使うことが求められる。例えば、郵便配達夫の移動速度を上げるための風や、料理人が火力を出すための火、銭湯の番頭が素早く湯を溜めるための水などがそれである。

 速度よりも、精巧さを求められるのだ。野外演習に出るような学生や衛兵などもいかに的中率を上げるかを口うるさく言われ、攻撃用の法術も射出速度は目視で追える程度だ。その代わりに追尾性能が備わっていることが多い。

 しかし、由乃の法術はそうしたセオリーに則るのではなく、一撃をいかにはやく当てるか、といった類のものだった。

「法術も、学校で教わる類のじゃなかったし、対人格闘術なんて、なんどあざをつくったか……」

 由乃は両手で自分の体をかき抱いた。体は震え、顔は青ざめている。

 良家のご令嬢相手にどんな訓練を行ったんだあの執事は、と森太郎はにわかに由乃へ同情した。

「それで、俺の使った法術のことは知らなかったけど、攻撃用の法術はあの威力だったってことか」

「うん。応用よりも、まずは基礎的なものをとてつもなく高水準で、っていうのが、有禅の口癖だったから……」

「そんな無茶な訓練を執事がやっていて、他の使用人や絹原きぬはらの主人は止めなかったのか?」

「私のお父さんは、私のことは政略結婚の道具としか見てないからね。私たちが暮らしていた別邸にくるのは、年に一回あるかないかくらいなの」

 だから有禅がそんなことをしているなんて知らない、という。

 森太郎の、“世間知らずのお嬢様”という固定観念が緩やかに形を失っていく。

良家の令嬢は令嬢なりの苦労をしているということか。知ったような気になっていたが、自分も随分狭い世界を見ていたと反省する。

「とはいえ、君の家には二人兄がいただろう。そっちはどうなんだ?」

「お兄ちゃんたちは家を継がせるかどうかの査定が入ってるからね。お父さんと同じで、ほとんど本邸生活だよ」

「なるほどな……」

「私が有禅を怖がってたのは、それが理由。戦闘訓練の時は、怪異よりも怖い感じだから」

「なら、旅に出たかったのって、絹原の家を出たかったからってことか?」

「ううん。それは本当に冒険がしてみたかったから。でも、やっぱり外の世界を見ないまま、会ったこともない人と結婚、なんていうのが嫌だったのもあるかも……」

 森太郎は何も言えなくなっていた。自分の予想以上に重い人生を背負っている少女に、ただ勉学に励むだけの書生が、なんと言葉をかけてよいのかわからなかったのだ。

(世間知らずは俺も同じ、か……)

 自身の浅慮に恥ずかしさと情けなさを感じていた。そんな森太郎の歯噛みした様子に気付いたのか、由乃がそれまでの話題を振り切るように明るい声を出す。

「だから、こうして外に出られて、本当に楽しいの!ありがとうね、森太郎」

 体をかき抱いたままの小さな体で、由乃が笑いかける。自分よりも年下に見えるのに、辛い境遇でも、胸中に抱えた黒さを感じさせない純真な笑みを見せる由乃を、森太郎はまぶしく思った。

「ああ……。まぁ、無事宮津子国までたどり着けるよう、微力は尽くすよ」

「うん。頼りにしてる」

 たき火に照らされた由乃の顔は、心から森太郎を信頼している顔だった。その瞳に宿った色が、妙に大人びて見えて、やや気圧される。

 自分の不甲斐なさと、由乃のまぶしさに耐えがたくなった森太郎は、逃げるように不寝番を買って出た。由乃には、早く就寝して疲れをとるようにと。

 それでは森太郎が休めないだろうと由乃は言ったが、日の出まであと二刻(約四時間)の時間になったら交代してもらうからいいと、頑固に主張して由乃を休ませた。

 パチパチと音を立てるたき火見ながら、森太郎はそれまでの自分を顧みていた。そして、火が消えないように投じる薪に、自分が抱いていた偏見をのせて、一つずつゆっくりと燃やしていった。

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