第2話 初めての戦闘

 徐々に高くなった日の光を受けながら、二人は街道を歩いていた。その道すがら、森太郎は、西国のどこへ行きたいのか、由乃に尋ねていた。

 森太郎たちの暮らしていた東和国。それが位置するのは、東西に細長く伸びた島国の東部にある。今二人が歩いている街道も、関所を抜けた城壁の外側とはいえ、広義には東和国とうわのくにの支配域だ。由乃のいう西国とは、この東和国より西部に位置し、東和国とは急峻な山岳地帯を挟んで、さらに西方にある宮津子国みやつこのくにのことだ。

 中には、その正式名称を知らず、漠然と西方にある国をすべて西国と呼んでいるものもいる。それらの国を東和国から近い順につまびらかにすると、宮津子国みやつこのくに真吉備国まきびのくに八雲大国やくもたいこく防人連合国さきもりれんごうこく四嘉渡島よつかどじま湯降大国ゆのおりたいこく隼弖国はやてのくにの七つだ。

 これらのどこへ向かうかによって、二人の旅路の難易度は変わってくる。

「うーん。西国は西国だよ。西にある国に行きたいなって思ったから」

 森太郎は、もう何度抱えたか分からない頭をおさえた。世間知らずの由乃のために、西国についての知識を共有する。すると、由乃は少し悩んでから口を開いた。

「じゃあ、まずは宮津子国で!」

「まずは、ってなんだよ」

「だって、どこも行ったことないし、どんな場所かもわからないんだよ?全部見たいに決まってるじゃない」

「七つも国があるんだぞ。十中八九路銀が尽きる。それに、東和国が貿易してるのは、宮津子国と防人連合国、それと四嘉渡島だけなんだぞ」

「でも、知りたい、見たいって欲求には勝てないよね?」

 森太郎はうなった。否定したかったが、自分自身、貿易している以外の国のことも知りたいと思っていたのは事実だ。業腹ごうはらではあるが、由乃のいうことに半ば同調してしまう自分の感情が恨めしかった。

「できないって初めから諦めるより、宮津子国に行く途中、もしくは行ってから他の国に行く方法を考えてもいいんじゃない?」

「まぁ、それはそうだけど……」

「でしょ?だから、まずは宮津子国!そこに行こうよ!」

 さらにやる気を出して、意気揚々と歩く由乃。だが、森太郎には、由乃とは別に懸念があった。

 いま、森太郎たちが歩いているのは、貿易用に整備された街道だ。国や街を囲む結界がある訳ではないが、それでも怪異が近づきにくいようにある程度の対策はされている。

 しかし、街道には宿場町と一緒に関所が設けられている。それも一つや二つではない。国を出るときに使った言い訳は、この先の関所では使えない。たとえ一つの関所でうまくやったところで、その先いくつも待ち受ける関所で同じ言い訳が通用するという確証はない。ならば、その事態を避けるためにやることは一つ。宿場町には立ち寄らず、関所を迂回して通ることだ。

 迂回するとなれば、当然野宿となるし、怪異の脅威にも注意が必要となる。正当性があれば、関所を通って宿場町で寝泊まりが出来るが、そうでないのなら、安全は確約されない。

 それが、森太郎の懸念であった。

 小難しい顔をして歩いていると、脇から由乃が顔を覗き込んでくる。

「何を考えているの?」

「この先、どうやって安全に宮津子国まで行くかってこと」

「なんとかなるんじゃない?」

「それ、僕が何とかする、の間違いじゃないのか?」

「私も手伝うよ!」

 そういって子犬のように鼻を鳴らすと、胸の前で両手を握っている。拳闘の構えのようなポーズだった。森太郎は冷ややかな目でそれを眺めると、期待しないでおく、といいおいて、再び前を見つめた。文句を言う由乃の言葉を無視し、目の前に伸びる道を眺めながら、森太郎は深い思案に入った。



 小休憩を挟みながら二刻(約四時間)ほど歩き、森太郎は由乃を連れて街道を外れる。春先でまださほど背の伸びていない草の群れを踏み、西へ真っすぐ伸びる街道から、やや南の方へと歩をすすめた。由乃がどこに向かうのか尋ねると、森林地帯に入る、とだけ答えた。

「関所が使えない、っていうのは分かったけど、どうして南に向かうの?」

「街道以北の山岳地帯は危険だからな。なるべく安全にいきたい」

 由乃が森太郎の着物のすそを掴んで立ち止まる。合わせて足を止めた森太郎は、由乃を振り返りながら嫌な予感がして、眉間にしわをきざんだ。

「せっかくだから、山の方に行こうよ!」

「お断り申し上げます」

 なんで、と悲鳴をあげる由乃を無視して、森太郎は木々の生い茂る森の方へとずんずん進んでいく。小走りに後を追行けてきた由乃は、必死に山岳地帯へ進むことを提案するが、森太郎はとりあわない。

「だって、冒険だよ?冒険の旅だよ!?危なくても楽しそうな方に進みたいじゃん!」

「そんな頭の狂った行動をとるような馬鹿じゃないんだよ。それに、森の中すら生きられないなら、山なんてもっと無理だ」

 物事には段階というものがあるんだよ、と投げつけるように言う森太郎。苛立ちまぎれに、やや馬鹿にしたような物言いをしてみたが、由乃の方はそんな皮肉に感づくこともなく、それもそうか、と納得していた。

「森での生活も冒険だもんね。やってやろうじゃない!」

 俄然がぜんはりきっている由乃。本人から齢十六と聞いているが、そうとは思えないほど幼稚なさまに、森太郎は呆れていた。

 良家の育ちでも、ある程度は世間を知っておかないとこどものまま育つのだなと嘆息する。可愛い子には旅をさせよというが、まさか絹原の家は、狙ってこのお嬢様をほうりだしたとかいうんじゃないだろうな、とありもしない想念に駆られてしまう。

 森林地帯に入ると、草というよりは、地中から顔を出した木々の根や、落葉樹から落ちた枯れ葉が足元をうめていた。木々の背が高いせいで、やや圧迫感を感じる森の中は、雑木が多かった。ただ、中には森太郎でも名前を知っているものがある。マテバシイやカエデの木、イイギリなども見られた。

 木々の間から差し込む木漏れ日のおかげで、遠くから見て想像していたほど、森の中は暗くなかった。日中は問題なく歩けるだろう。……怪異さえでなければ。

 森太郎は、由乃に足元に気を付けるよう促しながら、地図を眺める。残念なことに、分かりやすい傾斜が周囲にないため、現在地を測るには、太陽の位置と時計を見比べ、歩いてきた足跡と街道の位置を思い出しながらざっくりと概算するしかなかった。

「すごいね。大きい木がこんなにたくさん……こんなの、生まれて初めて見たよ」

 由乃が頭上を見上げ、体をくるくる回転させながら辺り一帯の光景を見回して感動している。

「建材として使えるものの多くは山岳地帯に密集してるからな。このあたりのは雑木だったり、伐採に入る旨味があまりないから、長年放置されて巨大に成長してるんだよ」

「そうなんだ」

 へぇぇ、と感嘆の声をあげる由乃。現在地の概算をしながら、森太郎は森の木々に見惚れる由乃を引きずるようにして木立の間を縫いながらゆっくりと進む。

 半刻ほど歩き、空の日差しが西に傾き始めた頃、風もないのに木の葉がガサガサと揺れる音が響いた。

 森太郎は即座に身を固くし、周囲を警戒する。関所を出てから、腰帯に差しておいた小刀を抜き、いつでも触れるように強く握りしめた。その様子に、由乃は何か異常事態が起きていることを察する。

「とうとう冒険らしくなってきたね」

 何を呑気のんきな、と思いつつも、周囲への警戒は怠らない。森太郎は、由乃にも警戒するよう促す。依然として、葉が何かにあたって揺れる音は続いている。そして、緩やかに動いていた音がやみ、バサリ、という大きな音ともに何かが飛び出してきた。

 森太郎は由乃を背にかばい、飛び出してきたものへ向けて小刀の切っ先を向ける。小柄な何かは、燿切っ先を見て、体をそらし、刃の動きをすんでのところで避け、後ろへとびすさる。

 目の前にいるものの正体を、森太郎と由乃はハッキリと見た。全身を灰色の毛におおわれた、猿ほどの大きさの怪異。図鑑に記されていた名では、“灰猿はいましら”だったと、森太郎は記憶している。鋭い爪と大きな牙をもち、好んで肉を食うとされている獰猛どうもうな怪異だ。言葉を操ることはできないが、それでも罠を見破り、壊すだけの知能は持ち合わせている厄介な相手だ。

 よりにもよってと、森太郎は舌打ちをする。灰猿の体躯は四尺(約120cm)程度。しかし、動きが素早いため、法術を当てるのが難しいとされている。

 そのことを由乃に伝えようと、灰猿から視線を外さないままに由乃の方に声をかけようとすると、背後から鋭い攻撃が飛んでいった。耳のあたりをブォンっと音が通り過ぎ、目の前で灰猿の肩から血が噴き出る。

「うわぁ……まだ狙いが甘いなぁ……」

 由乃がひとちたのが聞こえた。森太郎は現況を理解しきれなかったが、肩を貫かれてひるんだ灰猿の隙を見逃さない手はなかった。すぐさま距離を詰め、小刀に法術をかけて投擲する。動きが鈍った灰猿の眉間に、森太郎の投げた小刀が突き刺さり、耳ざわりな悲鳴をあげながら、灰猿は倒れた。

 念のため、森太郎は法術でつくった風の刃で灰猿の首を落とす。ごろりと転がった生首から刀を抜き、血振りをして、懐紙で拭ってからさやに収めた。

「いやあ、なんとかなったね!にしても、これ、結構えぐいね……」

 眉をひそめて、由乃が近づいてくる。湧き上がる血の匂いが不快だったのだろう。着物の袖で鼻と口を覆っている。

「……実戦はこれが初めてなんじゃないのか?」

 徐々に冷静になった頭で、森太郎が由乃に問いかける。由乃は、そうだよ、とあっさり答えた。

「でも、有禅ゆうぜんとの訓練に比べれば、全然怖くなかったよ!」

 あの執事は良家のご令嬢に一体どんな訓練を課しているのだろうか。森太郎の顔が引きつる。

「まぁでも、これで少しは戦えるのは分かったよね?」

「ああ、まあ」

 少しどころではない。森太郎が修めている法術は、生活に使える基礎的なものに加え、そこに応用的な使い方を混ぜたもの。実際、フィールドワーク時に怪異と出くわしたときは、その応用法術で事なきを得てきた。しかし、由乃が行ったような凄まじい速度で放つ法術使うことが出来ない。自分の学友を見回しても、弾丸のような速度で飛ぶ攻撃法術など見たことがなかった。見たことがあるのは、目視で終える程度のもののみである。

「さっきのは、あざみさん直伝の法術、ってことか?」

「うん。でも、有禅に比べれば狙いがまだまだ甘いけどね」

 そうか、とうなったきり、森太郎は黙ってしまった。由乃のことを世間知らずのお嬢様と思っていたが、あの有禅にしごかれていたなら、幼稚なだけの箱入り娘、という訳でもなさそうだ。

「甘いかどうかはさておき、あの速度で放って当てられるのは、素直にすごいと思った」

「え、そう!?そうかな!?えへへ。もっと頼ってくれてもいいんだよ」

「じゃあ、これ。今日の夕食にするから、血抜きとさばくのを手伝ってくれるか?」

「あ、えっと……それはその……やり方を知らないというか……」

 いかにも触りたくなさそうに、後ずさりを始める由乃。

 それに対して、面倒ごとに巻き込まれたせめてもの仕返しとばかりに、微笑みながら森太郎は由乃の腕を掴んだ。

「教えるから、手伝ってくれ」

 うげぇ、と令嬢らしからぬうなり声をあげる由乃。

 皮をむき、生き物から食肉へと姿を変えていく灰猿を見ながら、由乃は何度か餌付いていた。

 一方、森太郎は涼しい顔で作業を続ける。その心中では、自分の浅学さをじていた。自分も知ったようで、まだまだ世界の広さを知らずにいると痛感したのだ。

 現実的な問題はさておき、あれだけの攻撃法術を扱える由乃とならば、宮津子国までたどり着けるかもしれない。

 森太郎の中で、由乃に対する信頼がきざしていた。

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