書生さん、どうか私をつれだして!
ざっと
第1話 旅立ちは唐突に
ガス灯に照らされた夜道、冷えた手をすり合わせながら、
「何もこんな夜更けでなくても……」
口の中で独り言を言う。彼は、書生として居候しており、その家の主人から言いつけられたお使いの帰り道だった。書生は、他家に居候し、その援助に対して雑事をこなすなどの労働力で報いる存在だ。とりわけ、彼が居候している
ぜいたくな暮らしをさせてもらっているわけではないものの、およそ勉学に対しての援助は惜しまずしてくれる里中家に、森太郎は学業に
「ま、
小さく独り言をつぶやき、冷えた手を温めるように長着の袖の中に手を入れた。
森太郎が居候先の近く、隣家の塀の前にさしかかった時、中から叫び声が聞こえてきた。何かあったのだろうかと足を止めて塀の方を見ると、そこには、塀にまたがった少女がいた。
は?と
「ちょっ……!」
「走って!」
「え?」
「いいから、走って!」
催促するように少女が森太郎の胸をたたく。また、それに合わせて塀の中では騒ぎが大きくなっていた。少女の声と隣家の中で繰り広げられる騒がしい声。その二つにせかされて、森太郎は訳も分からないまま、居候先を通り過ぎ、少女を抱えて夜道を走った。
どこに行けばいいのか分からない森太郎に、少女は、次は右、そこは左と指示を出す。言われるがままに走り続けた森太郎は、次第に体力が底をつき、徐々に速度が緩まった。森太郎の足が完全に止まったところで、少女はようやく納得したのか、彼の腕の中から下りる。
森太郎は肩で息をしながら周囲を見回す。どうやら、隣家のある場所からいくつか離れた街区の路地裏のようだった。
「ここまでくれば大丈夫かな」
路地裏の先にある大通りを眺めながら、少女は言った。
「一体何なんだ。それに、君は……?」
「ごめんね、ホントは気付かれずに出るつもりだったんだけど、バレちゃって」
「だからって、なんで僕は巻き込まれたんだ?」
「私が抜け出るときに、ちょうどいたから」
「そんな理由で……」
「でも、ちゃんと走ってくれたじゃない」
「それは成り行きというか……」
そうしないともっと面倒なことになりそうだったから、という言葉はすんでのところで飲み込んだ。そんな森太郎の葛藤には気付かないで、少女は満足そうにする。
「ありがとうね。おかげでうまく抜け出せた」
騒ぎが起きている時点で、うまくいっていないのだが、森太郎はそれも飲み込む。そして、これ以上厄介ごとに巻き込まれないようにと、その場を立ち去ろうとすると、服の裾を掴まれる。
「待って」
「あの、まだ何か?」
「せっかくだから、私と旅をしましょう!」
「はぁ?」
「ほら、袖すり合うも他生の縁っていうでしょ?」
「なんでたまたま居合わせただけの僕がそんなことに付き合わなきゃいけないんだ」
「でも、いま戻っても、私のことを
「もとはといえば君のせいだろうに……」
森太郎は、恨めしい目で少女を見る。しかし、少女の方は一向に気にしなかった。
「それに、見たところ書生さんでしょ?だったら、外の世界に出て知見を広めるのもいいと思うの!」
それを言われて、森太郎は何も言えなかった。実際、普段から森太郎は、他国の知識なども気になっていた。
森太郎たちが暮らしているのは、
貿易自体は行っているが、入って来る書籍と言えば小説などの娯楽ものばかりであった。学術論文や研究報告の類は一切ない。
外の世界に出る、という魅力的な言葉が、森太郎の中に入り込んで心を掴む。とはいえ、当然のように理性は反発した。現実的な問題を加味した時、他国に行くということがどれほどのリスクを負うのか、森太郎は理解していた。
「軽々しく外の世界というけど、それって要は国外に出るということだろ?」
「そう!私、西国に行きたいの!」
西国か、と森太郎は頭を悩ませた。
「どうして西国に行きたいんだ?」
「それにはね、海よりも深い理由があるの」
よくぞ聞いてくれましたとばかりに目を輝かせる少女。そして、熱がこもった声で滔々と話し出す。森太郎は長くなりそうだと眉間にしわを寄せ、少女に聞こえないよう、小さくため息をついた。
* * *
長い、とはいっても一時間にも満たない時間であるが、森太郎にとっては辟易する内容だったらしい。頭を抱えて眉根を寄せていた。
「つまり、君は
「合ってるわよ、森太郎。でも、お嬢さん、じゃなくて
でも内容はおおむね合ってるわ、と明るく話す由乃。それとは対照的に、森太郎は余計に
絹原家は、森太郎の居候する里中家の隣に別宅を構えており、本邸は首都の中央部に位置している。古くから養蚕、
その、絹原家の令嬢が家出をして、あまつさえ一書生の身分である自分を巻き込んだとなれば、死刑とまではいわないものの、
「関係ないとはおっしゃっても、絹原家の人たちからすればそうじゃないんですよ。彼らから見れば、僕のことは誘拐した人間として映るんです。どうしてくれるんですか」
「だからこそ、西国に行くのが一番じゃない!」
「勾引かした娘を連れて国外逃亡しろと?それこそ言い訳が立たないじゃないですか!」
「大丈夫!連れ出してくれさえすれば、あとは何とかなるし、何とかするから!」
「そんな簡単なことじゃないんですよ」
「簡単よ!国の外に出ちゃえば、捜索範囲が広すぎて見つけられないもの」
想像以上に見通しの甘い由乃に、森太郎は言葉が継げなかった。かぶりを振り、一度気をとりなおして由乃を説得する。
「いいですか。まず、旅の支度が出来ていないんです。僕は今晩、ただのお使いの帰りだった。小銭程度は懐にあるけど、そんなはした金じゃ路銀なんて呼べません。それに、関所はどう通るんです?国は必ず外敵の侵入を防止するために関所を設けてるし、それ以外の場所は城壁で守られてます。結界もあるんです。抜け道なんてないのに、誰にもバレずに通るなんて無理です」
「お金は私がたんまり持ってるわ。護衛は雇わなくても、自分たちで何とかすればいいし、関所はほら、夜中だからきっといけるわよ」
「何一つ解決していません!いいですか。まず、街や国の外には怪異が存在しているんですよ」
「えっと……かいい……?」
怪異とは、直近数百年の間に徐々に数を増やした、人ならざるものの総称である。様々な種族がおり、人に好意的なものもいれば、害をなすものもいる。害をなすものについては、作物に被害を与える動物と同様のものから、好んで人を喰らうもの、また、享楽的に害を与えるものまでさまざまである。国や街に設けられた城壁や結界は、これらの害なすものから人を守るために作られた。
特に、享楽的な蛮行に及ぶものは巧妙に人をだまして危害を加えるため、怪異の類は例外なく結界内に入れないようにされている。そして、どれだけ好意的にふるまっていようと、怪異のことは信用しないというのが、一般常識として浸透している。
「まさか、怪異のことを知らないんですか?」
「あ、いや、教科書では見たことある……かも……?」
「あるかもって……いくら君が箱入りだったとしても常識を知らなさすぎます」
「あ、あはは……」
森太郎はにわかに頭痛をおぼえていた。冒険小説を読んで旅に出たい、というわりには世間知らずにもほどがある。
「今すぐご自宅に戻ってください」
「それは嫌!」
「君ほどの世間知らずでは、外に出た瞬間に死にます」
「それでも、外に行きたいの!」
「そもそも、僕が君に同行する意味は?」
「私一人だと、西国まで行ける自信がないから……」
「では、絹原の家の人に頼めばいいじゃないですか。外遊したいとかなんとか、理由はいくらでもあるでしょう」
「言ったけど、ダメだったの」
「じゃあ諦めてください」
「諦めきれないから、今こうしているんじゃない」
「だからといって、僕を巻き込む必要は───」
「一緒に来てくれないと、あなたに誘拐されたことにするから」
「……それは、ずるくないですか」
由乃はじっと森太郎の顔を見つめる。路地裏は薄暗く、その表情までははっきりと見えないが、承諾するまでてこでも動かなさそうな気配を漂わせている。
森太郎は本当に迷惑だと感じた。たしかに、他国へ行くということ自体には関心がある。しかし、こんな世間知らずと、命の危険すらある旅路をいくなど、まっぴらごめんであった。承諾などしたくない。だが、由乃の要求をのまなければ、自分は誘拐犯としてつきだされる。そうなれば勉学どころではなくなる。本当に嫌な二者択一だと思った。
諦めたように大きなため息を吐き、しぶしぶ承諾する。森太郎の陰鬱さとは裏腹に、自分の願いが聞き入れられたことに由乃は歓喜する。
「そうと決まれば早速出発よ!」
「待ってください」
意気揚々と路地から出ようとする由乃の肩を、森太郎が掴んで止める。
「ちょっと、善は急げって言うじゃない」
「言ったでしょう。外界に出るにしても問題があると」
「関所の話?」
「そうです。こんな夜更けでも、衛兵は必ず立ってます。隠れて外に出ようとしても無理なんですよ」
「そこはほら、なんかてきとうな理由で外に出ますって言えば……」
「こんな夜更けに?それこそ怪しまれますよ」
「でも……」
「早朝まで待ちましょう。その間は、捜索の手から何とか逃げ延びるしかありませんけど……」
「できるの?」
「なんとかします」
そういって、森太郎は呪文のようなものを唱え始める。どうあがいても誘拐犯に仕立て上げられるなら、逃げ延びるしかない。ここまでくれば一蓮托生だという、半ば自棄になった感慨がないではない。これで自分は完全におたずねものになってしまったな、と苦笑いする。
呪文を唱え始めると、やわらかい風が由乃と森太郎を包みこむ。すると、二人の姿はその場所から消えてしまった。
「え?え?ちょっと、あなたのことが見えなくなったんだけど!」
「風の法術で、光の屈折率を操作して……要するに、僕の術で僕と君の姿が見えないようにしました」
「ちょっと!そんな便利なものがあるなら早く言ってよ!」
「あくまで、街の中だけですよ。関所では通用しないんです」
「え、そうなの?」
本当に世間知らずなお嬢様だと森太郎は思った。通行者の身元を確認する場所で、こんな術が使えてしまったら、防衛上問題がある。国の一部の人間以外には秘匿された技術により、関所では術の類は一切使えないようにされている。
そもそも、法術の存在すら知らないとは、先が思いやられる。
法術とは、地水火風の四属性を用いたなにがしかの事象を起こせるものだ。街中などで使用する場合には免状が必要となるが、自己の敷地内や外界では、他者に危害を及ぼさない範囲であれば使用自体に制限はない。それこそ、家庭で使う釜戸の火起こしなんかはこの法術が基本となっていたりする。
由乃は、絹原家の令嬢である。下働きをする人間のことにはさして興味を持っていなかったのだろう。もしくは、法術自体は知っていても、その汎用性までは知識として習得していなかったのか。いずれにしても、その程度の知識でよく旅に出ようと思えたものだと、その危うさに森太郎の不安は募るばかりであった。
由乃を先に関所近くで待機させておいて、森太郎は居候先に荷物を取りに戻っていた。さすがに、身一つで外に出るのは危険だからだ。
法術で自身の姿を見えないようにしたうえで、物音が立たないよう、静かに自室をあさる。小刀や手ぬぐい、地図、応急手当て用の包帯や傷薬などをはじめとして、野宿に耐えられるような道具を一式カバンの中へしまい込む。そして、文机の引き出しに入れておいた全財産を財布につっこみ、入ってきたときと同じように無音のまま外へ出て、由乃の待つ関所近くの隠れ場所に向かう。
示し合わせて置いた場所に到着し、地面を三度、靴底でこする。由乃と事前に打ち合わせておいた、戻ったことを知らせる合図だ。
法術を使っている間は、お互いの姿が見えない。こうして指定の音で知らせることで、相手の所在をたしかめるのだ。
地面をこすった場所目がけて、由乃が突進してくる。思い切りぶつかられて、思わずうめき声が漏れる。
「どうしよう、森太郎!まずいことになった」
慌てた様子でも、声はしっかりとひそめている。「どうしたんですか」と、ぶつかられて痛む胸をさすりながら森太郎が問う。
「
そういって由乃が指を差す。森太郎が指で差された先を見ると、スーツ姿をまとい、耳飾りをつけた長身の男が歩いていた。その男のことは、森太郎も知っている。
そんな男がここにいる理由は一つだろう。
「主家のお嬢様を探して関所で張っているってところか……」
「どうしよう……。有禅の目だけはごまかせる気がしないよ……」
ちゃんと理解できるところは理解できているのだな、と森太郎は思った。しかし、由乃の言う通りにまずい状況ではある。彼は執事として主家に仕えるほか、軍部からも声がかけられるほどの傑物だ。近接戦闘術に加え、法術にも造詣が深いと聞く。道具の作成に長けた錬金術すら修めているなんてうわさもあるほどだ。
書生である自分の未熟な法術が、どこまで通用するか。森太郎の背に、冷や汗が流れる。ここで見つかれば、あの執事は由乃がどんな理由を述べ立てたところで、令嬢可愛さに、こちらを悪人に仕立て上げるかもしれない。
とにかく、いまは見つからないことを祈るしかなかった。
「とりあえず、物陰に隠れて静かにしていましょう。見張るといっても、関所は一つじゃありません。彼がここに居続けるなら、他の場所から、という手があります」
「そ、そうよね。いくら有禅がヤバい奴だからって、まさか姿が見えない私たちのことを見つけられはしないわよね」
そう言った由乃の声は、震えていた。あえて虚勢をはり、自分自身を勇気づけようとするような言い方。由乃が森太郎の腕にしがみつく。
有禅に見つかったら、森太郎は一巻の終わりだ。だが、由乃の方は、見つかったところでただ家に連れ戻されるだけである。なのに、彼女の反応は、森太郎と同じく、これ以上ない恐怖を目前にしたように固まっていた。足がすくんで、強く彼の腕を握りしめる手は、小刻みに震えていた。
その反応に、森太郎は違和感を覚える。どうして、この子は自分の家に仕える執事のことを、これほど恐れているのだろう。
そう思った矢先、関所から伸びる道を歩いていた有禅がふと立ち止まり、自分たちのいる方を向く。
まずい。
森太郎の体に緊張がはしる。由乃も、声にはしていないものの、ヒッと短い悲鳴をあげていた。
森太郎が使った法術は、自分や対象に指定したものの存在を視覚的に見えなくなるようにするもの。視覚的な遮断は行えるが、それ以外の気配や物音、においまでは消せない。手練れの戦士や軍人なんかには通じず、また、嗅覚が鋭い生き物にも通じない。ましてや相手は、傑物・薊有禅である。
有禅と森太郎たちの間は、30
化け物め、と森太郎は思った。
こちらの姿は見えていない筈なのに、森太郎は有禅と目があった気がした。
もはやこれまでかと覚悟を決めた瞬間、有禅は視線を外し、そのまま街の方へと歩いていった。
「助かった……の……?」
由乃が小さく呟く。森太郎にしがみついた腕の力が緩み、由乃はへなへなとその場にくずれおちた。
(なんだろう。アイツ、一瞬笑ったような……気のせいか?)
あふれ出る冷や汗は止まることがなかった。服が体にまとわりつく感触に気持ち悪さを覚えながら、早鐘をうつ鼓動の音を、森太郎は耳の中に聞き続けていた。
(気付いていなかったのか……いや、見逃されたのか?……まさか)
冷や汗と一緒にあふれる疑問に、横で息を荒くしている由乃をよそに、森太郎は呆然とその場に立ち尽くしていた。
限りない恐怖の時間をやり過ごした二人は、徐々に東の空が白み始めるのを待った。
永遠にも感じられる時間の中、二人は無言だった。どちらも、荒くなった鼓動を沈めるのに必死だった。やがて、徐々に夜の闇が、日の光によって藍の色を薄め始めた頃、意を決して森太郎は立ち上がり、由乃に向かって話しかける。
「いいですか。事前に打ち合わせた通り、僕はフィールドワークに出かける学生、君はその助手ということで話を合わせてください」
「うん……」
「それと、衛兵の前では敬語はやめますので、そのつもりで」
「あ、そのことなんだけど、別にいいよ」
「ええ。その予定です」
「じゃなくて、衛兵の前とか気にせず、普段から敬語じゃなくていいよってこと」
「いや、そういう訳には……」
「だって、絹原の家を飛び出してきたわけだし、外の世界では令嬢なんて身分、役に立たないから」
「はあ」
「それに、これから一緒に西国に行く仲間なんだもん。気安いほうがいいでしょ」
にこにこと笑う由乃。自分は一介の書生で、相手は名門絹原家のご令嬢。そんなわけにはいかないだろう、と思うものの、言い出したら聞かないという彼女の性格を、この短い時間で森太郎はいたいほど実感していた。
森太郎は眉根を寄せてがりがりと頭を掻く。
「分かった。じゃあこれからはこの話し方で行かせてもらう」
「うん!よろしくね、森太郎!」
白み始めた空のおかげで、いまは由乃の顔がはっきりとわかる。その笑顔にほだされそうになるが、自分は脅迫されて同行しているにすぎないのだと、自分に言い聞かせる森太郎。
黙っていれば可愛いだろうにな、と思うものの、“可愛い”という言葉を、由乃には使いたくはなかった。くだらない反抗心、幼稚な心理であるものの、森太郎はそう思っていた。
「じゃあ、いくぞ」
邪念を捨てようと、努めてあっさり言った森太郎は、法術を解いて先に歩き出す。背後に由乃がついてくるのをたしかめながら、ゆっくりと関所に向かった。
関所で衛兵に話しかけると、身分証の提示を求められた。森太郎は法術の使用許可を示す免状を身分証として提示した。由乃のことは、親戚の子どもで、生物学を志す彼女を帯同して、城壁周辺の植生を調査する旨を伝える。
「護衛は?」
森太郎の身分証を眺めていた衛兵が厳しい目を向ける。
「ご覧の通り、法術の免状を発布されています。生活に必要なもの以外も、少数の怪異相手なら、自分でどうにかできる法術を修めてます」
「怪異のことを甘く見ていないか?」
「僕は何度も単身でフィールドワークに出ています。確認してもらえば、僕が一人で出ている通行記録が見つかるかと」
衛兵はうなりながら、再度身分証を眺める。すると、関所に設けられた詰所の中から別の衛兵が出てきて、同僚に耳打ちをした。ひそひそと何か話した後、衛兵は森太郎に身分証を返す。
「分かった。外界への通行を許可する」
「ありがとうございます」
「ただし、危険な区域にはくれぐれも立ち入らないように」
「ええ、ご親切にどうも」
身分証を受け取りながら、森太郎は会釈をして、由乃とともに関所を後にした。
関所を抜けると、外の世界の景色が広がる。目の前には整備された街道と、青々とした草の生い茂る草原。ところどころには色鮮やかな花が萌しており、まばらながらも色彩が楽しい光景だった。
遠くには山岳地帯がそびえたち、反対側から上ってくる日差しが照らし、鮮やかな朱の色が山肌に映えている。その麓や、街道の脇などにはうっそうとした木々が生い茂り、いくつかの森林地帯を為している。
由乃は、初めて見る外界の景色に見惚れて、立ち止まってしまった。森太郎も、早朝に外界へ出るのは初めてで、由乃と同様に、景色の壮観さに圧倒されていた。しかし、すぐに冷静さを取り戻し、背後の関所に注意を向ける。中からは、衛兵たちがまだこちらの様子をうかがっていた。通行自体は許可したが、疑念が晴れたわけではないことを如実に示していた。
森太郎は由乃の背を押し、歩くよううながす。由乃は少しずつ歩き始めたが、あいかわらずうっとりとした様子で目の前の景色を眺め、首を左右にめぐらせては、この世全てのものを目に焼き付けようとしているのかと思われるほど、しきりに視線をあちこちさせていた。
「きれい……。外の世界って、こんな風になってたんだ……」
「街の近くはな。でも、日の出の時間帯に来たのは僕もはじめてだ」
「こんな景色が見られるなら、これから先、どんなものに出会えるんだろうね」
「いいものもあれば悪いものもあるだろう」
「そう……」
森太郎は皮肉を言ったつもりだったが、由乃は外界の景色に見惚れるばかりで、そのことにも気づいていなかった。むしろ、良し悪しなんて関係なしに、出会えるもの、見られるものすべてが楽しみだといった様子だ。
「言っとくけど、平和なのは城壁近くの街道だけだ。離れれば離れるほど、危険なのは変わらないからな」
念を押すように声をかけると、由乃は森太郎の方を向き、右腕を持ち上げて力こぶを作る動作をした。
「ふふん。こう見えても私、少しは戦えるからね。まかせてよ!」
不躾ではあるものの、念のために森太郎は由乃の全身に視線をめぐらせた。柳茶色の羽織、桃色の着物、それから江戸鼠色の袴に手入れをされた革製のブーツ。そのどこにも、小刀をはじめとした刃物の類は見当たらなかった。
「はいはい、期待しないでおくよ」
思ったことを森太郎がそのまま伝えると、由乃は不服そうに唇をとがらせた。
「なにその反応。私のこと信じてないでしょ」
「なにぶん今日が初対面なもので」
「え~、ひどいなぁ。でも、私は森太郎のことを信じてるよ!」
そういって裏表のない顔で笑いかける由乃。想定外の反応に、森太郎は鼻白んだ。
「森太郎と私なら、絶対に西国まで行ける。立った二人きりでも成し
「君の腕次第だな」
なにそれ、ひどい、と由乃はぶつくさ文句を言う。しかし、それも一瞬で終わり、また由乃は初めて見た外の景色へ興味をうつした。森太郎の方は、由乃の文句を無視して、ただじっと山岳地帯や森林地帯を眺めながら歩く。
うまく外へは出れたものの、これからの方が大変なのだ、と森太郎は連なる山々を睨みつけていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます