第28話 美味しいものを食べてから

「自己紹介が遅れてごめんな、ウチは"アサツキ"いうんや」



スープを飲み干すと、エルフの少女はそう名乗ってくれた。

もうそこに俺たちへの警戒の色はない。

腹が膨れて、周りを見渡す余裕も生まれたようだ。

床に転がされる奴隷商人の男どもと俺たちに何のつながりもないこと、そして俺たちにアサツキに対する害意がないことはすんなりと分かってもらえた。


ひとまずは一件落着……

ではあるのだが、



「さっき、『里を飛び出してきた』って言ったよな、アサツキ?」



俺はしゃがみ込んで、アサツキと目線を合わせた。



「その話、詳しく聞かせてもらえないか?」



そうたずねると、アサツキはシュンとした。



「……だって、どうしても森の中じゃない、外の世界の食べ物を食べてみたかったんやもん。だから書置きだけ残して……」


「そうか……」



やはり家出か。

その結果、世間知らずなアサツキはまんまと奴隷商人たちに騙されて檻の中に閉じ込められてしまったわけだ。



「いったいどれくらいの間、あの男たちに捕まってたんだ?」


「えと、一週間くらい……」


「エルフの里を出てからは?」


「……い、一週間」



どうやら里から飛び出たその日のうちに捕まったらしい。

警戒心ザル過ぎじゃないか?

さっきまで俺たちを信じようとしなかったアサツキとはまるで違う。



……いや、初めて人間に騙されたことで誰も信じられなくなっていたのか。



子供は失敗から学んでいくもの。

授業料にしてはあまりにも手痛く、恐いものだったろう。

だが、結果として俺たちに出会ったことで大きなケガもなく、売り飛ばされることもなく、これからの世渡りに必要な警戒心を得られ、そしてこの後ちゃんと里に帰れるのであれば……

まあ、客観的に考えてプラスマイナスゼロといったところか。



「エルフの里には連れてってやる。だから、今日はもう寝な」


「えっ……」



アサツキはキョトンとする。



「おっちゃん、もしかして送ってくれるんっ?」


「おっ、おっちゃ……!?」



思わず息が止まる。

いや、実際俺は歳を考えればおじさんなんだけどね?

でもなんというか、30代半ばってまだ20代の頃の気持ちが抜けきれないというか……

いや、20代でも子供から見れば充分おじさんなんだろうけど……

とにかく、


「……できたらムギって呼んでくれない?」


「え? あ、うん……なんか、ごめんな? ムギはん……」



たぶん、ちょっと情けない表情になっていた俺に、アサツキはやさしく謝った。






* * *






「ムギはん、あの、改めてなんやけど、ホンマにええのん?」



すっかり嵐も過ぎ去った翌朝。

幌馬車ほろばしゃの、俺の正面に座るアサツキが、小さな指をもじもじさせて言った。


その身だしなみはサッパリとしている。

昨晩のうちにお湯を用意して体を拭かせてあげられたし、服も昨日までまとっていたボロ布から変わっていて、ウサチの普段着を貸してもらっていた。



「ムギはんたちもお仕事があるんやろ? せやのに、ウチのためだけにエルフの里にまで……」


「いいんだよ。子供を1人放り出すわけないだろ」


「……すまへんな、ホンマに」



アサツキはホッとしたような、しかしどこか少し残念そうに微笑んだ。



「ムギはん、里についたら、ウチにごちそうさせてな?」


「別にいいって、そんなの」


「そんなんダメや。ウチがよくあらへんもん」



アサツキは眉間をムッと寄せて、身を乗り出してくる。



「それに、知らへん? エルフの里のお野菜や果物は絶品なんやで。どれもみずみずしくて、甘い。朝採れの、露を弾いてる早朝のリンゴなんか、頬が落ちるほどや!」


「そりゃいいな」


「せやろ? でも、まあ、お肉はないんやけれども……」



その声は尻つぼみになっていった。

やっぱり、どうしたって里の外でしか食べられないモノへのあこがれは消せないようだ。

それも仕方ない。

あこがれってものは、そのあこがれに向かって歩く道中か、達成するかしない限り消せないものだから。



「……アサツキ、悪いけどエルフの里の前に寄りたいところがあるんだ」


「へ? ……ああ、せやな」



アサツキは納得げに、俺たちの乗る馬車の、その後ろについてくる馬車の方を見る。



「あの奴隷商人たちを人間の町の"お偉いはん"に引き渡す必要もあるんやもんな」



俺たちの後ろについてきている馬車は、奴隷商人の男たちが使っていた幌馬車だ。

その御者台に乗って手綱を握っているマチメがこちらの視線に気づき、軽く手を振ってきた。

男たちのことはそちらの荷台の方に縛って載せている。

その馬車の御者は俺とマチメで交代して務める予定だった。



「ウチはムギはんたちに救ってもろて無事やったけど……でもこの先アイツらを放置したら他に被害者が出てしまうもんな。しっかり裁いてもらわへんと」


「そうだな。それもそうなんだが、俺が寄りたい場所ってのはその後のことでな」


「その後?」


「エルフの里に向かう前にさ、できれば"海"の方に寄りたいと思ってる」


「ウミっ? ウミって、魚が大量に住む、あのやたらデカい水たまりの……?」



アサツキの目が興味ありげに光った。

もちろん行ったことなどないのだろう。

エルフの里は海から直線距離は近いものの、間を広い大森林が隔てている。

行くにはかなり迂回して繋がっている街道を使う必要があるが、魚食もしない種族なので近づく理由もない。



「そう、魚がたくさんいる場所だよ。俺たちの用事がある"ニアシー伯爵"の城がその海辺にあってな」


「そこに行くんっ?」


「ああ。その辺りって確か魚だけじゃなくてな、牧場も多くて美味しい"牛肉"も有名なんだよ」


「ぎゅっ、牛肉っ!?」



アサツキは音を立てて生唾を飲み込んだ。



「牛肉って、あの焼くとものすごい良いニオイのする……!」


「そうだ……って、ニオイを知ってるのか?」


「里で昔、焼かれてるのを見てたことがあるんや。もちろん、食べさせてはもらえへんかったけど」


「そうか。なら、いっしょに食べにいくか?」


「えっ……」



アサツキはヒュッと息を呑んで、目を丸くして固まった。

それから次第に血色の良くなっていく頬を両手で押さえながら、



「いっ、いま……ウチもいっしょにってっ?」


「うん。きっとグルメなアサツキなら食べたいって言うだろうと思ってさ、それならせっかくだし連れていきたいと思ったんだよ」


「でも、さすがにそこまでお世話になるのは……」


「世話なんかと思っちゃいないさ。ただまあ、どうしても気負うっていうならダボゼといっしょに簡単な仕事でもしてもらおうかな」


「そ……それでついていって、ホンマにええのんっ!?」


「おうよ」



俺は、アサツキのその薄ねぎ色の頭に手を置く。



「里の外で怖い思いもたくさんしたわけだし、ちゃんと美味しい思いもしてから帰らないと割に合わないもんな」


「ムッ、ムギはんっ……! ホンマにありがとうっ! アンタ神様やでっ!!!」



アサツキがそれから「ウーミッ! ウーミッ! にーくっ! にーくッ!」と嬉しそうに飛び跳ねていると、そのうちウサチも「お肉なら私も食べたいぞぉ」とそれに参加し始めて、2人で意気投合してもつれるみたくじゃれ合っていた。






* * *






~とある平原にて~




夜。

遮蔽物しゃへいぶつの一切ない、地平線を見渡せる平原の真ん中を一台の幌馬車が通る。

御者は目深にフードを被ったヒゲ面の男だった。

男はキョロキョロと神経質そうに辺りを見渡して、懐からおかしな紋様の描かれた紙を取り出し掲げる。

そして伝え聞いた通りに、



「ムズニカ・ターミ・タリアン」



そう唱えた。

すると次の瞬間、目の前の景色が揺れる。

水面に小石を投げ入れたような静かな波紋が視界いっぱいに広がったのだ。

波打つ景色は次第にハッキリとしていって……

地平線の代わりに現れたのは、そびえ立つ高い見張り台。

そしてその奥にある大きなあばらの倉庫だった。



「ほ、ホントにあった……」


「見ない顔だな」



ため息交じりに言った男の言葉へと返事があった。

慌てて声の方へと振り向く。

その視線の先、いつの間にか、馬車の横に誰かが立っていた。

筋肉質で浅黒い肌の、"ダークエルフ"の男だ。



「だっ、誰だっ!?」


「ここの管理者さ」



ダークエルフは鼻を鳴らすと、幌で覆われた馬車の荷台を見やる。



「それで、ここに来たということは"例のモノ"を"売り"にきたということでいいんだろう?」


「……!」



ダークエルフの問いに、御者の男はひとつ深呼吸をすると、荷台を肩越しに立てた親指でさした。



「……子供が10匹。上等だろ?」


「ほう」



ダークエルフがその荷台の幌の中を覗く。

それから頷いた。



「うむ、確かに。では買い取ろう」


「ああっ、頼むぜ!」



2人の間でずっしりと重たい布袋が受け渡された。

布袋を受けとった御者の男はその重さに最初目を見張り、それからその中身を覗いて……ほくそ笑んだ。



「へっ、へへっ! ウワサは本当だったのかっ! 破格の報酬じゃねぇか、こりゃあ!」


「我らエルフに金銀など無用の長物だからな。安いものだ。これからもたくさん連れてこい。手段は問わん」


「へへっ、へへへっ! いいねぇ、俺にもツキが回ってきたぜ!」



御者の男は馬車から降りると、馬と荷台を繋いでいたハーネスを外しつつ、



「そうだ。ところでよ、アンタ知ってるか?」


「何をだ?」


「最近、人の町じゃ"奴隷売買"に手を出すヤツが増えてんだ」



御者の男は自分で今しがた言った言葉に続けて鼻を鳴らし、懐から先ほど掲げて見せた謎の紋様の描かれた紙を取り出して言った。



「この紙を見せれば、ダークエルフが"人の子供"を高く買い取ってくれるとか、あるいは"エルフの子供"が高く売れるだとか……そんなウワサが出回ってんだ」


「人や、エルフの子供が?」



ダークエルフは鼻から小さく息を抜くように、フッと笑った。



「そんなもの、買って何に使うというんだか。バカらしい」



そう言って、御者の男が乗ってきた馬車の幌を見て、



「我々が欲しているのは、我々ダークエルフの今後の発展のために不可欠な"あの子"たちだけだ」


「伝言ゲームの定番さ。話が人の間を伝わるにつれその内容が変わっていく、っていうな」


「まったく困ったものだ。我々は奴隷売買だなんて厄介ごとに巻き込まれたくはないんだが」


「まあ、特別気にすることもないだろうよ。そんな下らないウワサをうのみにする程度の連中がここまでたどり着けるとは思えねぇ」


「そう願うばかりだ」



ダークエルフは肩をすくめた。



「で、話は終わりか? そろそろこちらも運び入れに移りたいんだが」


「おおっ、手伝おう」


「丁重にな。"子供たち"を怯えさせないよう、傷つけないように」


「分かってるさ。その代わり、次の取引もよろしく頼むぜっ?」



2人は荷台の正面へと回り、中にいる"子供"たちを手招きした。

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