深淵
和也は里美に彼氏がいることを知らされた時、その衝撃でまるで自分の心が砕け散ったかのように感じた。里美を忘れようと、日々を忙しく過ごすことにした。しかし、忙しさの合間にも、彼女の笑顔や一緒に過ごした時間が脳裏をよぎり、忘れようとするほどに強く彼女の存在を感じてしまうのだった。
そのような彼の心の隙間に、ふとした瞬間に真由が現れた。真由は和也の苦悩を何となく感じ取っていたが、深く踏み込むことなく、さりげない優しさを見せるにとどめていた。和也は真由の存在に救いを感じつつも、その時点では彼女をただの友人としてしか見られなかった。
時間が経つにつれて、和也は真由の存在が自分にとってどれほど心強いものであるかを徐々に認識し始める。しかし、里美を完全に忘れることはできずにいた。里美の影が心の片隅に常にあるため、真由への感情が深まることに躊躇いがあった。和也自身もこの複雑な感情に戸惑いながら、ただひたすらに時間が解決してくれることを願っていた。
和也は電話の受話器を握りながら、里美の声を聞いていた。彼女の話はいつもより深い信頼を感じさせ、和也にとってそれは苦痛と安堵の入り混じった複雑な感情を引き起こしていた。
「ねえ、和也。最近、彼とちょっとしたことで衝突して…」
里美の声は少し震えていた。和也は深呼吸をしてから、できるだけ落ち着いた声を出す努力をした。
「何があったの? もし良かったら話してみて。」
里美は少し間をおいてから話し始めた。
「彼が私の友達と連絡を取り合ってることが分かって。正直、すごく複雑な気持ちだよ。」
「彼が、ね、私が夏休み一時期帰国している間に、知り合いのユミと急に仲良くなっちゃって。ユミは、同じ大学の日本人の子で、彼女も法学部なの。でもね、ユミはこっちに来てすぐに車を買って、色んな人を助けているんだ。」
和也は里美の話をじっくりと聞いていた。
「それで、彼がユミと連絡を取り合うようになったのかな?」
「うん、そうなの。私がいない間に、ユミが彼をどこかへ連れてってくれたりしてたみたいで。私がいない間に彼が困らないようにって思ってくれたのは嬉しいんだけど、戻ってきてからもその関係が続いてるのが、なんだかね…。」
和也はその複雑な気持ちを理解しつつ、里美に寄り添う言葉を選んだ。
「それは本当に複雑だな。でも、ユミが彼とどういう意味で仲良くしてるのか、はっきりと彼に聞いてみた方がいいかもしれないけどね。信頼って大事だし、誤解があると余計に心が痛いから。」
里美はため息をついた。
「そうね、和也。ありがとう。実は、彼と話してはみたんだけど、なんとなく避けられてる感じがして。ユミとのことを問い詰めたら、もっと距離を置かれるのが怖くて。」
「それは辛いところだな。でも、信頼関係を築くには正直な対話が必要だよ。心の準備ができたら、彼としっかり話してみて。俺も力になれることは力になるから。」和也の言葉に、里美は少しホッとした様子で
「本当にありがとう、和也。あなたと話せて良かった。」
と感謝の言葉を述べた。
和也は里美の心の支えであることを再確認しつつ、彼女が抱える問題に対しても、自分がどう支援できるかを考え続けていた。里美と彼との間の問題が解決することを願いながら、和也は里美が真の幸せを見つけられるよう心から願っていた。
この話を聞くことは和也にとって切ない試練だった。彼女には彼女の世界があり、和也には触れられない部分があることを思い知らされる。それでも、里美の支えになりたいという気持ちから、
「うん、それは辛いね。でも、里美が感じていることを正直に彼に伝えることが大事だよ。」
「ありがとう、和也。本当にいつも聞いてくれて…」
里美の声には感謝がこもっていたが、和也にとっては彼女の感謝が心をえぐるような痛みをもたらした。彼女には触れられない心の闇を感じつつ、彼女の心の支えとして存在することの矛盾を抱えながら、和也は彼女を支え続けた。
「何かあったらいつでも言って。里美の味方になれることだけは確かだから」
と和也は力を込めて言った。
里美の「ありがとう」という言葉が、和也の心をさらに痛めつけた。彼女が抱える問題を和也は助けることができるのか、そして自分の心の痛みをどう保つのか。その答えはまだ見つからないまま、和也は深夜の寂しさに包まれながら電話を切った。
和也の心情は、自分が里美をどれだけ愛しているかを再認識させられる一方で、彼女の心の隙間を埋めることができない無力感にさいなまれていた。それでも彼女のために強い友人であり続けることを選ぶ和也の苦悩は、誰にも理解されない孤独を彼に与えていた。
里美はその秋、法学のクラスを受講するためにコミュニティカレッジに通い始めた。彼女の在籍している大学からは離れた場所にあるため、通学の便を考え、中間地点にあるアパートを借りることに決めた。そこで、偶然にも在籍校でルームメイトだったアメリカ人の友人、エミリーが、アパートを探していると聞いたとき、里美はチャンスと捉えた。
「実は私、新しいアパートを探しているところなんだけど、一緒に住まない?」
とエミリーが提案してきたとき、里美は迷うことなく快諾した。一人暮らしをすることに憧れはあったものの、治安の面での不安が拭い去れず、親しみのある友人との共同生活は、安全面でも精神的なサポートでも大きな助けとなると感じていた。
二人で新しいアパートに引っ越し、生活の基盤を整える中で、里美は学外での新たな生活に一定の安心感を見出していた。法学の授業は難しく、多くの時間と労力を要求されたが、エミリーとの共同生活はそのストレスを和らげる一助となっていた。
「新しいクラス、どう?」
とある日、エミリーがキッチンで話しかけてきた。
「思ってたより大変だけど、なんとかやってるよ。でも、一緒に住めて本当に良かった。安心して勉強に集中できるから」
と里美は笑顔で答えた。
「何かあったらいつでも言ってね。一緒にいるんだから、お互い様だよ」
とエミリーが応じる。
この新しい環境での挑戦は、里美にとって多くの成長をもたらすものだった。コミュニティカレッジでの授業と共に、異文化の中での共同生活が彼女の視野を広げ、人間としての幅を深めていくことに繋がっていた。
里美の日々は、法学のクラスとアパートでの生活に追われるなかで、彼女の心は次第に重く沈んでいった。クラスの難易度は、彼女が予想したよりも高く、簡単にサボって良い成績が取れるということはなかった。彼女と和也は、そういった努力を重ねながらも時には苦しむタイプで、お互いにその点で深い共感を持っていた。
「難しいね、法律の学びって。毎日が試練みたいだよ」
と里美がある夜、電話で話したとき、和也は深く共感した。
「そうだろうね。アメリカ人の何倍も努力しないといけないし、これも成長のためだとは分かっているけど、実際に行動すると考えている時とはわけが違うしね」
と和也は応えた。二人の会話はいつも励まし合いで終わることが多かったが、里美の心の中では、彼氏との関係が次第に冷めていくことに焦りを感じていた。
彼氏とユミの近づきが始まってからというもの、里美は和也の電話を特別に心待ちにするようになっていた。物理的には関係が続いているものの、心情的な距離は広がる一方であった。
「和也の声を聞くと、何だかホッとするんだ」
と里美はある晩、和也に打ち明けた。
「それは嬉しいよ。俺も里美と話せるのをいつも楽しみにしてるから」
と和也が返した。
しかし、里美には彼との関係を終わらせる勇気がまだ湧かなかった。彼女の心は葛藤でいっぱいで、自分の感情を整理することができずにいた。そのため、彼女は和也に対しても完全に心を開くことができず、ふたりの間にはある種の曖昧さが常に残っていた。
和也は里美が彼との関係に悩んでいることを感じ取りながらも、どう支援して良いか自分自身も答えを見つけられずにいた。生物学的な観点から見れば、里美が和也に惹かれない理由も理解できたが、それを受け入れるのは簡単なことではなかった。夜遅くまで続く彼女の法学のクラスと、その後の電話でのやり取りが、和也にとっては里美との繋がりを保つ数少ない手段だった。
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