第13話
高校2年生のあの時。
茅野と次に喋ったのは、高見沢に色々と言われた翌日であった。
私が入学して早々
「昨日は本当にごめんね」
と彼女は謝ってきた。彼女が何故謝ってきたのか。分からない。昨日の件、どう考えても非があるのはこちらサイドである。
ただ、「そんな、謝ることないよ」
と気の効いた言葉は言えなかった。
茅野の体は細かった。その細さに華奢という言葉を使うのは間違っているような気がする。何故なら、茅野の体の細さというのは美しい細さではなかったから。
まるで冬の寒さで痩せ細った枝木のような細さである。ふわりとした新雪でも彼女の体はポキリと折れてしまいそう。
ただ、日本人形のように目も鼻も口もくっきりとされている。丁寧に作り込まれた芸術品のようである。
「……昨日、何か用事があったのでは?」
「用事……うん、まぁ。でも」
と煮え切らない返事をする。何かがある。そんなものはいくら鈍感の私でもすぐに分かった。そもそも用事などなければ、あの魔境のような部屋に行くことなどないのだ。
口下手な私。いつもならここで会話が終わってしまう。しかしその日は脳をグルグルと回転させていた。次、どんな話をしようかと。しかし普段使っていない頭のモーターの油は切れて、ただ空中を無意味に回転するばかり。堂々巡りだ。
「ふふっ」
と茅野は笑みを作った。驚いた。こんな私に対して笑みを与えるなんて。
そうして私も同じように笑みを浮かべた。そうするしかなかった。
「そうね。別にあなたになら言ってもいいかもしれない」
と。茅野は語り出した。
彼女が昨日、地理学習室に来たのは自分の今置かれている家庭環境をどうにかして欲しいからだという。それなら先生に相談をすればいい。そうは思った。しかし彼女曰く、大人は信用出来ない。それに学校の先生というのは教育者である。その為、生徒のことは幾らか気にかけてはくれているだろうけれども、生徒の親までは気にかける余裕などないはずだ。とそれが茅野の意見であるらしい。
私は、人間は考える葦であるということをすっかり忘れて、無思考なままそうだねと相槌を打った。
茅野の母は、ペチュニアのように強く美しい女性らしい。そのペチュニアは春の暖かくなった頃に咲き、夏の暑い日差しにも耐えて、そして冬の近くまで咲くような花である。乙女の命は花のように短い。そう言われるが、茅野の母は40歳を超えてもまだ花を咲かせたままである。乙女、少女という言葉を使っても差し支えはないようなそのような要望である。
大きく美しい花には沢山の虫が集まる。
それは茅野の母だって例外ではなかったようだ。
茅野の母の周りには様々な男が現れた。その男共は皆、同じように自分はお金を持っている。絶対にこの家族を幸せにしてやる。そんなことを言って、甘い蜜だけを吸って殴り、嬲り、そしてどこかへ消えていく。
だから茅野には沢山の父がいた。しかしどれが本物の父なのか分からない。そもそも茅野が生まれた時にいたはずの父とは一度も会った事ないのだ。
そんな事の繰り返しなのだから、母という花もどんどん元気がなくなっていっている。そのような気がする。ただその事に関して、茅野はどうでもよかった。母がどんな男を連れて来ても別に自分の生活には関係ない。
茅野には夢がある。もしこの学校を無事に卒業したら、絶対に東京に行く。そして輝いて見せると。
「輝くってどうやって」
僕がそう聞くと、彼女は白い歯を見せながら「分からない」と答えた。だけどきっと、東京に行けば、こんなくだらない人生でも救える何かがあるでしょ。茅野は希望に満ちていた。私はそれが羨ましいと思った。
ともあれ、茅野は母がどのような人生を歩もうが、どのような男を連れて来ようが、その事に関してはどうでもいい。そう思っていた。
しかし今の男だけは少し状況が違う。と彼女は言う。
茅野母が連れて来た新しい男は、年齢は母と同じとのことであった。しかし見た目はどうもそのような年に見えない。彼は完全に枯れた雑草である。口元に乱雑に伸びた無精髭。長い髭、短い髭、それぞれの髭の長さがまちまちである。
さらに眉は毛虫のように太くグニャグニャとしている。耳も大きい。鼻も大きい。その癖、顔はどちらかと言えば小顔である。そのせいで、顔のバランスは悪く見える。少なくとも、世で言うイケメンという顔ではない。
さらに着ている服にも違和感があった。麻の帷子を着ている。どうして帷子? これが平安時代なら可笑しな格好ではない。しかし今は平成の時代である。大阪の街を歩いていても和服でいる人などほとんどいない。三つ葉の山の中から四つ葉を見つけるよりも難しく、街中の猫の集団の中でイリオモテヤマネコを見つけるのと同等の難易度である。
しかもそれをファッションとして着ているのであれば、あぁ、この人は他の人よりも幾分もファッションセンスがいいのだなとそう思えるかもしれない。しかしそうではないことが身なりで分かる。
まずその帷子には白い綿毛のような埃が無数についている。またその帷子は随分と使い古しているのか所々、麻の色素を失い破れそうである。その姿。まるで乞食である。お金など一銭も持っていなさそうな身なりである。
「それは」
しかも茅野に対して、それ。まるでモノ扱い。今までの男たちは、嘘でも茅野のことを男扱いしてくれた。それなのに、この人は……
この人は好きになれない。直感でそう思った。
後にこの人はやはり普通の人間ではない。どうやら新興宗教の幹部らしい。そのことを知って茅野は身震いをした。しかし、どうして新興宗教の人がこの家に。
自分の家にはお金もない。車もない。家具だってアパートの備え付けのもので、自分のものではない。むしろ茅野の母の方が、男からお金をむしゃぶり取っていたぐらいだ。
そんな家に入り込んだところで、大した収入にはならないはず。もしかしたら、本当に茅野たちの幸福を祈って、この家に来たのか。そのようなことも考えた。しかしあの奇妙な格好をした男にそんな発想なんてあるはずがない。
「成人なるもの、このような小童を相手してはならぬ」
そうしてその男はそう言った。
男が所属する宗教団体は、成人会というものである。ここで言う成人とは大人という意味ではない。人に成る。そういう意味だ。そしてその人というの本来、他の動物の親分などのような階級などなく、食料、資産を全て共有する利己的な生き物である。これが本来の人の姿であり、それらを目指していこう。そのような団体である。
原始共産的な思想があり、その人に成るに当たって1番の弊害は競争である。特に学生というのは学力、部活動など絶えず様々な競争がある。だからその宗教団体では当時高校生の茅野のような存在が邪魔になる。だそうだ。
そうでなくても、この男は茅野のことが嫌いらしく、目を合わせる度に
「ええい。そんな汚らわしい顔で我を見るな」
と言って、パーでよく頬を殴ってくる。
そしてその顔。まるで鬼のようである。
「お主は、お主は、何年経っても、また我のことを苦しめて。許さぬ、許さぬ」
とその男は顔を真っ赤にして言う。しかし茅野にはそのことに関して何も心当たりというものがない。茅野がこの男に出会ったのはつい数ヶ月前。それなのに、まるでずっと昔からあっているかのような口調。そして自分に対して何か恨みを持っているような態度。
顔を見合わす度に、彼は茅野の頬を殴ってくる。
「それは……酷い」
「いや、まぁ。その事に関して、実は何も問題ないんだけれどさ」
その男は体力が40代とは思えないほど衰えている。彼女をビンタするその手はシワクチャだし、その力だって空気砲に打たれたかのような弱さである。反撃をすれば恐らく勝てる。しかしその反撃した後が面倒臭い。だから大人しくしているだけ。
第一それが問題だとしたら、相談する場所は高見沢ではない。先生や警察、児童相談所などの機関の方が頼りになる。
問題がそれだけではない。むしろその男が成人会に所属して、茅野の母を誑かして、さらに茅野自身にも暴行を加える。これはただの余談に過ぎない。と彼女は言う。
いや、これが余談だとは。普通の人であれば精神的に病んでしまうような事柄ばかりなのに。
「問題なのはその男。本当に超能力者なの」
「はい?」
だから高見沢の力が必要。一部の人は彼女が妖怪退治の専門家である。と認識されている。茅野はその高見沢の力を欲している。
「いや、ごめんね。今、あなたがこの人何を言っているのか。そう思っているのも知っている。ただね。本当なの。あの人は本当に超能力者なの。瞬間移動とか出来るの」
茅野は決して、宗教や超能力を信じるような人ではない。サンタクロースがいない。そのような真理を既に幼稚園に上がる頃には気づいていた。小学校に入学する前には、死後の世界などないと言うことを。そして中学入学前にはこの世界に妖怪などいない。そんな事は既に気づいていた。
この世界にオカルトがある。そんな期待は一才していなかった。
そんな茅野がある不思議体験をした。と言うのだ。
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