第9話


 高見沢はいつもこうやって遠回しに事を言ってくる。人によっては結局何が言いたかったのか。と疑問符を浮かべる人もいる。しかし私は彼女が何を言いたいのか分かった。

 要は茅野澪奈に関わるな。そのような事を彼女は言いたいのであろう。


 茅野澪奈。まさか、大人になってその名前を聞くとは思わなかった。2年生の夏。彼女は家庭の事情で岩手の方へ転校した。そのようなことは聞いていたのに。


『全く。君たちを見ると虫唾が走る。学校内でイチャイチャと。全く、不愉快だ』


 といつも私と茅野を見て、高見沢は呆れた表情でそう言っていた。

 イチャイチャ。傍から見たら僕たちは仲のいいカップルのように見られていたかもしれない。しかし実態はカップルなどという大層な関係ではない。ただの私の一方通行な片思いであった。いや、違う。片思いかどうかなんて分からなかったんだ。


 何故なら私自身、その時。パンドラの箱を開けることなどなかったのだから。

 怖かったのだ。その開けた箱の中身を見ることが。開けた瞬間、魍魎が外に飛び出してくるかもしれない。ということが。だから私は彼女の思いを聞くことはなかった。


 あの時。ちゃんと、茅野の思いを聞いていたら一体、どうなっていたのだろうか。今の状況よりも遥かにマシになっていただろうか。私は思う。


 そして本棚の前にあった椅子に腰をかける。本棚の本を見つめる。そのほとんどが江戸時代の歴史書だったりする。全て決定された過去の本だ。そして当然ながらこれからの未来が書かれた本などない。そのような本があれば、私は手に取るのに。



 それは高校2年生の春頃であった。

 高見沢と知り合って半年。私は放課後。高見沢と地理学習室へ行くのが日課になっていた。そこでゼンリンの日本地図を開き、私は高見沢にその土地の蘊蓄を聞いていた。

 それに対して、私は別段苦ではなかった。むしろ楽しかった。というのも私自身、一人旅というものが好きで中学の時点で既に色々場所に行っていたからだ。

 私の特技というのが、東海道線、山陽線の鉄道唱歌を全て歌えるというもの。それは凄いことだと自負はしている。しかしその特技は決して誰かに披露できる物ではなかった。

 旅行や鉄道に興味のない人からしたら、鉄道唱歌というのは、坊さんの読経に近いもので、仮にその唱歌を一字一句間違わずに歌えたとしても、だから何? と思われるだけである。そもそも鉄道唱歌とは何。そこから始まってしまう。


 しかしこの学校で唯一、高見沢だけは


『君はとんでもない能力を持っているな。流石。僕が見込んだ人だ』


 と称賛してくれた。彼女もまた僕と同類の変わり者で日本地理というものが大好きであった。

 そんな変わり者2人は毎日、学校が終わる度に地理学習室を占拠するようになった。この場所は授業であまり使われることなどなく一般学生生徒からしてみれば馴染みの薄い場所である。


 無機質な豆腐のような真っ白な机が前に3台、後ろに3台。横長の黒板。この教室には窓がない。その窓の代わりに大量の本棚が置かれている。この本というのは図書館で置かれているような本ではない。ゼンリンや国土地理院の日本地図である。これがブワッとこの教室の棚一面に並べられている。これは僕にとっても、高見沢にとっても興味深い物であった。だから、蜜に群がる蝶のごとく僕たちは放課後、この地理学習室に来るというのが日課になっていた。


 このような場所。他の学生が来るはずなどない。というよりもほとんどの学生はこんな場所にこのような部屋があるとは知らないのだ。知っているのは先生だけ。

 だからこの教室を占拠して半年間。地理学習室を管理している秦先生だけがこの教室に来ることはある。それ以外の人は誰も来ない。


 その秦先生だって私たちの味方であった。

 秦有紗。まだ20代で随分と若い。そして彼女は神主の家系である。つまり先生の実家は神社であった。

 秦家と言えば、稲荷神社と大きく関係のある名前である。だからその実家の神社というのは稲荷系だと思った。しかし秦というのは母方の苗字らしく、実際には出雲系の神社らしかった。


 その秦先生は、私たちが地理学習室の鍵を取りに行くといつも快く貸してくれる。

「若者が日本の地理に興味を持ってくれるのはいいことだ」


 とその先生は毎回抹香臭い事を言ってくる。その先生本人だって随分と若いくせに。


「地名にはたくさんの歴史が隠れている。そしてその地名から歴史を探ることが出来る。例えば、そうだな。兵庫県だと。伊丹に千僧という地名がある。千僧というのはどういう意味か分かるか」


「はい。確か昔、牛頭大王が巨旦という人の家に泊まろうとしたら、意地悪をされて追い返されてしまいました。それに困った牛頭大王は蘇民という人に出会いその人に親切にしてもらい蘇民の家に泊まることに。そうして蘇民には茅の輪を与えて、これをつけるように言いました。それから数年。牛頭大王は意地悪をされた復讐として巨旦一族に対して、抹殺を宣言します。それを逃れる条件として、千人の僧が間違わずお経を読むことでした。それが千僧です」


「そう。その中で1人が読み間違えた。だから巨旦一族は牛頭大王によって抹殺されてしまう。だけれども茅の輪を持っていた蘇民は、その牛頭天王の抹殺から逃れる。それどころか彼は長者となって幸せに暮らした。そんな話だな。だから今でも茅の輪というのは厄除けとして使われている」


「それにしてもこの牛頭天王って凄い荒くれ者ですね」


「そうだな。意地悪をされてその一族を全員殺すなんて。ちなみにこの牛頭天王の正体って何か分かるか?」


「確か、スサノオではないかと言われていますね」


「そう。そして尼崎市の水堂には素戔嗚神社、宝塚には伊和志津神社の祭神も素戔嗚。さらに、清荒神は名前の通り荒神様。つまりこれもスサノオ。この地域にはスサノオにまつわるものが非常に多い。また尼崎の富松、南七松は酒呑童子の出身とされており、その荒くれ者という特徴から、もしかしたら酒呑童子=スサノオではないかという説だってある。可能性としては八岐大蛇を倒した英雄が、違う土地では鬼として扱われていたのではないか。そもそも鬼というのは昔の人からしたら果たして悪として存在だったのか。単純に荒魂を鬼と読んでいたのではないか。なんて色々な説が考えられる。まぁこれらの説は、文献も何もないただの地名だけで判断したもので、学術的価値など何もない推論だけれども」


 と。この秦先生も高見沢と同じぐらい詭弁家であった。だからあの気難しい高見沢と話があうのだろう。このような話をしだしたら議論が延々と止まらなくなってしまう。

 それと実は私もこう言った話は嫌いではない。


 そんな変わり者たちしか管理をしない地理学習室に、1人のお客さんが来た。

 いつもは開くはずのない扉が、ガラガラと勢いよく開いたもんだから、あの感情の起伏のない高見沢も目を大きく見開いて驚いていたものだ。


 扉の先には少女が立っていた。スラリとした華奢な体に、緩やかなウェーブを髪の先端でかけている。血色良い肌。ただし、特別見張るものというものが正直なく、その姿はクラスの中では地味に入る部類だとは思う。

 その彼女こそが、茅野澪奈であった。

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