第8話

で、出た。

 この高見沢という人物。頭脳明晰、運動神経抜群である。しかし彼女は幾つかの欠点がある。まず、理屈っぽいところ。高見沢という人物は昔から数多な本を読んできた。そのせいで、ここまでの会話から分かるようにどこか理屈っぽく、頭も少し混乱してしまう。その癖、彼女は世間の話題に疎い。だから今流行りの女優だとか、アニメだとかそういったことを何も知らず、他人と話を合わせることが出来ない。


 また高見沢という人物は体力が全くない。彼女が学生だった頃。私と高見沢は3年間同じクラスであった。その中で、彼女が丸々1時間ちゃんと起きている姿というのを見たことがなかった。いつも机に伏して寝ていた。その睡眠力というのは物凄いもので、例えば先生が怒鳴り声をあげようが、チョークを投げつけようが、彼女は目を覚ますということはなかった。


 あまりにもおきない為、触らぬ神に祟りなしというべきであろうか、誰も彼女を起こそうとする人はいなくなった。それに関して、高見沢は


「それで良い、それで良い。僕のことを無理やり起こそうとはせず、祟り神のようにそっと手を合わせて祈っておけば良い」


 と満足そうに語っていた。


 この睡眠癖というのは学校、教室内だけではない。

 修学旅行。行き先は長野の諏訪だった。バスの座席では僕の横に高見沢が座っていた。これに関しては高見沢のご指名らしい。

 バスの車内で寝るかと思ったら、意外。そこでは珍しく目をパッチリと開けて車窓を見ていた。そうして


「長野といえば、道祖神。辰野町の沢底の道祖神は日本最古の道祖神と言われて、他にも安曇野市などにはたくさんの道祖神像がある」


 それから道祖神と庚申の関係性だとか、猿田彦という神は実は道祖神なのかそんな話をしていた。私は何のことか分からなかった。

 挙句の果てには諏訪大社の話だったり、タケミナタカの話だったりしていたような気がするが覚えていない。


 とにかく珍しく高見沢が元気だったのはよく覚えている。

 しかしそんな彼女。ホテルに着いた瞬間、ベットに入りそのまま寝てしまった。流石に部屋は違うので私はその寝顔などは見ていないのだが。


 普通、修学旅行の楽しみというのはホテルに着いた後ではないだろうか。そこでワイワイと色々な話をするものではないだろうか。などと偉そうに言っているが、私だってホテルに着いた瞬間。部屋で本を読んでいたので実態は高見沢と何ら変わりない。


 ともあれ、高見沢はホテルに着いた瞬間眠りに着いた。そして彼女がそのまま目覚めることはなかった。夕飯時になっても彼女は起きなかったらしい。だから彼女の食事一つだけ余ってしまっていた。それは別の誰かが食べたらしいが。


 彼女は深夜になったら目を覚ますと思いきや、そうでもなく。それどころか次の日の朝。部屋の中で一番遅くまで寝ていたのは高見沢だったらしい。それについて


「いくら何でも寝過ぎでは」


 と言ったら


「別に。睡眠はお金をかけないし、誰にも迷惑をかけない行動だと思うんだが」


 と高見沢。いやいや、遅くまで寝ていたせいで他の人たちの朝食時間が遅れてしまったという迷惑を被っていますが。とそのようなことを思ったがそれは胸の奥にグッとしまい込んだ。

 その後、バス移動。その時は今朝まであれほど眠そうな顔をしていたのが嘘のように目をバッチリと開けていた。

 このように高見沢は興味があることに関しては目を開け、興味がないことに関してはすぐ寝る性質がある。


「おーい、おーい」


 一度寝てしまったらこれは厄介である。地震が来ようとも、富士山が大噴火しようとも彼女は目を覚ますことはない。

 と思ったら彼女はムクリと顔をあげた。そして目を細めながら言う。


「君は混沌と言うものを知っているか」


「混沌。言葉は聞いたことがある」


「そうだな。混沌というのは中国古代哲学の原初唯一絶対の存在。その混沌の中から陰とか陽とかが誕生したわけだ」


「それも聞いたことがある。陰陽五行の」


「そう。さらにその陰陽は交合をして、木火土金水の五元素が生まれる。この五元素はさらに順番に生じてゆく。これを相生と言う。簡単にいうと木は火を生むみたいな感じだ。この場合木生火と相生は表現される」


「木が火を生むというのはどういうこと?」


「ほら、昔の人は木を擦り合わせて火を起こしていたじゃないか。そういうことを言うんだ」


「あぁ、なるほど」


「生じることもあれば、その反対もある。それを相剋という。その時は木剋土と表現される」


「木が土を剋するって」


「そう。木は根っこを生やして土を痛めつける。だから木剋土のような考え方が生まれた。だけれども今回はそんな陰陽五行の話はどうでもいいからもっと詳しい説明は割愛する。僕が言いたいのは混沌そのものさ。君は荘子を知っているか」


「荘子は中国の本」


「そう。その荘子の中に目、鼻、耳、口の七孔。つまり穴が無い帝が出てくる。これが混沌なのさ。因みに山海経にはのっぺらぼうで足が六本、四つの翼が生えた姿をした帝江が出てくるが、これが混沌と同一視される」


「その混沌がどうしたのさ?」


「そうだな。混沌にはこんな話がある。南海の儵という帝と北海の忽という帝が混沌に出会う。そして混沌に厚くもてなしてくれたお礼に、混沌の顔に穴を開けた。目や鼻や口などを作ったんだな。そうしたら混沌は死んだ」


「あ、それ聞いたことある。確か諺で混沌に目口を空けるというものがあったような」


「そうさ。物事に対して無理矢理道理をつけるという意味だな。どうして混沌は死んだか知っているか?」


「どうしてって。穴を開けたから?」


「そうさ。もっと言えばその混沌に外部の力が加えられてしまったからなんだ。それはどんな物だってそう。人間だって、頭を強く殴られれば外部の力で死んでしまう。極端な話、変化などなければ死にはしないのさ。しかしそれは無理な話だ。それは何故か」


「何故」


「周りが変化をしているからさ。太陽が沈めば月が出る。僕たちには意識しないうちに周囲は変化をしている。外部からの変化の力が発生している。だから気づかないうちに僕たちは死へと向かっている。変化がなければ何も起こらないのに」


「そうだね。変化がなければ」


「そうだろう。実際その混沌という物に儵と忽は何もせずいれば、その3人はずっと仲の良い友人でいられたかもしれない。他にもパンドラの箱を開けなければ、伊弉諾が黄泉の国に行かなければ。いやそもそもカグツチなどという神様を産まなければ伊奘冉は死ぬことなどなかった……と色々あるさ。つまりは何もしない方が幸せということもあるんだよ。福島君」


 そう言って、彼女は再び大きな欠伸をして机を伏した。

 その後、高見沢は喋ることはなかった。

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