第7話
立花の館。
館というほどの大層な建物ではない。名前だけのハッタリだ。
三宮、北野坂。バーなどの飲み屋が密集する雑居ビル群の中に、薄灰色の廃墟のような雑居ビルがある。その雑居ビルは一階から四階までテナント募集の赤い看板が書かれている。その赤い看板も数年、放置されたせいか赤錆が浮かんでいる。
パッとみれば殺人事件などが起きたかのような、重暗い雰囲気のビル。しかし何のことはない。このビルは避難経路などの設計上のミスなどにより2階、3階にガスなどひけない。そうなると飲食店などの利用が出来ない。さらにフロンを使うような冷蔵設備も置けないのでコンビニなどの小売店も進出不可。こんな欠陥だらけの建物。周囲はスナックやらバーなどの飲食店だらけの北野で使い物になるのか。使い物になるわけもなく、ずっとテナントが入っていない状態が続いている。
ここを改築するにしても、取り壊すにしてもお金がかかる。そんなこともあってこの廃墟のようなビルはずっと放置されたままであった。
そのビルの二階に唯一のテナント。立花の館があった。
占いの館である。
高見沢立花は今、占い師をしているらしい。というのは立花本人から聞いた。しかしその立花の館には占い師をイメージさせるようなタロットカードや水晶などは一切置いていない。
ビッシリ四面には天井にまで届く本棚があり、そこには本がビッシリつまっている。しかもその本はどれも日焼けをしており、少々抹香臭い書斎の香りがする。占いの館というよりは神保町にあるような古書店だ。
その部屋には占いの館らしいものは全くない。せいぜいあるとしたら、トイレに貼られているカレンダーの大安とか仏滅とかそのような文字ぐらいだろう。
さらに高見沢自身が誰かを占いしているところを見たことがない。
「もうそろそろ来る頃だと思ったよ」
その高見沢は事務机に肘をつけながら、不適な笑みを浮かべていた。
黒く長い髪。パッチリとした団栗眼。小さな顔。とても20代後半とは見えない。下手をすれば小学生だと間違われてしまうかもしれない。
「なんだそんな漁港に打ち上げられた鯖のような目をして。そんなにさっき、羅天屋で食べた唐揚げが不味かったのか」
「なっ」
「全く。覚がどうとか。茅野という人物の名前とか聞いて動揺しているようだな。藁にでもすがる思いでこの立花の館に来たわけか。いいかい。別に君を助けてやってもいい。しかし無料というわけにはいかない。だって私は占い師を本職として活動しているわけだし。ほら、例えば君がラーメン屋をしていて、私が毎日ラーメンを無料で食べに来ていたらいくら友達だろうとかなわないだろう。親しき中にも礼儀ありだ。いくら仲良くても金を払う道理はきちんとある。いや、そもそも君と僕。そんな仲いいと言ったら首を傾げるようなものだし。友達という言葉もピッタリとあてはまない。ただ友達以外の言葉がないからそうやって言ってあげているだけであって、もしそれ以外の言葉を創作することが出来たら迷わずそちらを使うだろう。そんな関係だ。ともあれ、君だから君の依頼を無料で受けてあげるというわけにはいかない。うん、どうした。そんなボーッと立って。まだ田圃のカカシの方が動くものだぞ」
「あっいや」
どうして僕がここに来た理由を知っているんだ?
「そんなのは簡単だよ。それは僕が占い師だからさ」
「占い師」
「そうだ。占い師はいつだって人の未来を見ている。その今話題となっている覚だとかいう妖怪とは違うんだよ」
「はぁ……」
すると高見沢ははぁとため息を吐いた。そして呆れ顔をする。
「などと言って、私が本当に未来を見れると思うのかい?」
「えっ、見れるんじゃないの」
「まぁ、見れる未来と見れない未来があるんだよ。例えば、君がいつ死ぬか。そんなことは分からない。何故なら明日君が事故をする可能性だってあるのだから」
「そうだよね」
「しかし、君が床に伏して起き上がれなくなったら、いつ死ぬか。それは大体わかる。1年以内に死ぬだろうと」
「まぁ、それは分かるよね」
「そうだ。さらに私が医学に精通しているような人であればもっと細かいことが言えるわけだ。君は後半年も持たないだとか何とかと。そして君は僕が医学の知識を持っていることを知らないとする。そうなると君はこう思うわけだ。えっ、どうして分かるのと」
「確かに。そうなりますね」
「人からしたらそれが占いのように聞こえる。こちらからしたらただ学術的なものを述べているだけ。まぁ、僕の占いというものはそういうものさ。いや、違う。僕のは占いではなくハッタリだ」
「占いではない?」
「そう。単純に君のお友達から連絡が来た。ただそれだけだ。本当の意味で種も仕掛けもない」
何だ。それはつまらない。
「こうやって種明かしをしてしまえばその瞬間、僕は未来が見える超能力者ではなくなる」
「いや、それは違うんじゃないかな」
「違うとは」
「うん。だって高見沢はさ。最初から未来は見えなかったのでしょ。それならば」
「確かに僕は最初は未来が見えなかった。だけれども君はそれを知らなかった。そして君は僕が未来を見えると思っていた。つまり君の中での僕は超能力を持っていたわけだ」
「だから」
「まぁこういった話になると一番よく例えで使われるのはシュレティンガーの猫だな」
「あ。それは聞いたことがある。箱を開けるまで猫が生きているかどうか分からないという話でしょ」
「そう。まぁ本当は物理学のもっと難しい話ではあるそうだが。私は文系の大学だからそう言った理系の話はさておいて。そうだ。君のいう通り。その箱を開けるまでは猫は生きているかもしれない。はたまたは死んでいるかもしれない。その箱を開けてようやく状態というのが分かる。開けるまでは猫は死んでも生きているかなんて分からないわけだ。そしてそれを決めるのはその箱を傍観する人間なのさ」
「人間が」
「そう。人間がその猫は生きている。そう思うだけでその猫は生きていることになる。死んでいる。そう考えると死んだことになる」
「そんな生死なんて人間が決めれるわけない」
「決めれるさ。例えば君がここから2年ほど失踪するとする。そして僕が君のことを生きていると言うとそれは生存していることになる。逆に僕が君は死んだと思って死亡届一枚を役所に出せば君は死んだことになる。そうだね。もっと言えば。指名手配の容疑者がいるとする。当然、みんなその犯人は生きていると思う。この時点で生者だ。しかしある時、ニュースで実は指名手配犯はずっと昔に死んでいました。そう流れる。そうしたらその犯人は日本中の中から死者として扱われるようになる」
「でもさ」
「いいかい。物質や現象を認知するには、物理のような難しい数字などいらない。一般的には人の五感だけでいいのさ。視覚、聴覚。人が生きていると思えば生きている。死んでいると思えば死んでいる。特に視覚というのは大事さ。人間の情報の80%は視覚によって捉えられているというし」
「視覚が大事」
「そう。イザナギノミコトが穢れを払うために目を洗って右目からは月読。そして左目からは天照大神が誕生したじゃないか。それほど古来から目というのは大事にされてきた。人はそれほどにまでして視力の情報を信じている。いや、信じすぎている。そうなると色々な問題が起こる」
「問題?」
「そう。例えば夜道。何もない普通の枯れ木を人と見間違えたりするだろう。要は視覚の誤認が発生する。そしてその誤認はさらに厄介な問題を呼び起こす」
「その厄介な問題って」
「言葉では表現出来ない、第七感を越えた物が見えてしまうんだ」
「第七感を超えた存在?」
「そう。例えば、街の中で体下半身がない人がフラフラと空中を浮いていたらどうする?」
「どうするって。そりゃ驚くよ」
「そうだろう。まずは驚くだろう。そして君はそれを何と呼ぶ」
「そりゃ、幽霊だろう」
「そう。君はそれを幽霊と呼ぶ。しかしそれは幽霊という言葉が浸透しているからそう呼ぶだけであって、もし幽霊という言葉がなかったら君はどうするんだい」
「どうするって。そりゃ」
幽霊。という時点で既に未知なる物体ではある。しかし幽霊という言葉があるから、もし仮にその未知なるものに遭遇したとしても何とか表現をすることができる。
もしなかったら。
「恐らく君はこういう。下半身がなく空中をゆらゆら漂う未知なる物体に出くわしたと。しかしそれだとあまりにも長い。不便だ。だから昔の人はその未知なる現象に幽霊という記号を与えたのさ。これが一般的に僕たちが呼ばれる妖怪の正体」
「妖怪の正体」
「そうさ。人の脳というのは実は2000年も前から変化などしていない。パスカルのパンセの中にも有名な言葉。人は考える葦というものがある。人間というのは自然界ではとても弱いものなのさ。水中では呼吸出来ない。鳥のように空を飛ぶことが出来ない。足だってライオンとかに比べたら遥かに遅い。力はゴリラの方がある。しかも人間は雑食であるから肉も野菜も食べなければいけない。夜は無防備な姿で眠りにつく。大凡自然界では天下を取れるような存在ではないような気がする。それでも人は天下を取れた。それは何故か。簡単だよ。福島君」
と高見沢は自分の脳を指差した。
「人は思考力があった。遥か昔から理知的な動物であった。だからこの世界の天下を取れたわけだ。何か今の人々は勘違いをしている。このような科学技術が発展したのは明治以降でそれ以前は科学も何もない時代だったと。違う。科学文明というのは少なくとも1000年前に存在していた。例えば、陰陽師だって科学文明集団さ」
「陰陽師って。あの変な術を使って平将門の怨霊とかを退治するやつ?」
「それは後の時代に脚色された姿さ。本当の陰陽師というのはもっと、もっと地味なものである。彼の本当の仕事は天体観測さ」
「天体観測?」
「そう。星の動きを観察して暦を作る。それが彼らの仕事。後は憑き物払いというものがあるでしょ」
「うん。憑き物祓いなんてそれこそ非科学的ではないか」
「今の時代そう考える人もいるね。実は平安時代。まず人が病気になったら医者に受診をした。もうこの時代から実は医者というものは存在していたんだ。そしてその医者でも解決不可能のものを憑き物祓い師。つまりシャーマンに依頼をした。実は昔から人というのは科学の中で生きようとしていた。しかし科学ではどうにもならないことがあるからそれは最終的にシャーマンなどの非科学な存在に頼ることにした。この流れって今も変わらないじゃないか。科学ではどうにもならない力を非科学的な呪いで乗り越えようとするのは」
「いやいや、そんなのは。科学がこんな発展した時代が今と昔も変わらないだなんて」
「それじゃ、どうして人は今でも何かお願い事があると神社に行こうとするんだい。本当に科学だけで生きれるのであれば神社などという存在は要らないではないか」
確かに。今の時代でも毎日多くの人が神社に行って参拝をしている。だけれども誰も神様の姿など見たことない。つまりは幽霊と変わらない存在である。はずなのに、まるで神様がそこにいるかのように祈りを捧げる。これは非科学的行動である。
「我々は昔の人を見下しているが、実は昔から人類というのは頭がよかったんだよ。だけれどもその頭をフルに使っても解決出来ない問題があったんだよ。言葉で説明出来ない問題があったんだよ。例えば、次々に人が倒れて死んでいく現象があったとする。その原因がインフルエンザだったとする。インフルエンザという言葉があれば、人々はそれを使って納得するだろう。合理的に判断することが出来るわけだ。しかしその言葉がなければ。原因など分かるわけもない。この不思議の説明がつかないわけだ。その説明をつけるために人は仮で祟りという症状をつける。またそれだけでは納得しないから妖怪の仕業ということにする。こうやって非科学的なものができるのさ。それは今の時代だって同じだ。今だってトイレの花子さんとかそう言った妖怪は存在する。貞子のような妖怪だっている。だけれども逆に言えばそれらは近年誕生した妖怪であって平安時代にはいなかったはずだ。福島君だって学生の頃、エッチなサイトに行こうとしたら、急に画面が暗転して恐怖で怯えた日があっただろ」
「なっ」
私は顔を真っ赤にした。高見沢の言う通りである。昔、好奇心のあまり卑猥なサイトに行こうとした。そうしたらそこのサイトから血まみれの女性が現れてそれを放り投げた。そうして1日中布団にくるまっていた。
「ちなみに君はその現象に名前をつけたかい?」
「名前。つけていないよ」
「そうだろうな。だって君にとってその恐怖というのはそれを見て、布団の中でくるまっていたあの一晩だけだったからな。さらにその後、君はその現象は誰かの仕組んだ悪戯だと分かったからな。だけれども、もしその原因が分からなければ君はその現象に名前をつける必要が発生する。今でいう貞子とかそんな感じでね」
「何で名前を付ける必要があるのさ」
「名前をつけないと共有ができないからさ。ともあれ、未知なる恐怖が妖怪を作っている。またイーフートゥアン氏の「恐怖の博物誌」を文章を引用すると
恐怖の風景。それは自然の力であれ人間の力であれ、混沌を生み出す力が無限ともいえるほどの形になって現れたものだ。とある。つまりは恐怖というのは人間の想像力によって様々な力に変貌する可能性があるんだね。そうしてそれが一般的に妖怪と呼ばれるものに変化していく。つまりは妖怪というのは恐怖という形を無理矢理言葉にしようとした結果なのさ」
「つまりは」
「今巷で噂されている覚という妖怪も、恐怖の結果で存在しているだけの物体なのさ。冷静にそれを見直したら猫だった場合、その覚というものは存在せず猫として認識される。そうして恐怖の結果を失われたから覚という妖怪は存在しないものとなる」
「つまりつまり?」
「つまりだな。伝承だけの生き物。つまりはただの作り話になる。もう作り話になってしまったら厄介だ。まず作り話ということで幾らでも尾をつけることが出来る。だから色々な脚色がつけられて後世に残される可能性はある。それか伝承する者がいなければ、この事件自体がやがて忘れられて、神戸の街並みに出ていた覚という妖怪はいなかったことにされる。どちらにしても、今の覚は、存在が解明されてしまえれば、今の形のまま残るなんてことはない。もう正体が分かった時点でその妖怪は死亡。つまりは妖怪退治成功ということになる。今回、鴨方君に言われたのは、覚の退治だろ。だから方法は物凄く簡単で何のこともない。ただそれはいませんでした。それの証明が出来ればいいだけなのさ」
「随分と簡単なこと言うけれども。みんなその覚の正体が分からないから困っているんじゃないか」
「確かにそうだね。君の言う通りだ。結局、その覚の正体が分からない。だから退治されることなく今でもこうやってウヨウヨといるわけさ。だから井上円了先生のように頭を使うのさ。推理をするのさ。ただ」
「ただ?」
そういうと高見沢はスッと表情を消した。かと思ったら大きな欠伸をする。そうして机に伏す。
「面倒し、眠い」
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