第6話

 だから今日、仕事終えたら行こう。


 そしてその日。仕事を終えて、鴨方は真っ先にそのカフェへと行った。そこの光景に彼は驚いた。

 昨日とは全く雰囲気が違ったのである。

 昨日はお客さんの体と体が触れてしまうほど混んでいた。キャストも数人いた。


 それなのに。今日はまずお客さんが誰もいない。そして、キャストも始平堂と、あの日本人形ぐらいしかいない。


「ご機嫌よう。やはり来てくれましたね。鴨方さん」


 と始平堂はニヤニヤしながらそう言った。

 あれ? と彼は思う。どうして始平堂は自分の名前を知っているのだろうか。自分は名乗った覚えなど何もないのに……色々と不思議なことが重なっている。


「どうしたのですか。そんな狐につままれたような表情をして」


「いや……」


 もしかしたら本当に狐につままれているかもしれない。昨日まで騒がしかったあの客やキャスト。全てが幻だったのかもしれない。


「今日は静かだね」


「憑き物が落ちた……みたいな感じですね」


「憑き物?」


「はい。憑き物です。ちなみにものというものは何か。社会学者のレヴィストロースは、こうした概念は、代数記号のように、それ自体としては意味がなく、それ故、いかなる意味も受け取ることが出来る。と語っています。つまり憑き物というのも不可解な状況でを説明する記号のようなものです」


「それも記号なのか」


「そうです。憑き物そのものにはこれと言って意味はないのです。例えばあなたが麻雀をしているとする。そしてずっとツモ上がりばかりをする。これは運が良い。そう言ってしまえば終わりだけれども、あまりにも理不尽な上がりが多いため。もっと適格な表現が欲しい。そこで人々は憑き物という言葉を代入するのです」


「なるほどな」


「えぇ。だけれども実際の原因って単純なものなのです。今日はイベントデーなのかそうではないのか。それだけです」


「イベントデー?」


「はい。昨日は値段半額デーだったのです。だから普段来ないような客がワッと来て。ただそれだけの話です。それともあなたは、憑き物とかそれのせいだ。そう言っておいた方がよかったですか?」


「いや……まぁ、別に何でもいいよ」


「そうですか。それと今日はちゃんと正規の値段取りますけれども。大丈夫ですか」


「そんな長居しないから好きにせぇ」


 そもそも昨日、一体どれぐらいお金を払ったのか。覚えていない。

 それから始平堂と色々と喋った。彼女は中々、面白い人である。現在、大学で民俗学を勉強している。また始平堂の家庭は大体陰陽師の家系であった。などなどと。


 ここに、私。つまり福島や高見沢がいないことを悔いた。この2人がいればもっと、話は盛り上がったに違いない。


 そうして、1時間ぐらいして鴨方は帰ることにした。


「それじゃ、3000円ね」


 驚いた。

 1時間も居座って、なおかつお酒も飲んで、3000円。良心的すぎる値段だ。


「今日はイベントデーとかじゃないんだろ?」


「そうだけれども……。いいわ。今日は私の暇つぶしの相手をしてもらったのだし」


 そう言って金を払う。そして帰り際。


「それにしても、あなたのお友達。福島君、面白そうね」


 と彼女は言った。自分の周りにも妖怪について詳しい人が2人もいるのです。そのような会話をした。


「今度、その福島君を連れてきて欲しいですね」


 とまさか。福島がご指名を受けた。それに対して、鴨方は少し嫉妬をした。

 そして日本人形。この人は相変わらず喋っていなかった。


 そして去り際にもう一言。


「さっき。3000円で安いと仰っていたのですが。ちゃんとそれプラスの料金は頂いていますので」


 と言っていた気がする。一体何のことか分からない。

 そうして、外に出た瞬間。鴨方は金槌で頭を殴られたかのような痛みに襲われる。

 鴨方は滅法酒に弱い。ビール中瓶一つでも記憶を無くしてしまうほどだ。何とか、駅までは辿り着いた。しかし世界が歪んで見える。周囲の人たちの顔がのっぺらぼうのように見える。あぁ、これはヤバいな。


 ホームにある椅子に座り、そこで小休憩をすることにした。


 そうして目が覚めた頃。

 ラッシュ時間というものは、既に過ぎていたのだろう。駅は静まり帰っていた。ただ数人の団体がいた。いや、あれは人なのであろうか。


 白装束を着ている人の集団が一つ。あたりが闇に包まれている中で、あの白は目立つ。

 そしてその団体の表情はみな、無であった。


 その白装束団体の中央に。あの日本人形の少女がいた。

 その少女は四方八方、白装束の人に囲まれている。

 これだけでかなり気味の悪いものである。


 そして少女は線路の方へ覗き込んだ。悪寒が走った。

 酔いが一瞬で消え去り、そうして鴨方は席から立ち上がる。そしてその少女の元へ。


 ピロリ、ピロリ。鉄道の接近音が鳴り響く。あれ? 鉄道の接近音はこんな不気味な音をしていたっけ?

 暗闇に包まれた駅。一瞬、爆発したかのような眩しい白い光に包まれる。電車がハイビームをした。


 鴨方はその少女の手を掴んだ。そしてグイッと後ろへ投げ飛ばす。


 気魂、電車の警笛が響き渡る。

 鴨方の呼吸は荒れていた。


「何をしているんだ!!」


 鴨方は叫んだ。

 その少女の顔を見た。そこには日本人形の無垢な少女はいなかった。瞳をきらりと輝かせる普通の少女が。


 そうしてハッと、鴨方は周囲を見渡す。既に周囲には誰もいなかった。

 まるで白装束の人は最初からいなかったように。あれは幽霊だったかのように。


「とにかくこっち」


 そう言って、鴨方は少女の手を引っ張って、駅の待合室に行った。その少女は何も抵抗することなどなく、素直についていく。

 そして待合室に着いた時。彼はじっくりとその少女の顔を見た。透明な白い肌に、サラリと伸びた黒髪。本当に人形みたいである。


 しかし淡いピンク色の唇から、微かな吐息が漏れている。この少女は生きている。ちゃんと魂が入っている。ただ、さっき。こんな少女は駅のホームから飛び降りようとしていた。


「どうして、あんなことをしようとしたんだ」


「あんなこと?」


 と少女はゆっくりと首を傾げた。まさか。さっきまでやっていた行動を覚えていないというのか。


「飛び降りようとしていたじゃないか」


「飛び降りようとしていましたか?」


「そうだ。どうして死のうと考えた」


「死のうと?」


 その少女はキョトンとしていた。

 本当にさっきまでの記憶がないというのであろうか。


「いや、だってさっき飛び降りようとしていて」


「あっ、違います。おじさんが飛び降りようとしていたからそれを助けようと」


「おじさんが?」


 周りに白装束の人たちはいた。だけれどもそれ以外の人は……いなかったはずだ。線路に飛び降りた人なんて。

 いや、もしかしたら本当にいたのか? ううん。それはない。

 電車は通過しか。まるで何事もなかったかのように走り抜けた。もし人を引いたとなれば、その衝撃は電車に伝わるだろう。そして細切れの肉片があちこちに飛び散るはずだ。そうなっていない。ということは誰も死んでいない。


「誰も飛び込んでいないだろ」


「いいえ、飛び込みました。私、それをはっきりとみたのです」


「見たのですと言われても……そんなはず」


「いいえ。絶対にそうです。あれは」


 人でした。

 そう彼女は言った。

 それに対して、鴨方は参ったと思う。


 この少女は幻覚が見えているのだろうか。しかしそのようにはどうしても見えない。


「……いえ、おかしいのは私かもしれません。最近、私。妖怪が見えるようになってしまったので」


 妖怪が見える……

 そんなことがあるのか。そもそも妖怪などいるはずがない。


「えぇ。私も自分で馬鹿げていることを言っている。その自覚はあります」


 だけれども。

 本当なのです。そう彼女は言った。そうして、その少女は語る。


 最初に妖怪が見えたのは今から1週間前らしい。

 その妖怪は白髪の生えたおっさんらしい。枝のように細く、風が吹いただけでもどこか飛ばされるのではなかろうか。そう思うほどであった。さらに、その日は風がかなり強い日であった。


 だから心配になって、彼女はその人の姿を真剣に見ていた。そもそも何故。中央分離帯のあんな場所にいるのであろうか。疑問に思って、じっとその男の方を見つめる。やがて。

 ピューっと風が吹いた。


 その瞬間。

 その男は横断歩道から身を投げ出した。車から激しいクラクションの音が聞こえる。


 事故の瞬間を見てしまった。そう思った彼女。急いで、横断歩道を渡り、その事故現場へ向かった。しかし……

 その男の体はどこにもなかった。


 床には血すらもない。

 そんなはずはない。そう彼女は思う。人があんな勢いよく腫れられたら、例えバラバラになったとしても、真っ赤な血ぐらいは残るものである。その後すらもないと。

 しかもここは大きな国道だ。通常であれば誰か人を轢いたとなれば一台ぐらいは、ブレーキーを踏んで、警察なり救急車なりに通報するだろう。しかしその気配すらもない。まるで最初からその男などいなかったかのように時が進んでいる。最初からいなかった?


 まさか、本当にそうなのだろうか。いや、違う。確かに、絶対にその男はいたはずである。

 最初からいなかったのではない。その場にいたはずの男が、突然消えたのだ。


 一体どこへ。


 もう一度。横断歩道の向こう側に行く。当たりを見渡す。

 どこかに、きっと。どこかにあの男がいるはず。


 そして。いた。

 道を歩いている。少女は勇気を出してその男に話かけた。


「あの……」


「どうして俺がここにいるか不思議に思っているだろう」


 図星だ。


「どうして俺が車に轢かれていないか思っているだろう」


 その通り。


「俺のことをもっと知りたいと思っているだろう」


 全て正解。


「だけれども、俺のこと。知れない。きっと、きっとな」


 その男は高笑いをした。かと思ったら、急に走り出す。


「あっ」


 待って。とその男を追いかけようとする。しかしその男は足が速い。だからすぐに……その男の姿を見失ってしまった。


 そしてその次の日。

 またいた。同じ場所。中央分離帯に。そして、その男。

 思いっきり飛び込んで、消えていった。


「そんなことがあったのです」


「そんなことって……」


 これはあり得ることなのだろうか。否。生身の人間が突然、目の前から消えるなど。そんなこと、起こり得るはずない。とすると、幻覚である。

 幻覚が見える可能性。


 まずはレビー小体型認知症などのような症状が考えられる。しかし彼女が認知症になるにはあまりにも早すぎる。それだけではなく、いつ、どこでという過去話がはっきりとしている。


 それでは統合失調症のような精神的なものであるか。と思ったけれども、その可能性も低い。これも同じく精神的なものにしては記憶の意識というのがあまりにも鮮明すぎる。


 他、ナルコレプシーのようなものを考えた。これが一番可能性高い。

 だけれども、それだと、今さっき。この少女が見た男の人というのは? そして今、彼女ははっきりと目が開いている。つまり。それでもない。


「多分、あなたは信じて貰えないかもしれないです。ただ、本当にさっき。あの男が飛び込んだのです」


「いや、それが真実だとしたら。ニュースになっているはずだ」


「そうです。ちゃんとニュースになっていますよ」


「何だって」


「その男はちゃんと一度死んでいます」


「はぁ」


 そうして彼女はスマホでニュースを見せた。

 そこには。


 ×日午後1時20分ごろ、兵庫県○市○町、△駅で、男性が1人。○行きの特急電車にはねられ、現場で死亡が確認された。


 よくあるニュースである。


「私が見たのはこの男です」


「この男って」


「だからこの男が数日後。蘇っていたのです。中央分離帯に立っていたのです。この駅にもいたのです。そうしてその男は」


 お前、後悔をしているだろう。

 そう呟いたらしい。


「私の、心を読んできたのです」


「まるで妖怪みたいだな」


 と言ったら、その少女はガッシリと。鴨方の肩を掴んだ。その力は女の子の力とは思えなかった。


「そうです。妖怪なのです! そこで。お願いがあるのです」


「お願い?」


「えぇ。あなたの知り合いに妖怪が詳しい人がいるでしょ」


「妖怪が詳しい人。福島のことか」


「そうです! その福島君にどうか妖怪退治をお願いしたいのです」


「福島に」


 ずっと、日本人形のようだと。不気味に思っていた少女。しかしその手からは激しい熱が伝わる。さらに、彼女は。目を真っ赤にして。泣いていた。


「そうです。私、茅野澪奈といえば。きっと」


 あの人なら助けてくださいます。

 その時。少女はそう言ったようだ。


「茅野澪奈……」


「何だい。君はその少女のことを知っていたのかい」


 知っているも何も。

 茅野澪奈。どうして彼女の名前がここに来て。

 その少女は私の初恋の相手だ。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る