第5話
「あなたは私たちをそんな風な目で見ているわね」
まさかのお見通しである。女性というものは怖いものだ。
「飛縁魔といえば、竹原春泉の絵本百物語に出てくる妖怪。元々は仏教の言葉で、女の色香に惑わされた挙句に己の身を滅ぼしてしまうことを指している言葉でしたっけ」
「あんたさん。やけに詳しいな。妖怪が好きなのか?」
「いえ、私、今大学で民俗学を専門で学んでいますので」
ということは、この少女は大学生ということになる。意外だった。接客が他のキャストなどに比べて堂々としていたので、鴨方はこの人がこの店で一番の年長者ではないかと思っていた。
「飛縁魔というのは現代でも存在する妖怪……そう思いませんか?」
「そう思いませんかと言われても」
「例えば、頂き女子のような結婚詐欺は男性からしたらとんでもない女犯なわけです」
「まぁな」
最近、巷ではマッチングアプリを利用して男性から数百万、数千万単位でお金を騙し取る事件が相次いでいる。逮捕者だって何人も出ている。鴨方からしてみれば、どうしてそのような女に騙されていくのか。理解出来なかった。
「だけれどもよく考えてください。騙されるということは、その男にとってその結婚詐欺をしている女性が好きだった時期があるわけです」
「まぁあるだろうな。あるから奴らは簡単にお金を出してしまうわけだし」
「そうでしょう。本気で恋をしていた時期があるのです。自分の命を差し出してもいいと思えるほどに。そんな人がある日警察から、世間から正式にこの人は犯罪者ですと言われてしまうとします。それをあなたは受け入れること出来ますか」
「それは無理だろうな」
「そうでしょう。昨日まで自分の全てを捧げていた人を、警察にそう逮捕されたからと言って犯罪者というレッテルをつけるのは不可能です。だけれども、ちゃんと逮捕されている。裁判だってこれから行われる。犯罪者であるという証拠はこんなにも沢山あるのです。つまり今まで貢いでいた人を犯罪者として扱うのは無理。だからと言って、恋人のように扱うのも、それもまた無理。そんなどっちつかずの状態になるわけです」
「それはそれは。とても怖い」
「はい。その男は、その女が犯罪者だったとしても、そうじゃなかったとしても、どちらにしても納得は絶対に出来ないでしょう。それじゃ、どうするか。そもそも、今まで貢いでいたという事実は架空のものだったとするのです」
「架空のものにする?」
「はい。簡単に言いますと、その女は犯罪者ではなくて、妖怪だった。そう仮定するのです。それをすると幾分かは自分は騙された。だけれどもそれは妖怪による仕業だからしょうがない。そう思えるようになるわけです」
「そんな馬鹿な」
「えぇ、今、私もあなたも切羽詰まった状態ではないです。だからそんな馬鹿なと思うかもしれません。だけれどもいざ、自分がその立場になってしまったら、やり場のない気持ちに襲われてしまったのならあなたも、私も同じようにその現象を妖怪のせいという仮定を作ると思います」
と目の前の少女は自信満々に言う。それでもやはり鴨方は、腑に落ちなかったようだ。
「例えば。あなたは、ある日。とてつもない不幸な日があったとします。その日は天気悪いし、犬のフンは踏んでしまう。上司に怒られてしまう。財布も落としてしまう。そんなことが続いてしまったあなたは多分こう思うでしょう。あぁ、今日はついていないな。そんな日もあると」
「まぁ、何をやってもダメな日は1日ぐらいあるだろう」
「そうでしょう。だけれどもどうしてあなたは、どうしてその日はこんな悪いことが続くのだろうか。とかそういったことを真剣に考えたりしますか? 例えば確率的にこの日はこのようなことが起こるのは当たり前だとか、天気が悪くなると心理的に悪いことが発生しやすいとか」
「そんなことは考えないな」
「そうでしょう。それは何故か。そんな面倒臭いことを考えれるほど人の頭は賢く出来ていないからです。だから次々に不幸になる日=その日はついていない日といった感じで代入するのです。こういった妖怪やオカルトと言うのは言葉で説明できないものを無理やり説明しようとしたその結果なのです」
「その結果か」
「はい。例えば川で小豆を洗う音が聞こえる。それを何も知識ない人たちはうまく説明することが出来ない。だから川で変な音が聞こえる=小豆洗いという妖怪の仕業。という代入を行うのです。その方が幾分も簡単なので」
「成程。つまり女犯=飛縁魔ということにするのか」
「はい。その方が随分と楽なので。例えば殷に帝辛という王がいました。その王は妲己によって墜落させられたと考えられます。普通に考えれば、一国の王がたった1人の女によって滅ぼされるなんて、信じられないことです。上手く説明出来ないことです。だから妲己は飛縁魔という妖怪だった。そういうことにするのです。妖怪という言葉さえ使ってしまえば、納得出来ない現象も少しだけ納得できるようになるので」
そうして、彼女は鴨方の方へ顔を近づける。周囲に聞こえないぐらい小声で
「ここにいるキャストの何人かも正直、男から金を巻き上げようと考えている輩がいるかも知れません」
と言う。
「つまりここは飛縁魔の巣窟なのです。だから魔界コンセプトバーとしては完璧じゃないですか」
「別に。俺は魔界っぽいところに行きたいのであって、本当の魔界に行きたいわけじゃない」
「まぁ、それは確かにそうですね」
そうして彼女は微笑んだまま、鴨方から顔を遠ざけた。
鴨方はその女性をじっくりと見た。これほど女性をじっくり見たのは、一体いつぶりだろうか。いや、もしかしたら初めてかもしれない。それぐらい彼はこの少女に興味を沸かしていた。
「まるで、福島や高見沢みたいだ」
「あら、福島さんや高見沢さんと言うのは」
「いるんだよ。俺の友達にアンタみたいに妖怪とか詳しい人が。そして妖怪の話になると詭弁に語り出す人が」
「あら、愉快なお友達ですね」
「愉快なものか。この2人はいつもどうしようもないトラブルを持ってくるし。福島に至っては普段、人とまともに喋れないぐらい臆病な癖に、妖怪のことになると自分が臆病なことをすっかり忘れて、深夜の墓場にだって行ってしまうし」
「あらら。それはそれは。いや、まぁ。私たちにとってそれは好都合な事かもしれませんが」
「好都合って」
「実は、この店に妖怪が見える人が、1人いるらしいのです」
「それは……」
恐らく、カウンターの奧。黙ったままこちらを見ている少女のことを言っているのだろう。
その少女は糸のような細い眼で、こちらを見ている。もしかしたら、この少女は日本人形なのではないか。段々そう思ってきた。
しかし僅かに肩が揺れているところを見ると、この少女は呼吸をしている。呼吸をしていると言うことは生きている。生きていると言うことは人間だ。
そうだとすると、益々分からなくなる。
コンセプトカフェなんて、はっきりと言えば喋るのがお仕事である。決して人をじっと見つめるのが仕事ではないはず。
「ちなみに私はこういったものです」
と彼女は鴨方に名刺を渡してきた。そこには
始平堂一と書かれていた。
「これは源氏名か?」
「いえ、本名ですよ。」
「珍しい」
「えぇ。始まりはいつも私から。そう覚えておいてください」
そう彼女は言った。
それからしばらくして先輩がトイレから帰ってくる。先輩は吐きそうと言って、そのまま会計をした。そして鴨方はこの謎のコンセプトカフェを後にした。
翌日。鴨方は目を覚ます。そして昨日行った、コンセプトカフェのこと。昨日喋ったことを思い出す。まず怖いと恐怖を感じた。しかしその次に、またもう一度行ってみたい。あの始平堂にあってみたい。そう思った。
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