第3話
夜、暗闇に灯が点るからコンビニは一層明るく見えるのであって、昼間の明るい時期に点灯しても誰もその明かりに気づくことはない。
昼間の空。実は月は煌々と変わらず輝いているのだけれども、周りの光が邪魔をして誰も気づかない。黄昏時になるとボンヤリとその姿が出てくる。そして夜になると、たくさんの星と手を繋いで、ひょっこり。顔を出す。レイメイ時。太陽が大地を照らす頃。じゃあねと月は手を振ってまたどこかへ消えていく。ように見える。だけれどもなんてことない。その月は変わらずそこにいる。それなのに、どこか別の世界へ旅たったかのようなそんな感覚に陥る。
幸福も不幸も同じだ。本当はいつも隣に幸福は座敷童のように阿保顔を浮かべて座っている。炭酸抜けたサイダーを、美味しいとも不味いとも思わずに飲んでいるかもしれない。
その隣には不幸も座っていて。彼もまた何も考えず、カフェインのないコーヒーを眠い目しながら飲んでいるかもしれない。幸運も不幸もただあるだけで、決して自ら行動をしない。いつだって行動をするのは人間である。
今、酒を飲んでいる人々は幸福である。しかしそれは決してお酒が人を幸せにしているのではない。人が勝手に酒を飲むという行動をして幸せになっているだけである。今は幸福という感情が、頭を撫で撫でしてくれているが、その隣に不幸がいるのも忘れてはならない。
例えばお酒を飲みすぎて、強烈な吐き気を催した時。人は不幸だと思うだろう。
そうじゃなくても明日。目が覚めた時。憂鬱な靄に襲われて、あぁ自分は何と不幸者なんだろう。そう思うことだってあるかもしれない。不幸君がヒョイと立ち上がってくるかもしれない。実はこうやって幸運と不幸は交互にやってきている。幸運と不幸をしまっている扇形庫を転車台から取り出す作業を行なっているのはいつも人間だ。人の心だ。
さて、私は再びビールジョッキを手に取りお酒を喉の奥へ押し込める。
私は今幸せなのであろうか。と考える。
私は友達は少ない。少ないながら鴨方や高見沢のような友達はいる。高見沢に至ってはかなりの美人らしく、一緒に街を歩いているだけで羨望な目を向けられることだってある。
お金の心配などもない。それは私の親が資産家だからである。
私の家族は鳥取に数年住んだ後、大阪で起業をした。それが大成功をして莫大な富を得た。そうして一般的に富豪と呼ばれる地位に立つことが出来た。そこには親の努力があって、決して私が何かをしたというわけではなかった。私はただ福島家の長男として生まれ、両親と共に生活をした。それだけだった。高校、大学は別段名門校に通っていたわけではない。偏差値50という平均的な偏差値の高校に通っていた。そこで学問に特別身を捧げるわけでもなく、芸術的センスを磨くわけでもなく、部活で何か栄光ある記録を出すわけでもなく。そもそも部活は帰宅部であった。
ただ馬齢に馬齢を重ねていった。馬齢と言っても競争馬でもなく食品用でもなく、本当。ただ放牧されている馬の年齢を重ねただけだ。
自分の人生に生きる意味があるのか。高校に入ってそのようなことを考えるようになった。しかし入学した頃。また一縷の希望を胸に抱えていた。パンドラの箱のように。大多数の不幸の中に、キラリ。砂金のような幸福が転がっている。そう思っていた。しかし高校1年間が終わったその時点で、そのような幸福などない。そう気づいてしまった。
まず内気な私に友達など出来なかった。自分から話しかければ1人ぐらい。友達ができていたかもしれない。しかし私はそれをすることが出来なかった。シャイだったのだ。または他の人に話しかけるような体力が私にはなかった。
まず私が誰かに話しかける。すると誰かが私のことを見る。私はその視線が無理なのだ。自分に耳目が集まるのは、注射針でちくちく刺されるよりも痛くて不快である。
大人になってから考えるとそれは随分と自意識過剰なことだったかもしれない。しかし当時は周りからの評価というものを冷静に見ることが出来なかった。
それに。夏目漱石の草枕では「智に働けば角が立つ。情に棹れば流される」というじゃないか。つまりは何もしなければ、面倒な事件に巻き込まれることもない。何も起こらない平穏な人生も、それはそれで良いではないか。そう思うようにした。
それを見た先生は私のことを心配した。担任の先生は「誰か友達が作らないと将来困る」と説いた。しかもそのニュアンスが、高校で友達出来ない奴は犯罪者予備軍に等しい。そのように聞こえる。私はそのような発言が気に食わなかった。どうして友達1人出来ないだけでそのようなことを言われなければならないのだろうか。ただ1人。授業中は真面目に授業を受け、休み時間は寝ているだけ。誰にも迷惑などかけていない。日本国憲法にも刑法にも、民法にも何にも違反をしていない。そのはずなのである。それなのにどうしてそんな如何にも犯罪者のように言われなければならないのか。
私は怒った。内心グツグツとマグマのようにじっくりと怒りの汁が出てくる。絶対に友達なんて作るものか。そう思った。それは思春期特有の、大人の価値観を押し付けられるのが嫌だ。というものであっただろう。なるほど。天照も僕と同じような気持ちで岩戸に閉じ籠ったのか。と思う。
私はその時まで引きこもるという行為に一体何の意味があるのかと疑問に思っていた。引きこもるという行為はどれほどリスクが大きいものか。天照は神様である。その故、放っておくわけにもいかなかった。だからアマノウズメだってみんな必死になって天照を外に出そうとした。決して天照のためではない。世界のために彼女たちは動いたのである。天照は力があるから閉じこもるという作戦が上手くいくわけで。
しかし何ら力の持たない私が引きこもってしまったらどうだろうか。まず世界。何も変わらず刻々と時間が流れていく。太陽の光を浴びて皆、ゆっくりと無意識に死へと向かっていく。皆、生きることに忙しい。川は誰の力を借りずとも上から下へ流れていくのと同じようにみんなも、ゆっくりと時間をすすめていく。
だから何もしないという抵抗は無駄である。それをしたところで、誰も私のことを見てやくれない。教師だって仕事なのだから、一言ぐらいはどうにかしろと警告をする。しかし、二言目は絶対にない。
だから友達を作らないという抵抗は無駄である。それによって私の時間も先生の時間も変化していくことはない。
いや、そもそも。友達を作らない抵抗とは一体何か。それだとまるで私が友達を欲しているみたいではないか。または、友達を作る勇気がないけれどもそれを言い訳にしているみたいではないか。
頭の中、堂々めぐり。自分の思考が自分で分からなくなっていく。ただただ憂鬱になっていく。そして自分の人生を俯瞰した時。(くだらない人生だ)そう思ってしまった。周りから「友達を作れ」と言われれば言われるほど泥濘にはまっていく。随分と無責任なセリフだ。教職者なら、その友達の作り方一つでも教えてくれればいい。私はあなたに人生を預けているわけなのだから。その預けた人生。岩の上に野晒しにしたままだと、何も変わらない。それどころか、風や雨などの自然の力によって朽ちてしまう。
私たちの教室は四階にあった。それが怖かった。ヒョイと窓を開けて身を外に投げ出した瞬間。「死」の世界へ直行出来るから。
その時。私は初めて黄泉の国を意識した。黄泉の国とは恐ろしいものである。あのイザナギですら、黄泉の国のイザナミを見て慄いた。逃げた。神すらも入れない領域。その世界に、ちょっとしたことで行けてしまう。あぁ、何と怖いことであろうか! それと当時に興味だってある。
ソクラテスは処刑の時。本当は逃げることが出来たと言われている。しかし「死の世界」は一体何か。無知なる世界に関心を持ち、自ら潔く毒を飲んだと言われている。なるほど。今ならその気持ち。分かる。今の私に死への恐怖などなかった。関心しかなかった。
私はいつも、窓の外を見つめていた。そうしてどうしてこんな人生になってしまったのか。それを自問自答していた。そして2年生になり、桜が散り始めた頃。私は高見沢立花に出会った。
「全く、青鯖が空に浮かんだような顔をしやがって。と今の君を見て中原中也は言うだろうね」
「中原中也?」
「あぁ。そうさ。中原中也が太宰治に言ったセリフだ。そうして今の君の目だ。そんな濁った目で見る世界は美しいか?」
「それは……」
「気の早い君は、もう既に地獄道、飢鬼道、畜生道、阿修羅道、人道、天道を輪廻しているのかい。そんな濁った目で見る世界は、上諏訪の素晴らしい湖の景色だって往生要集の地獄世界に見えてしまうだろう」
「往生要集?」
「あか。源信が985年に著した作品だ。死後の地獄絵が描かれている。あれを見るとあぁ、地獄というのは実に恐ろしいものだと思ってしまう。行きたくないね。あんなもの。やはり行くとしたら桃源郷か極楽浄土がいいものだ」
私は驚いた。生ごみとして捨てられているような鯖の目の私を見て、笑っていた。
「最近、巷が騒がしくてさ」
彼女は言う。
「私1人ではどうにも対処出来ない事柄ばかりが増えていく。だから。どうだい」
「どうだいと言うのは」
「だから君は私の相棒として働いてみる気にはならないかい?」
そうして私は高見沢の相棒となった。
それから私の憂鬱というものは少しずつ消えていった。完全な晴天とまではいかないが、私の八雲に一縷の光が長刀鉾のように鋭く突き刺さった。
高見沢は私と違った人種である。私の知らないような知識をたくさん持っている。私の知らないような人を沢山知っている。そんな高見沢の相棒だなんて恐れ多い気がする。それでも私は彼女から離れることが出来なかった。高見沢が私の生活の一部になったせいだ。
高校を生きて卒業した。大学に進学した。高見沢との関係性は変化することなどなかった。
大学4回生。私は就職活動をした。しかし内気な性格が祟ってか。就職活動は難航した。面接官が私の目を見る。口を開く。それが恐ろしいのだ。上手に面接官と喋れない。いや、喋れないどころか、相槌を打つことすら出来ない。彼らは妖怪を見るかのような奇怪な目で私のことを見る。見るな、見るな。そんな目で頼むから見ないでおくれ。そう祈っても彼らは容赦なく見てくる。
私はそんな奴だ。当然就職活動などうまく行くはずがない。
ゼミのみんなが一抜け、二抜けと次から次へと内定先を決めていく中。私は自分のいく場所すら決められずにいた。
それでも、どうにかして私は内定をもらった。社会人になった。
しかしそれは長続きしなかった。元来、人との付き合いが苦手な私は上司とうまくコミュニケーションを取ることが出来なかった。そしてそれは社会人にとって致命的な弱点になった。
私は一年経たずして会社を辞めることにした。
社会の人と人の軋轢に挟まれて、再び私は憂鬱になったのだ。
部屋に私は引きこもった。暇になった。暇になったからふと、小説家になろうかと思った。小説家になる。これこそが、私が人間らしく生きるための最後の砦であった。
そしてその後の人生。一体どうなったかというと。今もこうしてフラフラと街を歩いていることから分かるように小説家にはなれていない。それどころか、私は小説を一本書き上げることすらも出来なかった。何故なのか。決して本を読むのが苦痛だとかそういった訳ではない。ただ、私は書きたい小説のネタがなかった。
思い返してみれば、そうだ。私は家が裕福であった為に、辛酸舐める苦労などなかった為に、起伏のない人生を送ってきた。唯一の苦労は友達ができなかったことである。しかしそこに面白いストーリーというものはない。
また私には恋する人の気持ちなど分からない。どうして人は恋に落ちるのか。それのせいで傷つくのか、破滅に向かうのか。私のちっぽけな頭では到底そのことが理解出来なかった。大阪の街を見ても、あちこちで男女が恋に恋。恋慕に溺れ、埋まり、個を失い、その個は融合して新たら個を作り出し……なんて馬鹿馬鹿しい。
私は同棲ということが想像できない。自分の生活の敷居にどうして赤の他人が潜んでいるのだろうか。誰かが使った風呂やトイレを使うということは出来ない。自分の寝ているすぐ側に誰かがいるということが想像できない。
他人に見られながら生活をするなんて、苦痛だ。
それならもう一層のこと。ずっと、1人でいいじゃないか。墓場1人、骨になって埋まってもいいじゃないか。その結果が無縁仏というのであれば、それはそれで構いやしない。そんな思考が出来てしまう私の脳はやはりどこかバグが発生しているらしい。
人間がコミュニティ的生き物であることを理解できない自分が、小説を書くことなんて出来るはずない。今の時代AIの方が私なんかよりも遥かに人間というものを理解しているかもしれない。
結局私は小説を書かず、数年の月日を過ごしてしまった。
私はジョッキを口につける。そしてぐっグッグッと残りのビールを喉の奥へ押し込む。
この苦いような、でも喉を通り過ぎる頃には透明になっているような味。好きだ。
その後にジワリと来る、火照っているこの感覚。金槌に殴られたように早くなる心臓の鼓動。好きだ。
そんな私のやけ酒を見て、微笑む彼の顔。好きだ。
こんなにも良いことに囲まれているのだけれども。私はきっと今幸せじゃない。
一体私の何が足りない。お金はある。友達だって少ないながらいる。体だって健康だ。
それじゃ、一体、何が。何が……
やはり恋が足りないのだろうか。恋愛の一つでもすれば、私の人生は違ったのか。うん、きっと違ったのだろう。
恋をすれば。恋を……。私は恋の経験がない。
いや、違う。私は恋の経験がないのではない。恋をしたことを忘れているのだ。
どこからか香る金木犀の香り。ヒヤリ。私の肌に伝わる涙。どきり。聞こえる彼女の鼓動。あの時。彼女は泣いていた。そうして唇を震わせながらこういうんだ。
「どうか、お願いします。私を助けてください」
と。助けてください。だって。私の頼りない、虚な目を見ながら彼女はそういう。この私が誰かを救うだなんて。笑ってしまう。自分1人ですら立ち上がれないこの自分に救いの手を差し伸べるだなんて。愚かすぎる。
私はその少女を助けたところで、人生が何か好転するわけではない。そんなことは分かっていた。あの事件。解決したら、私もこの少女の関係も終わるだろう。そうしてまた別々の人生を歩む。記憶の海に静かに沈んでいく。この少女は恐らく私のことを思い出すことはない。そんな関係なのに。どうして私は少女に力を差し伸べないといけないのか。
触らぬ神に祟りなし。
ここで私は逃げれば、また平穏な日常に戻れる。私の平穏など何も面白いものなどない。ただ起きて、学校に行って、帰宅して、寝る。それだけの日常。だけれども。老子はこういう。「足を知る」と。そうだ。私は足を知らなければならない。この日常を大切にしなければならない。だから、だから……
「分かった」
いや、違う。そうじゃない。私は何をいっている。ここは断らなければいけない。そうだ。今ならまだ間に合う。ごめんね。私は君を救うことなど出来ないと。そうだ。私は目を大きく見開く。そうして少女の方を見る。その少女は……柔らかい笑みを浮かべていた。そうしてその笑みは私に憑いた。
……そうだ。実のところ。私は恋をしたことがあったんだ。だけれども、私はその少女を救うことが出来なかった。もう二度と少女の笑みを見ることが出来なかった。そして私は少女に恋をしてしまったが為に深く傷ついてしまった……
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