第2話
「それで覚ってどんな妖怪なんだい?」
と鴨方は虚な目をしながらそう聞いてきた。大分酔いが回っているようだ。
カウンターの上には飲み干したビールジョッキが3個。
「覚というのは鳥山石燕の今昔画図続百鬼に出てくる妖怪だね」
「今昔画図続百鬼?」
「うん。画図百鬼夜行の続編。画図百鬼夜行は絵だけしかなかったのに対して今昔画図続百鬼は鳥山石燕の解説文が添えられているんだ。そして今昔画図続百鬼は雨、晴、明の3巻構成になっていて覚は雨に収録されているね。恐らくは和漢三才図会の記事を引用したものではないかと思われる」
「ふーん。それで」
「あぁ。覚というのは人の心を読む妖怪。今昔画図百鬼では飛騨美濃の深山に攫あり。と書かれているんだ。攫(やまこ)というのは中国の妖怪? みたいなもので、猿に近い姿をしているらしい。和漢三才図会ではその猿の姿が書かれていて、これが覚の元ネタとされている。ただし、中国の攫には人の心を読むという特徴はなく、覚とも随分と違うようにも思えるけど」
「つまり猿の妖怪?」
「いや、それは地域によって様々。猿だったり山男だったりたぬきだったりする」
「そうなんだ。それでその妖怪はどんな悪さをするんだい」
「今昔画図続百鬼では人の意を察す。あへて人の害をなさずと書かれている。つまりそこでは別段悪さはしない……らしい。ただ民話などでは、山中に出会って人の心を読み「お前、怖いと思ったなぁ」と次々に言い当てる」
「言い当てるだけか?」
「ううん。それだけならただの面白妖怪さ。厄介なのはその後。人の心を次々へ読みそして食べてしまうんだ」
「ヒヤ。恐ろしい」
「うん。昔、山の中に出てくる獣というのは神の使いかその化身かそのように扱われていたんだ。だから夜、遭遇する猿などの獣が山の神のような畏怖する存在に見えて誕生した妖怪かもしれない」
「なるほどな。つまり覚も恐怖の妖怪と」
「いや、違うよ」
「えっ、なんで。出会って心読んで人を食うんだろ。中々エグい妖怪だぜ」
「そう。確かにそうかもしれない。だけれどもさっき行ったでしょ。覚は山神の化身かもしれないと」
「まぁ言っていたな」
「うん。山神を信仰する人にとってみれば当然だけれども神という存在はありたがいものなのさ。確かに恐れ多いかもしれない。だけれども凶悪な妖怪というわけではない」
「あー確かに」
「そう。そして地域によっては覚は一つ目と伝わっているところもある。播磨国風土記などでは天目一命場という神様が登場している。さらに、天津麻羅という神様も古事記には出ている。この神様は一つ目だ」
「天津麻羅ってどんな神様なんだ」
「うん。天岩戸開きに登場する神様だね。天岩戸開きというのは天照が、岩の中に閉じこもってそれを開けようとする話だけれども。その中で神様には様々な役割分担がされたんだ。例えば天鈿女は踊り担当みたいな感じで。その中で天津麻羅は鍛治職人としての役割を与えられている。つまり鍛治の神様なんだ」
「鍛治の神様」
「うん。柳田國男著作の一つ目小僧にもこの話は出ている。元々鍛治職人というのは溶接などで目を失明しやすい職業だったんだ。だから一つ目で描かれることが多かった。ともかく一つ目というのは神様、または没落した神様として考えられるようになったんだ」
「没落した神様」
「そう。そして覚は一つ目であることがある。つまり覚も一種の神様ではないかと」
「なるほど。妖怪でもあり神様でもある存在と」
「うん。それだけではない。和漢三才図会には山彦という妖怪が出てくるんだ」
「山彦? あのヤッホーと呼んだからヤッホーで返ってくるやつか」
「そう。昔はその声が妖怪の仕業と考えられていた。さらに和漢三才図会ではその山彦は攫と同じと考えられているんだ」
「攫って。それって覚の元ネタというやつか」
「そう。だから柳田國男の妖怪談義では覚も山彦も同一妖怪ではないかと書かれている」
「なるほど……」
「ほら、覚は怖いと思ったら(怖いと思っているか)と返答があるわけでしょ。山彦はヤッホーと言ったらヤッホーっと返ってくる。種類としては似ていると思わない?」
「確かに。妖怪の種類としてはそっくりだ!」
「そう。それに鳥山石燕の今昔画図続百鬼の説明ではあへて人の害なさず。と書かれている。だけれども、民話では人を食らう妖怪として紹介されている。つまりある時は猿だし、ある時は一つ目。ある時は妖怪にもなるし、神にもなる。山彦にもなる。そんな物体だよ」
「本当だ。覚と言うのはどうして色々な形に変化するんだい」
私はそこまで話し終えて天を仰いだ。顎が疲れた。私は普段ここまで喋ることないので、明日の朝。顎が筋肉痛になるのを覚悟しなければならない。
最後にあれを言おう。恐らく僕の知り合いの不思議な女の子が言うだろうセリフ。
「それは覚を作ったのは人間の心だからだよ」
と。
そう。人間の心は不安定だ。安定している人などいない。周囲、皆、愉快そうに酒を飲んでいる。ここには不幸な人誰もいない。しかし
『いいかい。福島君。この世には不幸な人も幸運な人もいないのだよ』
と高見沢は言うだろう。
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