第14話 錆びついた記憶

 考え事をしていると、隣の教室から何かが割れる音が聞こえる。その後に聞こえたのは、何人かの女の嫌な感じの笑い声と、勢いよくピシャリと閉まる教室の戸の冷たい音。


 何事かと横に座っていた前田が勢いよく廊下に飛び出す。


 「光枝さん!ちょっと大丈夫?ビチャビチャじゃない!」


 廊下にはとぼとぼと歩く光枝さんがいた。光枝さんは水浸しだった。頭から滝でも浴びたかの様に、全身満遍なく水浸しだった。綺麗な長い黒髪も水を吸って落ち込んでいる。


 さっきの音的に花瓶でも落としたのだろう。さっきのクソ女たちの笑い声的に落としたのはソイツらだろう。


 前田の問いかけに光枝さんは立ち止まる。返答はない。立ち止まる光枝さんの指から血が出ていることに気が付いた前田。水で薄まった赤色。


 「大変!血が出てる!保健室行こう!歩ける?」


 前田が光枝さんに手を差し出す。光枝さんは前田の手を取る。


 「ありがと...」


 カスれる声でそう言う光枝さんの手を引いて前田は保健室に行くため階段に向かう。光枝さんの教室の方を睨めつけてから。


 入学当初から見てきたことだ。毎回あんな風になってやって来る光枝さんを見て、保健室の先生は何も思わないのだろうか。担任も同じクラスの人間も何もしないのだろうか。僕が椅子に座ったままなのは何故だろうか。


 無言で椅子から立ち上がり雑巾を手にする。僕に出来るのは彼女から滴り落ちた涙を雑巾に染み込ませることだけだ。廊下の汚れを吸った涙は雑巾を汚した。


 「アイツらの心が汚い証拠だな。この雑巾の濁った汚れは。まあ証拠なんてなくても分かるか」


 立ち上がり、雑巾を洗うために僕のクラスと光枝さんのクラスの間にあるトイレに入り、蛇口を捻り水を出す。僕がトイレに入ると同時に教室の戸が開く音と、会話をする女の声が耳に入る。トイレから顔を覗かせると、光枝さんをいじめる女達の後ろ姿が見える。4人もいるくせに、横一列になって歩いている。


 僕は蛇口を捻り水を止め、雑巾を軽く握り、汚い汁を染み出させる。ボール汚物雑巾を奴らに目掛けてぶん投げる。


 「くたばれ!カスども!!」


 ナイスショットーーー!誰かの後頭部にヒット!こっちを振り返る前に全速力で近くの階段を登る。汚い女の汚い叫び声が聞こえる。2階分ほど階段を駆け上がり、踊り場に寝転がる。


 「ふっ、ふふふふ、あはははは!あースッキリしたー!ははは!」


 お腹を抑えて、足をバタバタさせて笑い転げる。愉快愉快。


 何で?僕は他人をいじめる他人に危害を加えて何を喜んでるんだろう。クソ野郎ではないけど、ヘボ野郎だ。上半身を起こして、頭のほこりを払う。


 「はー何してんだろ僕、柄にもない。帰ろ」


 頭が冷え切り立ち上がる。背中のほこりを払い落として、教室に荷物を取りに階段を降る。教室に戻りリュックを背負い昇降口に向かう。


 靴を取り地面に置く。木の板に腰を下ろし靴の紐を結ぶ。立ち上がり、帰ろうとした時に思い出す。


 「あっ、諒と回」


 そういえば、委員会の仕事をしている2人を待つために教室に残ってたんだった。膝を曲げて再び木の板に腰を下ろして2人を待つ。外からは部活動をしている生徒たちの声が聞こえてくる。校舎内は静かだ。僕の心の声しか聞こえない


 スマホも何も見ずにボケーっと座っていると、複数人の足音と話し声が聞こえてきた。その足音はこちらに向かってくる。足音の方に目をやると、さっき僕が雑巾を投げた女たちが来ていた。


 「まだ帰ってなかったのか」


 ボソリとつぶやく。女たちは下駄箱から靴を取りながら、何か話している。耳を澄まさなくても耳に入ってくる会話から聞こえたのは、マジ最悪なんだけどー、という怒りの声。話しているのは僕が雑巾を直撃させた女だ。


 最悪なのはお前らだよと、誰にも聞こえない声でつぶやくこともなく、誰にも聞こえることのない心の中でつぶやく。


 靴を履き終えた女たちが昇降口から外へ出ていく。ブサイクではいじめっ子にはなれない。あの女たちは別に顔は悪くない。性格がゴミ。いじめっ子じゃなかったら可愛いと思うレベルの顔だと思う。そんなアイツらよりも光枝さんは可愛い。誰もそんなこと口に出さないけどね。だからイジメられてるのかな?


 茜ちゃんは小学生の時に軽く無視されていたと教えてくれた。高校生にもなると、レベルが格段に上がるのかな。もし茜ちゃんが光枝さんくらいイジメの被害を受けていたら、僕は彼女のことを好きになったのだろうか。好きになったとして、助けることが出来ただろうか。助け出すことが出来たら大好きなままで、助けることが出来ず見て見ぬふりを続けて、好きなままでいられるだろうか。


 僕はこの学校で光枝さんを初めて見た時に何を思った?今は何を思っている?


 「ほらっ!やっぱり待ってくれてたじゃんかー!」


 突然後ろから大きな声が聞こえて、体がビクッとする。振り返ると諒と回がいた。


 「俺の言った通りだろー?彰人が俺たちを置いて帰るわけないってー」


 「それは俺も言ってただろ!意見を独占するな!」


 くだらない言い争いをしながら、こちらまで走ってくる。そのまま2人は靴を下駄箱から靴を取り出し、勢いよく地面にたたく落として、手も使わずに靴を履いた。2人が靴を履き終えたので、膝に手を当てて立ち上がる。


 「まあ、お前らのこと靴履いてから思い出したんだけどな」


 「えー-」


 「えー-----!!」


 さっきまで自分が何を考えていたのか思い出そうとも思わない。

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