第3話 カーブ


 小学校四年生の夏休みが終わり、不登校だったはずの星見 夜空が自信に満ち溢れたような顔で教室の後ろの席に座っていた。みんな「おー」と感心したような表情をしている。千夏もみんなのうちの一人だ。何がキッカケなのかは分からないけど、登校を再開した夜空には、感心している。


 もちろん、夜空が学校に来たのは、野球が最高にかわいいと気づいてしまったからだ。この『野球が最高にかわいい』という考えを、より多くの人に普及したくてやってきた。


 当然、伝わるわけがない。


 夏休みの自由研究で、夜空は『曲がるカーブの投げ方』という論文を発表した。黒板の前に堂々と立ち、研究成果を張り出して、解説を加えながら、実際にカーブを投げてみる。


 確かに、曲がっている。


 しかし、誰も野球に興味がない。


 曲がるカーブよりも、ボールがぶつかって傷付いた壁の方が気になる。夜空は先生に怒られた。いきなりカーブを投げたから、先生も夜空を止める隙がなかった。軟式のボールが教室に転がった。


 誰も野球に興味を示さないのは、夜空の誤算だった。


 だからこそ、一人の文学少女を野球少女に変えてしまった大谷翔平を尊敬した。



 横常 千夏は、星見 夜空のカーブに、空振りをした。



「あ、当たらない」


「当たるわけないじゃん」



 二人は新潟の田舎に生まれた。


 夜空の容姿は、幼ないながらに魔性の魅力があった。ネイビー混じりの黒髪は、夜の空を映したような美しさだった。広く輝く瞳には、宇宙をそのまま閉じ込めたような神秘性と拡張性があった。


 千夏は、愛嬌と美しさを兼ね備えていた。母親譲りの金髪のくせっ毛は、黄金に輝く稲のような力強さだった。透き通るようなブルーの瞳には、朝の空のような爽やかさがあった。


 二人が育ったのは、四方を山に囲まれた、盆地だった。日本海側からの風の影響で、冬になると、雪が降る。雪は少女をたくましく育てる。雪溶け水の栄養を得て、春になると芽吹く。


 二月になっても、公園には薄く雪が積もっている。夜空が投げたボールは、雪に当たって勢いを失う。天然のキャッチャーだった。千夏は、後方に落ちたボールをしゃがんで拾い、夜空に返球する。


 返球の勢いが思ったよりも強くて、夜空は顔を避けて捕球する。



「わたしのカーブは、わたしでも打てないんだよ」


「どういうこと?」



 千夏は、夜空の三番目の敵だった。


 一番目の敵は小鳥だ。ピヨピヨ煩わしかったけど、夜空のスイングに、野生の勘で逃げ出した。夜空の勝ち。


 二番目は自分自身。


 夏休みの自由研究は、野球に興味を持ってもらうために夜空が考えた企画だ。やっぱり、見た目で野球の魅力が分かりやすいのは変化球だと思った。そこで、夜空は変化球を練習したわけだが、そんな投手・夜空に、打者・夜空が立ちふさがったのだ。


 一日目、しょんべんカーブを、お屋敷の屋根まで運ばれる。お屋敷の屋根は、雪が積もらないように角度がついている。ボールは坂になった屋根を転がって、夜空の足元に落ちてくる。


 もちろん、夜空の脳内で発生した想像上での出来事だ。


 打者・夜空が打てないような、理想的なカーブを目指して、投手・夜空は研究を重ねた。完成したのが、ドロップカーブ。時計の12時から、6時の方向に、鋭く落ちるような変化を見せる。


 十日目、打者・夜空はカーブを空振り。


 187日目、横常 千夏はカーブを空振り。



「わたし、二刀流なの」


「二刀流? なにそれ」


「はあ?」



 夜空は雪の上で呆れた。


 大谷翔平のグローブをキッカケに、野球に興味を持ったのに、どうして二刀流を知らないのか。この公園に全く調べないで来たということである。そんな態度で、ドロップカーブが打てるわけない。


 はあ、と疑問符を口にして、一緒に吐き出された息は白くなる。



「あのね。大谷翔平も二刀流なんだよ。ピッチャーをやりながら、打席にも立つの。もちろん、やりながら立つだけじゃなくて、両方ともトップクラスで活躍するんだよ。すごいでしょ?」


「……うん」



 何がすごいのかよく分からなかったけど、適当に返事をしておく。野球をやっていけば、そのすごさが分かってくるはずだ。野球を初めて一日目で、説明されることではない。



「サッカーで例えると、キーパーしながら、得点王になっちゃうみたいな」


「うん?」



 千夏の分かってなさそうな態度が伝わったのか、夜空は説明を続ける。野球もサッカーも同程度の知識しかない千夏にとっては、あまりピンとこない例えだった。



「ミッキーの中の人をやりながら、ミニーの中の人もやるみたいな」


「すごい!」



 千夏はサンタクロースなどを信じないので、この例えは理解できた。笑いを狙った変な例えが伝わって、夜空はガックシと肩を落とす。大谷翔平のすごさも、二刀流のすごさも伝わっていない気がする。


 野球に関して、千夏は大谷のすごさが分からない。



「プロ野球選手をしながら、小説家になった人はいないの?」


「流石に、いないと思うけど」


「大谷翔平のあの手紙は、小説として体裁を整えたら、芥川賞をとれちゃうよ。社会批評性、当事者性、他者性、それから、キャラクターの強さがある。グローブっていうモチーフも素敵。文章はそこまで上手じゃないけど、大谷節が効いている」


「はあ?」



 千夏が大谷を評価しているのは、野球ではなく、手紙の方だ。


 もちろん、夜空も手紙の内容を教室で、先生の口から聞かされていた。要約すれば、野球やろうぜ! という内容だった。なぜあの手紙が、千夏の心を打ったのか、夜空には分からない。


 あの手紙に心を打たれるのなら、『野球が最高にかわいい』という主張も理解してほしい。これだって芥川賞ではないのか。しかし、野球が最高にかわいいという夜空の発見は、千夏には理解されない。


 夜空はワインドアップから、振りかぶって投げる。投球動作のお手本は、いつか見た18番だ。千夏は心の声でタイミングを計る。夜空の指先から、カーブが放たれる。白球が見えた瞬間、千夏はスイングを開始する。


 空振り。



「野球がかわいいっていうのは、野球選手になるよりも、小説家になった方が、みんなに伝わるんじゃないかな?」


「え?」



 ヒット。





◇◇◇




【名前】…星見 夜空

【性格】…天才

【学年】…小4・10歳

【投打】…右投げ・右打ち


【球速】…80キロ

【コントロール】…50D

【スタミナ】…40E

【変化球】…カーブ4

【投手特殊能力】…勝利の星




 


 



 

 

 



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