変わったご主人様

次回は18時に更新です!( ̄^ ̄ゞ


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 ―――これはイクスが「殺されないように強くなる」と言い始めてから一年後の話。



(ご主人様は変わられました)


 それは屋敷の人間も感じ取っていたことで、一時期は噂の話題として誰の口からも零れていたほどだ。

 あれだけ癇癪を起こし、あれだけ女にうつつを抜かし、鍛錬などしたこともなかったのに。


 ある日を境に、イクスは毎日剣を振るようになった。

 暇があれば女ではなく魔法書と向き合い、時折森に出掛けて魔物を討伐していた。

 癇癪など起こしているところなど久しく見ていない。何か粗相をしたとしても、イクスが殴ってくることはなかった。

 イクスの変化は専属メイドであるセレシアも感じ取っており、確かな拭い切れない違和感をここしばらく抱いていた。


(……本当に、何が起こってしまったというのでしょうね)


 訓練場で黙々と剣を振るイクスを眺めるセレシア。

 周囲で鍛錬をしている騎士がチラチラ見てくる中、イクスは気が散ることなく必死な顔をしている。


(まぁ、ご自身の置かれている立場をようやく理解して必死に抗っている……というのは分かりますが)


 真面目に鍛錬をし始めて一年。

 イクスはあの時の言葉を体現しようとしているかのように、毎日鍛錬と勉強を繰り返している。

 当初は「三日坊主ですね」と思っていたのだが、そんなことはなく……気が付けば、みるみるうちに実力がついていってしまった。


(この調子だと、いつか私も太刀打ちができなくなってしまうかもしれませんね)


 セレシアはゲーム内におけるイクス唯一の味方で、イクス陣営のである。

 戦争で両親を亡くし、イクスが単なる気まぐれで拾ってきた少女。

 剣の才能に恵まれ、順当に鍛錬を続けていけば、かの剣聖とも肩を並べるのでは? とも言われたほどの逸材。

 意外にも義理人情に厚く、最後の最後までイクスを見限ることなく恩義だけでイクスの傍にい続けた。


「……ご主人様、少し買い出しに出掛けてきてもよろしいでしょうか?」

「いいぞー! 俺もどうせこのあと出掛けるし」

「ありがとうございます」


 ただ、セレシアはイクスにそれ以上の感情は抱いていない。

 イクスがどうしようもない人間だというのは傍にいて分かっているし、そもそも男としてセレシアのお眼鏡に敵っていなかった。

 あとは……まぁ、元よりセレシアがあまり他者に関心を寄せない性格をしているのも理由に挙げられるだろう。


(ご主人様が変わられたのは少し意外ではありますが、私がすることは変わりませんね。ひよこが鶏になるまでのお世話を続けるだけです)


 イクスの傍を離れ、一度離れにある自分の部屋まで戻り、少しばかりの身支度を整えて屋敷を出る。

 こうした買い出しも、メイドの役目。

 いくら傍付きといっても、セレシアは屋敷にいるメイドの中では新参者———イクスの世話と並行して行わなければならない。

 昔は合間を縫って行かなければならず、イクスの機嫌を損ねないようにするのが大変だったのが―――


(……今はとても楽ですね。外出をしても怒られませんし、そういった面ではご主人様が変わられてしまったのは嬉しいことです)


 伯爵家の屋敷から街までは少しばかりの距離がある。

 小さな森の整備された道を抜けて、開けた場所を片道十数分歩かなければならない。

 セレシアは、現在一人。

 たからからか、機を狙って誰もいない場所では悪に染まった人間も現れるわけで―――


「……よぉ、嬢ちゃん」


 ガサガサと、森を歩いている最中に茂みから男が現れる。

 その数は十数人。身なりは荒んでおり、まともな環境で育っていないということが窺えた。


「見てたぜー、伯爵家の屋敷から出て来ただろ? ってことは、いっぱい金を持ってんじゃねぇか?」

「ちょっと、置いていってもらおうか?」

「ついでに、俺達と遊んでくれてもいいんだぜ? お嬢ちゃんみたいな可愛い子だったら、お兄ちゃん達も楽しめるからよぉー!」


 何が楽しいのか、ゲラゲラと笑う男達。

 見るからに、金目的の盗賊。恐らく、貴族の家から出てくる人間を狙って待ち伏せていたのだろう。


「はぁ……面倒ですね」


 しかし、セレシアは眉一つ動かさない。

 ただただ、メイド服のスカートの下に手を伸ばし―――


「少しだけですよ?」


 シャッ、と。

 


「「「「「ッッッッッ!!!!!?????」」」」」


 男達の息を呑む音が聞こえてくる。

 それも当然……先程まで囲っていたはずの女の子がいつの間にか移動し、いつの間にか取り出した剣で仲間の一人の首を刎ねたのだから。


 ―――セレシアは、イクス陣営の最強のキャラクター。


 シナリオによって変わるが、時にラスボスとして、時に最大の関門として主人公達の前に立ちはだかった少女。

 いくらイクスと同じ幼い女の子の時であろうが……才能スペックは、常人以上のものである。


「て、てめ……ッ!」

「あら、何故驚かれるのです? 遊んでほしいと仰ったのは貴方達の方ではありませんか」

「くっそ……お前は殺すッ!」


 盗賊の男達が一斉に襲い掛かってくる。

 しかし、セレシアは眉一つ動かさない。華麗に躱し、剣を横薙ぎに振るい、時に相手の持っている剣を蹴り上げ、体をズラすことで相討ちを狙う。

 ―――この程度であれば、幼いとはいえスペックの壊れたセレシアの相手にもならない。

 今考えているのは「如何に怪我をせず相手を倒せるか」ではなく、返り血で服が如何に汚れないかだ。


(引き返して服を取り換えなければ。流石にハロウィンでもないにもかかわらず、血塗れオプションで歩いていれば驚かれてしまいます)


 しかし、これが慢心であることをセレシアは自覚していない。

 確かに、セレシアは強い。

 過言だと思われるだろうが、現在伯爵家に駐屯している騎士の誰よりも剣の腕は長けていた。

 だが、それはスペックのゴリ押しで才能に身を任せていたおかげの話———


「へへっ! これでも食らえや!」


 盗賊の一人が剣を振り上げてくる。

 セレシアは振り返って咄嗟に防ごうと剣を構えるが、突如男の手から砂がかけられた。


「ッ!?」

「はっはー!」


 視界が奪われたその一瞬で、男達は一斉にセレシアに飛び掛かった。

 剣を取り上げ、両手両足を抑えつけられる。

 いくら剣の腕が凄まじいとはいえ、まだまだセレシアは十歳そこらの女の子。

 大人の男に抑えつけられてしまえば、抜け出せる術など持ち合わせていない。


「ぐっ……!」

「……よくもやってくれたなぁ、嬢ちゃん。もう、タダでは殺さねぇよ」


 男達の下卑た笑みが向けられる。

 手を動かそうとするが、いつも頼っていた剣の感触はない。

 だからからか―――セレシアは、久しぶりの感情に支配される。

 孤児となった時に起こった戦争。その時味わった……思い出したくもない恐怖。


「ははっ! 嬢ちゃん、泣いてんのか!? あんなに人を殺したのにか!?」

「ウケる! これ、ちょっと脅かせば心折れるんじゃね!?」


 強いのは強い。

 しかし、セレシアはまだ幼い女の子なのだ。


(怖い……)


 怖い、本当に怖い。

 早くこの場から逃げ出してしまいたい。優しい人達に囲まれる温かい場所に戻りたい。

 だが、視界に映るのは恐怖でしかない下卑た最悪な男達の姿で。


(怖い怖い怖い怖い怖いッッッ!!!)


 いつもすまし顔で、表情の乏しかった女の子が久しぶりに見せた泣き顔。

 きっと、屋敷にいる人間が今のセレシアを見れば驚くことだろう。

 しかし、誰もやって来ない。

 この場には自分一人で、助けを求めても誰も駆けつけてはくれないだろう。

 それでも、セレシアは願ってしまう。


「誰か、助けてよ……!」


 そして———



「てめぇら、うちのメイドに手を出してんじゃねぇよ!」



 ゴゥッッッ!!! と。

 横薙ぎに、男達の顔を覆うかのような紅蓮の一閃が、視界に映った。

 男達は何も言わない。

 ただただ、焦げた顔から煙を吐き出し、その場に崩れ落ちるだけ。


(こ、これは……)


 この魔法を見たことがある。

 それは、何度も何度も鍛錬に付き合わされていた時に彼から見せられたもので───


「……ご主人、様?」

「大丈夫か、セレシア?」


 一瞬で盗賊達を倒し、セレシアの顔をイクスが覗く。

 その顔は、どこか青白く気分が悪そうで。


「お顔、が……その、大丈夫ですか?」

「ははは……分かってはいたが、人を殺すのって初めて現代っ子にはきついかなり気持ちが悪いうぇっ」


 でも、と。

 セレシアの体を起こしながらイクスは口にする。


「お前の方が顔色悪いじゃん。なんだよ、ゲームでも見せないような顔してよ……まぁ、殺されそうになったらそうなっちゃうんだろうけどさ」


 よく分からない単語が出てきたが、指摘することはない。

 何せ、セレシアの内心は別の言葉でいっぱいだったからだ。


「どう、して」

「ん?」

「どうして、私を助けてくださったのですか?」


 確かにイクスは変わった。

 しかし、自分の知っているイクスは自分以外どうでもいいと思っているクズだ。

 貴族の人間ならともかく、一介の使用人がどうなろうと気にせず、自ら危険な場所に飛び込んだりしない。

 だが、今向けている顔は明らかに心配が混ざっていて……自分イクスが気分が悪くなるようなことを、自分セレシアのためにしてくれた。


 分からない。

 不安な眼差しがイクスへ注がれる。

 すると、イクスは少し目を泳がせたあと、セレシアに向けて───


「はっはっはー! 単にセレシアに俺の実力を見せつけたかっただけだ! どうだ? 俺だってかなり成長してるだろ!? 流石に君は背中にグサッはしないよな!?」


 イクスにとって、セレシアは自分の唯一の味方。

 それはゲームの時に知ったことで、転生してから一年で改めて知ったことでもある。

 しかし───


『ゲームでは味方なまま居続けてくれたけど……わんちゃん、シナリオが変わって裏切るとかないよね?』


 いつ見限られて背中を刺されるか分からない。

 一年が経ったとはいえ、イクスは過去にセレシアにも酷いことをしていたのだ。

 今更媚びへつらっても、恨みつらみがなくなるとは思えない。

 故に、敢えて実力を見せつける。こうすることによって「あ、刃向かえない」と思わせ、今以上に味方になってもらう。

 その機を今まで窺っていたのだが、本当に偶然にもこの瞬間に訪れたのだ。


 それと、もう一つ。


「……まぁ、流石にというかなんというかっていうのもあ……やっぱこれはなしで」


 セレシアは思わず呆けてしまう。

 気恥ずかしそうに、視線を逸らしてボソッと呟いたその言葉。

 クズだと、最低だと、罵られるような男には到底思えない。

 明らかに、優しさが見え隠れした瞬間。


(あぁ……本当に)


 ふと、セレシアは自分の心臓が激しく高鳴っているのに気づいた。

 だが、おかしいとは思わない。

 どうしてか、この高鳴りは酷く納得できるもので───


(ご主人様は、変わられてしまったのですね……)


 見上げるセレシアの瞳は、どこか熱っぽかった。


 この時こそ、単に恩義だけで生きていた最強のキャラクターの感情が変わった瞬間。

 ───これが、転生してから一年後のお話である。

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