11話 社畜美人と大学に行く④

「三船君。ちょっと来てください」


 講義終わり、僕は美濃島先生に呼び出された。しかもマイクで全体に聞こえるように呼び出した。呼び出されたことなんてなかったから、僕はひどく混乱した。隣の中元も「お前なんかやったんじゃね?」と恐る恐る聞いてきた。僕にそんな心あたりはない。普段から真面目に講義を受けているし、そういう意味で呼び出されるべきはこの金髪男のはずだ。

 僕は二人を残して、教室最前にある教卓へと足を運んだ。遠くから見ると若そうに見える美濃島先生も、こうして近距離で見ると、ところどころ皴が目立つ。苦労か年か、どちらかは聞かなかった。

 僕が先生の2,3歩手前まで歩いていくと、先生もこちらをみた。真顔で感情は読めない。それが僕にとってより恐怖を煽った。


「今日は一人ではなかったね。中元君と……あの女性は受講生ではないだろう?」


 ぎくっと、僕の心が言った。


「受講生の顔と名前を把握しているんですか?」

「もちろんだ。教員として教え子を覚えるのは当たり前だろう?」


 にわかに信じがたいが、先生は本当に学生の顔と名前を記憶しているようだった。この授業は数百人単位の講義だ。「すごいですね」と、僕は素直に声を漏らした。美濃島先生はふっと鼻で笑うと、そのまま続ける。


「それより彼女だよ。学生課に突き出せば君もろともどうなるかは分からないが?」


 得も言われぬ迫力に、僕はたじろぐ。予想外の出来事に整理がつかなかったが、僕が唯一できることは直感で分かっていた。丁寧に45度。頭を下げる。


「彼女は僕の友人で、この大学の学生ではありません。彼女が大学の授業を受けてみたいと話していたので、今日連れてきてしまいました。」

「ふむ。だが人情ではルールを曲げるわけにはいかないな。他の学生はみんな、受講料を支払いここに座っていた。彼女だけ特別扱いするわけにはいくまい」

「受講料ならお支払いします。どうにか許してもらえませんか」


 どうしてこんなに必死で佐藤さんを擁護したかは、今になってもわからない。もしかしたら自分の身が大切だったから、この場を無理やりにでも収めようとしていたのかもしれない。だが佐藤さんの「大学に行きたい」という素直な願いを、哀しい思い出で終わらせてしまいたくはなかったという気持ちは確かにあった。

 僕が言い切ってしばらく頭を下げ続けていたが、美濃島先生は何も言わなかった。僕は変な間に耐えかねて顔を上げると、先生はにやにやと笑っていた。


「はっは、冗談だよ。私もそこまで大事にするつもりはないさ」

「ほ、本当ですか?」

「ああ。むしろいつも授業を一人で受けている三船君が友人を連れてきたと、私は密かにほっとしていたところさ。」


 美濃島先生は予想以上に僕のことを見てくれていた。同時に僕に友達がいないと思われていたことが、穴があったら入りたいほどに恥ずかしかった。

 先生は僕がたまに質問に来てくれることや、判例の作成課題が苦手であることなど、細かな部分まで把握してくれていた。大学生活のなかで、美濃島先生以上に学生を見ている教授はいないとこの時感じた。

 特に、先生と話して印象に残っている言葉は、会話の終わりかけだった。僕が口が滑ってしまい、先生の知識と、法に対する解釈について本当に尊敬しているといった時のことだ。本来なら自分の話になるはずなのに、先生は違った。


「君は真面目過ぎるからな。条文を言葉の通りに解釈して、そのまま表現しようとする。だが、君に必要なので柔軟性だと思う。例えば、大学のルールよりも親しい女の子のことを優先するような柔軟性がね」


 ふんっと鼻を鳴らすと、先生はそのまま立ち上がり、歩いて行ってしまった。僕も僕で、うまいことを言ったつもりかと先生を小馬鹿にしていたが、この言葉は長く僕の中に残り続けることになった。



 中元と佐藤さん、そして俺で講義を2つ受けた後、僕たちは学食でランチをすることにした。出入口にある食券機から食券を購入するタイプなのだが、お昼時になるとこの食券機には綱引きの紐くらい長い列ができる。その日も例に漏れず、長くて、曲がりくねった列が出来上がっていた。

 友人の中元は列に並びながら、僕と佐藤さんを交互に見ながら言った。


「大学での三船くんはどんな感じなんですか?」

「ずっと1人でいるっすね、俺以外と話してるの、あんまり見ないっす」


 僕はスマホをとりだして弄っているわけにいかず、ただ列に並ぶ人たちを眺めていた。僕についての話題だったが、なぜ一人でいるかとか、友人が少ないかとか、深い理由は中元にも話してはいなかったから変に首を突っ込んでも話が狂うかと思った。


「それで、佐藤さんは三船の彼女じゃないんっすか?」今日2度目の質問に、僕はすかさず答える。


「普通に友達だよ」

「でも一緒のベッドで寝てるけどね~」


 スマホを取りだし、雑談と変わらない様子で暴露した佐藤さん。その言葉に中元が食いついた。


「一緒のベッドで寝てるって、同棲してるんっすか!?」

「私が家賃と光熱費を何割か負担して、泊めさせてもらってるんだよ」


 僕はどちらかというと面倒なことになるので佐藤さんとの半同棲生活について話したくはなかったが、どうやら佐藤さんは違うようだった。当時のことを佐藤さんに聞くと「だって大学で唯一の友達だったんでしょ?隠し事は少ない方がいいと思ったから」と言っていた。その通りである。

 しかし当時の僕はそんなことを全く考えずに「佐藤さんいいやがったな」と、心の中で佐藤さんことを恨めしく思ってしまったのである。


「そりゃもう付き合ってるか、セフ……」

「ないな!僕にその度胸はない!」

「そうなの。三船君ったら全く襲ってくれなくって」


 佐藤さんはそういうと、僕の方を見てケラケラと笑った。完全に馬鹿にされている。中元も中元で、佐藤さんの言葉を聞いて僕の方を恨めしそうな顔で見ていた。


「お前、ちゃんとやることやってんだな」


 否定する気にもなれなかった。

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