7話 社畜美人は話題を探す

 佐藤さんとの出会いは先に書いた通りだったが、恋愛関係や友人関係等の人間関係において重要なのは出会い方ではなくその過程にあると思う。数多ある恋物語で出会いのシチュエーションが同じだったとしても、全く同じ過程、全く同じ結果になる物語などあり得ない。つまりは人の関係性を決めるのはその過程なのである。

 佐藤さんよりも劇的な出会い方をした人もいた。出会ったタイミングで、この人とは絶対深い付き合いになると確信していた人もいた。しかし面白い事に、そう思う人との付き合いは決して長続きしないのである。

 逆に、この人とはその場限りの関係だなと気楽に構えていたら、実は後々深く関わるようになったと言う人も大勢いる。佐藤さんとの関係も、当時の僕はどちらかと言うと後者に分類していたかもしれない。


 今晩も僕は嫁との毎日を書き残そうと、書斎に1人座っている。昨日と違う事といえば、ウイスキーではなく麦茶を置いていることだ。

 僕はまず、昨日書いた内容、つまり出会ってから1.2ヶ月の出来事を読み返した。それを読むと、やはり当時の自分にしては大胆な行動を取ったなと、心がむず痒くなった。


 佐藤さんが言っていたあの日は、厳密に言えばもっと先の出来事だ。出会って6ヶ月目とか、そのあたり。半年も一緒に暮らしていた時には、もう佐藤さんは世界の誰よりも近い存在になっていた。だから僕の深い部分についても、当時の僕は話したのだろう。


 これから書くのは、出会ってから6ヶ月までに起こった出来事。僕が大切な思い出だと感じた思い出を編集したものだ。



 その日は雨が降っていた。カーテンを開けると分厚くて黒い雲が景色の半分を覆っていて、隙間を埋めるように細長く透明な軌跡が幾重にも折り重なって降りている。

 佐藤さんも僕も、その日は休みだった。元々どこかに行く予定も立てていなかったので、自動的に僕たちは目が覚めてもベッドの上で並んでぼーっと過ごすだけだった。僕も彼女も、大体の時間はスマホをいじっていた。


「こんな日もあっていいですよね」僕はゆったりとした時間が好きだった。その気持ちを素直に佐藤さんにぶつけてみたが、彼女は存外渋い表情を浮かべていた。

「うーん、社会人になると休日ってめっちゃ貴重だから……ダラダラ休日を過ごしちゃうと休日があっという間に過ぎちゃって、私は嫌だったりするんですよね」


 当時の僕は、社会人の休日の感覚と大学生の休日の感覚に差があることを知らなかった。だからこれを聞いた時の僕は個人差だと思っていたが、就職した後の僕の考えも気がつけば佐藤さんに寄った考えになっていた。


 僕が書いている佐藤さんは常に隣にいるように描写されているが、それは編集して書いているためである。当時の僕たちは一緒にいる時間が少なかった。佐藤さんは毎日12時近くまで働いて、休みも週に1回あれば良い方だった。典型的なブラック企業だと思う。だからこうしてベッドで寝転がってダラダラと過ごす時間は、質屋に持って行っても価格がつけられないほどに貴重だった。


「むうう、何かしたいー」


 佐藤さんはそういうとスマホを投げ出して、ごろごろと僕の方へと転がってきた。そして僕の肩にものすごい勢いでぶつかってきた。


「遊びに出かけますか?」

「それもめんどい」


 僕の腕につんつんと触れながら「あそぼー」と無邪気に、無気力に言う佐藤さん。僕はそのまま佐藤さんを抱きしめてしまいたくなる衝動を一生懸命抑えながら、何か遊ぶ方法はないだろうかと思案していた。


「あ、わかった!じゃあこれやろうよ」


 僕がトランプで神経衰弱をやろうと提案しようとするよりも早く、彼女は枕元に放り投げていたスマホを再び拾い上げた。すごい勢いで操作し、佐藤さんは画面をこちらに向けた。そこに表示されていたのは「話題提供アプリ」というものだ。


「なんですかこれ」

「んとね、飲み会とか空き時間で一緒にいる人と気まずくなった時の対策アプリ。ここをタッチすると、ジャンルに対応した話題が表示されるの」


 佐藤さんは無邪気なところがあって、僕は素直に言葉を受け止めるところがあった。だから僕は「僕と一緒にいるの気まずいんだ」と密かに思った。だが佐藤さんは止まらない。そのまま操作を続けると、ジャンルまで選んでしまった。ジャンルは「飲み会」。別に酔ってないんですけどね。


「はい、じゃあ三船くんから。」


 スマホをこちらに渡してきたので、僕はスマホを下にスワイプする。そこには「無人島には何を持っていく?」と書かれていた。僕はその画面を佐藤さんに見せて、このいかにも飲み会らしい漠然とした空想に思いを馳せた。


「無人島に持って行くなら……ガムテープですかね」

「なんか現実的だね」

「いいじゃないですか。便利ですもん」


 火とかも起こせるってクイズ王が言ってたし。でもそれを検証しないのは、やっぱりこの話題がどこまでいっても空想止まりだからだろう。


「次、どうぞ」

「おっ、ありがとうー……おっ」


 三船さんは少し驚いた顔を見せると、画面をこちらに見せてきた。そこには「将来の夢」とだけ書かれていた。


「私はねーお嫁さん」僕が何かいう前に、茶目っ気たっぷりな様子で言った。

「まずは彼氏作らないとですね」

「彼氏できなかったら三船くんに貰ってもらうもーん」


 発言一つ一つにどきりとしていたので、僕も僕で「いつでも貰えますよ」と、カウンターのつもりで言ってみた。しかし佐藤さんはそれを意に介していなかった。


「まずは働いてもらわないとねぇ、話はそれからだぜ。はい次」

「そうですか……え、また『将来の夢』?」


 そのアプリは話題をシャッフルする機能がついており、2連続で同じ話題が当たることもあるという。僕は佐藤さんにそう説明されて、この質問に答えることにした。

 大学生の頃の夢。僕は大学生らしく、子供と大人の境目のような夢を掲げていた。


「僕は……裁判官になりたくて。」


 口にするのも恥ずかしい夢だったから、親以外誰にも話していなかった。裁判官になっている人の学歴を見ると、僕の通う大学なんかとはレベルの違う大学の名前が連なっていた。それに、僕の法律に対する理解の低さも、大学の成績を見れば明らかだった。

 佐藤さんに対しては夢として語ってみたが、それは実現可能性の低い文字通りの夢だった。


 だけど、佐藤さんは僕のその言葉を聞くと「すごい」と感嘆の声を漏らした。


「裁判官って、すごく難しいよね、確か」

「そうですね。僕なんかじゃ無理です」

「まだやってないのに諦めないで」


 僕は仰向けで寝転がっていたが、ふと隣で寝転ぶ佐藤さんに目をやる。佐藤さんは真剣な表情こちらを向いており、よく手入れされたミディアムヘアが重力に従ってだらりとベッドに向かって落ちていた。

 佐藤さんにそう言われて、僕は嬉しかった。笑われるかもしれないという気持ちもあってどうしても話せなかった夢だ。佐藤さんの真剣な表情を見て、もっと勉強して夢を叶えたいという不思議な気持ちにもなった。


「善処します」

「よろしい。じゃあ次私だね……」


 僕もスマホの画面を見守る中、佐藤さんは画面をスワイプした。そこに書かれていたのは……


「フェチだって」

「スキップしてもいいですよ?」

「私は血管かなぁ、腕から浮き出ている血管が好き」

「話聞いてませんよね?」


 僕の気遣いを無視して、佐藤さんは自分のフェチを言った。


「はいじゃあ三船くんのフェチは?」

「え?僕は答えませんよ」

「それはルール違反だよ、法曹のくせにルールを破るのかね?」

「僕の夢でいじるのやめてください。それにそんなルールはありません」


 僕はどうにかして逃れようとしたが、佐藤さんは僕が何を言っても僕の顔をじっと見つめるだけだった。しばらく抵抗したが何故かこの時だけ佐藤さんの意思は強く、僕が折れる形になった。


「フェチか……特にないですけど、強いて言えば耳ですかね」

「ん?それは他人の?」

「はい。髪を耳に掛ける動作とか、そこから見える耳の形とか」


 僕は一体何を話しているのだろうか。自分でも鼻で笑ってしまうような、ばかばかしい発言だった。

 佐藤さんはそれを聞くと、すぐに髪を耳にかけた。横たわっている状態なので髪を上に掻き上げる形になっていたが、ベッドの上という状況が、その動作の色気を引き立てているような気がした。


「どう?」

「いいっすね」

「あはっ、変態」


 僕は仕返しに、あらわになった佐藤さんの小さな耳に触れた。「くすぐったーい」と無邪気に笑う佐藤さんと、雨音が聞こえなくなるまで戯れ合っていた。

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