6話 元社畜美人はあの日を思い返す2
きっと書かないっていうのは、あなたが書きたくないという訳ではなくて、単純に酔っていて何を話したか覚えていないと思うから。あの日はあなたが本当に酔っていて、次の日に何を話したか訊いても覚えていないっていうから、私も記憶の棚の奥底にしまっていたんだよ。
一年後くらいにお付き合いをする前にしっかりと説明してくれたから初めて聞いたような態度を取ったけれど、あなたがなんでそこまで人との付き合いを避けていたか、女性との付き合いを避けていたか、なんとなくその理由は聞いていたんだよね。
「あの日は確か、私のボーナスの日で焼肉を食べに行こうって誘ったんだけど、覚えてる?」
「そんな事もあったね」
名古屋駅のいっちばん高い焼肉屋に行ったよね。私たち、最初は雰囲気にやられちゃって全然注文できなかったけど、お肉が美味しくて一口食べたらすごい勢いで食べちゃったよね。
窓際の、駅前の景色が一望できてさ、ああ、また行きたいな。
それでね、途中からあなたの飲むペースが異様に早くなったの。普段家では全く飲んでなかったからお酒を飲まない人なのかと思ってけれど、本当はたくさんお酒を飲む人だったんだなって思ったの。
「僕が急に飲むようになった時の話題ってなんだったっけ」
「大学に友達はいないのかって話」
私がそれを聞いた時、最初は「1人しかいませんよ」って言ってたんだけど、急に黙っちゃって。私、変なこと聞いちゃったかなって思っちゃった。そこから沢山お酒を飲んでた。
「そこまでは覚えてるよ。でもその後は何も覚えてない」
「あははっ、そうでしょ」
だから私もいつもよりペースを上げて飲んでたの。
8杯目の赤ワインを飲んだあたりから本格的にうなだれちゃって、私はすごく心配してた。けどどうやら項垂れてるのは酔ってたのもあったんだけど、友達の話題にやられてるようにも見えたんだよね。実際酔ってからは大学の人間関係について話してたよ。私、デリケートな部分に触れちゃったんだなって申し訳なくなったのをすごい覚えてるよ。
それで、あなたは大学でなんで友達が1人しかいないか、説明してくれた。厳密にはその1人の友達は高校からの友人で、どうしても関係が断ち切れなかったこと。高校の時はもっと友達がいたけど、大学のあの事件がきっかけで友達とすら呼べない薄い関係を断ち切っていったこと。その時は『あの事件』が何を指してたのか話してくれなかったけど、大学の人間関係を断ち切って今の状態になった事は分かったの。
「その時はまだ『あの事件』を何度聞いても教えてくれなかったけどね。」
「今は知ってるから勘弁してよ」
ふふっ、それもそうだね。
「ん、ママぁ?お腹すいたぁ」
「あ、ごめんね桜。すぐ作るから」
*
朝ごはんを食べた後は桜が遊びに行きたいと言ったので、少し遠くの緑地公園までピクニックに行く事にした。
公園まではくるまで車で行く事になり、運転はいつも僕の仕事だ。今日もその役割に従い、車を運転する。風が涼しくて、車内のエアコンをつけなくても良いくらいだった。
桜はチャイルドシートに座り、ママに最近学校でできた友達の話や、流行りの遊びについて話していた。
僕は彼女たちの話に耳を傾けながら運転をしていたが、次第に今朝の妻の話を思い出すようになった。
お酒というものは、本当に恐ろしい。自分の魂が肉体から離れていく感覚。音も触覚も全部が壁一枚を隔てたように感じるあの感覚。そして自分が何を話したか、何をしたか、記憶のレールが突然抜かれたように抜け落ちている。
けれど今朝、妻から聞いたようにあの日の僕は自分の人間関係について話していたらしい。誰にも話したくなかった人間関係の話をだ。妻の話を聞いて少なくとも驚いたし、同時に他の人にもそのような話をしていないか、不安になった。もっとも、もう過去の話なので話しても良いのだが。
僕はその晩、あの夜の自分が覚えている限りの事を文字として書き残した。けれどやっぱりお酒のせいで、妻から聞いた事以外は思い出せなかった。
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