4話 社畜美人はデートに行く

 僕は当時から寡黙で、法学の授業を好んで取っていたものだから、周囲の人からは勝手に「頭の良い人」だと勘違いされていた。だがそれは違った。成績も単位数も、平均を若干下回っていた。民事訴訟の判決を自作するような課題では、手書きのプリントに赤ペンで「もう少し深く考察しましょう」と大きく書かれた。同じ授業を取っていてそんな事を書かれた人は僕以外にいなかったと思う。


 性格も内気というか、受け身というか、全て対してそんな態度だったと思う。僕と彼女の関係だってそうだった。実質の初デートに誘ったのも彼女からだったように。

 その時の僕は、振ればカラカラと音を立てる中身のない人間だった。いや、中身を元々備えていたかもしれないが、大学生として怠惰に過ごしていくうち、小さな穴からぽろぽろと溢れて、結果的に何も残ってない く


 気がつけば下を向くようなことばかりだった。だから、たまたま降ってきた一筋の希望の糸に、体をぐるぐる巻きにして引っ張り上げるくらいされないと、僕は前を向けなかった。

 そして僕をぐるぐる巻きにして引っ張った太くて強い縄のような存在が、彼女だった。



 次の日、朝早くから僕たちは三重県のアウトレットへ行くことになった。お互い免許を持っていたが、普段働いている人に休みの日も働かせたくないから、僕が運転することにした。

 水曜日ということもあり道中は貨物車が数台走るくらいで道は空いていた。けれど二年前に教習で運転をして以降運転をしなかった僕だから、運転していると掌や額から感じたことの無い湿気を感じた。朝日が差し込み、光が当たる腕や太ももがジリジリと焼かれているようだった。


 「ね、ねぇ大丈夫?」と助手席に座る佐藤さんに遠慮がちに聞かれた事以外はもう覚えていなかった。それくらい緊張していたと思う。停車した時のアイドリングストップが続く時間だけ、僕も呼吸ができていた。結局、45分程度で着くとナビでは言っていた道を1時間半かけて運転した。


 平日のアウトレットは土日に比べて客が圧倒的に少ない。土日にはストリートをほぼ埋め尽くすくらいの人が常に歩いているが、その日は僕らのような大学生くらいの男女や、上品そうな洋服を着た老夫婦がゆったりと歩いているだけだった。春特有の心地の良い風が、久しぶりの運転でかいた汗をそっと撫で、ひんやりとした感覚が全身を伝う。隣で歩く佐藤さんも「今日は心地がいいね」と、満面の笑みで言った。今にもスキップし出しそうな佐藤さんの隣で、僕も笑った。笑うと空っぽな胸の中にも涼しい風が入ってくるような気がした。


 その日、佐藤さんはよく話した。普段話さない好きなブランドの話だとか、ハンドソープやスキンケアはどこのメーカーの物を使っているだとか、好きな食べ物の話だとか。とにかく話した。話しすぎて喉が渇くと、途中で自販機で麦茶を買い、それを飲みながらまた話していた。


「それでね、高校生の頃リップとかはここのブランドをよく使ってたんだよね。みんな使ってたんだよ、だって安いのに見た目はほとんど変わらないから。あ、こんな大きな声で話すと失礼だよね。ごめんなさい。で、大学生になってバイトを始めて、ちゃんとした口紅とか買うようになったんだ〜」


 僕は相槌で彼女の会話の隙間を埋めるしかなく、結局いつも通り聞き役に徹するのだった。悪い気はしなかった。普段から聴く側に回る性分だったから。それに常に女の子から素敵な香ってくる理由を教えてもらっているような気がしたからだ。

 「拘ってるんですね」と感心しながら相槌を打った事だけは今でも覚えている。


「そうだよ。女の子は色々頑張ってるんだから」


 それは、佐藤さんと一緒に暮らしていると痛いほど感じる事だ。いつも漂ってくる柑橘系の香りは、努力の証とも言える。


 一通り佐藤さんの拘りのショッピングに付き添った後はフードコートで食事をとった。

 僕は海鮮が好きだから海鮮丼、彼女はステーキ定食だった。彼女の顔くらいはあるでかい肉を器用に切り分けながら食べる様子を見ると、その様子がいじらしくて思わず頬が緩んでしまった。佐藤さんはそんな僕には気が付かずに、途中までは黙々と肉を切り分けては口に運ぶ。


 「三船くんってお魚が好きなんだね、どのお魚が好きなの?」途中、ほとんど肉を食べ終わりそうになった時に彼女は少し身を乗り出しながら聞いてきた、僕はマグロにサーモン、そしてハモが好きだと答えた。僕は小さい時から肉よりも魚介類が好きなのだ。

 それを聞いた佐藤さんは後ろに倒れながら驚いた表情を浮か「ハモなんて私食べたことないな、三船くんは大人だなぁ」と、口元を拭いながら言った。


「ハモは天ぷらを一度食べただけなんですけど、本当においしかったです。」

「じゃあ今度2回目食べに行く時に連れて行ってよ!約束ね」


 フードコートから出ると、次は僕の好きなものについてあれこれと聞かれた。僕は美容には全く関心がなかったが、文具と寝具は良いものを揃えていた。それを伝えると彼女はせっせとそれらのお店を調べて回った。

 特に最後に入った寝具のお店ではセミダブルのマットレスとベッドフレームが特売に出されており、これを買うか買わないか悩んだ。最初に目をつけたのは彼女だった。

 何度もそのマットレスの上に寝転がったり立ち上がったり、たまに僕も一緒に寝転んで立ち上がってを繰り返す。自分のベッドを買う前に多少目を養った僕が見ても、目の前の特売に出されている物の方が今使っている物よりも性能は良かった。寝心地も抜群だった。だから少し大きいという問題以外は、確かに買った方がお得な商品であることには違いない思う。

 彼女は僕が使っていたベッドで、そして僕は普段布団を敷いてベッドのすぐ横で寝ていた。布団の方は来客用の安物だったので、たまにベッドが恋しくもなった。さらに最近は彼女が僕の隣で寝ることも増えたため、いっそこのベッドを買って2人で寝た方が得だろうという突飛な考えも浮かんできていた。


「ねぇ、変なこと言ってもいいかい」

「どうしたんですか」


 ニヤニヤと笑みを浮かべた佐藤さんは、僕の方に耳を近づけた。周りには決して聞こえない、コソコソとした声量で言った。


「これ買って三船くんの家に置いて2人で寝たら、幸せそうじゃない?」


 あれこれと悩んでいたが、佐藤さんの言葉で即決した。佐藤さんも顔を少し赤ながら「買うの早すぎでしょ」と僕の事をいじっていた。けれど僕も、ちょうど同じことを考えていたのだ。

 ちなみに、彼女が代金のほとんどを払ってくれた。当時はまだ学生と社会人、そこは甘んじて受け入れた。


 帰りの車は、後部座席にバカでかいダンボールが積み込まれていて、運転も怖かった。しかしその時の佐藤さんとの話の内容は、運転に集中していたのにも関わらずよく覚えている。


「私が言ったら即決したね〜」

「僕もそっちの方がよく眠れると思ったんです」

「わかる!私ね、三船くんと一緒に寝るとすごく良く眠れるの。不思議だよね」


 その時彼女は明かしてくれた。就職してから、眠れない夜がよくある事を。それは寝ている環境もそうだし、仕事のストレスもそうだと言っていた。

 だからそれを言われた時は、少なくとも僕は彼女の役に立てているのだと、密かに喜んでいた。同時に、少しずつ彼女の生活を改善したいという、身の丈に合わない大それた願いも持つようになった。

 会話もまばらになった車内で、僕は街灯が綺麗な曲線を描いて並ぶ車道に合わせて少しずつハンドルを切っていった。


 その日から僕たちは、一緒のベッドで寝ることになった。言葉通り、寝るだけである。僕たちの関係はただの同居人と言うだけでそこに付け加えるだけ特別な関係性を、僕たちはまだ持ち合わせていなかったのだ。たまに手を繋いだり肩をくっつけたりして寝たが、それはそれで心地のいいものだった。

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