透明指輪

半ノ木ゆか

*透明指輪*

 祝日のお昼時。駅前は多くの人で賑わっている。図書館に入ろうとした愛理あいりは、玄関前の階段で、誰かがぐったりしているのに気付いた。

 彼女より少し歳下の少年だった。美しい顔立で、長いまつ毛を伏せている。彼のお腹が、ぐるぐるぎゅーっと鳴った。

 愛理は、困っている人を見かけると放っておけない性格だった。鞄をがさごそと探る。

 差し出されたあんドーナツを見て、少年が目をぱちくりさせる。

「よかったら、食べて」

「あ、ありがとうございます!」

 彼はそれを、ぺろりと平らげてしまった。

「……実は俺は、タイムマシンで未来から来たんです。お金も食べ物も底を突き、空腹で倒れていたところをあなたに救われました。何か、恩返しをさせてください」

 彼女の顔を見上げて、少年がハッとする。

「あなたはもしかして、伊藤愛理さんですか」

 愛理は目を丸くした。

「どうして私の名前を」

「この時代の出来事は、前もって調べてあるんですよ。お手に触れてもよろしいですか」

 彼はひざまづくと、愛理の右手中指に、青い宝石をあしらった指輪をはめてやった。

「わあ、きれい」

「一種の機械です。事が過ぎたあとに、効目が切れるよう設定しました。道中、くれぐれもお気をつけて」


 調べ物を済ませ、駅へ戻る。どこもかしこも混み合っていた。人通りの少い路を選び、角を曲ろうとした時だった。

 カーブミラーを見て、はたと立ち止まる。自分の姿が映っていない。

 目を落して、愛理は小さな悲鳴をあげた。体が消えている。彼女は服や鞄もろとも、透明になってしまったのだ。

 急いで引き返す。太陽はこんなに明るいのに、足元に影は落ちていない。

 途中、一人の男と擦れ違った。なぜか右手を胸元に隠している。フードを深く被り、恨むような目で辺りを睨んでいた。愛理は少し怖くなった。だが、彼にも愛理の姿が見えないらしく、そのまま通り過ぎてしまった。

 息を弾ませながら、図書館の前できょろきょろする。あの少年は、もうどこにもいなかった。

(どこに行っちゃったの? 元に戻してよ!)

 愛理は呼びかけたが、声が全く響かない。体の周りに見えない壁ができていて、光も音も遮ってしまうのだ。

 少年から貰った、青い指輪の作用に違いなかった。自分で外そうとしたが、ぴったりとはまっている。指に貼り付いているみたいだった。愛理はどうすることもできなくて、へなへなと玄関前の階段に坐り込んでしまった。


 日が傾いていた。幾つものサイレンが近付いてくる。群衆を搔き分けるように救急車やパトカーが到着するのを、彼女はぼんやりと眺めていた。

「愛理!」

 聞き覚えのある声がした。

 人波を縫って、誰かがやってくる。愛理は思わず立ち上がった。

「お兄ちゃん!」

 階段を駈け降り、力いっぱい抱き合った。いつの間にか効目が切れて、元の体に戻っていたのだ。

 そのはずみで指輪が外れた。日を跳ね返してキラリと光る。雑沓の隙間を転がってゆき、夕闇にひっそりと紛れてしまった。

 兄は妹の無事を確めると、ほっとしたように言った。

「なかなか帰って来ないから、巻き込まれたんじゃないかと心配したんだ。愛理が無事で、本当によかった」

 夕陽に照され、二人の影が伸びている。彼女は小首をかしげた。

「巻き込まれるって、何のこと? この近くで何かあったの?」

 兄は、不思議なものを見るような目で言った。

「町中大騒ぎなのに、知らないのか。ついさっき、通り魔が捕まったんだ。誰彼構わず、目に付いた人を刺し殺して……」

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