第19話 帰郷

 ウィンザルト国内で広域に展開されていた駐屯地は、ものの数日で全て壊滅していた。

 始まりは南部の辺りからだった。消滅した大森林付近にあった小さな駐屯地をきっかけに、何者かの手によってその勢力が著しく低下。あれだけ増強した兵力もほぼ失われ、いまやウィンザルトの城内に残っているだけとなっていた。


 アインたちによる、解放戦線である。


 アイン自身の復讐と戦争の火蓋を落とさないため、そして苦しむウィンザルトの民を救うために、徹底的に容赦なく潰して回る。そうすることで、キルシュを追い詰める。

 アイン、オルタナ、ヴァルシオンは昼夜を駆けまわり、軍を排除していった。

 もはや、アインに迷いはない。

 追放された事実は既に割り切っていた。隠されていた力――ブラッドイーターは別として、今後の生活に平穏を求めていただけに未練は微塵もなかった。

 だが、平和主義だった心優しい青年にも許されない一線というものがある。

 血の繋がった家族以上に大事な人たちを失ったのだ。ただただ面白半分に。非道な行いはアインの理性を崩壊させるのに十分だった。

 弟を――いや、あのおぞましい悪魔を見逃すことはもうできない。そこに加担していた王も同罪だ。

 各地に散開しながら駐屯地を潰し、周辺の村々にはびこっていたウィンザルトの兵も排除したアインたちは合流。最終目的地であるウィンザルト城の前にまで到達していた。


 たった二人と一匹による復讐戦も、大詰めになっていた。


「どけ」


 端的に、そして温度すら感じさせない声色でアインは言った。城門を破り、中庭にいるウィンザルト正規軍。一様に武器を構えているが、どの兵士も腰は引けている。


「お前たちに用はない。愚かな王に従って死にたくはないだろう。とっとと道を開けろ」


 アインが一歩踏み出すごとに、兵士たちも一歩後退する。

 生まれ育った場所という郷愁はない。幼少期に遊び回ったこの庭を、血で汚すことにも抵抗はない。

 ただ、不要な戦闘を避けたいだけ。無益な殺生は気が進まない。

 面倒ごとを減らしたいだけだった。


「こ……、このぉぉぉおおおおおお!」


 アインの警告を無視し、彼の側面から兵士の一人が突っ込んでくる。

 アインは兵士の方を見ることなく、槍の下端で腹部を突く。鉄の鎧を貫通し深々とめり込み、兵士は悶絶。


「もう一度言うぞ」


 膝を着いたところで、アインはそのまま兵士をはたき落とした。兵士は吐しゃ物をまき散らして気絶した。


「こいつのようになりたくなかったら、さっさと道を開けろ。俺を昔の王子だと思うなよ。冷酷を演じているわけじゃない。加減はしてやるが、命の保証はしてやらんぞ」


 その光景に、残りの兵士たちの戦意は完全にへし折れた。

 兵士たちは皆、怯えた表情で眼前の青年を見る。過去のアインは幻影。労りの心を持たない、無慈悲な男。体が無意識にアインたちを避け、王城に続く一本道が開かれる。


「……やれやれ、情けない。そんな小童一人、どうすることも出来ないとは……」


 開け放たれた王城の扉の向こう側から聞こえたのは、嘆くような低い声音。

 アインの視線が鋭さを増す。予想外でも何でもない。王城に突入するなら、避けては通れない障害となる人物。

 燕尾服を着た老人が気配も悟らせずに、そこに立っていた。


「ザット……」


 使用人統括であり、キルシュの最も忠実な下僕。この男がキルシュの手となり足となって、アインを追放にまで追いやったのだ。


「これはこれは。誰かと思えば、アイン元・殿下。生きておいでだったとは、喜ばしい限り」


 微笑みながら慇懃にお辞儀をするザット。

 ――散々、色々仕掛けておきながら白々しい。安い挑発には決して乗らず、アインは冷静に言った。


「お前の主に用がある。悪いが通させてもらうぞ」

「それは出来ぬ相談。関係者以外の立ち入りは何人たりとも許すわけにはまいりません」

「主君の為に忠義を尽くすのは立派なことだがな、大いに関係しているんだ。キルシュのせいでどれだけの人が苦しんだと思っている? 奴の非道な行いは、許される次元をはるかに超えているんだぞ」

「キルシュ様はこれから覇道を進むのです。そこにいかなる命が失われたとしても仕方のないこと。それに……」


 ニヤリと、白く蓄えた口髭が持ち上がる。


「王位を剥奪された貴方様が口を挟む資格はございません。怒りなど無意味。大切な人たちを焼き殺されたとて――無駄なのですよ」


 魔力が、感情の高ぶりに呼応して吹き上がる。

 マルナやレネット村の人々が脳裏をよぎった。アインにとっての恩人たちは、決して復讐なんて望んでいない。これからの人生を平穏に生きてほしいだけなのだと、アインは解釈している。

 だから、心の中で謝罪する。貴方たちの望みには応えられない――と。


「やはり、あの女を仕向けたのはお前だったのか」

「さて、なんのことやら。私は、とある村で火事が起こったという話をしているに過ぎません」

「とぼけようが白状しようが、俺にはもうどっちでもいいんだ。そう、どっちでもな。キルシュを倒すのに変わりはないからな」

「どうやら地に堕ちて素行が悪くなったようですな。言葉で言っても無駄ならば、ここはひとつ、私がお相手致しましょう」


 ザットが腰からナイフを二本取り出した。逆手に構え、異常なほど体勢を低くする。

 老体から放たれる空気は、魔力のそれではない。紛れもなく、殺気。戦いを日常的にこなしてきた者だけが纏うことの出来る、隙のない構えだった。


「ザット……。お前はやはり……」

「大昔ですが、私は闇家業に身を投じていた過去がありましてね。そのときに現国王と出会いました。彼もまだ一介の冒険者の頃です。私は敗北し、殺されるのを覚悟したのですが、あのお方は私を使用人として雇ってくださったのです」


 少しだけ懐かしむように、薄く微笑むザット。


「以来、恩義に報いるため私は命の限り尽くすことを心に誓ったのです。そして、キルシュ様を託された。だからキルシュ様の障害となる者はどんなものであろうと排除するのです」

「だからどうした。お前のエゴなんざ知ったことじゃない」


 対して、アインは冷めきった声でかぶりを振った。


「ヴァルシオン」

『ここに』


 一陣の風と共に、アインの背後にヴァルシオンが姿を現す。

 巨大な狼を目の当たりにした兵士たちが騒然となる。あまりの恐怖から逃げ出そうとする者も中にはいたが、ヴァルシオンは許さなかった。

 放った咆哮が風圧の弾丸となって、兵士たちを軽々と吹き飛ばす。紙切れのように人間の身体が宙を舞い、城壁や地面に叩きつけられる。


「な……!! おのれ、魔物か……!?」


 かろうじて踏みとどまったザットが愕然と呟く。


「悪いが、お前の相手をしているほど暇じゃない」


 言いながら、アインはオルタナに向けて顎をしゃくった。オルタナも無言で頷き、王城へと歩を進める。


「いいか、ヴァルシオン。決して殺すんじゃないぞ。適度に痛めつけてくれればそれでいいから」


 言葉とは真逆に、優しい目でアインはヴァルシオンを撫でた。


『よろしいので? 主殿の望みなら我は従いますが……』

「俺はこいつらとは違う。なにも命を奪うことだけが罰じゃない――頼んだぞ」


 首元を軽く叩いてやり、アインも扉へと向かう。ザットはすれ違いざまに仕掛ける気でいたのか、再度ナイフを構えたが攻撃は来なかった。ヴァルシオンが睨みを利かせている。


『さあ、やろうか。愚かな人間よ。我の主を愚弄した罪は重いぞ』


 アインの背中越しに絶対零度の魔力が伝わってくる。数秒後、廊下を歩きながら聞こえてきたのはザットの悲鳴だった。





 城内は驚くほど静かだった。

 常駐している兵士は全て中庭に回したのか、もしくは駐屯地に配備したのか。いずれにせよ最終防衛地点をがら空きにする時点で、キルシュの詰めの甘さが露呈していた。

 己の作戦が思い通りにいくという絶対の自信。いや、過信でしかない。

 残っているのは使用人だけか。大方、どこかに隠れているのだろう。

 踏み慣れたカーペットを辿りながら、まっすぐ王の間に向かう。


「どうじゃ、主殿。緊張しておるか?」


 と、アインの背中に声をかけるオルタナ。彼女らしい緊張感の欠片もない、無邪気で、まるで愉しむような口調。

 アインは立ち止まって、目を瞑った。大きく深呼吸して、思考の波に溶け込んだ。

 その問いに答えるために。頭を整理しながら。

 自然と、アインの口元にも笑みがこぼれていた。


「少し前だったら不安でたまらなかった。……いや、気が狂って怒りまかせに突撃していた。でも、不思議と心は穏やかなんだ」

「人はそれを成長というのじゃよ」

「ははっ。ねじ曲がった精神に――かい?」

「妾は真面目に言うとるんじゃが……」


 唇をすぼめるオルタナの方にアインは首だけ回し、肩越しに彼女を優しい目で見つめる。


「ありがとう。お前がいてくれたから俺は決意できた。感謝してる」

「そ、そう、真っ直ぐ言われると照れくさいじゃないか。ったく、妾をからかうとは、主殿もイジワルだの」


 珍しく動揺するオルタナ。

 責めるのは得意だが、不意打ちのような言葉にはめっぽう弱い。こうした純粋な反応が、アインは好きだ。


「覚悟は出来てる。シナリオは最終局面だ。――これで終わらせる」


 廊下の先に王の間が見えてきた。

 荘厳でありながら巨大な両開きの扉を、ルインシュトラハータの一突きで爆散させる。

 もうもうと立ち込める土煙の向こうに、人影が映る。ゆっくりと空気に溶けるように煙が消えていくと、玉座に座る男と少年がいた。さらにその傍らには、麗しい女性の姿もある。

 家族。そう、かつて家族として暮らしていた者たち。


「アイン……!」


 忌々しげに呟いたのは少年だ。

 アインにとっての全ての元凶。血を分けた弟であり、打倒すべき敵である。


「久しぶりだな、キルシュ」


 涼しげに言って、アインは復讐すべき相手を穏やかに見据える。



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