第16話 悲劇への序曲
フーリエットは、商業によって繫栄してきた国だ。
肥沃な大地から生まれる作物と、南部特有の暖かい気候で育った新鮮な魚。どれも他国からは喉から手が出るほど手に入れたい品質であり、そのため高価で取引されている。
大陸随一の貿易国。フーリエットの城下町は常に活気で満ち溢れていた。
大きなアーチがかかった正門から抜けると、露店が所狭しに並ぶ。そこを大通りとして真っ直ぐ進むと城に辿り着くのだが、流通によって財を成しているにしては意外にもシンプルなデザインだった。どちらかといえば素材にこだわっているのか、外壁に希少鉱石である白露石を使っている。贅沢の限りを尽くした華美な居城、ではなく耐久性に目を向けているのは現国王の性格を表しているようだった。
「おぉ、そなたがアインか!」
王の間へと案内されたアインたちを一目見た途端、国王のオルダンが玉座からゆっくりと立ち上がり、歓喜の声を漏らす。
“商才の老王”と呼ばれたオルダン王は、既に齢七十を超えていた。垂れ下がったまぶたにかかるほどの白い眉毛。口元に生やした髭も、胸元にまで達している。高齢のせいで筋肉も弱っているのだろう、痩せ細った身体を引きずりながら長い時間をかけてアインの元に足を運ぶ。大きなマントが足をひっかけないかアインは冷や冷やしながら見ていた。
「こうして顔を合わせるのは初めてじゃのう。ウィンザルトの第二王子よ」
「やめて下さい。俺はもう追い出された身。ですが、追放されなかったら貴方とこうしてお話しさせていただく機会はなかったでしょう」
苦笑しながらアインは、差し出されたオルダンの手を両手でしっかりと握り返す。骨筋張った指のザラザラとした感触は長年培った商業での証。玉座にふんぞり返るだけの温室育ちではこうはならないだろう。平民からの成り上がり――彼こそ、この何もなかったフーリエットの地において、商い一つで国を作り上げたのだ。
「一昔前まではウィンザルトの王と文のやり取りをして、互いの子らの近況を語り合ったものだが、とんとご無沙汰でのぉ……。まさかそなたの報を聞いたときには驚いたものじゃ」
「……それは誤解なのです、オルダン王」
「ほぉ?」
アインは追放された経緯を全て話した。
兄に対しの殺人未遂。このフーリエットでも広がっている噂は、実は冤罪だったこと。次期王の座を狙う弟の巧妙な罠によって嵌められただけなのだと、訥々と。
「ふむ……」
「信じられないとは思いますが……」
「全面的には、の。ただ、このところの情勢を考えると筋は通る。最近のウィンザルトの評判は地に落ちとる。それも第三王子の仕業なら、余計にも信じるに値するのぉ」
ぼさぼさに伸びきった顎髭を撫でながら、嘆息するオルダン王。
「ここまでキルシュの悪行は知れ渡っているのですか」
「それにお主が本物の罪人ならば、我が軍に助太刀してはくれまい。誠に感謝する」
「もったいないお言葉です」
本来ならばお礼を言われる筋合いではないのだ。原因の一端はアイン自身にもある。感謝を素直に受け取れない。受け取るわけにはいかなかった。
「オルダン王。今回の戦争についてはいかがお考えか?」
「残念でならんよ。儂としてはこのまま平穏に、その生涯を閉じるまでウィンザルトとは良好な関係でいたかった。裏切られた気分で一杯じゃよ」
そこに怒りは無かった。ただただ落胆。そして失望。
「ウィンザルトの王とその第三王子は分かっておらんのじゃ。この国を得たとて、次に狙われるのは自分たちじゃということに。短絡的としか言いようがない」
「一時はウィンザルトも栄えましょう。ですが、仰る通り、数多の国がその資源を巡ってウィンザルトに総攻撃を仕掛けてくるのは間違いない」
「我が国は契約によって国交を為しておる。それも長い時間をかけてようやく作り出した信頼じゃ。そこが破棄すれば、他国は容赦せん」
同感だった。アインは言葉の代わりに、小刻みに頷いた。
「して、お主はどうしていくつもりかの?」
オルダンの視線が突然、鋭さを帯びた。
現在起きている戦争での、今後のアインの身の振りを聞いているのだ。
軍を退けた実力については、王も既に報告は受けている。自軍に匹敵する力を持つアインたちを警戒しているのだ。
正直に、アインは心を打ち明ける。
「無論、ウィンザルトに協力など致しません。また、個人的にこのフーリエットの地を脅かすような真似もしません」
「ほお」
「俺には守るべき大事な人たちが出来た。レネット村の人たちです。彼らは俺たちを歓迎してくれた。こんな俺を迎え入れてくれた。だから守る。ただ、それだけです」
「儂があの村を邪魔だと思っていてもか?」
「そのときは関係ない。追い返すまでです」
視線が交錯する。
さすがは一国の王。武の才はなくとも、その威圧感は老いていようが健在だ。
どのくらい時間が過ぎたか。緊張の糸は、オルダンの豪快な笑いと共に切れた。
「はっはっはっ! 冗談じゃよ。アインよ、すまなかったな。試すような真似をして」
「俺は本気ですよ?」
「いやいや、儂だってレネット村は大切に思うておる。何と言っても神の村だからの。ただ、国民のイメージが悪いというだけで頭を痛めておった」
『やれやれ。あまり我が主をからかうのはよしてくれぬか』
広々とした王の間に響き渡る、威厳を携えた声。
アインが立つ、その真後ろの空間がぐにゃりと歪む。
透明化を解除したヴァルシオンが姿を現した。瞬間、眼前を覆うその巨大な狼に、オルダンは思わず腰を抜かしてしまった。
「ぬぉおおおおおおおお!?」
「ヴァルシオン!?」
どよめく城内。突如魔物が出現したと勘違いしたのか、使用人たちは我先に王の間から逃げ出す。兵士たちは一斉に槍を構えて取り囲もうと素早い動きを見せるが、どの兵士も腰が引けている。
「ま、待ってください! こいつは魔物じゃない!!」
アインが兵士たちに向かって必死に弁明する。敵対する意思は無いと主張しながら、ヴァルシオンが出てきてしまったら説得力も皆無である。
「ヴァルシオン! どうして出て来たんだ!」
『申し訳ありません、アイン様。それにフーリエットの人間よ、驚かせてすまない。だが、その必要があったのだ。そうだろう? オルダン王よ』
人語を操る狼に、さらなるざわめきが起こる。
兵士たちは武器を下ろさないまでも、互いに戸惑いの視線を交わしている。
「お……おお……。ま、まさか“神狼”様か……!?」
穏やかなヴァルシオンの瞳を向けられ、オルダン王は震える唇からその名を口にした。慌ててアインはオルダン王の手を取り、ゆっくりと立ち上がらせた。
「知っておいででしたか」
「当然じゃ。霊峰ザンドホノークに伝わる神……まさかこの眼で実物を拝めようとは……」
威光を讃えるように震える指先を組み、オルダンは祈り捧げる。
『オルダン王よ、そう畏まらなくともよい。我は既に神としての権能を捨てておる』
「と、仰ると……?」
『我は現在、アイン様に忠誠を尽くす眷属となっておる。それを、長らくこのフーリエットを治めてきたお主に一言伝えておこうと思ってな。こうしてアイン様と共に我は参ったのだ』
「なんと!? それは誠か!?」
愕然とアインに顔を向けるオルダン。アインは困ったように頷く。
『我の油断でな。人間の手によっていいように利用されていたときに、アイン様に助けられた。それ以来、我は従者としてともに行動しておる』
「レネット村の魔物の様子がおかしくなったんです。その調査の為にヴァルシオンと会ったのですが、こいつもまた、どうやら操られていたようで」
「そんなことが……」
オルダンは嘆かわしげに首を振った。神への無礼――そこに対する呆れもあるのだろうが、レネット村での魔物の暴走事件を知らなかった、という憤りも含まれていた。
通常ならば駐屯地にいる兵士たちが担当するエリアを警邏するのだが、レネット村だけは特殊な事情を持つ。業務を放棄し、報告を怠った部下がいる、そういった事実もあっての反応だった。
『神の座を降りたことで、この地方による我の加護は失われた。後はお主たちの好きなようにするがよい』
「そ、それではアインは神の代行者になった……と?」
「や、やめて下さい! 俺はそんなんじゃないですって!」
「だが……、そうか。なるほどの、神をも従わせる力を持つならば、あの大軍勢を追い返すのも納得じゃ」
なにやら独り言をブツブツ唱えながら、オルダンは考え込む。やがて思い至ったように両手を叩くと、人差し指を立てて、にこやかにこう言った。
「アインよ。こうして儂らの元に来てくれたのも何かの縁じゃ。レネット村一帯の領地をお主に明け渡そうではないか」
「……は?」
「自治領としてお主が統治するのじゃ。レネット村の民には長年申し訳ない思いをさせておったからのう。お主が治め、儂とより良い関係を結んではくれぬか」
「ちょっ、そんないきなり困りますよ!!」
藪から棒の発言で、アインは困惑のあまり大きく叫ぶ。
『さすがはオルダン王だ。我がこうして姿を現した本当の狙いを察するとは。我がいた方が、交渉は円滑になるからな!!』
「ヴァルシオンも何言ってんだ!!」
アインを挟んで、オルダンとヴァルシオンが笑い合う。アインとしては、正当な報酬を要求するためにここに来たわけではない。どちらかといえば、国同士の争いに関与してしまった非礼を詫びたいだけだったのだ。
「なぁに、遠慮するな。これは取引でもあるのじゃ。今お主が言ったことを守ればいい。対外的な政治に不都合があってはならぬから位を授けようというだけなのじゃ」
「褒美なら要りませんから! 俺はお世話になったあの人たちに恩返ししたいだけであって!」
「なんじゃ? これでは不満と申すか。ならば、地図を持ってこさせよう。ここでこのフーリエットを分断し、その半分をお主の国として授けようか?」
「話が飛躍しすぎです!!」
ひとしきり喚いて、なんだか馬鹿馬鹿しくなったアインは体の力がどっと抜け落ちる。
「分かりました。領主の話はさておき、こちらとしてはレネット村に何もしないでいてくれるならそれだけでいいのです」
「むぅ、そうか。だが、欲がないのも考えものじゃよ。これは契約なのじゃからな。お主はもうそれだけの力を手にしているのだからな」
「…………」
「純粋な力、という意味だけではない。何かしら光る才能を持つというのは伴って大きな責任を負わなければならんのじゃ。王家にいたお前なら理解できるじゃろう?」
「まあ……」
ブラッドイーター。魔物を使役する力。
アインは隣にいるヴァルシオンに目を向けた。美しい狼は穏やかな瞳で見返してくる。
レネット村の人たちや魔物。彼らを守るためには、圧倒的な実力だけでは足りない。対外諸国に認められるだけの地位が必要なのだ。
「た、大変です!!」
そのときだ。
王の間の扉を乱暴に開くなり、若い兵士が勢いよく飛び込んでくる。
「どうしたのじゃ。騒々しい」
「レ、レネット村が! レネット村に火の手が!!」
「ッ!?」
考え込んでいたアインが弾かれるように顔を上げた。
「火の手って、どういうことですか!? 火事でもあったんですか!?」
「わ、分かりません!! ですが、小一時間ほど前ですが冒険者のような一団が村の方に向かっていったと報告があり――」
「馬鹿もん! なぜ早く言わんのじゃ!!」
「も、申し訳ありません!!」
血相を変えて兵士を𠮟責するフーリエット王。
「フーリエット王……?」
「確かにあの村は民の評判は芳しくない。だが、神聖な場所なのだ。それは神狼様の加護があったからこそじゃ。だから人間は容易に近づけんことになっておる」
「ですが俺たちは……」
『それはアイン様の能力があったからこそでしょう。我の権能は衰えてきていたとはいえ、低俗な人間は近寄れぬよう結界があったのです』
無念そうに言うヴァルシオンに、フーリエット王は深々と頷く。
神に守られた神秘的な村。だが、アインの眷属になったことで権能も無くなってしまい、人間と魔物の共存という非難の対象となる危うい場所が、剥き出しになってしまったのだ。
「ヴァルシオン!!」
『御意!!』
アインは飛ぶようにしてヴァルシオンにまたがった。
城の中を駆け、一気に外へ出る。
城門では、退屈そうに欠伸をしていたオルタナが驚いた顔で名を呼ぶ。
「主殿!? どうしたのじゃ、急に!」
「話は後だ!! レネット村に戻らないと!!」
焦燥感に駆られるアインから察したオルタナは、並走しながら器用にヴァルシオンに飛び乗る。
(頼む……間に合ってくれ……!!)
不安が心を蝕む。嫌な想像だけが脳を侵し、精神を狂わせている。
風のように速いヴァルシオンの脚力が、今ばかりは遅く感じられる。
空がどす黒い雲に覆われていた。雨が降り出すのは時間の問題だった。
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