第15話 戦火

 レネット村に住むことになって、一週間が経とうとしていた。

 アインは自ら申し出て、村の手伝いをすることにした。いくらマルナや村長が気を遣わなくていいと言っても、やはりいつまでも寝食タダ暮らしはマズイ。彼らの気持ちに少しでも報いるため、働くことにしたのだ。


「ふぅ~」


 午前中、アインは畑仕事に精を出していた。鍬を置き、額にびっしりとかいた汗をタオルで拭う。まだ涼しい時間帯といっても、面積の広い畑を耕すのは中々の重労働だ。だが、今まで経験してこなかった肉体労働は、充実感を与えてくれた。


「がんばってるねー、助かるよー!」

「どうもー!」


 牛を連れたおじさんが声をかけてくれる。アインは心地良く返事をしながら、作業を再開する。

 アインたちは村人たちとも打ち解け、すっかり馴染んでいた。

 コボルトたちも献身的にアインの手伝いをしてくれるようになった。これは“狼王ヴァルシオン”を仲間にしたことによる副産物であった。

 ヴァルシオンを従者にして村に連れ帰ると、当然ながら大騒ぎになった。当初、神を見たことのない村人たちは凄まじく大きい獣として怖がっていたのだが、魔物たちの反応は真逆。崇拝する神を本能的に認識したのだろう。ヴァルシオンを崇め、アインには平身低頭して従属したのである。

 アインまで神様扱いなのは困りものだが、魔物とも仲良くなれたのは良かったと安堵する。当の狼王とオルタナは、木陰で優雅にくつろいでいる最中だ。


(平和だなぁ……)


 コボルトから水筒を受け取り、お礼に頭を撫でてやりながらそんなことを思っていた。


「……ん?」


 水も飲み干し、休憩を挟もうかと考えていたところで村の入り口に立つ人影が目に入った。

 アインと同世代ぐらいだろうか、麦わら帽子を目深に被った男はキョロキョロと村を見渡す。大きなリュックを背負ったところから察するに、彼もまた旅人なのだろうか。

 男と目が合った。

 すると、男はぱあっと表情を明るくさせ、アインの元に駆け寄った。


「アイン殿下! お久しぶりです!」

「え……? って……、ああっ!!」


 遠くからでは分からなかったが、その男は以前アインがウィンザルトにいたときの専属の御者――シドニーだった。王城に仕えていた頃は彼もそれなりに身なりは良かったが、今はぼろぼろのチュニックに身を纏っていた。


「いや~久しぶりだね。元気にしてたかい?」

「アイン様もご健勝で何よりですよ! 俺、心配してたんですから」


 再開に喜ぶアイン。彼とは身分を超えた唯一の友達と呼べる存在だった。追放されてまだそんなに時間は経っていないというのに懐かしいと感じるのは、その後の経験がそれほど濃密だったということなのだろう。


「でも、どうして君がこんなところに?」

「いや~。俺もアイン様を探すため、御者を辞めましてね」

「え!?」

「っていうのは冗談ですよ。ちょっと親父が倒れちまったんで。家業を継ぐことにしたんですわ」


 清々しく笑いながら、シドニーはリュックを地面に下ろした。重量感のある音と共に、中で物がぶつかる音まで聞こえてくる。おもむろに屈みこんだシドニーは、アインにリュックの中身を見せるようにカバーを大きく開く。


「ってなわけで、何か買います? この鉄のインゴットとかオススメですよ」

「行商人になったのか。……でもそれなら、もっと商品を大事にしなよ」


 雑多に詰め込まれた物品を眺めて、呆れてしまうアイン。旅をしながらとなると保管状態は仕方がないものの、買い手は辟易するのではないだろうか。

 だが、ここで会ったのも何かの縁。アインは野菜の種を購入し、お金を渡す。


「それより……聞きました?」

「何をだい?」

「ここ最近のウィンザルトですよ。どえらいことになって状況ですよ」

「…………?」


 アインは思わず顔をしかめた。

 久しぶりに聞く故郷の名。忘れたいと思いつつも、やはり嫌な記憶がよみがえる。

 俺も旅すがら聞いた話なんですけどね、とシドニーは前置きしつつ、小声で話し始める。


「横暴っぷりが凄まじいんですって。急に税金を上げたとかで近隣の村々が悲鳴を上げてるんですよ」

「なんでそんな……」

「噂じゃ、どうも第三王子が絡んでるようですね。アイン様がいなくなって、増々幅を利かせているらしくて。王位継承権を手中に収めたことで、王様に色々進言しているようですよ」

「キルシュが……」


 胸に鈍痛が走る。

 キルシュにとって、アインとラクフォードはあまりに邪魔な存在った。兄二人を排除したことで、生来の純粋で残酷な性格に拍車がかかったのだろう。

 民が安心して暮らせるよう努力するのが、本来の王家の役目だというのに……と、アインは唇を噛んだ。


「軍備拡張、そのための税の引き上げです。この村にいるアイン様の耳には届かないでしょうけど、ウィンザルトは領土を拡大しようとここフーリエットに侵攻してきてるんですよ」

「なんだって!?」

「国境を越えて軍が駐留し始めています。野営地を設けて、睨みを利かせている状態ですね。小競り合いなんかもあるようですが、ウィンザルトとフーリエットはそもそも互角。まだこれといった被害は出ていないようですが」

「それを父上が許したのか……」

「キルシュ殿下には甘いのでしょう。それと、大森林が破壊されたのも大きいようです。あの森があったから互いに不干渉でいられたのに、長年の邪魔な壁が取り払われたことでもう躊躇うことなく攻め入ることができた」


 呼吸が止まりそうだった。

 友好関係にあった二国間の崩壊。そのきっかけがまさか自分だったなんて。

 罪悪感に囚われているアインには気付かず、シドニーは身支度を始めた。リュックを背負い、人当たりのよさそうな笑みを浮かべる。


「じゃ、アイン様も気を付けてくださいよ。これから何が起こるか分かったもんじゃありませんからね」


 手を振るシドニーにアインも手を上げて返すが、心のざわめきはあまりに激しかった。





 午後。アインは取れたての野菜を町まで卸しに行くことになった。

 周辺地域の評判が芳しくないレネット村の産物でも、買い手はいるようだ。太陽の恵みたっぷりに育った野菜たちは業者内でも好評で、店で売り出しても顧客の受けがいいらしい。

 オルタナとヴァルシオンも同行してきていた。どうせ暇なのだから手伝えとアインに言われ、一人と一匹は快く応じたのだった。とはいえ、人型のオルタナはいいとしても大きな獣であるヴァルシオンは目立つ。だが、そこはやはり神だった。姿を消すことでできるらしく、どんな警戒心の強い生物にも視認されるすらなく、堂々と街道を歩いている。


『どうしかされましたか、アイン様?』

「え? あ、いや、何でもないよ」


 脳に直接響いてくるヴァルシオンの声に戸惑いつつ、アインは愛想笑いを浮かべた。道中元気のないアインを察しての発言だろう。気配を消していても、怪訝な表情を浮かべているヴァルシオンが想像できる。

 心地よい陽気とは反対に、アインの心中は穏やかではなかった。

 シドニーの話が頭から離れず、ずっと考え込んでしまう。だからといって解決策など思い浮かばないのだが。

 だからだろう、アインがそれに気づくことが出来なかった。王都まであと距離半分、というところで、不意にオルタナが足を止めた。


「オルタナ?」

「何やら賑やかじゃと思ったら……」

「え?」


 オルタナの視線の先を追うと、アインは思わず息をのんだ。

 なだらかな丘陵地帯を降りていたアインたちが見下ろす草原には、フーリエット軍の野営地があった。付近にはこれといった施設がないため、主に警邏や偵察といった目的として設けられた駐留地だろう。

 そこで戦闘が行われていた。

 相手は鉄製の兜や鎧を被った三十あまりの兵士。彼らが十名ほどのフーリエット軍を相手に襲い掛かっているようだった。距離があるために正確には聞き取れないが、怒声が飛び交い、研ぎ澄まされた剣と共に汚い言葉が浴びせられている。

 どこからか雇われた傭兵崩れではないのは一目瞭然だった。頭のどこかで否定したくても、鎧の意匠がアインの幼い時代から網膜にこびりついているもので間違いなかった。


「ウィンザルト兵じゃないか……!」

「戦争かの?」


 絞り出すように呻くアインに、オルタナの反応はあくまで冷静だった。

 今朝のシドニーの言葉がよみがえる。

 どこかでウィンザルト軍が陣を張っていたのだろう。ああやって小規模な戦闘を繰り返し、フーリエット軍を疲弊させる。徐々に後退させて、フーリエット城までの包囲網を敷く算段なのかもしれない。


「国同士の争いも、こうしてみると地味じゃな。戦は数というのが良く分かる」


 ごくごく平穏な国として栄えてきた両国はどちらも実践慣れなどしておらず、軍としての練達度は低いと言わざるを得なかった。陣形を組むといった戦術も取らず、ただただ斬り合うだけ。となれば、数が多いウィンザルト軍が有利だ。フーリエット軍の中にはそれなりに武芸に秀でた兵士長のような男が一人いるようだが、戦況をひっくり返すだけの力はない。

 徐々にフーリエット軍の兵士が倒れていき、残るはその男一人となった。


『やはり人間は醜いですな。同族同士で争うなど、愚の骨頂』


 ヴァルシオンの嘆きが頭の中で反響する。

 それもこれも自分が原因なのだ。アインは歯噛みしながら、呻くように呟く。


「……助けないと」

「お?」

「行こう! こんなこと止めさせなきゃいけない!」

「加勢するのか? どちらに?」

「そんなの聞くまでもないだろ! ヴァルシオン!!」


 アインが声高らかに叫ぶと、ヴァルシオンが風を纏いながら姿を現す。


『我はいつでもアイン様のお傍に』

「頼む! 俺をあの戦場まで連れて行ってくれ!」

『御意!』


 アインがヴァルシオンの背中に勢いよくまたがる。神という特性上、血の通った肉体があるわけではないが、動物特有の体温が感じられた。ルインシュトラハータを振り上げ、瞬く間に丘陵地帯を駆け降りていく。

 交戦する両軍が気付くことはない。人間の目には光が通り過ぎたように見えただろう。そして、分断されたウィンザルトの兵士の十人ほどが宙に舞った。ヴァルシオンが駆け抜ける間、アインの長槍によって軽々と吹き飛ばしたのである。

 地面を抉りながら勢いを殺し、ヴァルシオンが踵を返す。突然の乱入者に、両軍の呆気に取られた視線が集中する。


「ウィンザルト兵に告ぐ! 直ちに戦闘行為を止めて退け!」


 高らかにアインが叫ぶ。アインが見下ろした先には、見知った顔がちらほらいる。彼等がアインの存在に気付くと、困惑の顔を見合わせ、そして口々に元・王子の名を呟く。


「無用な争いをして何になる! ウィンザルトとフーリエットは先代の王から友好条約によって不戦を貫いてきた。その誇り高い歴史を崩すなんて不敬極まりない! 恥を知れ!!」


 アインの叫びが、両軍の兵士全員を黙らせる。

 かつての気弱な王子からはかけ離れたイメージに面を喰らっているのだ。それもアインが力を手にしたことによる副産物。歴戦の猛者をも思わせる威圧感は、その場の空気すら呑み込んでいた。


「キルシュは間違った方向にウィンザルトを導こうとしているんだぞ! 考えを改めろ、違和感を感じ取れ!!」

「だ……」


 誰かが発した。

 ウィンザルト軍の兵士からだ。


「黙れ!! 大罪人が正義を語るな!! 我々が従うのは現国王とキルシュ様のみ!! お前に我々を止める権利などないわ!!」

「……!!」


 一般兵のその言葉が彼らを現実に引き戻した。一斉にアインを非難し始め、攻撃性を剥き出しにしてくる。元は知っていた部下たちだけに、中傷混じりの言葉は胸に刺さる。


「く……!」

『痴れ者どもが!! 我が主を愚弄するとは、貴様等噛み殺してくれるぞ!!』


 嵐のような一喝が、ヴァルシオンから放たれる。

 神の咆哮は人々を委縮させ、恐怖に陥れる。毒気を抜かれたようにウィンザルト軍のみならず、フーリエット軍の兵士までも竦み上がる。中には地面にへたり込み、股間に染みを作る兵士までいた。


「……すまない。ありがとう、ヴァルシオン」

『いえ。一言仰って頂ければ、こんな奴等即死にさせてやりますが』

「そこまでしなくていい。戦意を削いでくれただけで助かった」


 ヴァルシオンから降りたアインは、今度は静かに諭すように忠告した。


「頼むから退いてくれ。俺が元・王子だろうと罪人だろうと関係ない。これからお互いに繁栄していこうという二国が、滅亡するなんて未来は見たくないんだ」


 アインは地面にルインシュトラハータを突き刺す。

 そうして、声音を低くして言った。


「それでも嫌というのなら――」


 アインの言葉に呼応するように、暗雲が青空を侵す。瞬く光が雲から生まれ、雷となって轟音と共に槍へと落下した。


「ひ、ひぃぃいいいいいいいいい!!」


 何重奏となって悲鳴が響く。慌てて逃げるウィンザルト軍。みっともない後ろ姿を嘆くように見つめながら、アインは深く息を吐いた。


「良かったのかの? これで主殿が生きていることがバレてしもうたが」


 これまで黙していたオルタナが、寂しげな主の背中に問いかける。


「いいんだ。俺の存在を隠すよりも、戦争の火種を消すのが大事だから」


 本心だった。故郷の人たちが人殺しをする姿なんて見たくない。

 ヴァルシオンを撫でて再び背にまたがろうとしたとき、兵士長と思われる男が駆け足でこちらにやってきた。三十代ぐらいだろう、若々しく、活力にあふれた偉丈夫だ。


「ご助力感謝いたします! 私はモルダイ。フーリエット軍の部隊を任されている者であります!」


 モルダイは、緊張した面持ちで背筋を伸ばす。恐縮、というよりはアインの力、ヴァルシオンの風体に脅威しているのだろう。かなり離れた距離で声を張り上げている。


「大丈夫だったかい? 部外者が両国間の問題に首を突っ込むのはどうかと思ったけど、我慢できなかった」

「いえ、助かりました! 貴方様のおかげで我が軍の被害も軽微でした。それで……その……」


 言い淀むモルダイに、アインは苦笑交じりに答えた。


「俺が元・王子だって話かい? 君たちの国にも俺の噂は広がっているだろう。どうする? このまま国外退去させるかい?」


 冗談交じりに言うと、モルダイは首を激しく振った。


「滅相もない! 貴方様は我が国の恩人。是非ともお礼をさせていただきたい」

「いや、いいよ。それじゃ、帰るから」

「そうは参りませぬ! 王もこの戦争には憂いしかありませぬゆえ、貴方様を英雄として招き入れれば喜びまする!」

「いや、でも……」

「まあまあ、主殿。是奴はお礼がしたいというんじゃ。快く恩賞にあずかろうではないか」

「お前は……」


 後ろから抱き着き、ささやきかけるオルタナ。報酬の類に目がない彼女に呆れつつ、モルダイの申し出を渋々受けることにした。




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