第3章 崩れる平穏
第14話 純粋無垢な毒
「では、そのようにお願い致します」
「うむ。では明日、軍を派遣するとしよう」
ウィンザルト城、王の間。
玉座に座るアレグリフ三世の前で、膝を着いていたキルシュは立ち上がり、背後にそびえる巨大な扉をくぐった。
真紅の絨毯を意気揚々と練り歩く彼の横には、給仕や使用人がずらりと顔を並べ、皆一様に頭を下げている。肩にかけたマントは、自身の位と発言権の証。誰もが自分には逆らえない――その満足感に浸りながら、キルシュは自分の部屋へと戻った。
「まったく、いい気分だね。誰もが僕の言いなりってのはさ」
肩っ苦しいマントを雑に脱ぎ捨て、椅子に引っ掛ける。ごてごてとした装飾が縫われた貴族の服の襟を指で緩めながら、ベッドに腰を下ろす。
「この国もじきに僕のものになる。お父様も僕を後継者だと認めているからこそ、僕の進言に疑問も持たないわけだしね」
笑いがこらえきれない。
アインを追放した後、キルシュは実質王家の後継者となった。兄のラクフォードも、病状は快方に向かうことなく未だ床に伏せっている。
実権を手にしたことで、積極的に政治に関わりながら次期王としての足場を固めていた。
これまでも自由気ままな振舞いは黙認されてきたが、こうして人を自分の意のままに操れるのは何ともいえない気持ち良さがあった。
やはり自分は王になるべくして生まれた天才――。そんな自信がいつも心を満たしていた。
いつの間にか眠っていたのか、誰かが小さくノックする音でキルシュは目を覚ました。
「誰だ」
不機嫌を前面に押し出し、扉に向けて声を放つ。木鳴りの音をさせながら隙間から見えた老人の顔に、キルシュは嘆息を投げかけた。
「なんだ、ザットか。どうしたんだ」
数時間は熟睡していたらしく、開け放ったカーテンの向こうは既に太陽の姿はない。月明かりだけが、室内に音もなく入ってきた使用人統括のザットの硬い表情を照らしていた。
「キルシュ様、例の件なのですが」
「ん……? ああ、そうか。随分遅い報告じゃないか」
身を起こしたキルシュは、喉の渇きを潤すためテーブルに置かれたゴブレットに水を注ぐ。一気に飲み干し、口を乱暴に拭った。
「で、どうだったんだい? あんな呪われた村なんて一瞬で片付いたでしょ」
ザットはすぐに返答しなかった。言い淀むように、ザットは固く口を結んだまま深く頭を下げた。
「申し訳ありません。失敗致しました」
「はぁ!?」
口に含んだ水が気管に入った。キルシュは激しく咳き込みながら、ゴブレットをテーブルに叩きつけた。
「なんだ、失敗って! いったい何があった!?」
「分かりませぬ。依頼した魔術師と連絡が取れなくなっていまして」
「おかしいだろ! 闇市場の中でも腕利きに頼んだんだろ! 簡単な仕事じゃないか!!」
「はい。逐一状況は私も把握しておりました。それがここ一週間報告上がってきておらず、私も不審に思っておりました」
慇懃な態度はいつも通りだが、声色には若干の当惑が見て取れた。使用人として長年アレグリフ家に仕えてきた男が、これまで狼狽える姿は見たことがない。
「ですので、私自ら出向いたのです。結果から申しますと……あの村は滅んでなどいません。むしろ、何も変わってはいなかった。いや……」
「なんだ?」
「これは……非常に申し上げにくいのですが」
「言え!! 何をお前は見たんだ!!」
廊下まで声が響くのも構わず、キルシュは叫んだ。自分の思い通りに事が運ばないのは何よりの苦痛。声を荒げ、そう促してもザットは押し黙っていた。
そして、ようやく口にした言葉に、キルシュは衝撃を受ける。
「アインが、あの村にいたのです」
「は……?」
「奴は生きていたのです。そしてあの村に辿り着き、住んでいるようでした。きっと我々の計画を止めたのも奴でしょう」
唖然とするキルシュ。
どこかで野垂れ死ぬだろうと思っていた愚兄が生きていた。今の今まで存在を忘れていただけに、重い鈍器で頭を殴られたような気分だ。
しかし。
「は……はは。ハァッハッㇵッ! 何をバカな! 百歩譲って生きていたのは別にいいよ。だけど、どうしてあんな無能が村を救えるんだい? あの村に住む魔物を、あんな馬鹿が倒したっていうのかい?」
「左様かと。村人の端々からそのような言葉が聞き取れました。どうやら仲間も連れているようで、その力が多きいかと」
「ふざけるな!!」
勢いよくテーブルを薙ぎ倒した。ガラス製のポットが地面を叩き粉々に割れる。たっぷり入っていた水が床の染みになった。
「おそらくは雇った魔術師もアインの手にかかったのかと思われます。今のところ、我々の仕業とは疑っていない様子でしたが」
「……面白くない冗談だ」
「申し訳ありません」
キルシュには野望があった。
それはウィンザルトの領土拡大。
フーリエットとの友好関係を解除して、ウィンザルトの統治下に置き、世界統一の足掛かりにすることだった。
攻め入る口実として、レネット村は格好の餌だった。
魔物と人間が共存するという、あまりに不適切な集落。そこを攻め落とすことで、軍事侵攻の大義名分を作るつもりだった。
「いや……待てよ」
鼻息荒く、憤然としていたキルシュ。とある考えが生まれたのと同時に、徐々に肩の力が抜けていく。
「これは逆に好都合じゃないか」
くぐもった笑い声を発するキルシュに、ザルトは不可解そうに首を傾げた。
「……キルシュ様?」
「罪人が悪魔の村にいるんだぞ? これを利用しない手はない」
両目を剥き、哄笑するキルシュ。
つくづく自分は王となる器にある。王とは非情であり、残酷なのだ。
父などはまだ甘い。力こそ世界を統べる唯一の手段。やはり、武力あってこその世界統一なのだ。
「待っていろ、アイン。今度こそお前の居場所を失くす。お前などには絶望という場所がお似合いだというのを思い知らせてやる」
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