第11話 伝説の神狼(前編)
久しぶりに気持ちのいい朝だった。
ふかふかのベッドというのは、やはり寝心地がいい。夕飯をたらふくご馳走になった後なので、尚更熟睡できた。
「おや。もう行くのかい?」
「はい。ありがとう、マルナさん」
「いいってことさ。また、いつでもおいで。あんたたちなら大歓迎だ」
玄関先で、恰幅のいい女性がニコッと白い歯を見せる。村に住む魔物が暴走した昨日の件で真っ先に出会った人物だ。
村を助けたことですっかり気に入られてしまい、一晩泊まらせてくれたのだ。どうやら家族はおらず、一人で暮らしていたようだ。話を聞けば、夫は病気で先立たれてしまって、子どももいないらしい。
だからなのか、アインとオルタナを、まるで自分の家族のように歓迎してくれた。
「村長に呼ばれてるんだってね」
「ええ、きっと昨日の魔物騒ぎの件だと思います」
アインは玄関から外の景色に目線を移す。
朝陽が射し込む中、村人たちは家屋や畑の修繕作業を行っていた。彼らに交じって、昨日暴れていた魔物たちの姿もある。
懲らしめた結果だろう、すっかりおとなしくなった魔物たちは黙々と村人たちの作業を手伝っている。
「あれが普段の姿なんだよ。それがどうして昨日はあんなことになったんだろうねぇ」
不思議そうに首をひねるマルナ。
ふと、通りがかった一匹のコボルトと目が合う。コボルトは軽く会釈をすると、すぐに別の民家の方へ歩いて行ってしまった。
「それにあの反応。懲らしめた相手にするにしちゃ、ちょっと薄い気がするんだけどね」
「そうですよね……」
騒ぎが収まったあと。倒した魔物たち全員に回復魔法を施したが、目を覚ました彼らは同様の反応を示した。
まるで暴れていたときの記憶がないのではないかと、思えてしまう。
「一緒に住んで長いけど、さすがに魔物の心までは理解できないけどね」
「……どう思う? オルタナ」
「さぁての」
オルタナは大きく欠伸をしながら答えた。
晩御飯をご馳走になって即行ベッドにダイブしたのに、まだ眠気は覚めていないようだ。
「普段大人しい魔物が、突然気性が荒くなるなんて事例はない話じゃない。基本、本能で生きている連中だからの。命の危険にさらされたときなんかは攻撃性が増す……そうではないのじゃろ?」
「もちろんだよ。こういっちゃなんだけど、いつものように暇な一日だったさ」
マルナは肩をすくめた。
オークやコボルトは警戒心の強い魔物だ。縄張り意識が高く、部外者には容赦がない。その二つの種族が人間と共に暮らしているならば、余程心を許している証拠だろう。
それが何故。
反逆行為なら、またこうして仲良くしていることは絶対にない。
むしろ気になるのは、まるで昨日の記憶がごっそり抜け落ちているように、普段の日常の続きを送っていることだが……。
「村長さんなら何か知っているということじゃろ」
アインは頷いて、マルナの家を後にした。
村長の家は村の一番奥、崖沿いに建った一軒家だった。立派な屋敷という佇まいだが、ところどころヒビの入った外壁からはやはり年季を感じる。
木製の扉を軽くノックする。やや間があって扉が開き、年老いた男性が二人を出迎えた。背が低く見えるのは、腰が曲がっているせいだろう。八十歳は超えているだろうか。彼はしわくちゃの顔をぱっと明るくさせ、笑みを見せた。
「おお、あんたたちか。待っておったよ」
声を弾ませて、二人を中に招き入れた。
広々としたリビングだが、最低限の家具しか置かれていない。村長といっても、やはり山奥の村。質素な生活を送っているのは見て取れた。
「改めてお礼を言わせてもらいたい。昨日の騒ぎを解決してくれてありがとう」
「いえ。皆さんに、大した被害もなくて良かったですよ」
テーブルにそっとカップが置かれた。香ばしいハーブの匂いが鼻をくすぐってくる。村長の孫娘だろう、台所から用意してくれた。
「いやはや、村長として情けない。皆が恐怖に怯えている間、儂らはここに隠れることしかできなかった。お二人はこの村の英雄じゃよ」
「ありがとうございます」
照れくささを誤魔化すため、アインはハーブティーを口につけた。甘みが強く、クセがない。城で出される高級な茶葉よりよっぽど美味しい。意外な発見だった。
「……それで、どうして魔物たちがあんな風になったのか、村長はご存じなのですか?」
「ううむ……」
そう唸りながら、村長は無精髭の生えた顎を撫でた。
「お二人はこの村がどうして魔物と共存しているのか、そもそもの理由はご存じかな?」
アインは黙って首を振った。
元々俗世に興味のないオルタナに至っては返事もせず、余程気に入ったのか紅茶のおかわりを孫娘に頼んでいる。アインはオルタナを軽く肘で小突く。
「珍しい事例じゃが、魔物も人間に敵意を向けるような連中ばかりではない。広い世界じゃ、そういうケースもあるじゃろ」
「俺もここのことは噂程度しか知らなくて」
オルタナの言葉に、アインが同意する。
村長は複雑そうな笑みを見せた。外部の評判があまり好ましくないと、村長は知っているのだろう。
無礼な注文に嫌な顔一つしない孫娘が持ってきたハーブティーを一口すすり、オルタナはカップを置く。
「考えられるのは、古き歴史に同じ神を信奉しておった――とかかの」
「お嬢さんは、お若いのに博識じゃの。まさしくそうなんじゃ」
老化によって垂れ下がったまぶたを目一杯開いて、村長は驚きを示した。
おもむろに席を立った村長は、窓の外を指をさす。
「この村には代々語り継がれる、守り神の伝説があってな。山のてっぺんには“
「“神狼”……」
「この村に住むコボルトやオークはその昔から、“神狼”様の眷属といわれておった。儂が生まれるずっと前から一緒に住んでおるからの。同じ神を信奉するもの同士、種族間での違和感はないのじゃ」
世界各地には、神の伝承がいくつも残されている。
有名な神々の系譜によって魔法が誕生し、大きな国へと栄えていった。アインが生まれ育ったウィンザルトもそうだ。
魔物も、神からの派生形と考えればおかしくない話。姿かたちがどうであれ、この村の人々にとっては仲間なのだ。
「だが昨日、あんな事件が起きた。儂は、あの霊峰ザンドホノークに何かあったのではないかと思うておる。“神狼”様が何かしらの理由で怒りを表しているのではないかとな」
「祟り……とでも?」
「この世界を嘆いておるのかもしれん。昨今、魔物は邪悪なるものとして、一方的に淘汰されていきおる。儂も昔話として聞かされておったのじゃが、本来“神狼”様は穏やかな神様じゃ。良くないことの前触れ……かもしれんの」
昼食までご馳走になったアインたちは、村長の家を出た。
嬉しかったのは、この村の滞在を許してくれたことだ。むしろ歓迎してくれて、いつまでも住んでいいとまで言ってくれた。
金銭が心もとないアインたちにとっては、拠点となる場所ができたのはありがたかった。当面はマルナの家にお世話になることになり、マルナ自身も喜んでくれていた。
「……で? 行くんじゃろ、主殿?」
「やっぱり気になるからね。調査してみようと思う」
霊峰ザンドホノークを見上げ、アインは言った。
そこまでの道のりは、マルナに聞いていた。天高く、山頂が雲に隠れた壮大な山脈。村人も、毎年お供えするために慣れているとはいえ山道は登るのはかなり厳しいらしい。
さっそく出発した二人は、その辛さを実感する。
最初こそなだらかな地形だったものの、徐々に傾斜が厳しくなる。村人が何年と時間をかけて作り上げたのだろう、石の階段が唯一の道しるべ。彼らの地道な努力には素直に感服する。
標高が高くなれば気温も下がり、二倍で体力を容赦なく奪ってくる。
不思議だったのは、オルタナが文句一つ言わないことだった。“神狼”に対しての興味なのか、黙って山道を登っている。こちらが先に音を上げそうだった。
景色に変化が起きたのは、山の中腹あたりだった。
岩石を無造作に並べた台のようなものに、稲や果物が置かれてあった。村人たちの供え物だろう。
そのすぐ奥には、巨人が欠伸でもしたかのような大きな洞穴があった。準備すらまともにしていなかったアインたちには闇の中を進むには危険だと思われたが、壁には松明が掛けられており、行く先を示してくれていた。
「思ったより深いな。てっきり像か何か祀られているだけなのかと思ったけど」
ぬかるんだ足元に気を付けながら、奥へ進む。
「なんじゃ。神を見たくて来たのではないのか?」
「半信半疑さ。あくまで可能性の段階だからね」
「ここには人の手が加わっておる。主殿の言うように、神話の象徴として信奉されているだけなら、ハズレかもしれんの」
「オルタナでも何も感じないか」
「妾はただの魔人じゃよ。さすがに感知能力はないよ」
暗闇に慣れた瞳が、突然、光を捉えた。
細道の抜けた先には、空間が広がっていた。これまでの湿っぽさが嘘のような、澄んだ空気。突き抜けた天井からは自然光が降り注ぎ、大きな滝が流れていた。
「これは……」
「妾もここまでの荘厳な景色は初めてじゃ。なるほどの。これは――」
地面が震えた――ような気がした。
勘違いかとも思えた。
しかし、確かに震動は続き、次第に強くなっていく。
「主殿! 上じゃ!」
オルタナの鋭い声に反応し、アインは顔を上げようとした。
だが、巨大な影が覆う。
視界が何かによって遮られる。続けざまに襲った強烈な地響きによって、土煙が巻き起こった。
「なっ、なん――!」
粉塵をまともに食らうアイン。
吹き飛ばされまいと踏ん張る彼の真正面に、その影は迫っていた。
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