第10話 温かい感謝

 村に住む人たちの怒号や悲鳴が、一層強くなる。


「魔物が暴れ出したって……。どういうことですか……?」

「私にだって訳わからないんだ。それまで普通に過ごしていたのに、突然狂ったように一斉に暴力を振るい出したのさ」


 女性が強張った表情で、声を震わせる。


「それは、いつ頃からじゃ?」

「小一時間程前……かね。それまで畑の手伝いや、子どもたちの遊び相手になってたんだ」


 人間と魔物が仲良く暮らす村。噂はやはり本当だったようだ。

 それがどうしてこんな事態になったのか。

 オルタナも口元に手を当てながら、珍しく真剣な表情で何かを考えている。


「……主殿。妾が様子を見てこようか」

「いや、俺も行くよ」


 アインは女性の手をやんわりとほどき、村の中に踏み入る。

 阿鼻叫喚が渦を巻く。逃げ惑う村の住人に交じって、多種の魔物がいた。獣のような咆哮を上げ、村中を蹂躙していた。


「…………ッ」


 最も目立つのはオークやコボルトか。

 大柄な体躯のオークたちが棍棒を振り回し、その腕力を揮って家屋を破壊している。一方で、犬の顔をした獣人のコボルトは人間より優れた脚力を使い、村人に危害を加えていた。

 他にも牛や鳥といった動物系の魔物もいるが、彼らはまだマシだ。野生を取り戻したように走り回っているだけで、せいぜい混乱を助長させているだけでしかない。


「酷い……」

「どうする、主殿?」

「どうするもなにも、村の人たちを助けなきゃ」


 放ってはおけないと、アインの拳に力が入る。つま先に力を入れ、駆けだそうとした、そのとき。追ってきた先ほどの女性が、アインたちの正面に割り込む。


「お、おい、あんたたち! まさかアイツらをやっつけようだなんて思っちゃいないだろうね!?」

「いや、でもそうしなきゃ村の人たちが……!」

「乱暴はよしとくれ!! アイツらは普段大人しくて、皆とってもいいヤツ等なんだ! うちらの手伝いはすすんでやるし、ちゃんと知性がある。衝動的な行動なんて微塵もないんだよ!」


 両腕を目一杯広げて、女性は必死に叫ぶ。

 現状の光景では想像も出来ないが、彼女の訴えこそがこの村特有の異質性なのだろう。

 魔物は基本、人間の敵。人間が魔物を庇うこと自体、ありえないのだ。


「ご婦人、気持ちは分かるが……」


 と、オルタナは苦々しくかぶりを振った。


「これは魔物が持つ、本来の狂暴性が表出た――なんて簡単な話ではないのじゃ。もっと厄介な匂いがする」

「オルタナ……?」

「あやつらの目を見れば分かる。どうやら、どいつもこいつも自我を失っておる。こちらが声をかけたとて、全く耳には入らんじゃろうて」

「そんな、どうして……」


 アインの言葉に、オルタナはさらに大きく横に首を振った。乱れた真紅の髪を掻き上げ、鋭い視線を魔物たちに向ける。


「実力行使しかあるまいよ。死ぬまで暴走が止まらぬなら、潔く殺してしまう他ない」

「ダメだ、やめとくれよ!! 頼むから!!」


 女性が涙ぐみながら、オルタナを止めようと必死に縋る。

 オルタナの意見は極論ではあるものの、アインにもそれが正解だと思える。が、生来の性格故なのか、アインにも女性の気持ちは痛いほど理解できてしまった。

 冒険者や兵士が魔物を狩る――その光景を幾度となく目撃したが、いつも心臓を抉られるような苦痛が襲い掛かった。

 今ならばその理由も分かる。

 ブラッドイーター。魔物と契約を交わす者。魔物を理解し、心を通じ合わせる。その異能を持っているからこその、メンタリティーなのだろう。


「オルタナ」

「なんじゃ?」


 オルタナは穏やかな笑みを浮かべていた。まるで、アインの言葉の先を理解しているかのように。


「……手加減、できるか」

「ほう?」

「俺は助けたい。村人たちも魔物も両方。だから気絶にとどめよう。お前ならそんなの朝飯前だろ?」

「それが主殿のご命令とあれば。……なーんちゃって、一度言ってみたかったんじゃ、このセリフ」


 恭しく胸に手を置いたかと思えば、悪戯っぽく歯を見せる。


「いいじゃろう。では、妾があのデカブツの相手をしようか。主殿はコボルトどもを頼むぞ」

「分かった」


 アインが力強く頷く。


「ま、主殿にはよい修行になるじゃろう。夜な夜な妾が眠った後に素振りするだけじゃ、いくらやっても強くなれんからのぉ」

「い!?」


 ビクリと肩を震わせるアイン。

 野宿のとき、夜中にこっそりと抜け出して“魔槍・ルインシュトラハータ”でトレーニングしていたのを見ていたらしい。

 顔から湯気が出そうなほど真っ赤になりながら、アインは叫ぶ。


「し、知ってたの!? というか、起きてたのか!」

「妾と主殿は魔力で繋がっておる。力を使えば嫌でも伝わるものよ」


 と、意地の悪い笑いを発するオルタナ。

 自分だけの秘密をばらされたとてつもない恥ずかしさがこみ上げるものの、知られている以上失うものはもう何もないとアインは腹を括る。


「はあ……」


 手のひらに魔力を集中させ、ルインシュトラハータを取り出す。最初は苦労したが、何度も繰り返して練習するうちに、苦も無く顕現させることが出来るようになった。

 アインは長槍を脇に構え、腰を低くする。


「行くぞ!」

「おう!」


 地面を蹴ったのは同時。すぐさま散開して、それぞれの狙いに向けて突撃する。

 オルタナの仕掛けは早かった。

 一瞬でオークの正面に立つと、足元にいた子ども目がけて振り下ろしされた棍棒を片手で簡単に受け止めた。


「ウガッ!?」


 突然の乱入者によって、全力の一撃をいともあっさり防がれことでオークはあからさまな動揺を示す。


「ほう、中々のパワーじゃな。だが、惜しいのぉ」


 おびただしい魔力が、燐光となってオルタナの周囲を浮かぶ。紫電が棍棒を爆破し、オークはその余波でよろめいた。


「力はもっと上手く使え――こんな風に……の!」


 オルタナが消える。そう思えるような速度で跳躍した彼女は、オークの顎先に蹴りを見舞う。炸裂した瞬間、雷光が弾けてオークの巨体はぐらりと揺れた。

 それだけで十分だった。

 完全に意識を失ったオークは、土煙を上げながらゆっくりと倒れていった。


「こんなもんでいいかのー、主殿―」


 満面の笑みで手を振ってくるオルタナに、アインは頬が引きつる。相変わらずの規格外、だと。

 問題は自分である。

 コボルトも世間一般ではよく知られている魔物だ。人型をした小型の魔物だが、そもそも犬から進化しているため俊敏性に特化している。


「ガウッ!?」


 アインの接近に気付いた一匹のコボルトが、臨戦態勢を取る。村人を追いかけていたようだが、やはり耳がいい。アインには意表を突いたつもりでも、警戒心は高いために察知する能力が高いのだ。

 コボルトが、自慢の武器である爪でアインの顔面を狙う。


(速ッ……!)


 鋭利な刃物と化した爪が、アインの頬をかすめた。裂けた肌から鮮血が飛ぶ。


「う……らぁああああああ!」


 避けた体勢から強引に下半身を捻じる。薙ぎ払った槍の柄がゴブリンの腹を直撃。あの巨大なゴブリンを消滅させた破壊力は使用しない。魔力を抑えながらそのまま回転し、民家の外壁に叩きつけた。


「グ……エ……」


 ズルズルと外壁から滑り落ち、気を失うコボルト。

 呼吸を荒げて、アインは握りこぶしを作った。魔力をコントロールできている。気を抜けばまた暴発しそうな危険な武器だが、どうにか扱えそうな実感が、確かにある。

 あっけなく倒された仲間を見て、他のコボルトたちがより警戒心を強めた。標的をアイン一人に絞り、じりじりと囲むようにして距離を詰めてくる。


「くそっ、多い……!」


 数は六体。コボルトはどちらかといえば集団戦を得意としている。群れで行動するために、各々の連携が上手いのだ。

 どうする。アインは必死に思考を巡らせる。

 周囲を見渡すと、村人たちは一人残らず退避したようだ。倒れていた人もいたが、他の村人が担いで逃げていくのが遠目に映った。

 ――ならば。


「でやぁぁぁあああああああああ!!」


 長槍を豪快に振り回し、一気に地面に突き立てる。

 地中に流れ込んだ魔力が、亀裂を生み爆散。紫電が弾け飛ぶ。雷の衝撃波がコボルトたちに雪崩のように襲い掛かった。身軽なコボルトたちは紙切れのように吹き飛んでいき、村を越えた方にまで転がっていった。


「はあ、はあ、はあ……」


 魔力の消耗によって、アインはぐったりと膝をついた。

 魔力調整によって、威力を制御する。魔法に長けた者ならば当然の技術だが、こうも難しいとはと、アインは実感していた。

 だが、そのおかげで村で暴れていた魔物は一掃できたようだ。魔物にとっては理不尽な威力だろうが、致命傷にもなっていないだろう。直撃は避けたのだから。


「やったのか……?」


 アインの警戒を解いたのは、外に避難していた村人たちの歓声だった。彼らはアインの元に集まり、一斉に感謝の言葉を口にする。


「ありがとうございます 旅のお方!」

「すげぇな、あんちゃん!」


 子どもや老人、妙齢の女性たち。どれも怪我をして痛々しい怪我をしているが、みな笑顔を浮かべている。生まれてこのかた、人に喜ばれた経験のないアインには戸惑うばかりだったが、それも徐々に喜びの実感に変わってくる。


(良かった……)


 ようやく緊張の糸が切れ、頬も緩むアイン。


「皆さん、大丈夫ですか? 状態が酷い人は早く治療しないと……」

「なぁに、こっちはこれでも普段の村仕事で鍛えられてんだ。ちょっとやそっとのことで、おっ死んじまうようなヤワなヤツはいないよ!」


 アインの背中を叩くのは、最初に出会った恰幅のいい主婦だ。豪快な笑い声を上げ、感謝を口にする。


「いやあ、アンタはこの村の救世主だ! アンタたちが来なかったらどうなっていたか分からなかったからね!」

「はは……。魔物たちにもある程度加減はしてますから、誰も死んでないと思いますよ、多分」

「はっはっは! そうかい、そうかい!」


 すっかり上機嫌な主婦は、なにやら思いついたように大きく手を叩いた。


「そうだ、アンタたち旅をしてるんだろ。今日は家に泊まっていきな! お礼にたっぷりご馳走してあげるよ!!」


 ありがたい申し出に、アインはようやく心からの笑顔が生まれる。安堵感からか腹の虫が盛大になり、それを聞いた村人たちは笑い合う。


「良かったのぉ、主殿! 今日はパーティーじゃぞ‼」


 喜びのあまり抱き着くオルタナに、アインは戸惑いながらも内心喜びに溢れていた。

 紛れもない人々の笑顔。その輪に囲まれ、満たされる充足感。鬱屈していた城内の生活では得られなかった感動だ。

 ブラッドイーター。オルタナと出会えたことで得た力。アインは、村人たちと共に笑い合いながら、残る村の後片付けに加わることにした。






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