第8話 覚醒
爆発的な咆哮。大気が、大地が激しく揺さぶられる。
侵入者への威嚇か、同族を殺された怒声なのか。定かではないが、その強烈な音圧に地上が怯えているかのようだ。
「な……な……」
牙を生やした口を閉じた巨大なゴブリンの視線が、ゆっくりと二つの小さな生物を捉えた。緩慢な動作で石斧を振り上げたかと思うと、アインとオルタナめがけて力任せに急速落下させた。
「う、うわぁぁぁあああああああ!!」
直撃すれば間違いなく、死。
手入れなど皆無な石斧だ。切断というよりは、粉砕だろう。肉片すら残さず地面のシミと化すに違いない。
眼前を埋め尽くす灰色の塊。瞬間、身体が予期せぬ方向に引っ張られた。襟首を何かに掴まれ、後方に勢いよく飛ばされた。
「ぐえッ!」
みっともない声を上げるアインの横には、彼を抱きかかえたオルタナがいた。咄嗟の判断で助けてくれたのだ。
そのまま乱暴に地面に叩きつけられたアインは悶絶しながら、彼を庇うように立つオルタナに礼を言った。
「た、助かった。ありがとう、オルタナ……」
巨大なゴブリンとは、十メートルは離れただろうか。人を抱えて飛んでいるというのに、なんという跳躍力。オルタナは、微塵も表情の変化はなく、むしろ愉しげに言った。
「おーおー、ずいぶん育ったのぉ」
「な、なんなのアイツは!?」
「この森の主と言ったところかのぉ。知らんけど」
「んな呑気な! 何であんなにデカいの!?」
「稀におるのじゃよ。妾たち魔人とは違って、直系の進化を遂げた個体がな。この国は平穏じゃから、あまり見かけることは無いじゃろうなぁ」
王家にいた頃には、周辺地域の情報は常に上がってきていた。この森も領土内なので、こんな化け物がいれば報告が絶対にあるはずなのだ。それが無いということは、この大型ゴブリンは最近進化したということなのか。
「進化の要因は判明しておらん。なにしろ突然変異じゃからな。さしずめ、ギカントゴブリンというところかの」
手ごたえがないことを不思議に思ったのか、ゴブリンがしきりに地面を見ている。そしてこちらに気付くと、今度ははっきりとした怒りの声を上げた。
「ど、どうする!?」
慌てて立ち上がったアインが叫ぶ。
あんなもの、太刀打ちできるわけがない。オルタナがいかに強いとはいえ、あの巨体である。魔力で対抗しても、あの肉厚では魔法が届かないのではないか。
「んまぁ、妾なら楽勝じゃが……」
「ホント!?」
どこからくる自信か。それとも魔人というのはそこまで凄いのか。
期待を持ったアインだが、オルタナはニヤリと意地悪く微笑む。
「それじゃつまらん。というか、さっき言ったように主殿を男にせねばいかんからの」
「……は?」
「妾は一切手を出さん。主殿一人でアイツを倒すのじゃ」
「……はぁ!?」
素っ頓狂な声を上げるアイン。突然意味不明なことを言い出したオルタナに詰め寄る。
「なに馬鹿な事を言ってるんだ! あんな魔物を俺が倒すなんて、できるわけないだろ!」
「まぁまぁ、落ち着くのじゃ」
耳元で騒ぎ立てるアインを宥めるように、オルタナは彼の肩に手を置いて言った。
「既に妾との契約は成されておる。その為、ブラッドイーターとしての力に目覚めているはずじゃ」
「ブラッド……イーター……?」
聞き慣れない単語に、アインは眉根を寄せた。
ゆっくりと頷きながら、オルタナは舌を出して指先をなめる。
「それが主殿の真の能力じゃよ。魔物と血の契約を交わしたことで、従者である魔物の力の一部を扱えるようになる」
「何だって……?」
「主殿は決して無能なんかじゃない。これまでその条件を満たしていなかっただけに過ぎぬ。平穏な暮らしでは発現するわけもなく、強力な魔物と接することで真価を発揮するだけの話だったんじゃ」
今度は真剣な口調でオルタナは言った。
まるで信じられない。そんな異能があること自体、誰にも言われたことは無かったし、単純に魔法の才能が無いだけだと決めつけていた。
思考がまとまらず、呆然とした眼差しで自身の両手を見つめるアインに、オルタナは腕を組んで苦笑を浮かべた。
「歴史に埋もれた能力だからのう。そもそも敵対する魔物の力を借りるなんぞ、冷遇されるだけじゃ。魔物に与する者として断罪された――なんて例もあるぐらいだしの」
さらりと恐ろしいことを口にしたオルタナだったが、その言葉はアインの耳には届いていなかった。
常々無価値だと蔑まれてきた自分にそんな力が眠っていたなんて。
確かに、昔から魔物は忌むべき憎むべき存在だとはどうしても思えなかった。敵意を向けられたならともかく、当たり前のように生息する魔物に対して無条件に狩るべき対象として認識するのは間違いとさえ考えていた。
オルタナだけではない。ときには他の魔物にも懐かれもしたし、彼らが冒険者などに駆除されていると聞けば心も痛んだ。
自分でも変な考え方と思っていたが、きっとその能力が根源にあったからこそだったのだ。
「だけど、どう扱えば……」
とはいえ、力の正体を知ったところで使い方など分かるはずもない。試しに精神を集中してみたが、魔力が身体から放出するようなこともなく、変化など何も起きなかった。一般的な魔法とやはり根本から違うようだった。
困り顔で訊ねるアイン。オルタナは静かに笑い、耳元に髪をかけた。
「何事も初体験というものはド緊張するものじゃ。そういったときは、お姉さんであるこの妾が優しく手ほどきしてやらねばの」
妙な言い回しと含みを込めた艶っぽい口調で、彼女はアインの正面に立つ。
改めてこうして近距離で見つめられ、アインの鼓動は激しく脈打った。人でもなく、魔物でもない。俗世を越えた妖艶さを前に、こちらの意識さえ呑み込まれる感覚になりそうだった。
それを無理やり現実に引き戻したのもオルタナだった。彼女は自分のレザースーツの襟を両手で掴むと、勢いよく開いたのだ。
「う、わわわ!」
アインは反射的に目を背けた。だが、露わになった豊満な胸元は網膜に確実に刻まれ、残っている。織笠は顔を手で覆いながら叫ぶ。
「な、なにしてるんだ!」
「まあ黙って見ておれ。必要な儀式じゃ」
どう考えても露出狂でしかない行動だが、オルタナは至極真面目な表情を崩さなかった。
オルタナは軽く息を吸い、目を伏せる。
その直後だった。
ギカントゴブリンが咆哮を上げた。
攻撃をかわされたことに加え、無視して何やら会話で盛り上がっていることの苛立ちがはっきりとアインにも伝わってきた。
「ガアアアアアアアアアアアア!!」
ギカントゴブリンが猛然と走り出す。一歩ごとに地面が激しく揺れる。
「やばい! オルタナ!!」
切迫した声を上げるが、オルタナは態勢を変えなかった。そもそもギカントゴブリンも歯牙にも掛けないような態度だったが、今は集中しているようだった。
間合いを詰めたギカントゴブリンが、一層強く踏み込む。石斧をオルタナの脳天めがけ振り下ろした。
「オルタナぁ!!」
巨大な質量がオルタナに直撃する寸前、爆発的な魔力が噴出した。
アインとオルタナを囲う半円状の光。紫の雷が暴れ、ギカントゴブリンの石斧を勢いよく弾く。
それは何事においても一切の干渉を遮断する魔法。
結界だ。
オルタナが生み出したのだ。彼女は首だけ後ろに回し、まるで友人にでも言うかのような気さくさでギカントゴブリンに言った。
「お前もちょっと待っておれ。これから大事な儀式があるのでな」
その余裕がギカントゴブリンの怒りをさらに増幅させたらしい。より激しい唸り声を上げる。
――だが。
「
張り上げたわけではない。だが、低い声音で遮ったオルタナの鋭い一言はあまりによく通った。
「ウ、ガ……ッ」
睨むオルタナに、気圧されるギカントゴブリン。紅い髪がより強い輝きを放つ。殺意すら込めた迫力に、怯えて後ずさった。
「やれやれ」
障壁を保ったまま、オルタナは再び目を瞑る。
そうして、その形のいい唇で滑らかに言葉を紡ぐ。
「血の盟約に従い、覆滅の轟雷分け与えん――」
厳かに、それでいて魔法の詠唱とも違う。彼女の声が森に消え去ることなく、反響する。
淡い燐光が彼女を包む。柔らかな輝きを纏いながら、オルタナの右腕が滑らかに天に向けられる。そのしなやかな動きは、薄く開いたアインの瞳には腕が何本もあるかのように映ったほど。
オルタナの指先が縦を斬った。
鎖骨から露わになった胸の谷間に、鮮やかな赤い線が生まれる。オルタナは、爪で自分の肌を裂いたのだ。
うっすら浮かび上がる血をアインに見せるようにして、彼女はにっこり微笑む。
「ほれ、舐めるのじゃ」
「は!?」
「もしくは吸ってもよい。どちらか好きな方でよいぞ」
「同じだって、それ!!」
胸の谷間をさらに強調させるようにして、オルタナはさらににじり寄ってくる。
「待て待て! それに何の意味があるの!?」
「だから、妾の血を飲むことで主殿の力を強制的に発動させようというわけじゃ」
「その場所の意味は!?」
「ない。妾が感じるだけじゃ」
断言して、挑発的に笑うオルタナ。
「まあ、気まぐれと思っていい。だが妾の血は酔狂ではないよ?」
顔を真っ赤にしてしばらく狼狽えていたアインは、仕方なく肩を落とす。
どの道、やるしかないのだ。半ば、諦めとやけくその気持ちでオルタナの胸元に顔を近づけ、そっと舐める。オルタナがわざとらしく声を発したような気がしたが、無視した。
「う……」
血を飲んだ、直後。
心臓が大きく跳ね上がった。
熱い。全身が焼かれるような熱が襲い来る。
尋常ではない魔力が流れ込んだことで拒否反応でも起こしているのか。そんな錯覚を覚えるほど、体内が暴れまわっている。
呼吸も出来ず苦しむアインに、黒い霧が漏れ始めた。体外に放出される魔力が徐々にその密度を増し、弾ける。
そうして顕現したのは、オルタナと同じ紫電。炎や水といった元素を元にしている魔法の次元を超えた雷が、幾つもの小型の蛇となってアインを取り巻いているようだった。
「これが……お前の力……」
オルタナは静かに微笑んでいた。
血が沸騰しかけているかのような苦しみは既に消えていた。それが今度は高揚感と充足感に変わり、アインはギカントゴブリンをしっかりと見据えた。
「“魔槍・ルインシュトラハータ”」
何を唱えるのか、思考を巡らずとも知っていた。
突き出した右手に魔力が集中する。幾つもの雷が彼の手のひらから生まれ、小さな球体だったものが他の粒子と結合していくことによって、どんどん引き延ばされていく。
細長い紫の光。それが明確な物質に変化する。
紫電を纏う槍。アインの身長を優に超す、長槍が生まれた。
「ほう、見事」
感嘆するオルタナ。
アインはゆっくり掴んで、強く握りしめる。たったそれだけで大気が震え、アインの周囲に突風が巻き起こった。風が渦を巻き、雷鳴が激しく轟く。
超高威力の魔力密度を持った槍を振りかぶる瞬間、アインの魔力がさらに溢れながら、彼の足元が陥没する。
「うぉぉおおおおおおおおおおおおおおお!!」
アインが渾身の力を込めて放つ。
光と化した雷の長槍が、直線的な軌道を描き大地を抉り取る。そして、轟音を響かせながらギカントゴブリンの無防備な胸元に突き刺さる。
「グゴァァアアアアアアアアアア!!」
ギカントゴブリンの巨躯が紙切れのように高速で吹き飛ぶ。後方に乱立する木々は、ギカントゴブリンの勢いを止めるには脆すぎた。どこまでも薙ぎ倒しながら、ギカントゴブリンの雄たけびがあっという間に遠ざかる。
世界からほんの一瞬、音が消えた。
直後に起きた爆発が呼び水となって、森全体に嵐が吹き荒れる。
衝撃波が何重にもなって襲い、余波が収まるまでにかなりの時間を要した。
「あー……」
粉塵を浴びながら、自身の強大さに唖然とするアイン。手にした破壊力の凄まじさを体感し、顔が青ざめた。前方を見渡せば森の半分が焼失し、見事な焼け野原になってしまっていた。
「はっはっは。どうだ、力を思いっきり使った感想は? 何にも代えがたい気持ち良さじゃろう? 脳から分泌液がドバドバじゃろ」
「いや、おかしいでしょ!! なんなんだよ、コレ!?」
愉快そうに手を叩くオルタナに、アインは頭を抱えて嘆く。
いくら何でもやりすぎである。
確かに、衝動に任せて何も考えずに力を揮った。でないと、あのギカントゴブリンは倒せないと思ったからだ。だが、さすがにここまでの破壊力は想像を容易に超えている。
「それが主殿の力ということじゃ。ま、調整の仕方は学ばねばならんがの」
「ど、どうしよう。これ……」
「ま、いいではないか。風通しが良くなって気持ちいい」
脱力して膝をつくアイン。自分のやってしまった事の大きさに絶望の溜息を吐いた。その落胆する姿に、オルタナは不思議そうに首をかしげつつ、さして気にする様子もなく彼に問う。
「さて、これからどうする主殿? 晴れて妾たちは自由の身じゃぞ」
「うぅ……」
よろよろと立ち上がりながら、眩暈のする頭で思考を巡らすアイン。
そう、自分は追放されたのだ。これからのなりふりを決めなければならない。
「その力で憎き王家に復讐するもよし。主殿が望むなら喜んで力を貸すぞ?」
「いや、それはないよ。そんなことをしても意味はないから」
キルシュに報復したい気持ちは確かにある。だが、復讐したとして何が残るのか。自分の爽快感だけだろう。あそこには姉や兄もいるのだ。彼らが心配ではあるが、それよりも自分たちからどうにかしないといけない。
「生活圏を確保しなきゃ。ここからさらに南に行けば大きな町がある。まずはそこに行って方針を固めよう」
「おぉ、すると旅じゃな! 旅は好きじゃよ。ワクワクするのぉ!」
上機嫌で歩き始めた魔人に、げんなりしながらアインはその後をついていく。
ふと、アインは後ろを振り返った。
その方角には、懐かしき故郷。生まれ育ったその城を遠くに見つめ、アインは心の中で静かに別れを告げた。
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