第7話 血の味を教えて

「君があの魔獣だった――それは信じたけどさ。いや、まぁまだ信じられないんだけど」


 アインたちは、さらに森の奥へと進んでいた。

 あれだけ強力な魔法をぶっ放したのだ。帰ったはずの衛兵たちがもし戻ってきたら、今度は何をされるか分かったものじゃない。二人は話を一旦中断し、とっとと森を抜けてしまおうと決めたのだ。


「ん? どうかしたかえ?」


 慣れた冒険者でも迷うような森の中を、オルタナと名乗った女性は木々を掻き分けるようにしてどんどん先へ進む。アインは離れないよう注意しながら、彼女の背中に声をかけた。


「“魔人”って何? 初めて聞くんだけど」

「なんじゃ、知らんのか」


 歩みを止めないまま、オルタナが首だけを振り向かせる。アインは軽く頷く。


「世界でも一部でしか認知されていない存在じゃしの。無理もないか。簡単に言えば、魔物の上位種じゃよ」

「上位種……?」

「突然変異と言い換えてもいい。明確な条件は判明しておらんし、そもそも何故そんなものが生まれるのかも分かっておらんが、数多いる魔物より数倍も優れた能力を持つ特殊な生物じゃな」

「そんなものが……? それはドラゴンやワイバーンよりも強いのか?」

「うむ」


 オルタナは即答し、遠くを眺めながら目を細めた。


「そういえば、そんなのもおったなー。懐かしいのぉ、奴等はプライドが高くてな。何度叩き潰してもこちらに従うことは無かった」


 あっけらかんと言うオルタナに、アインは軽くめまいを覚えた。

 指先を動かすだけであんな魔法を撃つのだ。戯言などではないだろうが、ドラゴンやワイバーンなんてほぼおとぎ話レベルの魔物だ。空想上の産物ともいわれ、過去の歴史を紐解いても実在した話はない。


「じゃあ、魔王か何かなのかい?」


 自ら口にしておきながら、ふと冷静になる。それが事実だとしたら。背筋に冷たいものが走る。


「魔王は既にこの世におらんよ。妾は全くの別物じゃ」

「じゃあ、成り代わって世界を征服……とか」


 アインがそう言うと、オルタナはプッと噴き出した。


「いつの時代の話じゃ。魔王には特に忠誠を誓っておらん。きっと他の六人も一緒じゃよ」


 よほど珍妙な投げかけだったのか腹を抱えて笑うオルタナ。

 何百年も昔、勇者と人々から称えられた選ばれた戦士が、世界を掌握しようとする魔王を討ち果たした。確かに復活したという話は聞かないし、よみがえったとしたら国家間で戦争なんか起こしている場合じゃないだろう。


「主殿も知っているように、魔物すべてが人間に敵意をもっているわけではない。友好的な魔物もおるし、独自の生活圏を築いて排他的に暮らしている種族もおる。妾のような魔人はどちらかといえば独立。高度に知恵が発達したために、自由気ままに生きることが多いかの」

「そ、そうなのか……」


 アインが胸を撫でおろす。そして、ずっと気になっていたことを投げかけてみた。


「……で、そのさっきから“主殿”って言ってるけど、それ俺のこと?」

「寝ぼけておるのか? 当然じゃろう」


 木の枝を払いながら、オルタナは目を丸くした。


「妾の封印を主殿が解いてくれたのじゃからな。そう呼ぶのは当たり前じゃ」

「俺が? 君の? どうやって?」


 いまいち理解できないアインが眉間に皺を寄せていると、オルタナは立ち止まり、真剣な面持ちで言った。


「ふむ。それが主殿の力じゃからよ。魔力が込められた主殿の“血”によって妾にかけられた呪いの封印が破られた。感謝に堪えん」

「血だって……?」


 脳裏をよぎるのはゴブリンが襲い掛かってきた、あのとき。逃げろとどれだけわめいても、魔獣だったオルタナはアインの血を舐め続けていた。


「あれがきっかけで……? でも俺は……」

「ん?」


 アイン大きく嘆息し、かぶりを振った。


「無能だから。なんの才能も魔力も持たない人間なんだ。だからきっと君の封印が解けたのは偶然なんじゃないか」

「いやいや、それは違うぞ」

「でも……」


 項垂れたアインは込める悔しさから、唇を噛み締める。

 無能。

 無能。

 無能。

 キルシュに散々罵られた言葉。

 だから血の繋がった弟に邪見にされ、嵌められた。生きる価値すらなく、王家には不要だから――と。


「やれやれ。それは勘違いじゃよ」


 静かに傍に寄ってきたオルタナが、アインの頬を優しく包む。そのままそっと持ち上げて、オルタナは優しく微笑む。


「主殿の能力は魔物に作用する特殊なもの、なんじゃよ。現に、妾に回復魔法をかけてくれたじゃろ?」

「あ……」

「それが何を意味するのか――答えは、魔物を従属させる力が主殿には備わっているということ」

「魔物を従属させる……? それって……」

「そのままの意味じゃ。どんな魔物も従わせ、主殿の意のままに使役する能力じゃよ」


 鼻が触れ合うほどの至近距離で、魔人がささやく。

 ぼうっと、アインはオルタナから目が離せない。彼女の甘い声色にはそれこそ魔力が込められているかのような、脳がとろけてしまいそうな力がある。


「妾は主殿の血を飲んだことで従者になったのじゃ。血の契約じゃよ」

「だ、だけど!」


 全身が熱くなり、慌ててオルタナから離れるアイン。見れば見るほど妖艶な美貌を持つ彼女にいつまでもくっつかれられると、変な気を起こしてしまいそうになる。


「そういうのって、契約者の力が魔物より上回っていないと駄目なんじゃ……」

「一般的な理屈ではそうだの。飼い主の魔力以上に優れた魔物なんぞ制御できん。逆に喰われるだけじゃ」

「だからおかしいんだ。俺が君みたいな強い人を従者にするなんて……」

「そこが主殿の稀有な力。潜在能力の高さ、それに――」


 オルタナの言葉が、突然起きた揺れによって遮られる。

 重く低く、なにかとてつもなく大きな砲丸を地面に落としたような衝撃。この森を休み場としていた鳥たちが一斉に飛び立つ。

 地震かと頭をかすめたが、どうも違う。単発的にそれは続いていく。


「なんだ、これ……」

「ふむ。おあつらえ向き、というところかの」


 何やら勝手に納得している風なオルタナが、森の最深部を見据える。アインを見る瞳とは逆の、剣呑な視線が闇の奥深くに突き刺さる。


「え……?」

「そろそろお出ましだとは思っておった。ちょうどいい機会じゃ。主殿を男にしてみようか」


 それが足音であると理解したのは、こちらにより近づいてきた段階だった。太い大木がへし折れていく音まで混ざり合って聞こえてくる。障害物の一切を排除しながら、一直線にこちらに向かってきているようだ。


「…………!?」


 闇の中からまず見えたのは右足。足の裏だけでアインの全身が隠れてしまいそうなほど巨大だった。

 風が唸る。勢いよく振るった左腕が、軽々と木々を吹き飛ばす。

 そうして現れた全身に、アインは言葉を失った。


「まさか……」


 三メートルはあろうかという巨体。

 全身筋肉の鎧に覆われた肉体は、威圧感の塊そのもの。のっぺりとした顔だが、下顎から突き出た歯牙が異様に長く、凶悪さを表していた。

 右手で引きずっているのは、先刻見ていた石斧と同じ。しかし、それも巨大で太く、荒々しい。


「嘘……だろ……」

「子分がやられたんじゃ。親玉が出てくるのは道理じゃよ」


 猛々しく、巨大なゴブリンが吼える。

 その音圧だけで、森一帯に爆風が巻き起こった。



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