第6話 魔人

 紫電をまとった赤髪の美女は、優雅に微笑むとそのまま大きく伸びをした。眠たそうに欠伸をして、身体の調子を確かめるかのように首や指を鳴らしている。


「ふむ。久しぶりに動いたが、案外錆びついていないようじゃな。重畳、重畳」


 満足げに何度も頷きながら、再びアインへと視線を向ける。唖然とする彼に、悪戯っぽい笑みを投げかけた。


「大丈夫だったかの? 待ち望んでいた解放で我も加減できなかった故に、思いっきり吹き飛ばしてしまった」

「は……いや……」


 見知らぬ女性の登場に、頭が追い付かないアイン。魚のように口をパクパクしているばかりで言葉にならないアインに、不思議そうに赤髪の女性は頭を傾げる。


「どうしたのじゃ、どこか痛むのかえ? ま、当然じゃのう。酷い仕打ちを受けたからの」

「……いやっ、そうじゃない」

「ん?」

「だから、お前は一体……」

「なんじゃ、まだそんなことを言っとるのか。仕方ないのー」


 肩を落として、赤髪の女性はアインに近付く。得体のしれない力を持つ相手に、アインは思わず痛みを忘れ身体を転がして遠ざかろうとする。


「おいおい、そんな反応をせんでくれ。全く、悲しいのぉ」


 女性は拗ねたように項垂れた。

 そのとき、遠くの方で草木が鳴った。

 土煙が沈殿する大地の向こうで、ゴブリンたちが起き上がっていた。この魔物たちもまた、尋常じゃない魔力をまとった女性に警戒心を抱きつつも、敵意を失ってはいないようだった。


「主殿の寵愛は妾の心に深く刻まれておる。妾もまたこの世界の空よりも広く大きく、愛しておるというのに」


 むしろ強烈な危機感の方が勝ったのだろう。逃げるより、殺す選択をしたゴブリンたちが一斉に赤髪の女性に襲い掛かる。

 何故か旅する吟遊詩人のような愛の詩を披露している女性は、背後に迫りくるゴブリンに気付く気配はない。上背のないゴブリンたちが、石斧を振りかぶって飛びつく。


「あ、危な――!!」


 瞬間、アインの叫びはかき消された。

 まるで怪鳥の鳴き声のように甲高い轟音の正体は、雷。赤髪の女性が発生させているものと同様の紫電が天から降り注ぎ、ゴブリンたちを直撃。焼け尽くすなど生ぬるく、一瞬にして消滅させてしまった。


「…………」


 眩い光が止むと、地面には焦げた跡が三つ。威力が強すぎたのか、周囲の木々ごと焼けてしまっている。

 次々と衝撃的なことが起こりすぎて、もはや言葉も発せないアイン。


「うっとしいのぉ。主殿と妾の感動の対面の邪魔をするでないわ」


 ぶっきらぼうに言って、赤髪の女性は鼻を鳴らす。

 ゴブリンたちを倒したのは間違いなく彼女だ。軽く腕を上げて、指を立てる。動作としては、単純。驚きなのは、彼女はゴブリンたちを見ていなかった。位置や距離感も把握することなく、一撃で屠ったのである。


「さーて、これでゆっくり話せるの」


 不満顔から一転。男なら誰でも虜にしてしまいそうな笑みを浮かべ、アインの後ろに回る。ビクッ! と思わず戦慄してしまうアインだが、不意に全身が楽になった。赤髪の女性が拘束している縄を解いたのだ。


「な、なんなんだお前。本当に何者……?」

「この期に及んでまだそんなこと言うのか、主殿よ。いい加減、泣くぞ」

「だっておかしいだろ。急に現れて、こんな魔法……、なのか? 魔力も桁外れだし。魔物なのか?」


 歴戦の冒険者や宮廷魔術師すら凌駕する、その魔力量。人間の限界をはるかに超えた力を見せつけられれば、疑うのは認識の外側にいるものたち。神や魔物といった人智を超越した存在だ。


「当たらずとも遠からずじゃな。周りを見渡してみ? 今までそこにいたものが消えているじゃろ」

「い、いや、そんなことを言われても……。お前が全部消したんじゃ……」


 目の前にいる赤髪の女性から目を外し、言われた通り周囲を確認してみる。改めて見ると、ひどい有様だった。半径五キロ以上は木々が粉砕し、逆に見通しが良くなっている。


「そうじゃない。まだ気づかんか? 主殿が後生大事に抱えておったもどきがおったじゃろう」


 若干呆れたように言われ、アインはようやくそこで思い出した。

 あの黒い小さな魔獣がどこにもいない。赤髪の女性の肩を掴んで強引にどかせ、アインは周囲を注意深く探してみたが、どこにもそんな影はなかった。


「そんな、まさか今ので巻き込まれて……」

「主殿は中々に焦らすのぉ。ま、そんなのも嫌いじゃないが」


 苦笑しながら赤髪の女性はアインの背後からそっと抱き着く。そして、耳元でそっと囁いた。


「主殿が世話をしていた、あの小さくてか弱き魔獣。あれが妾じゃよ」

「…………は?」


 耳朶をくすぐる甘い声に背筋が震えるも、理解をするにはかなりの時間を要した。


「いや、意味が分からない」

「事実じゃよ。信じられぬか」

「うん」

「正直じゃな。ほら、城の片隅でよく飯をくれたじゃろう。それに他の者にはバレないよう、遊んでくれたり一緒に昼寝もしたかの」

「――ッ!?」


 あのフェルナキャットの存在は、城の誰も知らない。いつも勝手にやってきてはアインに懐いてくるので、隠れて世話をしていたのだ。キルシュだけではなく、城の誰かに見つかれば魔物として排除される。それが許せなかったから、アインはこっそり匿っていたのだ。


「……じゃ、じゃあ、やっぱりお前が……」

「ようやく信じたか」

「で、でも、どうして人間なんかに変身を……」

「いやいや、逆じゃよ」


 アインが離れたことで所在なさげな両腕を寂しく見つめながら赤髪の女性は深く息をつく。


「本来の姿はこっち。とある件で封印されていたために、あのような獣の姿になっていたのじゃ」

「封……印……?」

「そうそう、申し遅れたな。妾の名はオルタナ。世界でも七人しかいな“魔人”じゃ」


 腰に手をあてながら胸を張り、彼女はそう名乗った。




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