第4話 王子、追放される

「アイン殿下!! 大変です!!」


 城に戻ったアインが馬車に降りるやいなや、彼の元に女性の使用人が駆けつけてくる。


「どうかしたの? そんなに血相変えて」


 息を切らせた女性の使用人は悲壮感を漂わせていた。上手く言葉が出ないのか、喘ぐように口を動かしている。

 その態度だけで、只ならぬ事態に陥ったのだとアインには推測できた。


「ラクフィード殿下の容体が、悪化しました!!」

「……ッ!?」


 視界がぐらりと揺れた。


「兄上が!?」

「一時間ほど前のことです。それまで安静にされていたのですか、急に苦しみだして……ッ」

「それで!?」

「すぐにお医者様を呼んで診てもらっていますが、いまだ症状は安定しなくて……、アイン殿下!?」


 使用人の話を遮断するようにアインは地面を蹴った。

 困惑する門番の衛兵を通り過ぎて城内に入り、まっすぐラクフォードの自室に向かう。


「兄上!!」


 勢いよく扉を開けたアインは、思わず口を噤んだ。

 ベッドに横たわるラクフォードの周りには、父と母――すなわち現国王に王妃、それにフリーシアにキルシュがいた。全員沈痛な面持ちで診断する医師の様子をうかがっていた。


「アイン……。お兄様が……!」


 アインに気付いたフリーシアが今にも泣きそうな顔で駆け寄り、彼の胸に顔をうずめる。


「容体はどうなのですか!?」


 アインはフリーシアを支えながら、ベッドに近寄る。

 ここ最近のラクフォードは、寝たきりの生活を余儀なくされていた。瘦せ気味な身体がさらにこけ、必要な筋肉さえも削ぎ落されている。

 病状の悪化。数ヶ月ぶりに見た兄は、青白い顔がさらに苦悶に染まり、全身が痛むのか激しい声を上げている。


「静かにしなさい、アイン。余計に体に障るだろう」


 重々しい声で叱責したのはアレグリフ三世。

 一国の王らしく、堂々たる風格。そして、過去の栄光と呼ばれぬ為に今でも維持された強靭な肉体は、年老いたとはいえ十分戦士として通用するだろう。


「……それで、ガレフ殿。ラクフォードは……」


 ラクフォードの小さい頃から彼を診てきた初老の専属医は、すぐに答えは出さなかった。ラクフォードの瞳や呼吸、体の様々な場所に触れていき長い時間をかけて診ていたが、やがて落胆するようにかぶりを振った。


「何とも言えませんな」

「そんな、先生……」


 ガレフの肩を掴むアレグリフ三世。悲壮感を漂わせながら、王の目をじっと見据える。


「殿下は、元々心臓が弱い。ただ、いつもの発作の症状とは違うようだ」

「どういうことだ?」

「病状が悪化した、とは思えないのです。……直近で、何か変わったことがありましたかな?」

「いや……ここには限られた人間しか近づけぬはずだ。特に信頼の置ける……そう、長年仕えてくれているザットとかな。そうだな?」

「はい、陛下」


 王が扉の方に振り返ると、いつの間にか燕尾服を着た老人が立っていた。ピンと張った背筋から恭しくお辞儀をする様はとても齢七十を超えているとは思えない。

 使用人を統括する立場にあり、アインでさえ彼の前では今でも緊張する。事実、気配を殺してアインよりも後に入ってきたのだ。不気味でもあり、底が知れない謎の多い男だ。


「実は、これは陛下にはお伝えしにくいのですが……」

「何だ?」


 言い淀むザットに、王が訝しがる。


「言ってみよ。ラクフォードと関係のあることか」

「はい」


 常に毅然とした表情を崩さないザットが、なぜか動揺した様子でおずおずと言った。


「最近配属された若い使用人がいるのですが、彼女が昨晩のラクフォード様への配膳係だったのです。私はこのような状況になり、彼女にも事情を伺おうと探していたのですが未だ見つかっておりません」

「……何だと?」


 にわかにその場がざわめき立つ。


「どういうことだ? まさか其奴が……」

「恐らくは。もうこの城にはおりますまい」

「どうも確信持った言い方だね。何か知ってるんなら早く教えなよ」


 苛立ち、ではない。腕を組み、唇を歪ませながらキルシュは話の先を促す。

 笑っている?――そうアインには映った。


「彼女の自室からこんなものが」


 腰元に回した手がゆっくりと前方に動く。

 全員に見えるように差し出された両手に持っていたもの、それはガラス製の小瓶と紙片だった。


「部屋は綺麗に片づけられ、机の上にこれだけ置かれておりました」

「なんだい、これは? 手紙……かな?」


 キルシュが紙を手に取り、書かれている文字に目を通す。深刻な内容なのはキルシュの表情が物語っていた。あどけなさの残る顔が一瞬で強張り、目が大きく見開かれていく。


「そ、そんな……」


 わなわなと震えるキルシュの肩。そして、なぜかアインを鋭く睨みつける。


「兄上……! まさかここまで愚かだったなんて……!」

「は……?」


 何が何だか分からないアインは、間の抜けた声を上げてしまう。困惑する彼の傍らに立つフリーシアが、苛立ち交じりに叫ぶ。


「どうしたというのです!? 何が書かれてあるのか、仰い!!」

「これはね、罪の自白さ。彼女が兄上に毒を盛ったんだ」


 頭を抱え、呻くようにしてキルシュは言った。衝撃的な言葉に全員が愕然とし、怒りを露わにしたアレグリフ三世がキルシュから手紙を奪い取る。


「そんな馬鹿なっ。信じられぬわ、そんなこと……!!」

「ええ、僕も同じ気持ちです。ですが父上、よく読んでください。この女はあくまで実行犯でしかありません。兄上を殺す理由なんてありませんから」

「な……ッ!?」


 全文を読んだアレグリフ三世が紙をぐしゃぐしゃにして丸め、アインに向って突然投げつけた。


「貴様ぁ、アイン!! どういうわけか説明するのだ!!」


 生まれてから父がここまで激怒する姿を見たことのないアインは、さらに混乱する。しかもその矛先は自分だ。恐怖に震えるその手で手紙を拾い上げ、恐る恐る読み上げる。

 そこにはこう書かれてあったのだ。


 女使用人は、アインに頼まれてラクフォードに毒を盛ったのだと。

 当然拒否したのだが、アインに強制的に命令させられ、しかも多額の金を貰い、これで姿を消せ――と。要は口止め料として。

 だが、この女性は良心の呵責に耐え兼ね、こうして自白文を残したのだと。


「こ……」


 信じられない内容に、アインの視界は歪んだ。立ち眩みすら覚え、今度はフリーシアが崩れ落ちそうになるアインを慌てて支える。

 気遣うフリーシアに、お礼を返す余裕もないアインは彼女を押しのけ、手紙を床に叩きつける。


「こんなのでたらめだ! 俺はこんなことしていません!!」

「だが、こうして証拠があるのだぞ!!」

「事実無根です! 俺はその女性と会ったこともないのですよ!」


 城内には雇用された使用人が何十人といるため、全員を把握しているわけではなかった。せいぜい、専属で世話をしてくれる数人程度だ。書面には名も記載されているが、初めて聞く名前だし顔も分からない。


「捏造ですよ、こんなもの! 俺がどうやってこの人に近付いたというのです」

「そうですよ、お父様。アインはそんなことをする子ではありません! 何かの間違いでしょう。誰かがそんな現場を目撃したとでもいうのですか!?」


 フリーシアも必死に庇う。娘の剣幕に押されながらも、冷静さを失ったアレグリフ三世は聞く耳を持とうとしない。


「いようがいまいが関係ないわ! こうして証拠があるのだ。その使用人も捕まえねばならんが、その間アインお前も牢に入ってもらうことになるぞ」

「そんな、横暴だ!!」

「口を慎め、馬鹿者が!! 誰か、兵を呼んで来い!! それと解毒剤を用意させよ!!」


 王の呼びかけにザックが素早く行動に移すと、にわかに廊下が慌ただしくなる。まもなくして解毒剤が医者に手渡され、ラクフォードの容体は落ち着きを取り戻す。


「く……」


 アインは唇を強く噛み締めた。

 嵌められたのだ。

 何者かは分からない。自分を邪魔者だと思う誰かの奸計によって濡れ衣を着せられたのだ。


「兄上、残念ですよ」


 と、沈んだ声で言ったのはキルシュだった。


「そんなにまでして次期王位の座が欲しかったのですか?」

「なんだって……?」


 王からは背中を向けた状態で、キルシュは微笑んでいた。

 瞬間、確信する。


「お前、まさか……」


 その呟きは複数の足音によってかき消された。あまりに早く衛兵がかけつけると、なんの躊躇もなくアインを拘束した。


「ぐッ!!」

「アイン!!」


 暴れようとするアインの後頭部に激しい衝撃が襲う。衛兵がアインに対し、持っていた槍の下端で殴ったのだ。

 そして、膝をついた拍子に衣服の隙間から何かが飛び出した。黒く、柔らかな毛並みに覆われた、まるで猫のようなそれを見て、誰もが驚きの声を漏らした。


「アイン、それは……」

「ま、魔物……!?」


 帰り道で拾ったフェルナキャットを見て、内心「しまった」と焦るアイン。

 真っ先に怯えたのは王妃だった。まるで汚らわしいものを見るような目でアレグリフ三世の背中に隠れる。


「魔物を懐に……!? 何たる……」

「は、母上。これは……!!」

「お黙りなさい! やはりお前はあの卑しい女の子なのですね。あぁ、なんと。貴方、とっととこの男とそこのバケモノを片付けて!!」


 ヒステリー気味に喚きたてる王妃をアレグリフ三世はなだめるように抱き寄せる。

 アレグリフ三世の正妻である彼女は、アインの実母ではなかった。実子はラクフォードとキルシュだけ。

 アインの母親は小さい頃に他界しており、フリーシアの母も現在は行方をくらませていた。

 現王妃が何らかの企てによって、二人の側室を排除したのではないかと噂されているが真相は定かではない。


「仰る通りですよ、母上! こいつは兄上を病死に見せかけ殺すという謀略を企て、あまつさえ魔物とも通じている。こんなやつ、のさばらせていてはこの国が腐ってしまいますよ!!」


 部屋の中央に躍り出たキルシュが、まるで舞台役者のように声を張り上げる。この展開を待ちわびたような、醜悪な笑みを浮かべながら。


「我々もいつ、こいつの毒牙にかかるかも分からない。牢なんて甘い、父上、この国からとっとと追放しましょう!!」

「やめなさい、キルシュ!」


 とどめの一撃とばかりにキルシュがアレグリフ三世に向ってアピールする。

 毒殺を企てたという状況証拠。

 完全な無実なのだが、弁護してくれる味方がいない。唯一、フリーシアだけがこちらを信じてくれるが、彼女もアインを四六時中一緒にいたわけではないために、説得力が弱い。我が弟可愛さの言葉としか受け取られないだろう。

 それに床でいまだに眠り続けている魔物の存在もアインの冤罪に拍車をかけてしまった。

 不利な状況を自分で作ってしまっては、もう何も言えなかった。

 あまりの無念さにアインが項垂れていると、アレグリフ三世が侮蔑の表情で見下しながら、冷徹な声で言った。


「即刻、アインを国外追放せよ!! これより王家の名は捨て、平民として暮らすがいい!! ただし、二度とこの国の土を踏むことは許さん!!」

「お父様!!」

「フリーシアよ、お前もいい加減目を覚ますのだ。これより我が子は三人。そのような罪人のことなど忘れよ!!」


 フリーシアに叱責しながら、子蝿を払うかのような手つきで衛兵を下がらせる。拘束されながら力なくアインは部屋の外に連れていかれた。

 部屋ではフリーシアがまだ抗議しているようだったが、絶望に染まり切った脳には何も届かなかった。


「無能が変な知恵を使っても無駄なんですよ」


 呆然と為すがままにされていたアインに、ねっとりとした声が絡みつく。視線を上げると、眼前にはキルシュがいた。彼だけが廊下までついてきて、後ろ手にそっと部屋の戸を閉める。


「だめですねぇ、兄上。悪巧みするならもっと上手くやらないとねぇ」


 そこにいたのは、かつて、どんな嫌がらせしてきたとしてもまだ幼い少年だった。

 しかし、今は。

 魔物よりも恐ろしい、悦に浸るかのような笑みを浮かべた狂人だった。

 キルシュはアインの髪を掴んで、囁く。


「そう……。僕のように、ね」

「キルシュ、やっぱりお前が……!!」


 体をじたばたさせ、衛兵から引きはがそうとするが全く動かなかった。なにより驚きなのは彼らがキルシュの言葉を聞いているはずなのに無反応だったことだ。


(まさか、こいつらも……!?)


 毒殺未遂はキルシュがアインを追放させるために仕組んだことだった。ザックにしても彼の仲間だろう。ラクフォードに毒を盛り、死ぬ瀬戸際で解毒剤を用意する。あまりにタイミングが良すぎる。

 そしてこの衛兵たちも。金で釣ったのか定かではないが、この二人だけではないだろう。ひょっとすると、城の兵士全員がキルシュの息にかかっているのかもしれない。

 全てこの弟の策略。


「殺されなかっただけでもありがたく思いなよ? 一応兄へのせめてもの情けさ。でも、国外追放じゃ同じか、ははは」


 笑い声を上げ、そしてキルシュは何かを思い出したように、後ろにしまい込んでいた物体をアインに差し出してきた。


「それと……。ほら、忘れものだ。大事なものなんだよねぇ?」


 尻尾を鷲掴んで見せてきたのは、あの小さな黒い魔物。だらりと垂れ下がったフェルナキャットを無造作にアインの胸元めがけ放り投げた。


「それじゃあね、兄上――さぁ、連れていけ!!」

「キルシュゥゥゥゥゥゥウウウウ!!」


 獣のように唸るアインに、容赦のない衛兵の一撃が背中に襲い掛かる。何度も何度も殴りつけられ、為す術なく、崩れ落ちる。

 どこまでも続くキルシュの笑い声が残響のようにこだまするも、アインが最後まで聞くことはなかった。



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