第3話 小さな命

 一夜明けて。

 押し付けられた視察任務に渋々行くことにしたアインは、早朝から馬車に乗って近隣の村々を巡っていた。

 任務、といっても堅苦しいものではなく、主な仕事は村人たちに話を聞くだけだ。最近の事情や気になる点、不満などを聞き出して城に持ち帰って王を含めた全員で会議。今後の方針を決めていく。要は政治のための具申調達である。

 人当たりのいいアインは村人たちからの信頼が厚く、何でも包み隠さず話してくれる。曰く、王族らしくない純朴さに好感が持てるのだとか。嬉しいような悲しいような、複雑な気分ではある。

 今年の作物は順調だとか、誰々が病気で困っているとか、どこどこの諸侯の税金がキツイなど諸々。果てはアインの嫁はどんな人がいいか……。まるで関係ない話まで飛び出す始末だが、色々世間話をしながら意見を集めていく。

 今回は遠方ともあって、帰るころには陽が落ちようとしていた。

 アインは幌の中で疲労感を存分に味わっていた。一応、重要そうな意見はメモを取るようにしているのだが、あまりに多種多様な意見に頭の中はパンク寸前。寝転がって馬車の振動に身を任せていた。


「今日も大人気でしたね~。アイン殿下」


 手綱を握る男の御者が、からかうように笑う。

 年齢もアインの少し上ぐらいで、何年来の長い付き合いだ。周囲に人がいなければお互い気さくに言葉を交わす間柄だった。


「嬉しいんだけどね、疲れたよ……」

「一般の人間は、偉い人が来れば大抵遠巻きに様子を見るもんさ。それがかしこまらず、下心もなく、気軽に寄ってくるんだ。慕われてる証拠だよ」

「王族らしくないってのは自覚してるよ」

「だからいいんじゃないですか。目線が低い王様なら国の将来も安泰ってもんですよ」

「本気で言ってる? だって僕は、さ。あれだから」


 と、アインは肩をすくめながら苦笑する。

 アインが無能だということは、王族のみならず国中の民が知っている。だから最初は村町の人々の視線が怖かったし、内心では馬鹿にしているのではないかと疑心暗鬼だった。

 だが、彼らと親交を深めていく内に、それは杞憂だと理解した。人々は皆優しく接してくれたからだ。

 だからアインも、誠意を持って彼らの気持ちに返している。


「そんなに大事ですかね、力が。いいじゃないですか。一般市民のような王様がいても」

「……それ、俺以外の人には言っちゃだめだよ?」


 いくら戦争とは程遠い小国とはいえ、維持していくにはやはり絶対的な力は必要だ。他国への牽制、簡単には侵略されない威圧感。前王の狙いもそこにあったからアインの父を婿として招き入れたのだ。

 国の中枢に威厳と力があってこそ、平和は成り立つ。


(そう、俺たちの誰かが王位を受け継ぐ……。けどその資格があるのは……)


 林道を抜け、海原を覗く見晴らしのいい平原が一行を出迎える。

 幌の窓から見慣れた景色に差し掛かり、アインも肩の力を抜く。安心したせいか、疲労感と共にウトウトとし始めていた。


「うわっと!?」


 ――そのときだった。

 御者が変な悲鳴を上げる。

 そろそろ城が見えてきそうな距離にさしかかったところで、突然馬車が止まったのだ。


「お、おいおい、落ち着けって!」

「ど、どうしたの!?」


 馬車が強く揺れるために目を覚ましたアインが、慌てて御者の元に行く。幌の布を上げれば、御者が手綱を強く引いている。その先では馬が興奮した様子で暴れていた。


「分かりません、急にこいつが!!」


 手綱を嫌がるように鼻を振り回し、前脚を激しく蹴り上げる。一向に落ち着く気配のない馬を見かねて、アインは馬車から降りた。すぐさま馬を撫でてやり、「大丈夫、怖くない」と声をかけてやる。

 次第に大人しくなると、ヒヒンと首を振るわせアインに鼻先を摺り寄せてきた。


「よしよし、いいこだ」

「ほぇ~、さすがアイン殿下」

「動物は好きだからね。こいつとも長い付き合いだし、きっとこれは怒ってるんじゃなくて何かに怯えてるような気がする」


 優しく撫でてやりながら、周囲を見渡すアイン。

 すると、舗装された道の先に小さな物体が倒れているのが視界に入った。


「ん……?」


 慎重に近づくアイン。しゃがみこんで観察してみると、小動物のように見えた。


「あれ、お前は……」


 黒い子猫のようなそれは、昨日城に迷い込んだ魔物だ。意識がなく、何かに引っかかれたような切り傷が体の至る所にあり、血が滲んでいた。


「そいつは……魔物ですかい?」

「ああ。多分、俺がよく知ってるやつだと思う。いつも城の中に入ってくるから逃がしているんだけど……」


 フェルナキャット。魔獣に分類される魔物であり、ウサギのような長い耳が特徴の小型生物だ。


「うわ……ひどいケガですね」

「別の魔物にやられたのかもしれない。可哀想に……」


 胸が締め付けられながら抱きかかえてみると、フェルナキャットの身体が微かに動いた。ゆっくりと呼吸を繰り返しているらしく、時折苦しそうなうめき声を上げる。


「よかった、まだ生きてる」


 安堵し、アインは子猫のような魔物に手をかざした。

 柔らかな光がフェルナキャットを包み、傷口が徐々に塞がっていく。


「で、殿下!?」

「何?」

「助けるんですか!? そ、それにそれ魔法じゃ……」

「俺だってこのくらいなら出来るさ。人間のような大きい個体には無理だけど、これぐらいのサイズなら俺の回復魔法でも癒してあげられる」


 といっても、完全に傷は塞がらない。傷口が深いわけではなく、アインの魔力ではこれが限界だった。


「やっぱり俺の魔法じゃ……」

「それで……そいつをどうするんですか?」


 御者の言葉に黙考するアイン。

 多少回復したとはいえ、すぐに動けるような身体じゃない。このまま放置しても、また別の魔物に襲われる可能性は極めて高い。

 この小さな魔物も、アインに懐いてくれた友達のような存在だ。どこかで餌になってほしくないし、見捨てるわけにはいかなかった。


「仕方ない……」


 そう呟き、アインは立ち上がって上着の中に魔物を隠した。王族の服は体のラインに合わせてぴったりとしているため、ボタンを緩めフェルナキャットのスペースを確保した。


「ちょ、連れて帰るんですか!?」

「ばれないよう看病するよ。君も黙っておいてくれ、頼む」

「はぁ……。知りませんよ」


 半ば呆れ気味の御者に、苦笑いを浮かべアインは馬車に戻る。

 お腹辺りに感じる熱は、確かな一つの命。愛おしさを感じられずにはいられなかった。

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