第2話 姉と弟

「本当にあの子はどうしようもないわね」


 王城の内の一室。

 真紅を基調とした調度品が、しつこくない程度の華美と上品さを表現していた。装飾の施されたカーテンから穏やかな陽光が差し込んで、午後ののどかな空気が室内に包まれていた。


 天蓋付きのベッドでアインは寝かされていた。

 といっても、アインはこの部屋の主ではなかった。彼の頭を膝に乗せている女性のものであり、彼女は目を細めながら愛おしそうにアインの黒髪を撫でていた。


「またアインに無理を押し付けて、さらにこんな怪我まで……」


 女性がそっと手を離す。柔らかな光が彼女の繊手から生まれ、アインの胸元へかざす。

 回復魔法だ。

 光がアインの全身を包むと、みるみるアインの火傷が治っていく。


「すみません、姉上。いつもいつも……」


 痛みが引き、ようやく動かせるようになった唇でそう言うと、女性は切れ長の瞳を細めて、穏やかな笑みを浮かべる。

 フリーシア・アレグリフ。

 アレグリフ家の第二子にして、アインの二歳上の姉だ。

 成人を迎えていないとは思えない、大人びた顔立ち。アインと同じ黒髪だが艶やかさは比較にならず、細身のラインにぴったりと張り付いた紫のドレスに沿うように緩やかに流れている。

 他国にもその美しさが知れ渡るほどのしとやかな女性。噂では、各国の王子が彼女を巡り、密かな争奪戦を繰り広げているのも有名な話だ。


「いいのよ。ううん、むしろ私がもっと気を付けるべきだったわ。ごめんなさい」

「いや、姉上が謝ることじゃ……」

「キルシュには私からもっとキツくいっておくから。だから安心して」

「ちょっ、ちょっと」


 整った鼻筋からささやかな息を吹き、なにやら張り切っている姉を制止させようとアインは上半身を持ち上げる。

 治癒魔法を受けてから数分にもかかわらず、アインの身体は全快していた。これが並みの魔法使いなら、一日がかりだったはずだ。

 キルシュの炎魔法を浴びたアインは、あの後フリーシアに助けられた。

 全身を焼かれ、男どもからどこから汲んできたかも分からないような汚水を浴びせられ、そのまま庭に放置。様子をうかがっていたのか定かではないが、飛んできたフリーシアが自室に運んだのだった。

 フリーシアは治癒魔法を得意としていた。そもそもの魔力は城に常駐する宮廷魔術師以上であり、回復を軸とする光元素の才能が突き抜けていた。

 光の神の再来……本物の女神だという評判もまた、他国が欲しがる理由だろう。


「やっ、やめて下さい姉上! 俺が、俺がいけないんです。俺に何の取り柄もないから……!」

「こ~ら」


 宥めようとしたアインの額に冷たい指先が添えられ、そのまま静かに彼女の膝元に戻される。


「ダメでしょう、まだ寝ていなきゃ」

「ですが、おかげで傷は……」

「ふふふふふ……」


 炎から庇った為に特に酷かったのが両腕だ。その腕すらもさっぱり火傷はなくなり、それを見せようと彼女の顔の前に持っていくのだが、彼女は自分の指先と絡ませてうっとりと頬に撫でる。


「あ、あの……姉上……?」

「ふふ。なぁ~に、アイン」

「僕が至らないのです。剣術もままならなず、下手すれば村の少年でだって負けます。魔法にしてもそう。だからキルシュも疎ましく思っているのでしょう。序列が全ての世界で、自分より上にこんなのがいるのですから」

「いいのよ、アインはそのままで」


 と、可愛らしく眉根を寄せてムッとするフリーシア。


「だって強くなっちゃ私がお世話出来ないのだもの」

「…………」


 真面目に本心を吐露しても、姉であるフリーシアは斜め上の答えを返す。毎度こんな始末なのだ。

 アインに対するフリーシアの接し方はとにかく甘々。アインにも侍女がついているのだが、その仕事を奪ってでもフリーシアはアインの世話を焼くのである。

 過保護だと思うが、断るとそれはそれで彼女が泣きそうになるのから困りものなのだ。

 公務や貴族との会食、祝賀会など公の場では毅然と振る舞っているのだが、一度王族の衣を脱いでしまえば只のブラコンに変貌してしまうのだった。


「あの、毎回思うのですが……。何故、俺にはそんなに良くしてくれるのですか?」

「無粋な質問ね」


 と、フリーシアがとろんとした瞳で、アインを見つめる。


「姉が可愛い弟を想うのは当然。愛すのは生まれる前から決められた運命なのよ」

「キルシュも弟なのですが……」

「人間としての屑を相手に愛情など注ぐ理由はないわ」

「お、おぉう……」


 辛辣。

 二人の弟への格差は何かそれ以上の理由がありそうだが、毎回この質問を投げかけても腑に落ちない回答になる。


「でも悲しいわ。私もそろそろ婚姻の時期。アインの傍にいられなくなるなんて、そんなの嫌だわ」


 嘆息交じりに、肩を落とすフリーシア。

 ウィンザルトは辺境の小国とあって、戦とは無縁そのもの。だが、大国同士が争えば、いつこちらに火の粉が降りかかるか分からない。その為にも、周辺国との繋がりは必至。現在でも他国との関係性は芳しくなく、同盟を結ばねば安泰は訪れない――とアレグリフ三世は考えている。

 幸い、フリーシアの人気が高いともあって選択肢は多く、嫁ぎ先に難航している状況だ。


「ラクフォード兄上が王家を継いでくれるなら、この国も安泰なんでしょうけど……」

「難しい話ですよね……」


 ラクフォード・アレグリフ。

 アレグリフ家の第一王子にして、王位継承権第一位。王となる為の素養は申し分なく、人間的にも思慮深く明晰な頭脳を持ち合わせていた。

 誰もが彼を次期国王に推す逸材なのだが、重大な問題が一つだけあった。


「生まれつき病弱な兄上には、国王の責務に耐えられない。諸外国にその情報は不都合だからと、伏せてはあるけど……時間の問題でしょうね」


 原因不明の病に侵されているラクフォードは、一日の大半をベッドで過ごしている。そのため家族であっても面会は難しく、会う機会は少ない。体調がいいときは公務にあたるのだが、そのときだけ。彼もまた責任感が強いため無理をして平然を装うのだが、それもまた対諸外国の人間との腹の探り合いによって精神をすり減らしてしまう。

 逆に時折りしか顔を出さないのが幸いし、彼の存在が謎めいた人物として認知されているのが唯一の救いだった。


「病弱な長兄と無能な次兄……。キルシュが次期王座を狙うのに躍起になるわけだ」


 自虐的に呟くアイン。

 この国は本当に大丈夫なのだろうかと、無責任な考えが頭をよぎる。キルシュに王家を任せれば、それこそ破滅への第一歩。かといって、自分には器が足りない。兄も体力面で難しい。

 姉に、いい婚約者がいれば……、とも思えるのだが。


「あぁ、いっそ駆け落ちしようかしら! ならアインと永遠に一緒にいられるから!」

「いや、姉弟ですからぁ!!」


 素早く荷物をまとめ始めるフリーシア。いつもの暴走モードに入ったフリーシアをどうにか諌めながら、緩やかに午後は過ぎていく。






 雷が鳴いていた。

 重厚な雲がいくつも織り重なり、勢いよく落ちる雫が大地を叩く。

 突如襲った雷雨が、暗澹たる闇夜を演出していた。

 城内から漏れる微かな照明以外灯りはなく、見回る衛兵が持つ松明が幾つも揺らめいていた。

 誰もが寝静まった夜更け、突如激しい物音が外にまで響く。


「クソッ、クソックソッ!!」


 テーブルに置かれていた皿やゴブレットが、床に叩きつけられ粉々に割れる。どの小物も、それ一つで平民が一年過ごせるような価値のある一品だ。

 それを少年はぞんざいに扱い、さらに踏みつける。何度も何度も。


「ふざけるな、クソがッ!」


 あれだけ綺麗に整えられていた金髪を乱暴に搔きむしり、息を荒げ叫ぶ。


「どうして姉上はいつもいつもあんな無能を……!」


 止まらない悪態。今度はテーブルまで薙ぎ倒し、怒りをさらにぶつけた。


「僕の方が優秀なのに! なのに何故、こちらを見てくれないんだ!!」


 昼間の一件。

 当然のように自室で怠惰に過ごしていたキルシュは、見てしまったのだ。

 窓の外でフリーシアがアインを助ける場面を。そして、隠れて二人の後を尾け、かいがいしく部屋でフリーシアが介抱する様子をたまたま空いていた扉の僅かな隙間から覗き見ていたのだ。


「おかしいじゃないか。そう、おかしいんだ。何もかも。僕が一番姉上を愛しているというのに。世界中の誰よりも、だ」


 壁にもたれかかり、血走った目で呪詛を吐くように呟く。

 キルシュの本質。それがフリーシアへの強い執着。

 フリーシアがアインに過剰な愛情を注ぐように、キルシュもまた自身の姉に異常な愛を抱いていた。


「昔からだ。父上の才能を一番受け継いでいるのは僕だというのに、褒めてくれない。興味すら持ってくれない」


 力の発現。それはあまりに早かった。物心をついた頃、無意識に指先から炎を出した。あまりに早い能力の開花に、王と王妃や大臣がこぞって天才だともてはやした。

 当然、姉も喜んでくれるものだと思っていた。

 だが、フリーシアからの反応は何も無かった。

 あまつさえ自分を無視し、剣や魔法の一つもまともに扱えない愚兄に彼女は構った。

 それからだ。キルシュが歪んだ執着心を持ち始めたのは。


「何がいけないというんだ。何が……」


 稲光が炸裂する。

 一瞬だけ反射した自分自身に問いかけながら、やがて。


「……そうか。一番じゃないからか」


 ぽつりと、かすれた声を漏らす。


「未来の話じゃない。実質的に一番だと証明していないから、姉上は理解できないんだ」


 気付けば笑みを浮かべていた。蛇のように口角が裂けんばかりの狂気じみた顔で、胸を強く掴む。


「そうだよ。初めから分かっていたじゃないか。何を悩む必要がある。僕が王になればいいんだ」


 加えての野心。後継者争いなど起こらない、起こりようもない。病弱と無能。比較するまでもない。三人の中で自分だけが候補者筆頭だと疑わなかった。

 次期王は自動的に自分になる――。資質は十分なのだから。

 きっとアレグリフ三世もそのつもりだ。

 だからこそ普段から父の前では良き息子を演じてきた。


「僕が新たな王となれば、姉上をずっと傍に置いて置ける。誰にも渡さない」


 だが、もう悠長にしてはいられない。

 権力を、財力を。全てを手に入れれば、きっと。


「少し早いけど、もう我慢できない。計画を実行しなきゃ」


 ヒヒッと奇妙な笑い声を上げ、フラフラとした足取りでキルシュは窓辺を離れる。


「となると皆要らないな。とっとと排除しよっと。まずはそうだなぁ……種まきは済ませてあるけど、もう少し量を加えるとしようかなぁ」


 部屋を出て、廊下を揺れるように歩きながら少年の姿が闇に消えていく。


「待っててくれ、姉上。邪魔者を消して視界に僕しか入れないようにしてあげるから」



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