第11話 鯨



 今日も元気にノースアロライナ体操を行う。


 水に対する心的外傷後ストレス障害を抱え、竜と契約できないことで魔力に身体が耐えられず余命幾ばくもないことが宣告されたわたしは、この世界においては障害者、児童福祉の概念からすれば、障害児だった。


 自分を客観視してしまうのは、悪い癖。


 悪いかどうかは、定かじゃないけどね。


 もっと自分を主観で見るべきだ。客観視の原因は、ウラフリータをヨモギが捉えてしまっていることにある。ヨモギにとって、ウラフリータは幼くして死んでしまった同情するべき障害者だった。


 しかし、ウラフリータとしてのわたしは、同情なんて求めていない。


 元気にノースアロライナ体操を行う。


 ジレンマだったのは、このロジカルな思考が、まさに自分を客観視していることの象徴でもあり、ヨモギとしてのわたしの象徴だった。だからと言って、思考を停止するわけにはいかない。考えなければ生きていけない。人間は考える葦である。ウラフリータは弱いから、考えなければいけない。考えるのを止めたとき、考えるヨモギに殺されてしまう。


 客観ではなく、主観で考えられるようになる。


 それには勉強が必要だ。


 わたしがどういう人間であるのか、本来は主観的な自覚が必要だ。


 転生者というのも、精神障害の一種だと捉えることはできる。しかし転生者福祉や医療の発展などありえないので、転生が障害と認められることはないだろうね。この苦しみは、転生者の苦しみは、わたしが解決しないといけない。


 これもまた、哲学的な問いになってしまうけど、ヨモギの人生も、日本という記憶も、ウラフリータが作り出した激しく繊細な妄想かもしれない。つまり、ヨモギというのは、または日本というのは、そうでもしないと生きていけなかった、臨死を体験したウラフリータの人知を超えた人間の脳みそが作り上げた架空の学習装置なのかもしれない。


 このように深く考えるほど、ヨモギに自信が無くなる。

 

 これが排除か、同化か、または学習済みテキストの消去なのか、考えても分からないけど、分からないことでもウラフリータとして考えることこそ、わたしにとって良い傾向なのだろう。


 ヨモギとウラフリータのバランスを保つ。


 という思考も、実にロジカルで、ヨモギ。



「どうして騎士の訓練をしているんだ?」



 わたしがお屋敷の玄関先の庭で、コロコロと受け身を取って転がっていると、いつの間にかいたアルナシーム様に、不思議そうな目で見られる。その目は実に眠たそうで、質問をした後に、欠伸を浮かべていた。



「心を鍛えるためです」


「騎士団の教訓を真に受けている人間を初めて見た。剣を鍛えているのではなく、心を鍛えているというやつだろう? あれは剣を鍛えている」


「むう。中村文則の『銃』という小説をご存じですか?」


「知らない」



 異世界の小説なんて知っているわけない。それを分かっていて聞いている。類例が複数存在することを示したかっただけだ。ちなみに『銃』はこの場合、心を鍛えることなく、力を得てしまった場合の例だけどね。



「では、筋肉をつけて身体を大きくしたら、自分に自信が持てるようになったという話を聞いたことはありませんか?」


「ふむ。わたしの部下の文官に、一人そういう人物を知っている。まだ若い文官だが、身体を鍛えるようになってから、上官に対してもハキハキと答えるようになった」


「ではその文官は身体を鍛えたのではなく、心を鍛えたのです。身体を鍛えたのではなく、心を鍛えたから、上官に対しても自信を持って受け答えができるようになったのでしょう」


「なるほど」



 アルナシーム様は納得したように頷いた。わたしは、クルリと一回転をして受け身を取る。かなり綺麗に回れるようになった。これが実践で、できないといけない。咄嗟に攻撃を回避して、受け身を取り、次の行動に繋げるというのは、想像上でも難しい。



「あと二つほど、話したいことがあるのですが」


「続けろ」


「では……」



 わたしは木剣で素振りを始める。アルナシーム様は納得したみたいだけど、小説家はまだ語りたい。語りたいのは、ヨモギでも、ウラフリータでもなく、わたし。都合の悪い思考を断ち切るように、ヒュンと剣を振り下ろす。



「鍛えられた心を実践で発揮しないといけません。そのためには、自信が必要です。鍛えた剣や、身体がその人の自信に繋がっているのだと思います。だから騎士は腰に剣を付けるのです。剣が騎士の、心なのです」


「ふむ。面白い。もう一つは?」


「力だけ鍛えても、心を鍛えなければ、力の使い方を間違えてしまいます。感情的になって、人を殴ってしまったり、何かを守るために鍛えた力で、わたしを船の上から落としたり」


「それでは、心を鍛えることをせず、突発的に力を得た人間は、悪行に走るのか?」


「得てしてそうではないですか? 六歳なので分かりません」



 これで六歳はありえないかな。


 転生してチート能力を貰って、もしくは現実で銃を拾って、そうして突発的に得た力はやがて身を滅ぼす。元々、心が強い、もしくは清い、または正しい人だったらいいけどね。前世では、心の強さに定評のある人生でしたとか。


 わたしはそうではないからさ。


 心を鍛えないと、身を滅ぼす。


 膨大すぎる魔力が、いずれこの身を滅ぼすようにね。



「お前は六歳で、何の力を得た?」


「今のがそうですよ。政変の敵、魔力、わたしには敵がもう一人。心を鍛えなければ、わたしはその力に殺されてしまう。力について知りたかったら、わたしが書いた小説を読んでみてください。ウラフリータの『ヨモギ』という小説です」


「お前が得た力は、敵なのか?」


「素敵な、敵ですよ」



 ヒュン! ヒュン! と剣は空気を切り裂く。敵は目に見えない。しかし、確かにそこにいる。腕が疲れる。反復練習に飽きてくる。汗が気になる。けれど、剣を振り続ける。やがて、敵が見えてくる。


 わたしは敵を切り裂く。


 これは、妄想だろうか。


 いや、魔法だ。



◇◇◇



 目の前には、海が広がっていた。


 剣を鍛え、心を鍛えたところで、海への恐怖が押し寄せる。現金なもので、海への距離に比例して、恐怖は膨れ上がるようで、わたしは馬車の中で屈み、窓から海が見えないようにした。


 乗り物の中で変な体勢で座っても、酔わない身体で良かった。



「……重症だな」



 アルナシーム様はわたしを見て呟く。馬車には、わたしとアルナシーム様、それからモルシーナが乗っていた。モルシーナは恐怖の寒さに震えているわたしの背中を、一生懸命に撫でてくれていた。わたしは宝石にならないよ。



「剣を目の前に付きつけられている思いです。鼻先が震え、全身が凍えるように寒くなります。風邪をひいているときと感覚は似ていますが、身体の機能は恐怖を排除してくれません。やはり、心を鍛えるしかないのです」


「個人で何とかしようとするのが、良くないのではないか?」



 呆れたようにアルナシーム様は言うけど、この世界に優れたカウンセラーはいるのだろうか。しかし、自分の問題は、自分で何とかしないと、小説は書けない気がする。わたしの中の小説を書く人間としてのプライドが、他人を頼るのを拒んでいるのかもしれない。


 とはいえ、支えてくれる人間の存在に気づかないほど愚かではない。



「今もモルシーナが背中を撫でてくれています。十分、助かっています」


「ふむ。それが分かれば十分か。トッテンハイムの生まれ変わりと言われるわたしでも、多くの人間に支えられている。貴族院でアルマター・ドラゴの称号を収めたとしても、専門家には知識で負ける。支えられていることに気づけたら、後は他人を頼れるかだ」



 ヨモギの生まれ変わりと思われるわたしでも、多くの人間に支えて貰っている。アルマター・ドラゴの称号が何かよく分からないけど、まあ、わたしの場合は小説かな、どんな題材で小説を書いたとしても、専門家には知識で負ける。支えられていることに気づけているのだから、後はしっかり他人を頼る。


 アルナシーム様の言うことを、頭の中で自分に置き換え、反芻する。



「では、さっそく頼ってもいいですか?」


「言ってみなさい」


「わたくし、小説を書いているのです。『ヨモギ』についての小説。『アリスローゼ』についての小説。それから、アリスローゼの兄の『ジルボーデン』についての小説。あと『タラコットの町』についての小説。今では趣味の範囲で書いているのですが、後々、出版事業を行いたいと思っているのです。そこで、わたしの商業作家としての処女作にはアルナシーム様についての小説を書きたいと思っているのです。許可を頂けますか?」


「ふむ。許可しよう。出版事業か。中央では盛んだったな」


「え! それは本当ですか!」


「本当だ。貴族院では、流行の本というのもあった。それから、中央学園に在籍している金の無い平民は写本をすることで小遣いを稼いでいたな」


「わたくし、貴族院に入学するまでは死ねません!」



 なんてこった。中央には楽園があるのではないだろうか。しかし、わたしの知識が通用するような出版のレベルではないのだろう。写本とか、海賊版じゃないの? って思うし、そもそも印刷技術が発達していない時代の文芸が想像できない。やっぱり、原本にあるオーラみたいなのが重要になってくるのだろうか。


 いや、待てよ。トッテンハイム様が『龍王書記』を広め、莫大な富を築き上げたと授業で習った。あれは何だったのだろうか。印刷の技術がなければ、莫大な富を築きあげるほどの本を用意できないだろう。


 まさか写本だけで、大量に本を用意したというのだろうか。


 宗教的な本の広まりに、印刷技術の発展は付き物だと思う。というか、そうだよ、口だけ賢者ローレライがいるじゃないか。彼が『ルーラ』だかなんだかを世界に広めるときに、転生者としての知識を使って、印刷技術を普及させているはずだ。


 わかった。中央学園で平民が写本していたのは、授業ノートとか、テストの参考書などではないだろうか。うわー。わたし冴えているね。それなら、印刷技術が普及しているなかで、写本をしていてもおかしくない。



「ジルボーデンについての小説を書いていると言ったな」


「はい。アリスローゼとの約束なんです。わたしの小説はお墓ですから、ジルボーデンがこの世界に生きていたという確かな証明のために書くのです。とくに、わたしはジルボーデンを知らないので、そういう人が書くことが重要なんですよ。小説を書くには、ジルボーデンについて知らなくてはいけませんからね」


「ふむ。ジルボーデンの小説を書くのは止めておきなさい」


「不可能を可能にできますか?」


「はあ?」


「わたしが小説を書くのを止めるというのは、そういうことです」




◇◇◇




 この世界において、鯨という生物は、とても大きく、雄大に海を泳ぎ、食べたら美味しいけど、そもそも食材ではない。食材ではないのに、なぜ美味しいとされるかといえば、戦いのなかで鯨の肉をかじった竜が、美味であると言った逸話が残されている。竜のように神聖視されることはないので、鯨の王という名称も、メジャーではない。洞窟に隠れて暮らしているのは、鯨という存在が、人間の歴史の敗北者だからである。もちろん、勝者は竜だった。


 洞窟は鯨の王が暮らすには相応しい広さだった。


 洞窟の内部には、真ん中に川が流れていた。川は海へと続いていた。地下水が海に流れているのだろう。わたしたちは、川の流れに逆らうように、洞窟の奥へ歩いて向かう。地面は濡れていて、滑りやすかった。わたしはモルシーナに捕まって歩いた。アルナシーム様がわたしたちを先導していた。アルナシーム様が右手に握った細い杖が光り、洞窟を照らした。洞窟はジメジメしていた。


 洞窟の天井や壁には、水晶のような透明な塊が連なり、杖の光を反射して、エメラルドグリーンの輝きを放っていた。美しい光景なんだろうけど、水が近くにあり、すこぶる気分が悪いわたしにとっては、グロくて目障りな緑だった。



「ここだ」



 アルナシーム様は大きな門の前で立ち止まる。洞窟の途中にある人工物は、景観を壊すと共に、わたしに安心感を与える。誰が見ても分かるように、門は鎖の姿をした魔法によって固く施錠されていた。


 杖を門に押し当てると、これまたガシャンと分かりやすい音が鳴って、門がゆっくりと動き始めた。自動ドアなんだ。意外だったのは、横にスライドする形式で扉が開いたことだ。こういう門って、内か、外に、パカッて開くイメージだった。


 門の向こうには、湖の広場があった。洞窟の天井から湖の真ん中に、チロチロと水が落ちている。目線を水の流れを遡って見ると、虹色に輝く水晶が氷柱のように伸びて、その先端から水が垂れているのが分かる。


 魔力が濃すぎて気持ちが悪い。


 二人は平気なのだろうか。


 アルナシーム様は、湖に石を投げ入れた。そんな呼び出し方でいいのだろうか。しばらく待っていると、湖に黒い影が浮かぶ。影は徐々に大きくなって、やがて大きな鯨が姿を現した。


 鯨の王クイルホローの身体は、黒の中に青があり、わたしの髪の色と似ていた。



「なんだ小娘、ガキをこさえたのか?」


「わたしの子供ではない。姪っ子なんだ」



 鯨は、人間の言葉を喋った。流暢な公用語だった。いつの間にか翻訳の魔法を使っていたのだろうか。それにしても、竜にしても鯨にしても開口一番、下品な奴である。翻訳の魔法の問題なのだろうか。それとも、口が悪いのか。分からない。


 しかし、鯨の何を翻訳しているのだろうか。鯨同士がコミュニケーションをとるために音波を使っているというのは、ヨモギの知識だけど聞いたことがある。この世界の鯨も音波を使っていて、その音波を公用語に翻訳しているのかと想像してみる。そんなこと、可能なのだろうか。



「この子は、竜と契約できなかったんだ。おそらく鯨の魔力を持っている」


「災難ではないか。鯨の魔力が現代の人間に宿るなど信じられん。五〇〇年以上前のこと、人の歴史では語られない人類の魔力の歴史だ。余が契約してやらないこともないが、生きた化石のような少女が、果たして現代で生きられるのか。大人しく死ぬ方が、幸せなのではないか?」



 子供なのに、大人しく死ぬ?


 ああ、なるほど。クイルホローもわたしと同じなのだ。鯨なのに、現代を生きている。竜との戦いに敗れて、大人しく死ぬはずだったのだろう。しかし、こうして生きている。それは、海に落ちて死ぬはずだったウラフリータと同じだ。


 死に場所を失い五〇〇年以上生きた先輩からの忠告だった。


 幸せ、ね。



「小童、名前は?」


「ウラフリータです」


「ウラフリータ。魔力を見せろ。皮膚から魔力を放ち、余の身体に触れなさい」



 ピンとこない注文である。触れたら、見えるのだろうか。これも翻訳のせいで、文章がねじれているのだろうか。わたしはへそのあたりに溜まった魔力を操って、手のひらからぼんやりと魔力を放出する。


 モルシーナはわたしの腰を掴んで、グイっと持ち上げ、湖に入水する。


 わたしの代わりにモルシーナの足が濡れる。


 目の前の、クイルホローの身体にわたしはペタッと触れた。



「……今、なのか?」


「何が、ですか?」


「もうよい。離せ」



 わたしはパッと手を放す。モルシーナは、湖から陸に上がると、わたしを地面に下ろした。何が「今」なのだろうか。クイルホローの様子が変わった。わたしは鯨の王にとっての、好機なのだろうか。



「ウラフリータの魔力は、確かに鯨の魔力だった。しかし、ただの鯨の魔力ではない。その性質は、鯨神ウーデローネにほど近い」


「ふむ。ウーデローネとは龍神の名前にもある。鯨神とはなんだ?」



 知識欲のあるアルナシーム様が積極的に質問をする。



「我ら鯨は、鯨神ウーデローネの眷属なのだ。龍神ウーデローネとは大地のこと。鯨神ウーデローネとは海のこと。そして、ウーデローネとは魔力の象徴。名前が同じなのは、当然だ」


「大地由来の魔力と、海由来の魔力ということか?」



 話が難しくなってきた。フリタルトの授業で習っていない部分になると、途端に話についていけない。龍が大地由来の魔力というのはピンとこない。龍は空のイメージだ。まあ、鯨が海っていうのは分かるけど。


 洞窟に入ってから、思考が鈍い。


 水が近くにあるからだろうか。それとも、濃度の高い魔力のせいで、気圧の変化のように体調が悪くなっているせいだろうか。とくに、胃がムカムカする。へその辺りの魔力を動かしてから、身体中が気怠い。



「それだけではない。海由来というだけでは、普通の鯨の魔力を持った人間だ。ウラフリータの魔力は、白を基調とする魔力の本質。鯨神ウーデローネの魔力。つまり海そのものだ」



 死んで海になった。海がわたしを象った。


 ヨモギ、ウラフリータ、海、白鯨、鯨神ウーデローネ、様々な思惑が混ざり、わたしは生き返った。思惑の結晶は、転生という神秘を実現するのに足りたのだ。



「それで、契約は?」


「いいだろう。しかし、条件が三つある」



 ああ、そうだ。



「一つ目、余と契約するに相応しい王としての素質を見せること」



 あのとき、満足感があった。



「二つ目、竜の思想に惑わされず、鯨の子として生きること」



 あの満足感は、ウラフリータのものだったのか。



「三つ目、海を愛すること」



 ウラフリータは船が好きだった。お屋敷の自分の部屋の窓から見える海に憧れがあった。船に乗るのが夢で、あの日、初めて船に乗った。海に落ちて、しかし、夢が叶って満足だった。……満足? 本当に?


 分からない。


 ウラフリータが満足していたという結論に、客観的な思考で辿り着く。客観的な思考がヨモギの影響なら、わたしはヨモギを軽蔑する。


 自己嫌悪。


 分からないのも、良くない。わたしはウラフリータだから。しかし、ウラフリータの感覚を勝手に解釈するのは、ヨモギが許さない。満足なんて、感覚はウラフリータに持っていてほしくない。


 ウラフリータとして思考して、どうやっても満足に辿り着く。辿り着いた満足という結論を、ヨモギのせいにする。しかし、ヨモギのせいにしてはいけないと、ウラフリータが警告する。


 自己矛盾。


 気持ち悪い。


 わたしはその場にしゃがみ、嘔吐する。



「ウラフリータ様!」


「……吐しゃ物の魔力量が濃すぎる。なんだ? もうすでに、身体が魔力に耐えられなくなっているのか?」



 転生って、なんだよ。


 くそったれ。


 ナッツを食べられたじゃないか。ヨモギじゃないんだ。自信を持て。わたしはウラフリータだ。ウラフリータとして生きるのだ。力強く立て。誰かを頼ってもいい。アルナシーム様が、ウラフリータに教えた。わたしに教えた。モルシーナを支えに立ち上がる。


 口の中がすっぱい。


 ウラフリータを演じる必要はない。演じるというのは、ヨモギが主体だ。自然体こそがわたしをウラフリータたらしめる。ヨモギをお墓に閉じ込める。ヨモギの夢は、ウラフリータが叶えてあげる。


 ああ、分かった。


 わたしは自分が好きなんだ。


 ウラフリータのことも、ヨモギのことも愛している。


 けれど、ウラフリータは満足していて、ヨモギは満足していなかった。二人は似ているようで、全く違った。その違いを受け入れられなかった。満足していないヨモギが死んで、満足しているウラフリータが生きている。それは、おかしい。


 しかし、死んだ人間が生きるには、おかしさが必要だった。


 みんな、そのおかしさに耐えられない。


 だから、発狂する。


 それでもウラフリータは立ち上がる。


 なぜなら、ヨモギだから。


 これで、良い。


 この思考で、生きていける。生きていけるだけで十分だ。



「ヨモギという女の子を知ってる?」


「知らぬ」


「弱い女の子。わたしとは違う。わたしはヨモギを知っている。ヨモギの弱さを知っている。だから、ウラフリータは強い。わたしは強い。わたしと、ヨモギは違う。一緒なのにね」



 わたしは発狂を自覚する。


 目から涙が流れる。妙に生暖かい。血の匂いがする。血涙というやつだろうか。ああ、身体が魔力に耐えられない。発狂は、死の前兆だった。でも、満足なんかしていない。きっと、すでにわたしは、ウラフリータとも違う、たった一人の女の子、唯一無二の女の子、ウラフリータになっている。



「条件、三つだけでいいの?」


「なに?」


「それで、満足なの?」


「満足?」



 上手く翻訳されなかったのか、クイルホローはわたしに聞き返す。疑問形にしたのが悪かったのだろうか。爪が割れる。モルシーナがわたしを抱きしめるように支えてくれる。足に力は入っていない。足の爪も割れている。



「竜の王トロイテンではなく、鯨の王クイルホローこそ、世界の王に相応しい。竜の時代ではなく、鯨の時代が来る。『龍王書記』ではなく『鯨物語』が聖典になる。あなたの五〇〇年の耐えは、このくらいの成果でないと満足とは言えない」


「余が望むのは調和だ」


「じゃあ、それがわたしたちの目標ね」


「いや、余の目標だ。ウラフリータの目標は別にあるのだろう?」


「生きるのがわたしの目標よ」


「五〇〇年、何もしないで生きていた余が言うことではないかもしれぬが、生きて何をするかを聞いている。人が生きるには、それが重要だろう?」


「そんなのは簡単よ」



 転生し、自我が壊れ、魔力によって身体が崩れ、発狂し、何やら紆余曲折があって、自分でもあまり納得がいっていない、自然体というふんわりとした結論になっても、辿り着く一つの答えは、ハッキリとしていた。



「小説家になるの。それが生きる理由よ」

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