第10話 タラコットの町



 この世界にも馬車というものがある。馬は長距離の移動に優れていた。平民や、商人は馬を使って移動する。竜と契約するのは、魔力がある貴族だけだ。なので、この世界において、竜よりも馬の方が、一般的な移動手段ではあった。


 二台の馬車が、列になって進んでいた。サクラス川のせせらぎと、タイヤがカタコトと回る音が聞こえる。前を行く馬車は、貴族が乗る、ノースアロライナの家紋が付いた由緒正しき馬車だ。馬も、並足に安定感のある優秀な馬だった。


 後ろを行く馬車は、力持ちの馬が、大きな荷台を引いていた。領主の娘と、その側近が不自由なく暮らせるような、大量の荷物を運んでいた。馬を操る御者はプロである。重量の違う荷物を運んでいる二匹の馬が、列を乱すことなく進んでいる。


 御者はノースアロライナで行われるエンデュランス馬術競技で、三連覇を達成した。エンデュランスとは、馬の長距離マラソンとも言われる競技で、サコスローラ山脈からスタートし、ノースアロライナ城下町までの走破時計を競う。


 時計の遅い早いだけではなく、馬の健康管理が重要だ。コースは複数の区間に分かれている。次の区間に進めるのは、場体検査に合格した人馬だけ。さらに、ゴールしたあとにある最終インスペクションに合格して初めて、完走が認められる。


 馬と寝食を共にし、馬と信頼関係を築き、馬に敬意と感謝の気持を持つ。

 馬を飼い、家族として育て、調教する。

 馬を自然に乗りこなし、共に大地を歩み、旅をする。


 ノースアロライナの生活は、馬と共にあるのだ。



 サクラス川に沿って、舗装された道が続いていた。舗装と言っても、土を押し固めてなるべく平らにしただけだ。ガタンゴトンとタイヤが跳ねて、馬車が揺れる。ヨモギはよく乗り物酔いをしていたけど、ウラフリータは大丈夫みたいだ。



 窓の外から、活気のある声が聞こえてきた。サクラス川の途中から、分水路を作るための工事が進められていた。ローマ海洋に届くまで、すごい長さの穴を掘る。大雨や大雪によって水の量が増しても、氾濫して洪水を起こさないように、水の逃げ道を作っているのだ。



「あれが、アルナシーム様の公共事業ですか?」


「そうですよ。すでにノースアロライナ領内外から、10万人以上がこの事業に参加しているのです。ノースアロライナ最大の、いや、トロイテン建国以来最大の公共事業でございます」



 穴を掘ることで大量の土が生まれる。生まれた土は、馬によって運ばれる。運ばれた先で、積み上げられサクラス川の堤防になる。アルナシーム様による公共事業で、分水路と堤防を効率良く作ることができる。


 公共事業には、政変で失業した領民に一時的な仕事を与えるという目的もあると教わった。仕事は午前と、午後に区切られ、片方の時間で公共事業に従事したら、もう片方は仕事に役立つスキルを身に付ける時間になる。人気の授業は、農業だと聞く。


 分水路の周辺は農業地帯である。分水路によって水の調節を行い、農業の効率も上げる。洪水の心配がなくなったのも農業においては良いことだ。とくにアロイド平野は土地が低いので、川から一度氾濫した水は逃げ場を失い、その場に溜まり続けることになる。そうなれば、畑や田んぼは大ダメージだ。


 もうすぐ秋の収穫の季節だ。田んぼや畑には見るからに作物が育っている。雪解け水のおかげで豊穣の大地なのだ。黄金に輝く麦の群れが、穏やかな風に揺れている。のどかな風景はノースアロライナの領民性を表していた。みんなマイペースだった。



「城下町とは雰囲気が違うわね」


「貴族の文化を中心とする城下町の華やかさと比べたら、農地は穏やかに思えますね。しかし、タラコットの町は、また農地とは様相を変えますよ。商人、職人、農民が生活する活気あふれる町ですから」


「楽しみね」



 タラコットの町はノースアロライナのへそと呼ばれている。とくに、ここ数年の活気は凄まじい。アルナシーム様の影響で、優秀な平民が他の領地から移住してくるのだ。様々な文化や、技術が取り入れられ、町として目覚ましい成長を遂げている。


 周辺は領主の直轄地となっている。ノースアロライナの城下町、タラコットの町、クルトコの港町、それから管理下にある村々を直接支配しているのがドラゴ・ノースアロライナだ。


 ノースアロライナのそのほかの地方は、ラームと呼ばれる代官が置かれている。サコスローラ地方ならば、ラーム・サコスローラが管理している。ラームの中には領主に匹敵するほど大きな権力を有する家もあったけど、昨今の政変の影響と、アルナシーム様の活躍で、ドラゴに権力が集中しつつあるのが、今のノースアロライナの情勢だ。


 わたしが竜と契約できなかったとなると、ドラゴに対する不信が広まることになる。今のままでは、トロイテンの貴族として失格の烙印を押されてしまう。ノースアロライナの領主候補が、竜と契約できなかったとなれば、他の領から嘲笑われてしまう。


 ノースアロライナに勢いがある今、みんなそれだけは避けたいと思っている。


 竜と契約できなかったわたしは、人の目に付かないように屋敷の離れに隔離され、魔力に身体が耐えられなくなって死ぬのを待つだけの生活になる。小説を書かせてくれるなら、軟禁でも、監禁でも、受け入れてやる。簡単には、死んでやらないけどね。


 ウラフリータの存在ごと、なかったことにされるのは、ヨモギが許さない。


 書くのは、ウラフリータの小説。


 トロイテンの全ての民が読むような、傑作大衆小説。


 その小説が、ウラフリータの存在証明になる。



 町の入口では、少しだけ待たされる。領主の娘を受け入れるための体勢を整えるには時間がかかる。城下町のような貴族専用の入口などはないので、交通整理を行わなければいけない。


 馬車の中は、すごく暇だ。

 別に暇でもいいのだけど、暇つぶしに本を読ませてほしい。

 この世界の本を、一冊も読まないで死ぬなら、話にならないね。


 タラコットの町はぐるっと城壁で囲まれていた。北南東に三つの入口があり、それぞれ厳重な門がある。門番を行うのは、騎士ではなく、兵士だ。兵士は平民によって構成され、町中でも剣を持つことが許されている。兵士の仕事は様々だが、主に治安維持と、冬の雪かき、それから、こうして町に訪れる客人の身分を確認すること。



「敵は竜に乗って空から来るのに、門や壁は何の意味があるのかしら?」


「空から来たら目立ちますから、対処も簡単です。防衛側の考え方としては、一般人に紛れ込まれた方が厄介なのですよ」


「ふーん」



 忍者とかスパイみたいな、敵の本拠地に忍び込む役割の人間が、この世界にもいるのだろうか。6歳のうちに勉強する範囲では、ノースアロライナの機密事項に関わる内容を教わることはない。全ては、竜結びの儀が終わってからの話だ。竜と契約できて、貴族は初めて人として認められる。

 人としての権利、日本語の『人権』に該当するような言葉は公用語にはない。


 貴族として生まれたとき、道徳や人道よりも、利益や面子が優先されることの方が多い。竜と契約ができなかった貴族への潜在的、現実的な差別問題は、誰も問題だと思っていない。だから、わたしも隔離、軟禁、監禁される可能性があるわけだ。


 問題提起は文芸の役目だ。


 世界誕生の瞬間から無限の時間の中で発生した、無限の問題を提起する、無限の小説家が必要だ。

 

 馬車が進む。


 緊張する。緊張? 違う。これは、漠然とした不安だ。色んな不安が混ざっているから、緊張しているのだと勘違いをした。緊張と不安は似ている。しかし、わたしは張り詰めていない。余裕で、不安だった。


 新しい場所で暮らすのは不安だ。それは、転生して日本から異世界に来るという大きなものから、病気の療養のために引っ越しをするという小さなものまで、大小さまざまである。小さいというのは、距離の話だ。不安の大きさではない。不安とは大きさによって測られるものではない。


 タラコットの町に入る。城壁よりも、屋根が高い建物が並ぶ。屋根より上は、青空と白い雲がある。歓声が聞こえる。目線を下げる。道の両端に群衆が集まっていた。わたしの名前を叫んでいる人もいる。ウラフリータ様。ばんざーい。なんだよ。みんなわたしを知っているじゃないか。



「ジルボーデンの小説を書いたら、次はタラコットの町を書くわ」


「気に入りましたか?」


「ええ。第三の、いえ、タラコットを第二の故郷としましょう」



 ウラフリータについての小説は書かない。


 ヨモギのお墓は小説で、ヨモギの小説はお墓だ。


 ウラフリータは死なない。




◇◇◇




 タラコットの町にある、領主一族のためのお屋敷は、アルナシーム様の居住地となっている。アルナシーム様が、わたしの面倒を見てくれることになって、わたしも一緒にお屋敷に暮らすことになった。連れてきた側近は、モルシーナだけだ。


 アリスローゼもテスタートもお留守番。フリタルトからは、課題を沢山貰っている。勉強は楽しいけど、アルナシーム様の特別授業もあると聞いてげんなりしている。果たして、小説を書く時間はあるのだろうか。


 お屋敷に到着すると、アルナシーム様自ら出迎えてくれた。お屋敷で働く従者たちが、もう一台の馬車から大量の荷物を運び出すのを尻目に、わたしはアルナシーム様に挨拶をする。こういう時は、お世話になります的な意味合いのある竜で挨拶を結べばいいのだろうか。



「導きの竜ミロルバ……あっ、やっぱり、愛護の竜アマーシラータの導きがありますように」


「結びます」



 ミロルバミューダの導きなんていらない。あいつ、嫌なやつだし。竜ってみんなあんな感じなのだろうか。パワハラ気質のセクハラドラゴン。アルナシーム様は苦笑いで挨拶を結ぶ。



「長旅ご苦労。すごい群衆だったな。交通整理を慌てて行ったおかげで、町中に到着が知らされたらしい。そしたらあの有り様だ。みんなお祭りが好きなんだ。驚いただろ? 許してやってくれ」


「みなさんの歓声に、元気を貰えましたよ。わたくし、ここに来るまで少し不安だったのです。新しい土地で暮らす不安と、身体のことの不安が混ざって、複雑な思いだったのですが、それが吹き飛びました」


「ふむ。気丈に振舞っていたが、まだ子供だったな」



 アルナシーム様に頭を撫でられる。わたしは宝石にならないよ。



「鯨の王クイルホローに会うのは、旅の疲れを取ってからにしよう。彼の住処に行くにも、長時間の移動が必要だ」


「鯨の王はどこに暮らしているのですか?」


「海の近くにある洞窟の奥だ。馬車で移動してから、洞窟の中は歩くことになる。体力はあるか?」


「自信あります」


「そうか。なら良い」



 テスタートにしごかれているからね。


 わたしとモルシーナは部屋に案内される。領主一族が使用する部屋だから、隣が客間になっている。その客間をモルシーナが暮らす部屋として利用する。領主の娘の部屋と考えたら、広くはない部屋だけど、生活するには困らない。


 案内をしてくれたのは腰の曲がった老婆だった。名前はトロートさん。ベテランの使用人らしい。お屋敷の筆頭使用人を引退して、今ではお屋敷の相談役になっているそうだ。今回のような不測の事態には、トロートも駆り出される。



「ご夕食はアルナシーム様とご一緒に、朝と昼の軽食は用意いたしますのでご自由に、それから、身体を清める際は、こちらで暖かいタオルを用意しますのでお声がけください。そのほかに、何か困ったことがあれば何なりとお申し付けくださいませ」


「わかりました」



 返事はモルシーナが行う。トロートは部屋から退出した。



「では、わたしは荷解きを行いますので、ウラフリータ様はご休息ください」


「フリタルトからの課題を優先して荷物から出してちょうだい」


「かしこまりました」



 大量の荷物は、いったん、モルシーナが使う客間に押し込んである。あの量の荷物の荷解きを一人でやるのは大変だと思うけど、わたしが、特にモルシーナが信頼できるような仕事仲間が、このお屋敷にはいない。完璧に仕事をこなすことを求められているモルシーナにとっては、他人の手伝いなど、むしろ足手まといだった。


 フリタルトからの課題が、机の上に山積みになる。課題の内容は、アルス・リーベラーリスに基づいている。言葉に関わる三学芸である『文法』『修辞学』『弁証学』と、数に関わる四学芸『算術』『天文学』『幾何学』『音楽』の七科目を総合的に学ぶ。


 とくに楽しいのは天文学だね。天文学では龍神メテロノーレの軌道を学ぶ。龍王書記から逸脱した、自然科学の領域の学問だ。アルス・リーベラーリスを学び、リベラル、つまり、自由な人間としての素養を得て、ようやく本を読むことを許される。


 トロイテンのどこにいても、龍神メテロノーレは同じように見える。フラットなこの世界には、時差という概念も存在しない。太陽のように明るいけど、太陽とはまるで性質が違う。この世界にとって龍神メテロノーレは絶対的な存在であり、真理だった。


 すると天文学は真理を追究する学問なわけだ。


 わたしが小説を書いていて、求めているのも真理だった。『発行部数30万部突破!』『○○賞受賞作品!』『海外絶賛! スコア9.1!』みたいなクソみたいな相対化された評価ではなくて、絶対的なものが書きたい。『墓』いいね。墓は、おしい気がする。


 窓の外には、タラコットの町がよく見える。


 本屋はあるだろうか。


 墓はあるだろうね。


 ヨモギは、夏休みの宿題をギリギリまでやらないタイプの女の子だった。夏休みは、お母さんの小言がうるさかったのを思い出す。わたしは、自分のお尻を叩く思いで気合いを入れる。


 旅の疲れを取るなかで、わたしはフリタルトからの課題を三日で終わらせた。

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