第9話 竜



 わたしは真っ白な服を着ていた。上衣とスカートが一緒になったワンピースだ。あんまし、似合っていない。このワンピースはわたしが着るには白すぎる。今日は、竜と契約する日だった。竜と契約するときには、この真っ白な服を着るのが伝統らしい。


 竜との契約は、アリスローゼと同時に行う。一人だと心細いから助かる。アリスローゼもわたしと同じ真っ白なワンピースを着ていた。真っ赤な髪と、真っ白のワンピースはよく似合っている。



「ウラフリータ様も、似合っていますよ」


「そうかな? そうかも」



 アリスローゼに褒められる。お世辞だろうか。それとも、この世界の美意識は、白すぎるわたしも美しく見えるのだろうか。分からないね。アリスローゼの感性が独特なのかもしれないし。


 客間にあった勉強机は撤収されて、床には一枚の大きな紙が敷かれていた。紙には魔法陣が書かれている。魔法陣も名前だけはフリタルトから教わった。どんな原理か分からないけど、ここに魔力を流すと魔法陣が作動する。


 魔法陣を作動させるために、魔力の操作の練習が必要だった。紙に魔力を流して、スライムになった経験があるのだけど、大丈夫だろうか。



「では、行きますね」



 アリスローゼは裸足で魔法陣の上に乗る。どちらが先に儀式を行うかは、事前に決めてある。基本的にこういう儀式は、身分が低い人から行うのが基本だ。アリスローゼが魔力を流すと、魔法陣は淡い光に包まれる。


 光は一瞬だった。


 アリスローゼは目をパチパチとさせた。そして、魔法陣から退く。



「あら? 失敗かしら」


「成功ですよ。手に竜石を握っています」


「ずいぶん早いのね」



 あまりにも一瞬の出来事なので、失敗かなと思った。モルシーナに言われて、アリスローゼの手を見てみると、赤い宝石が握られていた。お父様の宝石と似ている。違うのは、色だけだ。お父様のは青だったけど、アリスローゼは赤だ。



「早かったですか? ミロルバミューダ様とは、かなり長く話していたつもりでした」


「え、竜と会話をしたの? わたし、竜の言葉とか分からないよ」


「公用語を話してくれましたよ。あ、公用語のように聞こえるだけで、魔法によってコミュニケーションがとれている状態だとも言っていました。よく分からなかったですけど」



 どうやら、アリスローゼは時間の進みが違うヘンテコな場所に連れていかれていたみたいだ。なんだか、魔法ってかんじだね。



「へー、本物の竜と会話するなんて、なんだか緊張してきたわね。どうして事前に教えてくれなかったの? ……フリタルト?」



 フリタルトは難しそうな顔をしていた。飄々とした彼のそんな顔は見たことがなかった。やっぱり、失敗だったのだろうか。



「……導きの竜ミロルバミューダと会話したというのは、聞いたことがありません」


「ふーん。仕様が変わったのかしらね」


「アリスローゼさん、何の竜と契約を結んだのか教えてください」



 場を和ませようとするわたしのジョークはスルーされて、フリタルトはアリスローゼに質問する。わたしを無視するなんて、そんな失礼なことを普段のフリタルトならするわけもないが、どうやら切羽詰まっているみたいだ。



「はい! なんと! わたしが契約した竜は、赤竜です!」



 アリスローゼはどや顔で赤い宝石をわたしに向けた。わたしは「おー」と拍手をする。すごいじゃん、アリスローゼ。赤竜ってあれだよね、特別強い竜だよね。征夷大将軍がなんたらってことを授業で習った。


 モルシーナもテスタートもアリスローゼを褒めたたえている。ノースアロライナがこれから頑張ろうってときに、将来有望な若者が誕生すると士気が向上するね。



「同じ時代に赤竜と契約した人間が二人……?」


「珍しいの?」


「歴史上に、そのような記録はありません」


「素敵。アリスローゼの本を書くときに、役立ちそうな設定ね」



 フリタルトが何を難しく考えているのか分からないけど、ノースアロライナに優秀な人間がまた一人生まれたのだから喜ばなくてはいけない。それがノースアロライナの領主候補としての務めでもある。


 アリスローゼはわたしの友達だ。個人的にも喜ばしいことである。



「わたしのことも本にするのですか?」


「まあね。じゃあ、次はわたしの番ね」



 アリスローゼと交代して、わたしは魔法陣に足を踏み入れる。


 魔法陣に魔力を流すのはおちゃのこさいさいだ。魔法に関するあれこれは得意だった。脳みそに宿っている意識を、おへその辺りに持っていく感覚。そこにある魔力そのものを掴んで、操る。足の裏から、紙に魔力をポンプのように送り出す。


 わたしの視界は、まばゆい光に包まれた。




◇◇◇




 日本だった。


 しかし、わたしはウラフリータだった。目の前には海が広がっていた。わたしは息を飲み、後退する。恐怖がわたしの身体を支配した。しかし、海に罪はない。穏やかな海だった。


 わたしは砂に足を取られながら、内陸を目指した。山のように盛り上がった堤防に、綺麗なアスファルトの道路が敷かれていた。道路の上を車が通った。やはり、日本だった。しかし、一瞬で通り過ぎた車の窓に映る、わたしの背後には、何か大きな生物がいるように見えた。



「おい」



 声をかけられて、わたしは海を振り返る。

 

 海は見えなかった。


 大きな竜がいて、わたしと海を遮断した。



「なんだ? ここは」


「に、日本です」


「魔力が極端に薄いではないか。その割には、高度に文明が発達している。おかげで随分と、お前を見つけるのは簡単だったぞ。この空間で魔力を有した生物は、我とお前だけだ」



 わたしの目の前に竜の顔がある。竜は砂浜にいて、堤防の高さの分、目線が合った。竜は白い身体で、黄金の雰囲気を纏い、そして日本語を喋った。公用語ではなかったのは、おそらく、翻訳の魔法の影響だろう。わたしは日本語に愛着があった。



「ミロルバミューダ様ですか?」


「いかにも、我がミロルバミューダだ」



 うわー。まじか。『龍王書記』とは創作物ではないのか。ノンフィクションなのか。本物のサンタクロースに出会った気分だよ。フリタルトが切羽詰まっていた理由が分からない。導きの竜ミロルバミューダと会話できている。



「では、竜と契約させてください。わたくし、ここにいる資格がないのです」



 とにかく、ここは居心地が悪い。ウラフリータはこの景色に馴染まない。懐かしさに浸ることはしない。ヒッチハイクでもして家族に会いに行くのもいいけど、センチメンタルな気分になるには、わたしはウラフリータとして何も成し遂げていない。


 とにかく、情けないのは嫌いだ。


 家族が前を向いていると信じて、わたしも前を向く。お互いに前を向くと、背中を合わせることになる。日本の前と、異世界の前は、反対だった。お互いに前へ進むと、距離が離れていく。異世界転生ってそういうものだ。



「ふむ。そうしたいのはやまやまだが、お前は竜とは契約できない」


「はい?」



 ミロルバミューダの言葉に脳の処理が追い付かない。竜と契約できなければ、わたしは近い将来、魔力に身体が耐えられず、発狂して死んでしまうではないか。それは困る。人生が二回あって、二回とも小説家になれないで終わるなんて、情けなくて仕方がない。



「お前の魔力は、竜のものではない。よって、竜とは契約ができない」


「竜と契約しなければ爆発して死んでしまうと聞いています」


「爆発はしない。ゆっくりと死ぬ。水に溺れるように、魔力に溺れるのだ」


「ひぃ」



 ミロルバミューダの余計な比喩表現に、わたしは青ざめる。絶対、翻訳の魔法のせいだ。わたしにとって、もっとも恐ろしい死に方に、自動的に翻訳されたのだ。翻訳の魔法、カスだよ。カス。



「な、なにか、方法はないのですか?」


「二つある。結局は体内に魔力が溜まるよりも早く、外に魔力を放出したらよいのだ。男の場合は、射精を続けろ。女の場合は子を孕み続けろ。それが効率よく魔力を体外に放出する方法だ」


「……もっと、人道的な方法はないのですか?」


「ふむ。竜に人道を求めるとは、腑抜けた娘だ」


「そもそも! 現実的ではありません。わたしは、まだ妊娠できる年齢にないのです」



 ミロルバミューダから伝えられたグロテスクな方法は、わたしにとっては辛過ぎる。妊娠ができる年齢になるまで、生きていられる保証はないし、閉経してしまったあとは、死を待つのみになってしまう。


 それに、わたしの魔力を持った、わたしの子供は竜と契約できないのではないだろうか。そうだとしたら、わたしの子供も、わたしと同じ運命を辿るのだ。それが分かっているのに、たくさん子供を産むというのは、わたしの命が助かるのだとしても、選択できない。


 男子の方法も、あまり詳しくは分からないけど、射精しすぎて死ぬみたいな話を聞いたことがある。テクノブレイクみたいなやつ。ミロルバミューダの提案は、人道的ではないし、現実的でもない。そして、賢くもない。



「では、死ぬしかないな。それが人の業だ」


「もう、いいです。死ぬまでにあがいてみせます」



 みんなの力を借りて、なんとかしないといけない。竜に頼らない方法の研究している人を探そう。魔力摘出手術なんてどうだろうか。生きていけるなら、魔力がなくても良い。平民は魔力を持っていない。魔力がなくても、小説は書ける。



「では、帰れ」



 ミロルバミューダが合図をすると、わたしの身体は眩い光に包まれる。意識がなくなる瞬間に、わたしはミロルバミューダに向かって中指を立てた。とても不快な竜だった。意趣返しに、中指くらい立てないと気が済まない。




◇◇◇




 わたしが竜と契約できなかったという情報は秘匿された。信頼できる関係者がお屋敷に集められ、緊急会議が行われる。そもそも、ミロルバミューダと会話をしたというのが、初めての事例だった。有識者として、アリスローゼも呼ばれた。大人の会議に参加して、アリスローゼは緊張していた。


 お屋敷の会議室が使われることは滅多にない。秘密裏に会議を開催するために、深夜に会議は開始した。準備に関わった人間も、お父様の側仕えと、モルシーナだけだ。ランタンの明かりだけが頼りの、うす暗い会議である。



「幸い、竜結びの儀でお披露目があるまで、ウラフリータは非公式の存在だ。ノースアロライナにとって、大きな影響はない。竜結びの儀までに、良い方法が思いつかなければ、隔離処置になるだろう」



 会議にはアルナシーム様も召集された。彼女だけが、冷静だった。公私を分けることができるお父様も、もちろん、お母様も、冷静を装っているが、内心では取り乱しているように見えた。ポーカーフェイスができていないのだ。



「魔力に耐えられなくて、死んでしまうというのは、想像できませんね。案外、耐えられるかもしれません。ミロルバミューダは、水に溺れるように、魔力に溺れて死ぬのだと言っていましたが、わたくし、海に落ちてもなんとかなりましたもの」


「ふむ。身体が丈夫で、なおかつ、魔力量が少なければ、案外、耐えられるかもしれない」



 わたしの場を和ませるための気丈な発言に、アルナシーム様も乗ってくれる。とにかく、どんよりと暗いままではいけない。建設的な意見じゃなくてもいいから、何か言葉をかけてほしい。


 わたしだって不安だけど、余命宣告をされるような病気に罹ったと思えば、未知の感覚ではない。そういう病気をなんとかしようと、頑張っている人たちがいることは知っている。



「ミロルバミューダは、わたしの魔力は、竜の魔力ではないと言っていました。おそらく、キング・トロイテン建国前の話になると思うのですが、竜以外にも人と契約して、魔力を与えていた生物がいたとか? それの隔世遺伝や、先祖返りなどだとは考えられませんか?」


「ふむ。ならば、竜の魔力ほど混ざってはいないだろう。竜と契約せずに、魔力を有しても問題がなかった時代がある。ウラフリータの身体が魔力に耐えられる可能性は、十分にあるだろうな」



 会議は、わたしとアルナシーム様の会話で進んだ。ここにいる人たちは、身分が高いけれど、何かの有識者というわけでもない。創造力を働かせることができるわたしと、知識が豊富なアルナシーム様以外は、会話についてくるので精一杯だった。



「モルシーナ、質問がある」


「は、はい!」


「ウラフリータを看病していて、なにか気がかりなことはなかったか。どんな些細なことでも良い。思い出せる範囲で、ヒントになる」


「……気がかりで言うと、スライム事件でしょうか」


「いや、あれは関係がない。わたしも紙に魔力を込めてみたら、スライムになった。ウラフリータの魔力の性質とは関係がない」


「……では、お漏らしでしょうか」


「ちょ、ちょっと!」



 まさかの暴露に、わたしは慌てふためく。アリスローゼが驚いた顔でこちらを見る。そうだよね。お漏らしするようなキャラじゃないもんね。恥ずかしい。頬が朱色に染まっていくのが分かる。



「他人の魔力を身体から排出する場合は、時間をかけてゆっくりと外に出していくのですが、ウラフリータ様の場合は、アルナシーム様の魔力を一晩にして全て、排出なさいました。ウラフリータ様の魔力の質が高いからだと思っていましたが……」


「性質がまるで違う魔力だったと」



 アルナシーム様は、モルシーナの言葉尻を奪う。なるほど、毛糸が青色にならなかったのはそういう理由か。わたしが目覚めてから鏡を見たのは、お漏らしをする前のこと。きっと、わたしの身体にあった青いオーラは、身体に残っていたアルナシーム様の魔力だ。やっぱり、わたしの魔力は白なのだ。



「ふむ。分かった。兄上、ウラフリータに関しては、わたしに任せてはくれませんか」


「……どうにかできるのか」


「有識者を知っています。それから、キング・トロイテンにも報告をして、協力してもらいましょう。貸しが一つあるので、それを返してもらいます。竜結びの儀までには、間に合わせますよ」



 キング・トロイテンまで出てくるのか。国王様を巻き込んで、海に落ちたときもそうだけど、ずいぶんとアルナシーム様には迷惑をかけてしまった。公共事業も佳境で忙しいだろうに、申し訳ない。



「みんな、不安な顔をするな。一番不安なのはウラフリータ本人だ。それに、勝利を確信したわけではないが、わたしには根拠のない自信がある」


「そうですよ。わたくし、魔力になんて負けません」


「その意気だウラフリータ。なにより重要なのは、心で負けないことだ」


「分かります」



 魔力を恐れてはいけない。剣を磨き、小説を書き、心を鍛えたら、魔力に打ち勝つことだってできるはずだ。くそー。死んでたまるか。ムカムカしてきた。絶対に魔力を克服してやる。



「よし。では、他に何か報告しないといけないことはないか?」


「あります! わたくし、自分の魔力の正体に見当がついています」


「ほう、それは重要な情報だな。言ってみろ」



 わたしが目覚めたときから、いや、目覚める前から、関わっている生物がいた。敵か味方か、目的は何なのか。しかし、その生物の影響で、わたしが転生したのは、間違いないと思う。アルナシーム様のように、根拠のない自信がある。



「わたしの魔力は、鯨の魔力です」


「喜べ。根拠のない自信が、確信に変わった」



 アルナシーム様は勝利を確信して、笑った。



「わたしの知っている有識者とは、鯨の王クイルホローだ」

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