第8話 魔法



 はるか昔、初代キング・トロイテンが竜と結んだ契約によって、人間は魔力を得た。魔力があれば人間はなんだってできた。特別な服を編むこともできたし、食物を効率的に生産することもできて、家を建てることだってできた。衣食住を魔力で賄えるようになって、人間の生活は安定した。


 やがて人間は、自分の子供に魔力を伝える術を得た。母親の身体を父親の魔力で満たすことで、母親と父親の魔力の性質が混ざったような子が生まれた。ノースアロライナ貴族の性教育でもそれを学ぶ。六歳で性教育なんてと思ってしまうのは、日本人の感覚だろうか。


 遺伝によって魔力を存続させる術を得たことで、竜との契約を打ち切った。竜から魔力を貰わなくても済むようになったのだ。竜と人間の契約解除は、口だけ賢者ローレライが活躍した時期と重なる。この出来事に、ローレライの関わりは薄いと思うけどね。


 ローレライの時代からしばらくして問題が発生する。魔力を持った貴族が世代を重ね、様々な性質を持った魔力が混ざることで、魔力の質は向上し、量も劇的に増加した。しかし、その成長した魔力に人間の身体が耐えられなかった。


 ある時期を皮切りに、魔力の暴走により貴族の子供が死亡する事例が多発する。発熱、発狂などの、キッカケが分かるものから、朝、なかなか起きないなと思ったら死んでいたというものまで、症状は様々だったが、その時代の変死は、魔力に身体が耐えられなかったのが原因だ。


 そこで、竜に謝罪をして、人間の身体では耐えられない魔力の受け皿になって貰おうという主張がどこからか生まれた。しかし、今になって竜に謝罪をするなど、貴族としてのプライドが許さないという反論も出てきた。


 ごめんなさい派と、プライド派、この二手に分かれて戦ったのがトロイテン王国最初の政変である。もちろん、結果はごめんなさい派が勝利し、人間は竜と再度契約を結ぶことで、質の高い魔力にも耐えられるようになった。人間とはどこの世界でも、自分勝手な生き物だね。


 ちなみに、この政変に乗じて成り上がったのが、初代ドラゴ・ノースアロライナであるわたしの先祖のトッテンハイムさんだ。ローレライを口だけの男だと論破し、世界の理を証明することで、元々はプライド派の大貴族が治めていたアロライナ地方の北部、ノースアロライナを賜わった。



「魔力を持った人間は竜と契約しなければ、身が朽ち、命を落としてしまいます。それまでに竜と契約できるように、お二人は魔力を操る練習をしましょう。具体的には、秋にある竜結びの儀までに、竜との契約を済ませます」



 わたしとアリスローゼは、特殊な毛糸をチクチクと編み込む。魔法の練習と聞いて、想像していたものと違う。ファイヤーボール! とか、ウォーターカッター! とかをイメージしていた。というか、竜に乗って魔法をぶつけて戦うというのは、どうやったってそのイメージになる。


 しかし、ファイヤーボールだとか、視覚的に魔法だと分かるような魔法攻撃は存在しないようだ。ポルビーと呼ばれる短い杖を使って、魔力の塊をぶつけ合うのがこの世界の戦闘スタイルらしい。


 漫画やアニメのような必殺技を考えていたけど、徒労に終わる。


 魔力というのはエネルギーで、魔力によって動作する道具を魔道具と呼んでいる。魔道具の中には、魔力を火に変換するようなものもあるけど、火がボールの形になって飛んでいくなんてものはない。トイレのスライムも魔道具らしい。


 魔導書とかはあるのだろうか。この世界の本には詳しくない。書いてみたいな。書くためには、魔法について詳しくならないといけない。まずは、チクチクと特殊な毛糸を編み込むことからだ。



「ふむ。ウラフリータ様、しっかりと魔力を毛糸に込められていますか?」


「ええ。上手にできていると思うのだけど、ほら、編み物に魔力を感じられるでしょ?」



 わたしの魔力を感じ取る力は、子供にしてはかなり優れているらしい。思えば魔力をお漏らししたときも、自分が漏らした魔力の青っぽさを感じることができていた。アリスローゼと比べても、わたしの方が魔力に対する感覚は鋭かった。



「そうなんですが、これは特殊な毛糸ですので、込められた魔力の性質によって変色するはずなのです。ウラフリータ様の場合は、青色になるはずですが、変化がないですね」



 わたしが編んでいる毛糸は白色のままだ。一方で、アリスローゼは赤色に変化している。魔力に対する感覚はわたしの方が上だったけど、魔力を込めるのはアリスローゼの方が上手いみたいだ。



「下手くそなのは、悔しいわね」


「いや、上手なのは確かです。下手ではなく、変です。原因は分かりませんね。このような症例が他にあるのかどうか。魔法の専門家に聞かないと見当が付きません。しかし、重要なのは竜と契約することですから、毛糸に魔力が込められているなら、問題はないでしょう」



 わたしがちょっと変なのは自覚がある。転生者なのだから当然だ。魔力に色がつかないというのは、転生者特有の症状なのだろうか。そういえば、最近、鏡を見ても、青色オーラのようなものは消えている気がする。髪色や肌の色がもともと青っぽいから気になってはいなかった。



「もしかしたら、わたしの魔力の色は青ではなく、白なのかもしれません。そしたら、毛糸が白から変化しない理由も分かります」


「それは、それで変ですね。白というのは聞いたことがありません。ウラフリータ様の魔力が新しい性質を持つことは考えらないことです。魔力は、両親の性質を混ぜたように遺伝するのですから。白というのは、混沌から最も遠い性質ですよ」



 少し前までは青だったのだ。原因を考えたら、わたしが転生者だということに辿り着く。そして、フリタルトは否定するけれど、わたしの魔力の性質は白色なのは間違いないと思う。


 わたしとウラフリータの間にあった、白鯨の記憶。


 鯨ではなく、白鯨。


 あの白の感覚は、きっと魔力の色なんだと思った。




◇◇◇




 ノースアロライナには四季が存在する。夏はそれなりに暑いこと、冬には雪が降ることは知っている。ノースアロライナの春と秋の気候は説明が難しい。春は気温が上昇することで、ローマ海洋が蒸発し、雨が良く降る。秋は収穫と祭りの季節だ。


 龍で表現されるトロイテンの暦の上では、今日からが秋ということになっている。秋風は涼しいが、風が無い場所では、夏の暑さが残っている。残暑というのは、人間のやる気を削ぐね。ノースアロライナ体操にも身が入らない。



「わたしは魔力が赤いので、赤竜と契約できると勝手に勘違いしていました。魔力の色に関係なく、導きの竜ミロルバミューダによって、その人物に適した竜と契約が結ばれるようです」


「ふーん。なんか、しっくりこないわね」



 竜との契約と言われても、具体的には想像ができない。そもそも竜と契約しなければ、人間は魔力に耐えられずに死ぬというのも、あまり納得がいかない。ヨモギとしての記憶のせいで、常識が歪んでしまっているのだ。


 ウラフリータとして生きていくなら、ちゃんと、価値観をこの世界の常識にすり合わせないといけない。


 ヨモギのお墓。ヨモギについての小説があるから、わたしは躊躇いなくウラフリータとして生きていける。わたしの中に残った、ヨモギとしての感覚が消えるという恐怖を、わたしはすでに克服している。



「経験したら分かるわよね」


「そうですよ。何事も経験だと兄が言っていました。あ、えっと、兄というのは次男のアルトハットの方ですね。アルトハットも女癖が悪いことを除けば、尊敬できる兄ですよ」


「その経験というやつには、女遊びも含まれているのかしら?」


「……」



 ノースアロライナ体操は、雑談をしながら行う。お屋敷の庭には、ローマ海洋からの風が定期的に届くので涼しい。テスタートは眠そうに欠伸をしていた。なんて勤務態度だ。減給したいのはやまやまだが、彼はわたしの命を守ってくれる。社会科見学のおかげで、騎士とは何かを知った。


 ランニング、受け身の練習が終わると、剣の素振りを100回。手にマメができないようにグローブを着けて剣を握る。領主の娘として、身体に傷ができるのは、ノースアロライナの不名誉になる。


 海に落とされたのだって不名誉だ。わたしはノースアロライナの象徴だ。わたしが海に落とされたというのは、ノースアロライナの治安の悪さの証明になってしまう。


 六歳という年齢で側近の護衛騎士が配属されたのもきっとそれが理由だ。本来、側近の護衛騎士というのは、しっかりとした教育を受けてから、自分で選ぶものである。


 下級貴族でありながら、若くて優秀なテスタートがわたしの護衛騎士として配属を許されたのは、やはり、政変の残党への対策だろう。まだ若く、派閥の色がついていないテスタートは、比較的安全だった。


 傷はダメとはいえ、わたしの身体は見た目に反してカチカチだ。海に落ちても身体には傷一つなく、心だけが傷ついた。この前、足の小指をソファーの角にぶつけたけど、全く痛くなかった。それなのに、ランニングをすると脇腹が痛くなる。身体の不思議だね。


 剣を振っていると、空に竜が見えた。クルクルと屋敷の上を旋回して、庭を空けるように合図を出している。わたしたちは、玄関前の噴水近くにまとまって避難する。安全を確認したあとに、竜が庭に降りてくる。


 雄大な青竜に乗っていたのは、お父様だった。今日も朝帰りみたいだ。


 わたしは竜から降りるお父様に駆け寄って、挨拶をする。活力の竜テスコラッソの導きを祈ると、お父様の優しい声で結ばれる。完全にプライベートのときの声色だった。お父様が竜を撫でると、竜は青い宝石に姿を変えた。



「朝から剣の稽古か。偉いな」



 お父様はわたしの頭を撫でる。わたしは撫でても宝石にはならない。けれど、お父様にとってわたしは宝石のようなものだった。こうして、お父様に撫でられた記憶はあまりない。ウラフリータが生まれたときには、すでに政変の兆しがあった。



「お父様は、今日はお休みですか?」


「いや、ディオランテを連れて領内を視察する」



 えー。いいなー。


 基本的には過保護だから、わたしに外出の許可はでない。許可が出たとしても、貴族街の一部だけだ。例えば、騎士団の視察とかね。わたしも領内を視察して、平民の生活を学びたい。大衆向けに小説を書くのなら、庶民の暮らしを理解しないといけない。


 お父様はわたしの不満そうな顔に気づいて、苦笑いを浮かべる。

 


「ノースアロライナに憂いが無くなったらだ。それまでは我慢しなさい」


「はーい」



 わたしは間抜けた返事をした。


 お父様はわたしに別れを告げて、お屋敷の方に歩いていく。玄関には側仕えの男性が立っていて、お父様を出迎えていた。男性はお屋敷の監理を任されている人だ。わたしはお父様の姿が見えなくなるまで見送った。


 朝日が反射した金色の髪の眩しさが、目にいつまでも残っていた。




◇◇◇




 わたしのネイビー混じりの黒髪は、鯨の身体の色に似ていた。鏡に映る自分を眺めていると、だんだん、ポケモンのホエルコに見えてきた。ホエルオーの進化前だ。青っぽい雰囲気に変化はないが、青色のオーラは消えている。


 よく分からないな。魔法。大人になったら分かるようになるだろうか。19年生きたとしても、分からないことだらけなのは知っている。あのトイレのスライムも魔法だ。魔法というのは、本物のサンタクロースなのではないか。


 午後の自由時間には小説を書いている。剣の鍛錬が始まってから、丘まで歩くのは止めた。流石に体力が持たない。丘まで足を運ばなくても、部屋の窓から海は見えた。見えづらいけどね。


 水への恐怖を克服するために、水についての小説を書くことにした。騎士団長から心を鍛えるという考え方を学んで、剣ではなく、小説で水を克服できるのではと考えてのことだ。


 水とはなにか、なぜ怖いのか、どうしたら克服できるのか。そもそも、なぜ以前は水を怖がることはなかったのか。ウラフリータになって、初めてのエッセイだ。タイトルは『水とウラフリータ』なんてどうだろうか。オシャレだね。


 どうせなら、魔力の訓練も同時に行う。文章を書きながら、ペンに魔力を通し、インクを伝い、紙に魔力を届けてみる。魔力の伝導率が低いのか、毛糸ほど上手く魔力が通らないけど、できないこともない。


 しかし、比喩表現が難しいな。


 水への恐怖を例えるのに、公用語の語彙力が足りない。この世界の人は何に恐怖するのだろうか。海坊主とか河童とか、水の恐怖を具現化した妖怪たちのような、テンプレートの表現があるかもしれない。『龍王書記』に登場するかもね。水竜ナンタラコウタラ、みたいな。


 今のわたしに可能な、幼い語彙力で水への恐怖をできる限り忠実に表現する。紙一枚分の文章量になったところで、ちょっとだけ休憩する。あまり、トラウマを克服するような効果があるように思えない。モルシーナにお茶を頼む。わたしが背筋をグググと伸ばしたところで、紙に、突然、変化が現れる。



「え?」



 紙は淡い光を帯びて、勝手に丸まり始める。

 くしゃくしゃになるにつれて、光を強めていく。


 わたしは驚いて、椅子から飛び跳ね、急いで廊下に逃げ出した。ドアを盾にするように、机の上の紙の様子を確認する。部屋のなかに漂っていた、薄くて認知不可能だったはずの魔力が、わたしの目にも可視化し、くしゃくしゃの紙に収束していく。


 爆発とかしないよね?



「どうされました?」


「どうしようモルシーナ。大変なことになりました」



 モルシーナは部屋の中を確認して、固まった。やっぱり、明らかにヤバいよね。モルシーナは落ち着いて心を整えた後、とりあえずドアを閉めた。ドアを閉めても無駄だ。部屋の中からは、ゴトゴトと音が聞こえてくる。こちらが観測していなくても、部屋の中では何かが進行している。



「魔力の自主練習をしていたのが原因だとは思うの。魔力を込めて文章を書いていたから、紙が変になっちゃったんだと思う」


「そんなことをしていたのですか……?」


「うわあ。やっぱり、変なやり方だったんだ。どうしよう、世界を滅ぼす殺戮の怪物とかが召喚されたら。口だけ賢者ローレライよりも悪名を轟かせることになっちゃう!」



 思えば、海坊主だとか、河童だとか、そんなことを考えながら文章を書いていた。


 わたしが後悔に打ちひしがれていると、部屋の中からチン! という奇妙な音が聞こえてくる。その音をキッカケに、それ以降は、部屋の中から音が止み、緊張感のある静寂が訪れた。


 モルシーナはドアに耳を付け、しばらくすると決意してドアを開けた。


 おそるおそる部屋の中を確認すると、机の上には大きなスライムがあった。



「……なんで?」


「……見た目は、水場のスライムと同じものですね。不思議なこともあるものです。さあ、お茶が冷めてしまいます。部屋の中に入りましょう」


「なかったことにできる?」


「任せてください。スライムはわたしが片付けておきます。こう見えて、片付けるのは得意なのです。トイレにでも流せば、他のスライムと見分けなんて付きませんよ」


「よかったー」


 とりあえず、無かったことにはできるらしい。

 いやー、不思議なこともあるものだね。



 数日後、お屋敷に凶暴化したスライムが出現。騎士団まで出動する騒動に発展したが、到着までの間に、ディオランテお兄様とその側近のカイルリームがスライムの討伐に成功する。結果的には、子供ながらに勇ましいと、お兄様の名声を高めることには繋がったけど、政変残党の仕業ではないかという言説が散見されたことで、わたしとモルシーナは白状し、ちゃんと、ごめんなさいをした。

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