文学少女立志編

第7話 剣



 ヨモギについての小説は、この世界の公用語で書いた。日本語と比べると、拙い文章になった。書く前から、予想できたことだ。それでも公用語で小説を書いたのは、この世界で生きていく決意を表現するため。その表現は成功していると思う。


 成功しているとは思うのだけど、それを保証してくれる小説の権威も、評価してくれる大衆もわたしの近くにいなかった。この世界に小説の新人賞はあるだろうか。この世界の本がどのようなものなのか、読んでみないことには分からない。


 本を読むのを禁止されるのはとても辛い。禁止されている理由をモルシーナやフリタルトに尋ねても、ハッキリとした回答は得られなかった。みんな、そもそも本にあまり興味がないのだ。竜結びの儀が終わったら、好きなだけ本を読んで良いと言われている。それまでの辛抱だ。


 ウラフリータになってしばらく、日本語に触れていない。小説を書くことでヨモギに対するお別れは済ませたけど、公用語で書いた分、日本語への思いが今になって溢れてくる。意識したことはなかったけど、日本語に愛着があった。



『なんのためーにー、うーまれてー。なーにをしーて、いきるのかー』



 わたしはテスタートが使役する竜の背中でアンパンマンを歌う。竜は、ノースアロライナの空を飛んでいる。竜の背中に着いた鞍の上で、自転車の後ろに座っているような体勢になる。空を飛ぶ前に、危険はないのか何度も聞いたが、安全は魔法によって保たれているらしい。魔法と言われても、落ちないか不安だ。


 お屋敷から外に出ると、貴族街が広がる。空を飛んでいるから、街の様子がよく見える。貴族街の中心には、城がある。城はわたしが暮らしている領主のお屋敷から離れた場所にある。城に近い場所に、わたしたちが目指している騎士団の修練場がある。



「素敵なお歌ですね。どんなことを歌っているのですか?」



 魔法のおかげで風圧もなく、アリスローゼにもわたしの歌が聞こえた。曲が評価されることはあっても、歌詞が通じることはない。とても良い歌詞なんだけど、アリスローゼと語り合うには、わたしの翻訳が必要だ。



「擬人化したパンの英雄の歌。何のために生まれて。何をして生きるのかを歌っているの。素敵でしょ? アリスローゼは、何のために生まれて、何をして生きるのか、もう決めた?」


「はい。わたしはウラフリータ様を守るために生まれて、兄のように剣を学んで生きます。そのために、今も修練場に向かっているのです」



 アリスローゼは生まれた理由と、生きる目標をハッキリと宣言する。生まれた理由は、わたしを守るため。そこまでハッキリ宣言されるとなんだか恥ずかしい。照れを隠すように、アリスローゼを抱きしめる。アリスローゼも抱擁を受け入れてくれる。竜の上で友情を育む。



「わたくし、ウラフリータ様が何をして生きるのか分かりますわ。小説を書いて生きるのですよね?」


「ええ、そうよ」



 わたしはこの世界で小説を書いて生きていく。

 これはハッキリと宣言できる。


 しかし、何のために生まれてきたのかというのは、ハッキリと答えることができない。わたしが転生した理由はなんだろう。転生者であるわたしは、普通の人間よりも生まれた理由は複雑だと思う。ヨモギとウラフリータの様々な理由が絡み合って、わたしは生まれてきた。


 ヨモギとウラフリータの狭間にあった、10日間の白鯨。


 領主の娘。


 小説家になりたい女の子。


 わたしが何のために生まれたのかは、まだ分からない。




◇◇◇




 ノースアロライナ騎士団の修練を見学する。修練場には見物席が併設されていた。階段状になっていて、競馬場のスタンドのような雰囲気だ。修練場には天然芝の部分と、土の部分がある。空から見たら気づかなかったけど、横から見たら滑らかな起伏があった。穏やかな雰囲気の場所だが、騎士団には熱気があった。


 ハッ! ハッ! ハッ! ハッ! という揃った掛け声と共に、規則的に剣が振るわれる。端っこにいる特段目立つというわけでもない騎士の切っ先に注目する。剣を振るう度に、風を切る音がわたしの場所まで聞こえる。



「みなさん、気合いが入っているわね」


「修練で気を抜くことはありません。しかし、今日はいつにも増してやる気に満ちております。ウラフリータ様がお見えになったことで、活力の竜テスコラッソに導かれているのでしょう」



 騎士団長のゴルラウスは、わたしの呟きを拾って、貴族的な言い回しで返事をくれる。騎士団長ということは、アリスローゼの父親だ。仕事をしている父親を見て、アリスローゼも緊張している。


 騎士団はわたしが見学していることで、いつもより元気になっているらしい。領主の娘に見られているとなれば、そりゃあ、気合いも入るか。領主の娘という立場が、とても偉いというのは分かっているつもりだが、その自覚はまだあまりないのが本音だ。


 ウラフリータとして生きるなら、自分が高貴な身分であると自覚しないといけない。貴族としての義務を放棄したまま、貴族として生きるのは許されないだろう。ノブレス・オブリージュという言葉を耳にしたことがある。



「騎士団は普段、どのような仕事をしているの? 全員がテスタートのように護衛騎士をしているわけではないのでしょう?」


「騎士団の通常業務は、訓練と祭事です。この時期になると秋の祭事に必要な素材を採取するため、魔物の討伐に赴くのが主な仕事でございます」


「文官は政治、騎士は祭事というやつね」



 フリタルトから教わったことを確認する。騎士といったら戦いのイメージだけど、お祭りなどの儀式的なことも騎士団の役割だ。ノースアロライナのお祭りは、竜に関する催しが多い。竜と関わりの深い騎士団が、祭りを司るのも納得だ。



「騎士は竜に乗って、魔法を使って戦うのよね?」


「そのような戦い方が一般的です」


「では、どうして剣の訓練をしているの?」



 竜や魔法での戦いのなかで、剣が役に立つことがあるのだろうか。ヨモギの知識で考えても、戦闘機や銃を相手にしたとき、剣で対抗できる姿が想像できない。わたしの疑問を聞いた騎士団長は、待っていましたと言わんばかりの笑顔になった。



「ウラフリータ様、あれは剣を訓練しているように見えて、心を鍛えているのです」


「心を?」


「騎士団が真に相手にするのは、魔法でも竜でもなく、人間の心です。人の悪意、不安から領民を守るのがノースアロライナの騎士の役目です。そのために剣を訓練して心を鍛え、祭事を行い、領民の不安を取り除くのです。それが騎士の務めです」



 わたしには心と戦った経験がある。心と戦うには必要な何かがある。その何かがわたしにとっては小説だった。小説のおかげでヨモギとさよならできた。騎士にとっては、それが剣なのだろう。


 アリスローゼはご褒美に剣を受け取った。それは剣を学び、立派だった兄のようになり、死んだ兄とさよならするためだ。あの日、わたしの話、ヨモギとウラフリータの話を聞いたアリスローゼは、似ていると言っていた。もうすでにアリスローゼと話したことだから、わたしは騎士の務めが理解できた。



「では、これからわたしたちは心を鍛えるのですね」


「そのとおりでございます」


「わたしは水が怖いのです。心を鍛えたら、水を克服できますか?」


「きっと、できるでしょう。これは気休めではありません。武芸の竜バロルシラータに導かれた剣の達人は、海を切り裂くのです。ウラフリータ様にも武芸の竜バロルシラータの導きがあれば、水を克服できるはずです」



 心を鍛えて、恐怖に打ち勝つ。運動がてら、護身の術を学べたらいいなと思っていたけど、剣の訓練をする理由が増えた。海を切り裂く剣の達人になるまで、剣を極めるつもりはないけどね。わたしの隣で、アリスローゼがやる気に満ちた表情をしている。海を切り裂くのは、彼女に任せよう。




◇◇◇




 テスタートの指導で、剣の訓練が始まる。下級貴族出身の彼が、領主の娘を指導する立場になることは、あまり好ましくない。本来は上級貴族出身の騎士が指導者になる。しかし、わたしとアリスローゼの剣の訓練は継続的に行われる予定だ。継続的に指導できるのは、わたしの護衛騎士をしているテスタートしかいない。


 わたしとアリスローゼは芝生の上に立って体操をする。テスタートのお手本通り、軟体な動きを見せるアリスローゼに比べると、わたしは身が硬体い。この身体がわたしのものだと考えることができるようになったのも最近だ。身体を操るということに関して、わたしは生まれたての赤ちゃんだった。体操をすると、それがより自覚できる。


 身体の先端まで意識を集中させ、自分が思い描いた通りに、身体が動くように努力する。恐怖に打ち勝ち、思い通りに身体を操る。転生者の生き方は、スポーツ選手の生き方によく似ている。



「ノースアロライナの騎士の一日は、ノースアロライナ体操から始まります。わたくしの家は代々騎士団長を排出する、由緒正しき騎士の家系でしたので、ウラフリータ様の側仕えとしての活躍が期待されていたとしても、毎朝、ノースアロライナ体操はしていたのです」


「そうなのね。あまりにもアリスローゼが上手だから、ノースアロライナ体操の申し子なのかと思ったわ」


「毎日続けていたら、いつの間にか上達していますよ」



 わたしとアリスローゼは雑談をしながら、体操をする。テスタートはわたしたちの雑談を咎めようとしない。身分が低いため注意できないのか、それとも、ノースアロライナ体操は雑談をしながら行うのが普通なのか、どちらだろうか。


 背中を逸らす運動をすると、アリスローゼの赤い髪がパラパラと流れ落ちるのが見える。わたしのネイビー混じりの黒髪も同じようになっているだろう。ぐぐぐ、と身体が伸びる感覚が気持ちいい。空を見上げると、龍神メテロノーレが輝いている。絶好の運動日和だった。


 体操の次は、ランニングだ。腰に剣をぶら下げて、芝生の上を走る。テスタートが作る易しいペースに、駆け足で付いていく。ゴールは知らされていない。いつ終わるのか分からないのがみそだろう。体力を鍛えるのではなく、心を鍛えているのだ。


 毎日のように丘を登っていて、体力に自信はあった。しかし、汗ばんで、息が荒れてきても、テスタートは終わる気配を一切見せないので、流石に不安になってくる。この小さな不安を相手に、勝利を積み重ねるのだ。すると心が鍛えられ、水も克服できるはず。


 なんてことを考えていられたのは序盤のうちだけだった。左手で脇腹を抑えながら、必死に足を動かす。およそみっともない格好で走りながら、なんとか呼吸をして酸素を体内に取り込もうとする。大きく息を吸うことに成功するが、痛みはなくならない。失敗した。どうやら、息を吐く方が重要らしい。



「よし。休憩にしましょう」



 テスタートの合図と共に、わたしは芝生の上にへたり込む。初日からこんなに厳しいとは思っていなかった。アリスローゼは平気みたいで、芝の上に立ったまま呼吸を整えている。そういえば、一緒に丘に登ったときも、アリスローゼには余裕があった。


 アリスローゼに負けるのは、少し悔しい。勉強はわたしの方が得意だから、負けて悔しいというのを初めて感じた。わたしは騎士にならないのだから、アリスローゼに負けたままでいいやと受け入れることもできたけど、基本的にわたしは自信過剰で、負けず嫌いである。


 こうして、アリスローゼの存在が、わたしのやる気に繋がる。競争相手の存在は、子供の成長を促すことを実感する。ディオランテお兄様にも、わたしにとってのアリスローゼのような、競争相手がいるのだろうか。


 十分に休息をとって、指導が再会する。



「最初の授業は受け身です。危険の回避の仕方を学びます」



 体操、ランニング、受け身と、ここまで剣を握っていない。地味で、退屈で、辛い。子供相手に授業するなら、先に楽しい部分を体験させるべきではないだろうか。流石に、毎日継続できる気がしない。


 テスタートは受け身の手本を見せる。クルっと横に回転して、流れるような動作で起き上がる。柔道の受け身と似ているけど、片方の手には剣を持っている。回転しているうちに、身体に剣が刺さりそうで怖い。


 受け身にも種類があるようだ。状況に応じて、適切な受け身を選択し、反撃を繰り出す。対人、もしくは、対竜を考えられているのだろう。竜の攻撃を想定した、大きな動きでの回避行動だった。



「質問があります!」



 アリスローゼは挙手した。あれだけ走って、よくこんなに元気が残っているね。わたしなんて質問する体力すら残っていない。六歳の女の子に走らせる距離ではないと思う。テスタートは加減を覚えた方が良い。



「なんでしょう」


「敵の攻撃は回避するのではなく、剣で防げばいいではありませんか! わざわざグルっと一回転するのは、なんだか大袈裟でみっともなく思えます!」


「騎士が剣で攻撃を防ぐのは、主をお守りするときです。そして剣だけではなく、鎧を着けたその身体で主を守るのが騎士の役目です」


「あっ」



 わたしは思わず声が漏れた。テスタートの説明を聞いて、アリスローゼの兄のことを思い出す。名前はジルボーデン。竜によるドラゴ・ノースアロライナへの奇襲を防ぎ、立派な騎士だったというジルボーデンの最期が想像できてしまった。



「騎士が回避をするのは、そのまますぐに攻撃に転じるためです。そして、大袈裟でみっともなくとも、大切なのは命を守ることです。いいですね」


「はい!」



 漏れた声は、二人には届かなかったようだ。テスタートも、アリスローゼも、何事もなかったように会話を続ける。わたしの気にしすぎの性格は、会話に一歩だけおいてかれる原因になる。


 質問をしたアリスローゼが納得をすると、受け身の練習が始まる。わたしとアリスローゼは、テスタートの手本をマネて、ぐるりと横に一回転する。この動作がみっともないとは思わないけど、貴族令嬢の普通の感覚からするとはしたないというのは、理解できる。


 芝生の上で身体を丸めるように倒れ、そのままの勢いで起き上がる。剣を持っていない方の手が重要だ。左手で地面を叩き、倒れたときの勢いを、そのまま起き上がるための勢いに使う。貴族令嬢が竜に乗るときに履く、運動用のズボンに草が張り付く。



「どうしても、汚れてしまうわね」



 わたしはズボンに付いた芝を手でパッパッと払う。運動用のズボンだからと言って、汚して良いわけではない。わたしの服で、汚しても良い値段の服はないのだ。モルシーナに頼んで、剣の練習用の服を用意してもらわないといけないね。



「服が汚れるくらい、命が助かると思えば安いものです」


「そうね」



 テスタートの指導の意味は、よく理解できる。その一方で、命を尊ぶ騎士の精神と、自分の命を懸けて主を守る騎士の役割は、矛盾を感じる。どうしてジルボーデンは、ドラゴ・ノースアロライナの命を守るために、自分の命を犠牲にできたのだろうか。ジルボーデンの生き様に興味が湧いてくる。


 アリスローゼは上手に起き上がるのに苦戦している様子だ。身体ごと倒れるときに勢いがないから、起き上がるときの勢いが足りなくなっている。怖がらないで地面に勢い良く倒れる必要があると思う。しかし、アリスローゼは六歳の女の子だ。倒れるのは怖い。


 受け身の訓練も、心を鍛えるのに通じるのだろう。倒れるのは怖いのだ。身体を地面に打ち付けて、大きな怪我をするかもしれない。怪我までいかなくても、転んだら痛いのは経験上、みんな知っている。しかし、怪我をしない、痛くない、そんな上手な倒れ方を知っていたら、倒れるのも怖くない。


 もし転んでしまったとしても、すぐに立ち上がる方法を学ぶのは大切だ。人生はとても長いから、失敗をすることもある。けれど、そのたびに起き上がることができたら大丈夫だ。転んでも、また立ち上がる。七転八起の精神だ。



「受け身ができない騎士には、わたしの命は守らせてあげないわよ。アリスローゼ、頑張って」


「はい!」



 アリスローゼは勢いをつけて転がった。


 大袈裟で、みっともない。けれど、これで命が守られる。


 不格好に起き上がったアリスローゼの赤い髪に、緑の芝がくっついている。


 わたしは転生者だから、なんとなくだけど、受け身の大切さが理解できた。




◇◇◇




 騎士団のお昼休憩に、取材をして回った。取材の内容は、ジルボーデンについて。わたしとアリスローゼが一緒になって取材をすると、騎士は快くジルボーデンとの思い出を語ってくれた。アリスローゼは相手の目を見て、真剣に話を聞いていた。


 わたしは騎士たちが語るジルボーデンの話を、メモにとった。



『ジルボーデンは、若い騎士ロングマンに「自分の命を大切にできるから、大切な人の命を守れるのだ」と指導した。ジルボーデンの言葉が、矛盾しているように感じるのは、ロングマンの若さ。しかし、若かったロングマンも、騎士として成長する。今は、27歳だった。27にもなれば、騎士の強さとは何か分かる。騎士は剣を磨く。磨けば光る。心を磨く。磨けば光る。光る宝石を、剣と心が守るのだと知っている。宝石とは、主と妹だった』



 わたしは、ペンを置いた。

 部屋に置いてある木剣を手に取った。


 剣の修練の時間だ。

 わたしも強くならないとね。

 

 ペンは剣よりも強いのではない。

 ペンも、剣も、心を強くするための方法だ。

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