第4話「愛の病(やまい)」
私はきっと、褒められるような人間ではない。むしろどこか狂っている。
そう気付いたのは、彼女が私に対して恋愛感情を抱いていると分かった時からだった。
最初はもちろんただの友達として好き、といった部類のものだったのだろう。しかし、今では私に向ける視線が他の人とは違っているのが簡単に分かってしまうくらいにひしひしと伝わってくる。
きっと陽菜はそれを隠せていると思っているし、私に気づかれていないと思っているのだろう。
そういう所も愛おしいのだ。
「あっ……」
私はわざと声を上げる。
すると、鏡越しに陽菜の目線が私の画面に向かっているのがわかる。
「例の人?」
「うん。今起きたみたい」
私はアプリを閉じて別のアプリを開く。そこには私と同じクラスの男子とのやり取りが載っている。この相手に対して興味が全くないので、内容はあまり覚えていない。
「へぇ、いつもより遅いね。じゃあ、今日は朝練が無いってこと?」
「そうみたい。偶然雨だったからホントに良かった、だってさ」
私が嬉しそうに言うと、明らかに嫌そうな顔をしている。それでも作業を止めない
「朝からいい気分になれたよ。陽菜にも分けてあげたいくらい」
もちろん、あなたのおかげでね。
「いらないよ。そんなの貰っても朝から胃もたれしちゃうってば」
「そう?」
もちろんそれも強がりなことは良く分かっている。
しばらくすると、陽菜の溜め息が聞こえてきた。
「ん? どうしたの? そっちの高校で嫌なことでもあった?」
我ながら白々しい態度だな、と思う。
「……ううん、なんでもないよ。あ、ていうかさ、昨日テレビ見た?」
どうやら話しそのものをすり替えようとしているらしい。私は陽菜のかわいらしい抵抗に対して、意地悪しようと思ったけど、流石に可哀想なので今日はここまでで止めておいてあげた。
ヘアセットが終わる。私の癖毛は一つもなく、綺麗にまとまっていた。
「はい、これでいつもの露子になりましたっと」
私は左右に首を振ってさらさら感を
「完璧。もう高校卒業したら直ぐに美容師になれるんじゃない?」
私は首だけ後ろに向けて顔を見上げた。陽菜の顔が良く見えた。大きな瞳が揺れている。素直に褒められて嬉しいのだろう。
「そ、そんな簡単にはなれないって。専門に入って卒業してどこかの美容院で見習いになって、そこから何年もかけてやっとお客さんの対応ができるんだからさ」
もちろん知っている。
「そうなんだ。でもいつかは自分のお店開きたいって前言ってたっけ」
「いつかはね。色々調べてくうちに、その道のりの遠さにびっくりしたよ」
どうやら少しだけ自信を無くしてしまっているようだ。
「ふぅん」
私は立ちあがって陽菜の手をぎゅっと握る。
「でも、あの約束は忘れてないからね」
私がこう言うだけで、陽菜は落ち着いたように頬が緩む。小さい頃に交わした約束が、時折彼女の精神的支えになっていることが心底堪らない。
「うん。もちろん」
陽菜の握り返す手の力が強くなる。
「あっ、もうこんな時間だ」
私は掛け時計の時間を見て、もうすぐで高校へ向かう電車の乗車時刻が迫っているのを確認した。
「じゃあ、またね」
――ずっとこのままで良いのに。
そう思っているのだろう、寂しそうな顔を見せてくれる。
「うん。いつもありがと。あ、梅雨シーズンになったら毎朝一緒だね?」
私はそう言って笑いかけると、陽菜は複雑そうな顔をして、目を逸らしてしまった。
「……そうだね」
私は胸をぐっと押さえ付けたい気分になる。
私は時折見せる彼女の切ない表情が好きだ。
幸せな顔、嬉しそうな顔も、もちろん好きだ。けど、どうしても彼女の悩んでいる姿に対して胸を弾ませてしまう。
全ての感情が、私を中心にして揺れ動いていることが堪らないのだ。そんな感情を抱いていることなんて陽菜は知りもしないだろう。でも、彼女が私のことが好きな以上に、私は
「ごめん、やっぱ迷惑?」
「ち、違う! ほら、その、えっと……雨続きだと片頭痛が起こりやすくなるじゃん? でも露子と朝話せたら気分が
無理矢理誤魔化しているところもかわいいと思ってしまう。片頭痛なんてお互い起きたことないのにね。
「あぁ、確かに。でもそれならさ、起きた時に頭が痛かったら連絡して? そういう日は自分で頑張ってみるから!」
「うん、ありがとう」
このままずっといてあげたいけど、残念ながら学校が私と陽菜の邪魔をする。
煩わしいけど、学校に遅刻するわけにもいかない。私は出入り口まで向かい、ドアを開く。
「それじゃあ行ってくるね。片付け手伝ってあげられなくてごめんね?」
「ううん、大丈夫だよ。ほら、早くしないと電車に乗り遅れちゃうよ?」
最後の最後まで私の心配をしてくれるなんて、なんて良い子なのだろう。
「じゃあね、陽菜」
「うん。また来てね」
私は陽菜の嬉しそうな、けど、ちょっぴり切なそうな顔を見てにやけてしまい、それを隠すために勢い良く美容院から飛び出した。
途中で一回だけ後ろを向くと、ドアの向こうで見送ってくれている陽菜が見えた。
「ホントにかわいいんだから……」
私は傘を差しながら駆け足で駅へと向かう。
にわか雨だったのか、徐々に雨足が弱まってくる。
電車に間に合った私は、空いている席に座りながら窓の外に続く田舎道見つめていた。
「梅雨か……」
季節は5月の中旬。冬が完全に終わり暖かさも慣れてきた頃にやってくる雨の季節。
私は梅雨のことがあまり好きじゃない。というか、梅雨が好きな人なんて一握りだろう。
――でも、陽菜と過ごす梅雨は大好きだ。毎朝彼女のことを独り占めできるあの時間が大好きだ。だから楽しみにしている。待ち遠しくて堪らないのだ。
「あーあ」
早く、梅雨がやってこないだろうか。
私は灰色の空を見上げながら、これから過ごす退屈な時間の長さに思わず溜め息を吐き出してしまった――。
梅雨とシトラス 朝日夜 @rikku1122
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