第3話「髪と梅雨」

ー1ー


 天気予報は所詮ただの推測なわけで、必ずしも予報通りになるとは限らない。

 しとしとと静かに降る雨の中、傘を片手に私はとある場所へと向かう。レインシューズを履いているとはいえ、地面から跳ね返ってきた雨水によって靴下が濡れてしまう。今の気分は最悪だ。

 だが、それもすぐに吹き飛んでしまうだろう。

 目的の店が目線の先に現れ、私はつい駆け足になって向かっていく。勢い良くドアを開けると、そこには親友が待っていた。


「今日雨なんて聞いてないんだけど!」


 私はわざとらしく大仰に声を出した。

 目が合う。落ち着いていて、穏やかな瞳。


「……開店前から床濡らすと怒られるから、ちゃんとそこで水気切ってね。傘はドアノブにかけてこっちきて。もう準備はできてるから」


 彼女はほんの少し驚いたような顔をしたが、すぐに冷静さを取り戻していた。

 

「流石だねぇ」

「当たり前でしょ」


 子供っぽい私とは違って、いつもこんな調子だ。同い年とは思えない。


「もぉ、まだ学校じゃないのにもう靴下がちょっと濡れてるんだけど。最悪。いっそのこと長靴履きたくなってくる」


 私は言われた通りにドアノブに傘をかけ、用意してくれた席へ移動した。持っている鞄は座る椅子の右隣に置く。そこが定位置だ。


「まぁ分からないでもないよ。それに後ちょっとで梅雨のシーズンになるしね」

「あーやだやだ。梅雨なんて言葉聞きたくない。ずっと晴れだったらいいのに」


 私はそう言いながらも、実はそんなことは全く思ってはいなかった。それどころかこのにわか雨ですらも、感謝をしているくらいである。


「あはは。でも名前にツユって言葉が入ってるから梅雨からはずっと逃れられないよね」


 くすくすと妖精のように朗らかに笑う。

 そう、私の名前は露子つゆこという。両親や学校の友達からは大体ツユちゃんと呼ばれているけど、私の一番親友である朝井陽菜あさいひなは昔から露子と律儀に名前呼びをしてくれる。


 陽菜は地元では有名な美容院の一人娘であり、私の両親が行きつけにしていたので、同い年でもあり自然と仲良くなったのだった。

 今では私の中で一番の親友だと思っている。


――私の中では、だけど。


「……相変わらずすごいね」


 陽菜は私の髪の毛の間に指を通しながら言う。少しだけくすぐったい。


「雨の日はどうしてもこうなっちゃうの。それに比べて陽奈ひなはなんでそんなにサラサラなの? ずるいよね。美容院の娘だとみんなそうなのかな? それなら羨ましいなぁ」


 私は鏡に写る陽菜の髪を見て、思わず溜め息を吐き出してしまいそうになり、無理矢理ごくりと飲み込んだ。

 私はどうやら癖毛が強いタイプらしく、今日のように雨の降っている日や湿気が高い日になると毛先がくるくると丸まりだしてしまうのだ。

 しかし、陽菜の髪は見惚れてしまうほどに綺麗だ。きっと美容院の娘だから人一倍手入れに気を使っているんだろうと思う。


「まぁでも私は露子より髪は短めだからね。確かにロングは大変だけどちゃんとかせば露子も日本人形みたいに綺麗なんだからさ」


 陽菜は苦笑いを浮かべてそう言う。

 日本人形とは、俗に言う市松人形のことだろうか。確かに私と同じ長い黒髪だけど、イメージとしてはちょっとホラーな感じが強い。

 これは褒めてくれているのだろうか。

 

「日本人形ってそれ褒めてる?」

「もちろん褒めてるよ。ほーら、モタモタしてると電車に間に合わないよ」


 何かはぐらかされてしまった気がする。

 陽菜は時々例えが独特どくとくなので反応が難しい。けど、そういった天然な部分もかわいらしく思えてしまう。

 

「……ホントに手際がいいよね。これならカットも頼んじゃおうかな」


 私は陽菜の作業を見て言う。最初こそは時間がかかっていような気がするけど、今ではもう流れるように癖毛直しの作業を進めているその姿はまるで美容師の風格そのものだ。


「お母さんに怒られるからダメ。ハサミを持つだけでも叱られちゃうんだから」

「へえ、厳しいね」


 私はじっと見つめているのも変だと思い、スマホに入っている動画配信アプリを開く。けど面白いものは全くなくて、ついあくびを浮かべてしまった。


「適当だなぁ」


 陽菜はムッと眉を潜める。けど、私にとってはその反応一つ一つが愛らしく思えてしまう。


「まぁ、陽菜のお母さんのことだからちゃんと理由があるんでしょ?」

「そうそう。私が小さい頃にハサミを隠れて持ち出して。まぁ、勘が鋭い露子ならこの後は分かるよね?」

 記憶の中を探る。

 答えにたどり着くのに、さほど時間はかからなかった。


「あー、何か小学生の時に包帯巻いてた気がする。あの時痛がってたってよりは、すっごく凹んでたよね。よっぽど怒られたんだ? ……でも傷が残らなくて良かったね。陽菜の指、綺麗なんだからさ。傷なんてもったいないよ」


 陽菜のきめこまやかで白い雪のような肌には、どこの部分でも傷をつけてはいけない。


「……陽菜? どうしたの?」


 陽菜の手がピタリと止まる。気づけば鏡から姿が消えている。


「ん、いや、なんでもない」


 声の位置からして、どうやら私の真後ろで座り込んでいるようだ。作業はすぐに再開され、私は暇潰しとして再び配信アプリを開く。

 

 きっと今、私の後ろでは顔を真っ赤にしている陽菜がいるのだろう。

 私の発言一つで陽菜の心境は目まぐるしく変化するのだ。

 喜びも、悲しみも、苦しみも――。

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