第2話「恋患い」

 私が彼女に対して恋愛感情を抱いていると気づいたのは、つい最近のことだ。

 中学生までは基本的にずっと一緒にいることが多かったし、その頃までは「好き」という感情は友達に対してのものだと思っていた。けど、私が彼女に寄せる思いはのだ。


 つまり、私は露子に恋をしている。彼女の性格が男勝おとこまさりであるとか、切れ長な瞳にはっきりと整った顔立ちのおかげで、まるで劇団四季に出てくるようなカッコいい人だから――など異性的な部分に対して憧れに似た感情ではなく、彼女の垣間見える女性的な部分に愛おしさを感じている。

 私が今触れている彼女の髪が最たる例だろう。許されるのであれば、ずっとこうして大切な彼女の髪を触っていたいし、誰にも触らせたくない。


 ただならぬ独占欲が、私の中で湯水のように涌き出てしまう。それを押さえるのに毎日一苦労しているのだ。もちろん、露子に私の思いを悟らせないために。


「あっ……」


 露子の声色が少し上がる。それに反比例するように、私のやる気がちょっぴり下がった。


「例の人?」

「うん。今起きたみたい」


 流れていた音楽が止んでいる。通知を押して別のSNSに飛んだのだろう。


「へぇ、いつもより遅いね。じゃあ、今日は朝練が無いってこと?」

「そうみたい。偶然雨だったからホントに良かった、だってさ」


 私は立ち上がってヘアブラシを持ち、熱によってある程度整った長髪を梳かしていく。

 さっきまで暇そうにしていたくせに、随分と画面に夢中のようだ。無言で指を高速で動かしている。

 私はそれを眺めながら、無言で作業を進めていく。残り半分かといった所で、露子が口を開いた。


「朝からいい気分になれたよ。陽菜にも分けてあげたいくらい」


 残念ながら、私はあなたの嬉しそうな顔を見て溜め息が出そうになる。


「いらないよ。そんなの貰っても朝から胃もたれしちゃうってば」

「そう?」


 露子の画面から返信相手のアイコンが見える。二人の男が写っており、片方はいかにもバスケやサッカーとかの女子人気の高いスポーツやってますといったようなチャラそうな男で、もう一人はメガネをかけており特徴が全く無い。露子からの情報によると二人はどうやら小学生からの付き合いらしい。

 そして私を悩ませているのは、よりによって右側にいる特徴の無い男こそが露子の返信相手だということだ。


「はぁ……」


 我慢していたのに、つい出てしまう。

 せめて私が絶対に敵わないような相手であれば、すぐに諦めてこころよく応援できるというのに。こんなパッとしなさそうな男のどこに魅力を感じるというのだろう。

 いや、ダメだ。あまり知りもしない人を勝手に悪くいうのは失礼だ。

 でも、それでも、胸の奥に潜む嫉妬という名の黒い塊がジクジクと内側から拡がっていく感覚がして気持ち悪くなってしまう。


「ん? どうしたの? そっちの高校で嫌なことでもあった?」

「……ううん、なんでもないよ。あ、ていうかさ、昨日テレビ見た?」


 私は露子の気を紛らわせるために適当な話題を出しながらヘアブラシをかけ終え、最後の仕上げにかかった。ここまでこれば艶やかで綺麗な黒髪になる。鏡に写った露子の印象は来店した時とガラッと変わり、まさに大和撫子といった風貌だ。きっと今日も多くの人の目を引き付ける一日になるのだろう。


「はい、これでいつもの露子になりましたっと」


 露子はにんまりと笑いながら首を左右に振り、その動きに合わせて髪がさらりと揺れる。


「完璧。もう高校卒業したら直ぐに美容師になれるんじゃない?」


 露子は後ろにいる私に対して顔だけ向け、じっと見つめてくる。ドキリと胸が跳ねた音がする。


「そ、そんな簡単にはなれないって。専門に入って卒業してどこかの美容院で見習いになって、そこから何年もかけてやっとお客さんの対応ができるんだからさ」

「そうなんだ。でもいつかは自分のお店開きたいって前言ってたっけ」

「いつかはね。色々調べてくうちに、その道のりの遠さにびっくりしたよ」

「ふぅん」


 ヘアセットを終えた露子はおもむろに席を立ち、私の両手を包み込むように握りしめた。


「でも、あの約束は忘れてないからね」


 露子は私と交わした約束を律儀りちぎに覚えている。子供のごとで終わらせるのではなく、彼女は本当にその約束を楽しみにしているのか、定期的に伝えてくれる。


「うん。もちろん」


 私がこくりと頷くと、露子は嬉しそうに笑った。

 眩しい。太陽のような笑顔に目が眩みそうになる。

 きっと私の全てを知ってしまったら、露子はその顔を二度と見せてくれないのだろう。

 

 そうなってしまうのであれば、私の想いはずっと胸の奥に閉まっておいた方がいい。そうしたらほんの一秒、一瞬でも、露子の隣に居続けることができるから。


「あっ、もうこんな時間だ」


 壁掛けられた時計に目を向けると、露子の電車に乗る時刻が迫ってきていた。

 露子は少しだけ慌てながら隣の椅子に置いておいた通学鞄を手に取り、出入り口の前に立つ。


「じゃあまたね」


 私の幸せな時間はいつもすぐに終わりを告げてしまう。名残惜しいけど、引き留めるのも変なので、小さく手を振った。


「うん。いつもありがと。あ、梅雨シーズンになったら毎朝一緒だね?」


 きっと、この発言も彼女にとっては何てことのないものなのだろう。それでも嬉しいと思ってしまう自分が、少し情けない。

 私は冷静さを装うために、軽く目を逸らして頷く。


「……そうだね」

「ごめん、やっぱ迷惑?」


 露子の悲しそうな声が聞こえてくる。

 そして私は必死に否定した。


「ち、違う! ほら、その、えっと……雨続きだと片頭痛が起こりやすくなるじゃん? でも露子と朝話せたら気分がまぎれるから良いかも」


――どうにか誤魔化ごまかせただろうか。

 チラリと顔を上げて露子の表情を確認すると、口元を緩め優しく笑っていた。

 

「あぁ、確かに。でもそれならさ、起きた時に頭が痛かったら連絡して? そういう日は自分で頑張ってみるから!」

「うん、ありがとう」


 露子は満足そうな顔をして、ドアノブにかけられた傘を持ってドアを開ける。

 どうやら誤解は解けたようだ。私はホッと胸を撫で下ろす。


「それじゃあ行ってくるね。片付け手伝ってあげられなくてごめんね?」

「ううん、大丈夫だよ。ほら、早くしないと電車に乗り遅れちゃうよ?」


 時計に目を向ける。これ以上引き留めてしまうと本当に乗り遅れてしまう。


「じゃあね、陽菜」

「うん。また来てね」


 露子は胸の前でひらひらと手を振る。私もそれに応えると、露子は外に向けて勢い良く傘を広げ、そのまま外に出ていった。

 ゆっくりとドアが閉まっていく。露子の後ろ姿を見送った私は、まだ微かに残っていたシトラスの香りを感じながら後片付けを始める。


「もうすぐで梅雨かぁ……」


 誰もいなくなった空間でポツリと呟く。


 露子と一緒にいる時間が増える、ということは願ってもないことだ。しかし、会う度に彼女の学校先にいる人達が羨ましくなる。特に、あの男に対して一方的な嫌悪感を抱いてしまう。

 

 考えたくないのに、勝手に胸が苦しくなる。  

 これはきっとやまいなのだ。叶わぬ想いを抱え、この先も少しずつ心をむしばんでいくのだろう。


恋患こいわずらいって、厄介やっかいだなぁ……」


 私は膝を折り、しゃがみこむ。

 強くもなく、弱くもない中途半端な雨音あまおとがドアの外から聞こえてくる。

 複雑な心境を見透かされているようだ。

 

「あーあ、こんな気持ちになるなら梅雨なんて……」


 来なかったらいいのに。

 そう、思ってしまう。

 

 私は大きな溜め息を吐いて、よろめきながら立ち上がり、開店準備の邪魔にならないように後片付けを始めた――。

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