第5話 楽園のドルチェ

────楽園


蘭霞ランカは目覚めた時に自分が涙を流していたことに気付いた。瞼を触らぬようそっと拭う。

(良かった…。向こうの蘭霞も心から笑える日があって。)

眠って直ぐに黒装束で素早く走る彼を見た。いかにも和風のお金持ちのような屋敷に見事な身のこなしで忍び込んでいき……子供を殺して逃げた。

彼の仕事だ。仕方ない。自分もボスの言いつけで様々なことをしている。

夢を思い出して上掛けの中からギュッと胸を掴んだ。

子供を殺した時の彼。上司のような人間に報告している時も冷静だったが、彼が傷付いていないはずはない。蘭霞は彼の心情を思うと胸が張り裂けそうだった。

それでも笑い合える仲間がいることに安堵した。以前から親しくしている太夫や最近現れた若竹。ちょっと困ったイタズラをしてきた後輩のような女の子。夢の最後は和気あいあいとしていていたのが嬉しくて、泣いてしまったのだ。

(大正の蘭霞、君も僕を見ているのは何となく分かってる。だから、君のことで僕が一喜一憂してしまうことは許してね。)

起き上がり、ウォーターサーバーから水を注いで窓辺に近付きカーテンを勢いよく開いた。広がるサンゴ礁の海が彼の心を癒してくれると信じて。




────楽園がやっと復旧した


その知らせは常連客を大いに喜ばせ、予約が殺到した。

「しばらく忙しくなるぞ。」

などとボスから言われるまでもなく、蘭霞には予想はできていた。が、予約パネルを見て唖然とした。蘭霞は慌ててボスに電話する。

「このスケジュール、全員把握してるよね?」

「もちろんだ」

「お客様の滞在時間がいつもより短縮されて、人数が詰め込まれてるんだけど」

ボスのため息が聞こえた。

「予想外に予約が殺到してな。金を上乗せてくる客まで現れたら対応せざるを得ないだろう。苦肉の策だ。」

そんなことになっていようとは…。

「心配だからスタッフさん達に挨拶してくる!じゃあね!」

サッサと電話を切りまずは環境コーディネーター『ブーツ』の元へ駆けつけた。

「ブーツさん、しばらく忙しくなります。よろしくお願いします!」

「おう!久々にやりがいがあって面白いなぁ!はっはっは!」

豪快に笑い、部下に指示を出しながら最初のお客様用に楽園を作り替えてゆく。

次に生物担当の『ペッパー』の方へ駆けつけた。

「ペッパーさん、動物達はビックリしてませんか?」

無口なペッパーだが、今日ばかりは細やかな指示を矢継ぎ早に出している。

「ドルチェ、邪魔。動物は問題ない。」

「よろしくお願いします!」

これ以上は邪魔になるので、インテリア担当『フラ』と衣装担当『クローゼ』の様子を見に行った。

「あらドルチェ、いいタイミングで来たじゃない!さ、早くこれを着て。」

クローゼに一気に着せ替えされた。それを見たフラが、ふぅんと顎に手を当て少し顔を引き眺め、内装の案を見せる。

「服のイメージに合わせてこんな感じ。クローゼどう?」

「ええ、カンペキよ!ドルチェ、髪も結うからそこ座ってじっとして。」

「2人ともよろしくお願いします!」

クローゼが蘭霞の目の高さに屈んで眉をわざとしかめた顔で蘭霞の目をじーっと見る。指先を鼻の頭近くにピンと差し、

「お客様を直接お迎えするのはあなただけど、いーい?私達みんなでお迎えするのよ。あなたは一人で背負わないこと!わかった?」

蘭霞はなんだか泣きそうになった。

「クローゼ、ありがとう…」

「ちょっと、泣くと化粧がはげるでしょ!堪えなさい!」

「はい!」

まるでお祭り騒ぎだ。頼もしい仕事仲間達の働きぶりを見て蘭霞は自分も活気づくのを感じた。



***


「お待たせいたしました、山中様」

(同じ名前なんだよなぁ…子孫だったりして)

蘭霞は天使スマイルでにっこりと微笑み、手を差し伸べる。山中と呼ばれた女性は蘭霞の手を……取らないで抱きついた。

「あーん!会いたかったぁ!私のドルチェぇぇ~。浴衣すごく可愛い!」

有名な登山家の彼女は、時々どこかの山から下山した後『身体と心をほぐす』との名目でやってくる。

楽園を見渡すと京都にありそうな竹林に変わっていた。朝靄のような霧が漂い、澄んだ空気にここが南国であることを忘れてしまうような静けささえ感じる。完璧な環境コーディネートだ。

「京都に行きたいけどなかなか行けないからさ。ここは本当にいい所よね。」

「お気に召しましたか?」

話しかけながら、登山姿の山中のリュックを身体からそっと外してゆく。相当重いが、顔には出さない。

「ドルチェは力持ちだねぇ。それ、私の命だからすごく重たいのよ。」

景色を眺めたまま呟くように話す。

(命、か…)

彼女がなぜ山を登るか本当のところは知らないし興味もない。登山雑誌に掲載されている彼女のコメントは本当か嘘かも分からない。情報はある程度叩き込んでいるが、蘭霞からは何も聞かない。喋りたければお客様が勝手に喋るからだ。

「山中様の命を少し預かりたいのだけれど、部屋に行ってもいいかな?一緒に居てくれると僕はとても嬉しいんだけど。」

山中は聞いているのか居ないのか、ぼんやり景色を眺めている。蘭霞は下駄の音をカランコロン鳴らしながら山中の隣に立った。山中は少し歩き、落ちていた笹の葉で舟を作った。

「小さい頃ね、笹舟をよく作って友達と川に流して遊んでたの。でも、その子は川に落ちて笹舟と一緒に流されちゃった。」

蘭霞は黙って聞く。蘭霞へと振り返る山中は少し悲しそうに笹舟から竹林に目を向けた。

「ちょうどね、こんな霧の日だった。あの日はお祭りがあって2人とも浴衣だったの。お祭りに行く前にほんの少しだけ川に行っただけ。」

山中は蘭霞に近寄り、肩に顔を埋めた。蘭霞はそっと抱きしめる。しばらくの間そのままでいた。どこかで鳥が綺麗な声で鳴くのが聴こえる。まるで山中を慰めるように。

「私も浴衣着ようかな。荷物も置きたいし、部屋に案内してもらってもいい?」

物思いから戻ってきた山中は元気よく笑った。化粧もしていないその自然な顔を蘭霞はとても魅力的だと感じ、弾けるような明るい笑顔に見惚れた。

「色んな浴衣をご用意してますよ。せっかく無事に生還したんだから存分に楽しみましょう。」

柔らかな笑顔で山中を部屋へ誘う蘭霞。

(ああ、この子は本当に天使みたいだなぁ。もし死んだ時もこんな子が迎えに来てくれたらいいな。)

彼を見ているとそんな思いが湧き上がった。



部屋の扉を開けると、ツンと硫黄の臭いがした。

(フラさん、毎度の事ながらすごい…)

部屋は竹に囲まれた岩風呂になっていた。畳部分は2畳だけ。あとは脱衣所のような棚に色とりどりの浴衣が置いてある。

「身体が冷えてるからお風呂はいろっか。」

山中は蘭霞に声を掛けながら服を脱ぎ出し、楽しげに温泉を見ている。蘭霞は畳に横座りし、山中を眺めていた。

「ちょっと!脱いでるの見られたら照れるじゃない!」

「じゃあ目閉じてればいーい?ふふっ。」

「あ、それいいね!私がいいって言うまで開けちゃダメだよー。」

「はいはい。」

蘭霞は目を閉じて山中の着替える音に集中した。

それにしても…と、蘭霞は考え始める。今までの山中のリクエストと少し違うのが気になる。今まではほとんど畳部分で、温泉は2人入れるのがやっとな感じだった。1人ずつ入って、遊んだり喋ったりして別々の布団で寝ていた。SEXはしない。

今回は時間の都合上泊まれないからだろうか? ほとんどが温泉だ。蘭霞も広々とした温泉は久しぶりなので、少し楽しい気持ちになっている。


「目を開けていーよ」


開いてみると山中は裸だった。いつも温泉に入る時はそうなのでさして気に留めなかったが、山中の雰囲気が少し違う。


「ドルチェ、今日は私を抱いてくれる?」


戸惑いと決意が入り交じった真剣な眼差しで蘭霞の両頬を手で包む。女性にしては肉厚のしっかりした手だ。足りない指が2本ある。


「うん、温まりながら抱き合おう」


蘭霞は、サッと浴衣を脱ぎ捨て、山中の両手を取って温泉へいざなった。

「温かい……」

山中はしみじみと呟く。

(今日はSEX希望だったのか。予約にはチェック付いてなかったけど。まあ、書かないよね。さて、どう行こうかな。山中様の表情から察するに…なるほどな。)

蘭霞は隣に座って山中の顔を自分に向けた。泣いている。次々と溢れる涙を蘭霞は唇で受け止めて行った。


「彼がね、死んだの…」


蘭霞は黙ったまま山中の肩に優しくゆっくりキスをした。山中は続ける。

「俺がいるから山は大丈夫だって言ってたのに!」

確か、記事に登山家カップル誕生と出ていた。蘭霞は一言も話さず肩にゆっくりとキスを繰り返す。

「私だけが生き延びてここにいる!なんで…あの人、凍って!」

山中の顔を覆う手に温泉で温かくなった手を蘭霞は重ねる。

「温かい…」

「そうだね、温かい。山中様は生きてて温かくなって僕の前にいてくれてる。残酷かな?それでも僕はね、山中様が生きて僕の前に来てくれたことが嬉しいんだ」

「ドルチェ……」

蘭霞は山中の唇に優しく唇を重ねる。

「違うよ、僕の名前は蘭霞。みんなのドルチェじゃなく、今は君の蘭霞でいたい。温かい中で、少しくらい夢を見てもいいんじゃないかな」

次はゆったりと深く長くキスした。

「ここは楽園。でも外を忘れなくてもいい。ありのままで。ドルチェなんて呼び方で壁を作らないで。山中様が思うままに僕と……」

言いかけた蘭霞の口は山中の激しい口付けで塞がれた。

「私は山中様じゃないわ。沙耶よ。」

「沙耶……」

強く抱き合い、歯がぶつかるほどに口を重ね合う。愛撫を重ねる蘭霞は沙耶を岩場に持ち上げ、両膝を開く。

「あっ…」

「沙耶…綺麗だ…」

沙耶の肩を強く握り、蘭霞は沙耶の中に深く入った。

「あ…あぁ…あ!」

蘭霞は石畳に座り、沙耶を上に乗せ抱き抱え、体を弾ませる。蘭霞が沙耶の中で何度も突き上げる。

「沙耶…もっとちょうだい…」

ゆさゆさ揺れながら沙耶はぐったりとし、蘭霞にしがみつく。蘭霞は容赦なく突き上げる。

(いきそうだな。)

長い喘ぎと共に沙耶の身体が仰け反り硬直し、うつろな目を向け恍惚とした。



***


「ドルチェ、じゃなかった…蘭霞、まったねー!」

「沙耶さん、次の生還を待ってるよー!」

山中沙耶は元気よく手を振り颯爽と旅立って行った。


脱力した気分の蘭霞は予約パネルを見る。

「今日は後5件……」

「モテる男は辛いわねぇ。」

豪快に笑いながら次のセットを始めるフラに、背中をバシンと叩かれた。

「それにしても、あの山ガールにああいうプレイで行くとはね。考えたじゃない。」

「あー、やっぱフラにはわかっちゃったかー」

「自分の仕事にプライドを持ってるのはお互い様よ」

「次もよろしくお願いします!」

「あら、誰にモノを言ってるのかしら?当然準備万端よ」

二人はニヤリと笑う。お客様の身体も心も満たして送り出す。そして仕事が無事成功したことを無言で称え合う。


蘭霞はすーーっと大きく息を吸い、大きく拳を振り上げ号令をかける。

「みんなー!絶対ボスから特別手当たんまり貰うぞー!」


『おーーーー!』


スタッフの威勢のいい返事と笑い声が飛び交う。


(それにしても…)

スタッフ達とじゃれ合いながらニコニコ笑う蘭霞の横顔をフラはジッ見つめた。

(客を持つようになってたった2年弱の少年にできることじゃないわよね…。)

初めは誰にでも好かれるただの可愛い少年かと思っていた。仕事柄、室内の装飾に問題が起きた時に素早く対応できるよう、ずっと見て待機しているため、蘭霞の接客の様子をフラは見ることになる。

瞬時に相手の状況と要望を見定める能力。高い順応性と臨機応変さ。相手を違和感なく自分のペースに乗せる巧みさ。

(ボスはとんでもない子を拾ってきたもんだわ…。)

フラは蘭霞という少年を皆と同様愛している。それゆえの得体の知れなさを危惧しているのだ。

(アタシには、あの子がこのままずっと笑って過ごせることを願うしか出来ないわね…。)



***


VIP憧れの最上階、楽園


今日も特別なお客様を満足させるためスタッフ全員心を込めて準備している。

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