第4話 遊郭の蘭②

闇を纏い、刃が光る

ザシュッ


「曲者だー!」


(ふん、今ごろか。バカどもが。)


闇を走る黒い影。月明かりを避け、音を立てずに軽々と飛躍し、駆けてゆく。いつしか影は闇夜に消えた。


影が再び現れたのは老舗楼閣の楼主の寝間。


「露払い完了致しました」

待っていたように目覚めた楼主は、猫なで声で労いの言葉をかける。

「ご苦労だったねぇ、蘭霞ランカ

聞いたか聞いていないのか、蘭霞はすでに消えていた。

(使える男娼を安く買えたもんだな)

使ってみたが、表も裏も予想を遥かに超える働きぶりだ。

(稀有な人間は長生きしないものだが、な)

表の顔を思い浮かべ、あの笑顔に癒されている自分もまたいることを楼主は胸にしまった。



***


「蘭霞さま、本日の朝餉あさげはどうなさいますか?」

ウトウトと寝入り始めた頃にもう朝が来ていた。夢を見たからだいぶ寝たのだろう。

「ありがとう。持ってきて。」

襖が不器用に開き、小さな禿かむろがカタカタと盆を揺らしながら緊張した面持ちで歩いてくる。

(こぼれる!)

禿は着物の裾につまづき転びかける。盆は禿の方に傾いてゆく。


「え?」


気付くと蘭霞の顔がすぐ目の前にあった。

「あ、あああのっ……申し訳ございません!」

青くなる禿は自分の持っていた盆が支えられているのに気付く。

「怪我がなくて良かった。」

ニコリと微笑む蘭霞に抱き抱えられるように助けられたことに気付き、禿は顔が耳まで赤く染まる。

「立てるかい?女の子の顔に熱物がかかったら大変だ。よいしょっと。」

禿を抱き抱えて立ち上がり、盆を棚に置いて禿をそっと降ろす。

「あの…」

蘭霞は禿の口に人差し指を当て、シーっと言いクスクス笑う

「今のは二人の秘密にしようね。着物、着崩れてるから直しておいで。」

「は、はい!ありがとうございます!」

どこの地方の子かまだ訛りの取れぬ抑揚だ。口減らしで売られてきたのか。よくあることだ。

「朝餉はもらっておくよ。早くお下がり。」

「はい、失礼します!」

大袈裟なお辞儀をして不器用に襖を閉じる。



(まだ顔が熱い……)

売られてきた時はたくさん泣いたものだった。親兄弟の為に自分がシッカリしなくてはと覚悟して遊郭に来た。

(この妓楼には役者さんみたく綺麗な男の人がいるって本当だったんだ…)

禿は高鳴る胸を小さな手で抑え、急いで持ち場に戻った。



(昨日の夢は面白かったな)

のんびり朝餉を楽しみながら、夢で見た異国の女の派手な立ち回りを思い出す。銃を持った屈強な男10人ほどに囲まれて素手で全員倒してしまうとは。本当のことであればここにいる女達にも……。

(女の暗殺者にかち合うこともあるし、訓練していればできなくもないか。)

だが果たして自分であっても10人は…。

(生きるためなら殺るだけか。)

夢の中の蘭霞には無理なようだが、それはそれでいいと思っている。

幼い頃からそうだった。眠ると見たこともない美味しいご馳走が並んでいたり、見たこともない海を毎日見て過ごしていたり。夢にずっといたいと幼い頃は思っていたものだ。幸せそうな自分がそこにいる。もしかしたらそっちが現実で、無理やり犯されるように弄ばれたり、目の前に死体が転がっている方が夢なのではないかと。

だが、ここは紛れもない自分の現実だと分かる度に夢は夢でしかないと割り切って行くようになった。


ただ生きる。生きるために生きる。それ以外どうでもいい。


いつの日だったか、夢の蘭霞が目をくり抜かれて何かをはめ込まれたり、左の小指の爪が生えてこないように改造されていた。その時に初めて彼も鳥籠の中の人間なのだと知った。

か弱くとも明るい笑顔を絶やさない彼の暗い部分。

自分はまだ五体満足でいられている。使われる身ではあるけれど、監視のようなことはされていない。


(異国の蘭霞、なぜ君はそこから逃げ出さないんだい?)


答えは分かっているのに尋ねたくなってしまう。皆に愛されて幸せそうに見えた。羨んでいた。しかし、彼もまた使われる人間で抜け出せない道にいる。

(僕らは場所は違っても同じなんだね。)

人殺しをしないで済んでるのだけが救いだ。彼だけは、自分の分身だけは人なんて殺めて欲しくない。

彼も自分を夢で見ているのはもう分かっていた。だから、自分を見て強くならなくてはと焦っている彼に伝えたい。


もう無理をしないでくれ。君だけは、絶対に人殺しになんてならないで。



***


今日の昼まで用事がない。

朝餉を食べ終わった蘭霞は湯に浸かりに行った。女達の時間とずらして蘭霞の時間を作ってもらっているため、掃除係の迷惑にならないように刻限は守るようにしている。

湯殿の扉を開くと女物の浴衣があった。誰か入っているかもしれないが、昨日の仕事もあり汗は流したい。仕方なく、

「誰ぞおりますか?失礼しますよ」

と一声かけたが返事がない。するりと湯船へ進み、桶で頭からお湯をかける。

「わぁー!気持ちいいー!」

つい口に出してしまう。思ったより身体が冷えていたようだ。身体を洗い、サッパリして湯に浸かると溶けてしまいそうな心地良さが全身に広がる。


「あんたでもそんな顔すんだね」


声の主を探すと年の頃は同じくらいの少女が湯に浸かっていた。

「君は?」

「夏花。まだ男は知らないよ」

夏花はそう言ってにじりよってくる。

「僕より早く入ってたんならのぼせるんじゃない?」

蘭霞は冷たく言い放った。何をしたいのか知らないが、面倒事はゴメンだ。

冷たくあしらわれたのが気に入らなかったのか、夏花は目を妖しく光らせて蘭霞の耳を甘噛みしてきた。

「夏花だっけ?僕が先に出るからゆっくりしてるといいよ。」

シラケきった蘭霞は湯から上がりかけた。すると、夏花は両手で蘭霞の右腕を掴む。

「なんで?どこがいけないって言うのさ!もしかしてあんた、女抱けないんじゃないのかい?」

まるで懇願するような挑発をしてきた。蘭霞はため息をつき、夏花を振り返る。


ぱしゃん


いきなり夏花の肩を引き寄せた蘭霞は不意に口付け掻き乱し始めた。

「ん……んん…」

巧みに唇を甘噛みしつつ舌を絡め取り、小さな頭を片手でグイと引き寄せ、もう片方の手で耳から首をゆっくり愛撫しながら唇と舌を攻め続ける。

「ん…ん……」

すっ、とゆっくり舌を抜き、夏花の唇に柔らかく口付けてから、顔を離した。腰が立たなくなった夏花を湯から抱き上げ、抱えながら湯殿を出る。

「ちゃんと太夫に習うといいよ。上手になったら僕の座敷に来てね。」

夏花を脱衣所に降ろし、身体を拭って身なりを整えた、普段ならここで少し涼みたいが、夏花が面倒なので座敷に戻ることにした。

「あ、あんたのことみんなに言ってやる!」

「ご勝手に。」

振り返りもせず蘭霞は去っていった。夏花は唇に手を当て蘭霞の感触を思い出し吐息が漏れた。



(めんどくさいやつに絡まれたな)

窓辺で涼んでいると、何やら廊下が騒々しい。構わず窓の外を見ていると風鈴屋が見えた。

(今日は時間があるから神社へ行きがてら風鈴でも買おう。)

若竹を呼ぼうとすると、すーっと襖が開いた。

「うちの子が粗相をしたみたいで済まなかったね」

「姐さんとこの子だったのか。」

蘭霞が唯一仲良くしている女郎の高尾太夫が浴衣姿で入ってきた。

「今日は暑いよね。浴衣も似合ってるよ。さすが妓楼一の太夫様は違うなぁ。」

蘭霞の軽口に満更でもない様子でふんと鼻を鳴らす。

「そんなにおだてたって何も出やしないよ。それよかさ、おいで夏花。」

太夫の後ろに隠れるように佇んでいた夏花が座敷の前の廊下で手をついて頭を垂れた。

「別にいいよ。僕は女郎でもないし。ここのしきたりの枠外で適当に扱って。さっきみたいにさ。」

勝気な娘だ。嫌味を言えば面白い反応でもするだろうと思ったが…。

「この度は蘭霞さまに大変な無礼を働き誠に申し訳ございません。どんな罰でも受けます。」

どうやら太夫にこっぴどくやられたようだ。

「ふーん。そっかぁ。じゃあ、そこの風鈴買ってきて。」

と、言って金を渡した。

「買ったら若竹に渡してくれればいいから。もう顔も見たくないし。」

隅の方に控えている若竹の肩が震えている。俯いて表情は見えないが、絶対笑ってるな、この子、いい性格だ。

夏花はというと、青ざめた顔で太夫に縋るような目を向ける。こっちはあまり出世は望めなそうな子だ。

「蘭!若い子をいじめるクセは何とかなんないのかい?普通に怒ってやんなよ。」

「おや、バレた?ごめんね夏花。悪気はあったんだ。でも、楽しかったでしょ?湯船遊び。」

にっこり笑うと夏花は顔を真っ赤にした。若竹はと言うと、笑いを堪えるのが限界なほど肩を震わせている。太夫も気付いていてあえて見逃している様子だ。

恐らく夏花の跳ねっ返りは今に始まったことではないのだろう。

「もう、しませんので…」

「うん、頼むね。君の行動ひとつで太夫の顔に泥を塗ることもある。それは大変失礼な事だ。」

蘭霞はさらに続ける。

「それと、これは僕個人からのお願いになるけど。あの時間は僕のためにわざわざ掃除係の人が時間をずらしてくれている。ここは色々な人が様々な時間で働いているのを忘れないで欲しい。あの人達がいて支えてくれるから僕らは花としてここで咲いていられるのだから。」

至宝の美少年だの遊郭一の太夫だの、全てはただの役割に過ぎない。死ねば皆ただの塊だ。昨夜始末した……子供の様に。

「さっすが天下の蘭霞さまは言うことが違うね!あたしも勉強になったよ。うん、確かにみんなに支えられてるよね。お互い様でさ。」

太夫の明るい声で、昨夜の件を引きずりかけていた自分から我に返った。

「姐さん」

「なんだい?改まって。」

「やっぱいい女だね。」

「おやおや、今日の蘭はずいぶんとあたしにお熱じゃないか。え?ま、そんなのもたまにゃあ悪かないねぇ。」

上機嫌の太夫に蘭霞はニッコリ笑みを送るとパッと見をひるがえし窓から飛び降りた。

きゃーー!という声が聞こえたが、気にせず風鈴を4つ買い、今度は妓楼の入口から自分の座敷に戻った。

「ビックリさせないどくれよ!心臓に悪いったら…」

太夫が珍しく慌てた顔を見せる。夏花はまた腰を抜かしているようだ。

若竹が泣きそうな顔になってべそをかいて抱きついてきた。

「蘭霞さま!バカ!死んじゃうかと思った。」

若竹の頭を撫でつつ窓をちらと見た。座敷の場所が3階だったことをすっかり失念していたのだ。

「ごめんごめん、昔さ、軽業師の一団に混じってたことも…。まあ、ここに来るまで僕も色々あったってことさ。」

適当にそんな風に流すと、太夫と夏花、若竹に風鈴を手渡した。

「綺麗な音でも聞いてさ、めんどくさいことはなしにしよ!夏花も廊下で座り込んでないで座敷にお上がり。動けるようになってからでいいけど。若竹、茶を頼む」


なかなか出かけられそうにないな、と思いつつ、自分の周りにも温かい人達がいることを異国の蘭霞に伝えたくなった。

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